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2010年8月14日

評決(1982)

監督 シドニー・ルメット

- 裁判を起こす決心は? -

うらぶれた3流弁護士が主人公。彼の担当している事例は医療過誤事件だが、示談で話がつきそうだった。しかし、主人公は裁判に持ち込むことを決意する。いったい彼に何が起こり、裁判はどう結審するのか・・・

・・・うらぶれた人物が活躍すると言えば、「動く標的」の探偵が思い浮かぶ。主演も同じポール・ニューマンだった。今回の弁護士は明らかにアル中といえる人物であったが、とうとう最後まで酒を止めていなかった。

冒頭のピンボールで遊ぶ姿が面白い。ボーっと無気力な遊び方をして途中でウイスキーを飲み、また遊ぶというシーンで、主人公の状態が一発で解る仕組みだった。

この作品の主題は、裁判にともなう問題を際立たせることと、一人の人間の復活を描くことだったと思う。

この作品は最初からルメットが監督する予定ではなかったらしい。でも裁判物といえば「12人の怒れる男達」が連想されるからか、彼に決まったようだ。共演者が一流どころだった。味方の弁護士、敵の弁護士事務所長、愛人は有名だが、それ以外にも実力派が揃っていたように思う。

特に敵の弁護士ジェームズ・メイソンは、まずい立場に陥っても立場を逆転させる頭の切れ、タフさを上手く表現していた。独特のキャラクターだった。

愛人役として他に誰か良い女優がいるか?と考えてみると、ちょっと思いつかない。それくらいシャーロット・ランプリングには存在感があった。本当に独特の個性で、病的とも言えるほど内部に秘めたものを感じさせる女優。

Rannpurinngu

作品の質、雰囲気が軽くない。重厚な心理劇という印象を受ける。大向こうをうならせるような鮮やかな弁護、派手な論争があるわけではないが、軽いサクセスストーリーではない。ラストもちょっと意外な感じを受けた。あんまり安易な終わり方をしていない。

裁判で勝つだけのカッコいい作品より、ずっとレベルが高い印象。でも、それゆえに家族で観れる作品ではなくなっているかもしれない。子供には理解不能かも。恋人といっしょに観て、面白いと感じてくれるかも解らない。緊張感が維持された良い作品だと感じる人も多いはずだが、いっぽうで退屈と感じる人も多いかも。

主人公の今後の生き方が解るような終わり方だったが、あれで良かったのか?まさに、そこが問題なんだろう。ラストに和解があれば一般受けするが、ラストが拒絶だったら、何か救いようがない印象に終わる。どのように終わるかが、製作者の腕の見せ所になる。

実際の裁判のことを良く知らないので、作品の中で述べられた過去の判例が本当なのか全く解らない。もし証人が「私は脅迫されて書き直したんだ!原本はここにある!」と言ったら、普通なら証拠品として採用されるのが妥当と考えるが、そうではないらしい。

裁判長は職務に忠実だったのだろうか?彼にも言い分があると思う。「過去の判例が・・裁判の円滑な運営のために・・・」でも公正さを欠いていたと思う。 本来、被告や原告が裁判官の心象を気にするなんておかしい。法律だけを気にすべきだ。

極端な話、被告が裁判官をバカにして暴言を吐き続けても、裁判官は表情を変えることなく、法律に基づいて無罪にしないといけない。検事や裁判官も人の子だから・・・なんて理屈が通ってはいけない。

証言自体を削除するように求め、あっさり認められるなんてことをやらかしたら、もう裁判ではない。証言や証拠として採用するかどうかは、よほど悪質なでっち上げでないかぎり、裁判長が決めてよいことではないと思う。信用するかどうかは、陪審員が決めることだ。裁判長の質によって審議が変わることがないような制度が欲しい。

この作品のアイディアは、本当の裁判から出てきたのかも知れない。原作本もあるらしいので、全くのフィクションではないのだろう。

病院側が証言を避けるために、証人を海外旅行に行かせる、相手の弁護士に探りを入れる、場合によってはスパイ行為、新聞などを使ったキャンペーンを張る、そんな活動もありえる。買収も当然ありえる。陪審員の心情に働きかけるためには、それなりの戦術はあるのだろう。

陪審員制度にも問題はあると考えてよい。

もちろん今までの日本の裁判制度も良くない。この作品の事例だと、日本では被告の無罪で終わった可能性が高い。「被告が自白していないから・・・」などの理屈で、ありえない結論に持っていかれる。弁護人側の看護婦の証言は、裁判の日程などを理由に最初から受け付けなかったかも。

一人の看護婦の叫びより、高名な先生を信用する傾向はある。看護婦には慇懃無礼な態度、高名な先生には特に先生の友人が自分の先輩で何かの繋がりがあったりしたら、裁判官と言えど態度が違うこともありえる。

そもそも裁判官の出世が裁判所内部で決められるのなら、公正な判決は期待できない。上層部には独特な人脈があるはずだ。日本の社会のクセのようなもので、法律の解釈や実務能力とは別な論理で決まるものだ。

人事をどう決めるべきかどうか解らないが、公的な立場の職場では、人事を内部で決めさせるのは根本的におかしい。「最高裁判事は国民が決めるから・・・」というのは欺瞞であることは明らか。裁判所を信頼できなければ、若者の精神の荒廃を招く。

極端に言えば、裁判官や検察官の人事は裁判員が決めるべきなのかも。少なくとも、上層部はそうすべきでは? それが本当に民意に基づく人事だ。

政府が常に正しいとは限らない。政府がダメでも裁判所が国民の味方だとなれば救えるが、何も信頼できなければ即、社会全体に信頼をおけなくなる。「三権分立など最初からないじゃないか!あいつら皆グルだ!何もかも腐りきってる!」と叫びたくなる。それが固定化されれば公共精神が失われ、結果が跳ね返ってくる。

実際に、今の日本にはその影響があるのだろう。

 

 

 

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