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2010年7月19日

トイ・ストーリー3(2010)

- 映画作りの手本  -

トイ・ストーリー・シリーズの仲間たちはアンディに大事にされていたが、彼もそろそろ大学生。皆は屋根裏部屋に行くことになった・・・はずだったが、手違いが発生。間違って幼稚園の悪ガキどもにいたぶられるハメになってしまった。おもちゃの社会にも圧政者が君臨している。仲間を救うためにウッディらは立ち上がる・・・

・・・友情を描いた作品で、これほどの完成度を持つものがあったろうか?映画作りの見本にして良いような、高いレベルを感じた。

パート1は1995年(平成7年)、パート2は1999年(平成11年)だった。我が家の子供たちは平成5~17年の生まれなので、皆が赤ん坊のころから観ているシリーズだ。そこで、家族総出で鑑賞しようということになった。

観終わって、皆が満足していた。あらゆる角度から検討し、ストーリーやギャグ、テーマの演出方法などを考えたに違いない。我が家に限らず、この作品は家族でも、恋人といっしょにでも観れる作品だ。

泣ける映画だった。ラストシーンで仲間がもうだめだと覚悟を決めて手を取り合う場面では、たぶん救いが来ると解っていても涙が出てきた。

笑える映画でもあった。バービーとケンの出会い、ダンスやキザな会話、その仕草には子供達も笑っていた。

Toi1

ポテト・ヘッドの辛らつなコメントも今までと同様にアクセントをもたらす効果があったが、特に今回はボディを取り替えることができるという、今まで知らなかった能力によって皆の危機を救う大事な役割を果たしていた。でも、その活躍ぶりが笑わせる。

ポテトヘッド、レックス、ハム、スリンキーらのキャラクターとしての設定、出場のタイミング、時間などが実に適切に管理されている気がする。何か統計的なセンスを感じるほどの完成度である。何分ごとに辛らつなコメントを入れるとウッディのキャラクターの好感度を上げる効果があるか、そこまで過去のデータから計算しているのでは?

考えすぎかも知れないが、感性の趣くまま作っていたら、大きな予算をつぎ込む企画に危険が迫ると考えるプロデューサーがいるのでは?

途中でスペイン語バージョンのシーンが始まるのも適度に面白かった。奇抜なギャグばかりでは飽いてしまう。適度に古典的なギャグを織り交ぜるのが心憎い。歌をジプシー・キングズが担当して軽快なダンスを披露するので、ミュージカル映画としての盛り上がりもある。

ストーリーのアイディアが、ほぼ完璧だった。おそらく、この完成度に到達するまでに9年近くかかってしまったのではないか?作れば必ずヒットするシリーズなのに、ここまで遅くなった理由は、やはりスタッフ皆が納得できるプランができなかったからでは?いくどもプランを練り直して、商品開発したのでは?

3Dにすることも影響していたかもしれないが。

アンディの心も表現しないといけない。単純におもちゃなど興味ない普通の大学生になっていたら、話は成り立たない。単なる玩具だけの世界のファンタジーだけに止まる。人間が関与しないと、話は人間界から遊離した格好になる。

玩具に思い入れがあることをオーバーでなく表現できないといけない。誰かに玩具を譲ることになったシーンで、「エッ?これもかい?これは・・・」という抵抗感を出さないといけない。そのためには、譲る相手が譲るにふさわしいキャラクターであることも必要になる。したがって、その子は話の途中で登場し、玩具を大事にする姿を見せないといけない。

悪役がいないといけない。シリーズ1では破壊的な趣味の少年だったが、今回は意外な対象の登場だった。悪役は単純に負けてはいけない。しぶとさ、計算高さなどを持っていないといけない。今回は、暗い過去を持つことになっていたが、単純に悪いのではなく、それなりの理由、内面があることで悪役たりうる迫力を有していた。

脱出・・・このシリーズのテーマとも言える。常にひどい場所から彼らは脱出を試みてきた。悪ガキの部屋から、玩具業者の倉庫から・・・そして今回は、幼稚園とゴミ処理場というふたつの場所からの脱出劇を演じていた。このためか、今までよりも迫力とスリルを味わえたような気がする。

宣伝も素晴らしかった。劇場での宣伝、タイアップした宣伝、看板だけなど、手を変え品を変えて印象をつける工夫をしていた。シリーズの人気の高さに胡坐をかかない姿勢が素晴らしかった。映画作りは、そうあるべきだ。

日本の映画界は、胡坐をかく傾向がある。映画界に限らず、成功神話に取り付かれやすい。

まだ公開されて間もないのだが、今年のヒット第一位と思う。過去のファンに加えて、新しいファンにも受けるような工夫をしている。商品としても、ここまで完璧を期すのは、もしかしてバズ・ライトイヤーの指示があったのか?と、疑いたくなるほど。

さて、パート4だが当然、アンディの子供達との物語になるだろう。後、10年後か?さすがに、飽きる人も多いかも・・・ 

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