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2010年7月22日

スケアクロウ(1973)

- 自慢話を反省しました -

乱暴者の大男と、人なつこいお調子者が旅をする物語。ドンキホーテの旅のようだ。

この作品は、大人限定だと思う。ろくでなしどもの映画と言えなくもないからだ。万が一、放浪者に憧れる子が出たりしたら、親から文句が出そうだ。恋人と観る作品でもないような気はするが、よく解った女性なら、きっと涙無しでは観れないほど感動するかも。

友情の描き方として、この上ないほどの叙情性を感じる。アウトロー達の挽歌、フォード監督の西部劇にも通じるものがある。

ジーン・ハックマンの存在感が全てを決定していたように思う。この人物の個性の表現が素晴らしかった。チキンを食べながら、「~が300ドル!~が600ドル!」と、場にそぐわない激しい口調で叫ぶシーンは、懸命にやっているんだが、根本的に考えが足りなさそうなところを上手く表現していた。

自分の計画に対する意気込み、気迫がいかに激しいものか、思い入れが強いのは、それまでの人生が惨めだったことの裏返しであることなどもうかがえた。

あのような話し方は、飲み屋ではよく見かける。サラリーマンが集まる居酒屋なんかは大抵そうだ。大きな声で、自慢話がてらに、後輩に説教している集団は多い。大抵の場合、自慢が大きなウェイトを占めている。いかに周到に計画したか、いかに苦労して予算を取ったかなどなど・・・

それとグチ。いかに無理解な上司に振り舞わされているか、無能な連中を軽蔑しているか、それに比べて自分がいかに優秀で、努力しているかなどなど・・・

自分もそうだ。いかに的確に診断したか。いかに怖ろしい病態に遭遇したか。鮮やかな仕事をした誇りは、誰かに話さないと気がすまない。聞いてくれなきゃ、こちらから話さなきゃ。

でも、考えてみればノーベル賞を取ったわけでも、世界制覇を遂げたわけでもないので、自分がやってきた苦労や苦心など、他の飲み客にとってはどうでもよく、もっと遠慮して話すべきだった。話を聞かされた後輩には謝らないといけない。

充分に思慮が足りてたら、あんなふうには話さないだろう。基本的には他の人を褒めて、協力を依頼することに徹するべきである。本当に何かをしようと考えているなら、自分に逆らうななどと脅しめいたことを口走ったり、自分をひけらかすような言動は控えるのが常識だ。

ジーン・ハックマンのキャラクターも、飲み屋の偉人達も、自分の置かれた立場をよく考えるべきだった。あのキャラクターの表現は、実に自然で存在感があった。

当時のハックマンは43歳。個性派の代表のような役者だが、いったい本人は自分の才能や将来の成功に、どのような考えを持っていたのだろうか?個性派の役者として充分に喰っていけると確信していたとしたら、演技に対する理解の度合いが凄かったということになる。私がハックマンだったら、少なくとも大スターになる自分を予想することはできないだろう。

ハックマンのように上手く演じられたとしても、はたして観客がそれに反応してくれるだろうか?と、不安に思ったに違いない。風采はあがらないし、表情も読みにくい。全身で演じてくれない限り、何を表現したいのか伝わらないタイプだ。顔や声だけで演技できる自信があれば役者で食っていこうと思うかも知れないが、自分なら最初から断念しそうだ。

彼の個性を生かしてくれる監督やプロデューサーも必要だ。何を描くかについて、役者の個性に関して高いレベルのセンスがないと、ハックマンのような役者はキャスティングされることがない。有能なスタッフがいたからこそ、ハックマンはスターになれたんだろう。

時代も関係していた。ニューシネマの時代だったからこそ、こんなキャラクターにも需要があったのだろう。保守的で安定した社会では、カッコよくないと見向きもされず、せいぜい便利な悪役としてしか活躍できなかったはずだ。彼の力量だけではない。

相手役のアル・パチーノなら、いつの時代でも絶対に役者になるべきだ。喜劇も悲劇も、現代劇も古典も、ラブストーリーもオチャラケも、何でもございで演じきれるような気がする。この作品でも素晴らしい演技者ぶりだった。シャワーを浴びながら話すシーンだけでもただ事ではない迫力だ。

Photo

演技のひとつひとつがリアルでありながら、強烈な表現力に満ちていた。あの頃のパチーノには激しい眼力があった。ノリは完全にロックミュージシャンのそれだった。

齢をとってからのパチーノは、ちょっと力が抜けた、何かで失敗した人物の悲哀を演じる機会が増えて、訴える力も抑え気味のような気がする。抑えた演技では、いかに上手かろうと、迫力の面でやや難しいものもあるのではないか?

広大な平野をヒッチハイクしている姿を見ると、よく殺されないものだと思う。わずかな金を目当てに、いきなりズドンと殺されても不思議ではない。荒野では誰が何をやったか解りにくいからだ。

ヒッチハイカーが殺されることも、逆も大いにありえる。とりあえず殺した後で金を探して「チェッ。あんまり持ってないなあ。」っていうのも普通に起きているのでは?銃の国で、ハイカーを乗せるのは勇気が要る。

日本でも、時にはタクシー強盗などが騒がれている。景気が悪いので、今後は増えていくことだろう。今までハイカーを乗せたことはないし、今後も絶対に嫌だ。

ラストシーンは、自分には理解不能の終わり方だった。尻切れトンボのような印象を受けた。何が言いたかったのか?

私なら、悲劇的な別れ、銀行にあるはずの金がないと判明するなど、救いようのないラストが心に残る点では望ましいような気がする。

あるいは傷ついた相棒を担ぎながら、希望を持とうと立ち上がる後姿でも良い。単純で絵になるような解りやすい構図が期待された。何か違うことを観客に期待していたのだろう。

 

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