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2010年6月 5日

スミス(氏)都へ行く(1939)

- ギャグの世界 -

ある州の発展のために尽力してきた企業家グループがあった。グループのリーダーはテイラー氏。彼らにより、新しいダム建設が企画されたが、急死した議員の後釜に担ぎ出した青年スミスが反旗をひるがえし、女秘書の入知恵でダム建設に反対してくる。テイラーらはスミス氏のスキャンダルを公表し、議員辞職に追い込もうとするが、スミスは議事妨害を謀る・・・

・・・このレビュー、すこし間違ったか?

作品のタイトルは「スミス氏・・・」ではなく、「スミス都に・・・」らしいが、昔は氏が付いていたような気がする。 ストーリーは結構面白い。テーマを上手く娯楽の物語に仕立てている。真面目すぎる青年が活躍すると、ギャグのようになる。悪役達の演技が上手いので、かなり現実的な議論が展開されて、全くのフィクションではないかのような雰囲気もある。どこにでもいそうな愉快な連中が悪役の片棒を担いでいてリアル。

主人公がギャグ的な真面目さなので話が深刻にならずに済むし、乱闘で血まみれになるシーンもない。いちおう家族で観ることも可能な映画だ。DVDでは人気がないのか、有名な作品なんだが初めて鑑賞することができた。

ラストが唐突な印象を受けた。ちょっと安易な終わり方ではなかったか?また、議長がスミス氏に好意的なのが気になった。日本では、真っ先に議長がスミスに反感を持ち、法を無視して議長権限だとか言って採決を採ろうとするだろう。あんな任侠精神のある議長は絶対いない。

おそらく普通の議長に聞いてみたら「議長の職務は議論が円滑に進むように務めること。したがって、不正が隠れていようといまいとに関係なく、議事妨害をする輩は排除する。自分は正しいと信じる。」ってな具合に、悪の片棒を担ぐのである。

議会のルールも面白い。意見を言い続けたら議決に入れないというルールは伝統を感じさせる。

今の時代では、例えばデートで観るにはあんまり勧められない作品だが、子供にとっては面白いかもしれない。テーマも健全で悪くない。でも、今の少年達はスミス氏に喝采を送らないし、新聞配達で協力したりもしない。

企業家のテイラー氏はスミスに対抗するために活発に活動していた。似たようなキャンペーンは、政界に限らず、社内の権力争いなどでも日常行われていることだ。内向きのパワーというか、会社の業績には何の効果もないところで争うのが好きな人は多い。結果として、会社のパワーを損なう危険もあるのだが・・・

反対派に勝つための電報攻勢は、まともな手段と言える。個人に電話して電報を依頼するだけだから、たぶん違法ではない。相手と経済的に密接な関係がありグルだとしても証明は難しい。新聞の出版を遅らせるなどは何かの法律に違反しているかもしれないが、せいぜい罰金刑ではないか?

少年達を襲ったりしたら、明らかな犯罪である。でも、それをテイラー氏が指示したという証拠はない。現場の連中が独自に判断したと言い逃れができる。大統領選だって似たようなことをやる。選挙では激しいネガティヴ・キャンペーンを互いに張り合っている。とりあえず短期決戦で敵を失墜させれば、後はまた何とかできるという考えだろう。

委員会で偽証をするのは違法である。アメリカでは結構厳しい処罰が待っていると聞く。ということは、昔は偽証が激しかったという証になる。この作品でもひどかった。日本でも偽証の場合の処罰を厳格にするしかない。

スミス氏の先輩議員、クロード・レインズには存在感があった。議会で発言する内容が素晴らしい。「議会を侮辱するなら出て行く、スミス氏を選んだ私のミスを謝る」などのセリフや仕草は”感動モノの演技”の演技だった。日本の国会やテレビ討論会などでも、似たような偽善に満ちた演技はよく見る。

早めに土地を購入し、開発によって巨利を得るのは普通は違法である。ただし証明されれば。通常はシラを切れるように段取りをするものだ。第三者が偶然利益を得たように見せかけ、実際には相互の利益を目指す。それを規制するためには、抜け穴がないように上手く法律を作るしかない。

昨今の田舎町の経済は悲惨だ。産業の中心であった農林業は輸入品と価格的に対抗できない。需給バランスから考えて採算が取れるはずがない。慢性的に人口流出が続く。雇用を支えてきた公共事業も予算を削減されたため、生き残りが難しい。田舎の経済を維持するのは大変だ。

そのためには何らかの形で予算を引っ張ってくる必要があると考えるのは自然だ。公共事業による収入がなければ生きてはいけない。村が崩壊する。道路やダム建設がされれば、雇用に関する効果は抜群、町には電力会社からの税金もはいる。誘致するに越したことはないと考えても悪いことではない。

何とかして予算を掠め取ろうと必死になり、過激になった議場において理想主義の働く場所はない。殺されないだけ良かったとスミス氏には思って欲しい。

汚職が良いと考える人は少ないだろうが、多少の傷があっても、町に産業を興し、金を回す人物は必要で、我慢しないといけないと子供の頃から多少は感じていた。立派な人物でも、金をもたらさなければ議員にはふさわしくない。そんなふうに考えるのは、一般的な風潮だった。

悪質な議員も多かった。この作品の冒頭でテイラー氏が偽名で建設予定地の土地を購入していた下りは、そんな例だろう。アメリカでは日本よりも早く大規模な開発が行われてきたから、動く金額も大きい。金を手に入れるためには、ギャングの激しい工作も必要になってくる。土地を追い出される移民達も多かったはずだ。映画の題材にもなっている。

汚職しないで予算を引っ張ってくれれば、それがベストである。個人の資産など眼中にないまま、大きな公共事業を残してきた例も多数ある。しかし、そんな場合も予算を取るためには相当な交渉術が必要だったろう。票のとりまとめの約束くらいはしそうだ。

故郷の田舎の道路を見ると、結構不自然な点が多い。無駄に豪華な作り方をしている建造物も多い。建設課の担当官と議員連中の駆け引きの結果だろうか?

根本的には産業構造を徐々に正常化すべきだ。予算のかけ方で何とでもできると思う。田舎に仕事がなく、都会に出て非生産的な仕事にありつかない限り生きていけないような経済構造では、長期的な国の未来展望などあるはずがない。

ただ、そんな展望のある予算案に誰も納得しなかったことに問題がある。真剣に国と国民の生き残りを考えていなかった。議員達も、自分が当選することで国が没落するとは思っていなかったのでは?思っても、どうにもしようがなかったのか?

根本的欠陥を補正するために公共事業を引っ張ってくるという流れに、そもそも無理があった。根本的な方針が間違っていて、修正修正で乗り越えようとするのは良くない。何が大事で何が修正なのかを混同してしまっている。景気対策に熱中している間に国の生き残りに失敗してはいけない。

建設業は、輸出成長産業にはなりえない。建設業に予算を回せば、資材関係の業種は潤うが、成長産業や国の未来のために使うべき予算を奪ってしまう。発展につながる産業に予算を配分すべきだった。ただし、一気に政策を変えると業者が困窮する。計画的にやるべきだった。

故郷に予算を取ってくれた代議士や、おこぼれを管理した役人達は皆懸命に働いたし、有能だった。彼らには感謝するが、彼らの存在自体が国にとっては害悪だった。喝采を送った私達も同罪だ。

 

 

 

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