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2010年3月26日

レイチェルの結婚(2008)

- 熱演でした -

主演 アン・ハサウェイ

主人公のキムは、かって薬物中毒に陥った時代に弟を死なせてしまい、療養所で長いこと生活してきた。姉が結婚するため久しぶりに我が家を訪れたが、家族との関係はギクシャクし、諍いが絶えない。ついに彼女はキレて車の事故を起こしてしまう。その間にも結婚式、パーティーは進む・・・

・・・主人公を演じたアン・ハサウェイは最近イメージチェンジを狙って意欲的な役に出演しているが、この役が今までで最高の出来だった。メーキャップの上手さもあって、いかにもキレた中毒患者らしい雰囲気が出ていた。

アカデミー賞にもノミネートされたらしいが、この年はケイト・ウィンスレットが獲得している。確かにテーマから言って、あちらのほうが賞の対象になりやすい。でもハサウェイもなかなかの熱演だった。主演女優賞に充分相当すると思う。

この作品は家族で見るには少し不向きだと思った。理解できない子供や、子供みたいな大人も多いと思う。恋人と観るのは悪くないかも知れない。

脚本はシドニー・ルメット監督の娘さんが書いたらしいが、そう言えば何となく題材が監督の映画と似ているような気がする。とにかく、いかにも言いそうな内容の会話が飛び交い、リアルさが維持されている。まさか、本人にも似たような経験があるのか?非常にリアルだった。

いっぽうで、庭に犬が登場するタイミングなどは、いかにも望ましいと思えるようなきっちりしたセンスがあり、ただ適当にセリフを言い合うだけの作品ではないことも感じる。演出のためにやるべきことをきっちりこなす姿勢が貫かれているようだ。

庭でバイオリンなどを響かせると、物悲しい雰囲気がする。その効果を得るためには結婚相手はミュージシャンで、仲間が一日中演奏していてもおかしくないようにしないといけない。ちゃんと考えて作ってあったようだ。

細かい心配り、セリフ内容のリアルさ、そういった点で非常に優れた作品。観た後の印象も悪くなかった。かなりの傑作だと思う。

さて、人はなぜ薬物中毒に陥ったりするのだろうか?自分も若い頃はほぼアル中だったが、なぜ中毒になり、なぜ抜け出せなかったのか、いまだに解らない。当時は独特な考え方に陥っていた。弱さもあった。

キムが姉と口論するが、口論途中で妊娠を告白されて口論が中断することに腹を立てるシーンがあった。その際キムは、「大事なことを話しているのに、妊娠を持ち出してズルイ。」ということを言っていたが、つまりキムは大事なことを話し合いたい、向上しようという意欲はあると見ることもできる。

自己弁護するようだが、自分も色々向上したいとは考えていた。そのために無理をしていたのも、依存症に関係しているかもしれない。結論が出そうにないことを無理に考えると、依存症に足を踏み入れることになるのかも知れない。

実際に議論を始めると、絶対に喧嘩になる。ゆっくり冷静にやろうよと言っていても、きっと激しくなる。そもそも大事な話は、えてして人格に関係するシビアな内容になる。生き方を責めると、感情抜きに話すのは難しい。最初から口論になる要件は整っている。だから向上を目指す精神は対立と常に表裏一体の関係にあるようだ。その辺を、この映画では上手く表現されていた。

めでたい結婚式で、キム自身に注目して欲しいというワガママな姿勢も感じた。普通なら、たとえ姉に腹を立てていてもニコニコ祝福してあげるはずだが、ストレートに批判するのはおかしい。身勝手な考え方をしている面は確かにある。でも依存症の人が自己中心的とは思えない。

向上心のある人、ワガママな人がすべて薬物中毒になるはずはない。何かの違いによって、はまってしまうのだろうが、多くの場合は決定的な原因が分からない。アル中患者と接していても、「この人は特にひどい環境で育ったわけではなさそうだが・・?」と感じることが多い。うつ病に近いが、本当のうつ病とは違う。

この映画では家庭が崩壊するのには弟の死が決定的な要因だったようだが、キムはその前から中毒に陥っていたわけで、弟の死は重症化の要因でしかない。理由は、普通に起こりうる、小さなことのほうが多いはずだ。

思うのだが、自分の置かれた状況を認識し、目標を立てて努力することは簡単ではない。例えば、学生が受験勉強に精を出して成績が上がっても、人としての魅力、憧れにはつながらない。優秀なエリートが失態を犯すことも多いし、大金持ちになれるわけではなく、いろんな面で魅力を感じない人物になっている例が多い。すると、勉強の意義に疑問を感じる。

甲子園 → プロ野球 → アナウンサーと結婚 → メジャー挑戦 → 解説者 → 監督 → 事業も成功という明確な目標が描ければ良いが、実際にはイチローくらいの能力がないと難しい。イチロー以外は折り合いをつけないといけない。野球なら他のスポーツを試すという発想もあるが、生き方そのものに関しては簡単にいかなくて当然。そんな面もあると思う。代替、すりかえが可能かどうかが大事。

問題のすり替えが得意な政治家は、だから出世するのだ!・・・論点が外れたかな?

いろいろ学んで観点が増えるに従って、何が正しい判断なのか解らなくなってくる。自分では「それは違うんじゃないの?」と思える結論に、もし皆が飛びつき、多数決で変な結論が出たら、「自分は何者?阻害された?単なるバカか?それとも皆がおかしいのか?」などと不安になる。

そのような悩み、不安の積み重ねが、脳の活動に影響するような気がする。つまり自分の判断機構が適応傷害を起こし、それが簡単に処理できないことを認識したということか。自分の方針を転換すべきか判断に困り、結果として適応障害になるという具合か?

単なる適応障害、判断の遅れだけでは説明できないが、神経の中で判断処理が堂々巡りになる状態。パソコンで言うとフリーズに近い、何かのソフトが延々と処理に手間取ってCPUを占拠してしまい、他の処理がはかどらないような状況が起こると理解している。固まったソフトが無能なわけじゃない、どんな優秀なソフトでも適応に手間取ることはある。人も似たようなものだ。

何かの情動回路が活性化されて、他の情報処理に影響が出て充分に能力を発揮できない状態、すぐキレる状態、そんな状況か?

どう抜け出せるのかは解らない。ケース・バイ・ケースでやるしかない。考える暇もないほど働くというのは、一般に心の病気の人には良い効果をもたらすと思う。パソコンがフリーズしたら、動作中の問題ソフトをタスクビューワで確認し、止めるかリセットみたいなことをするしかない。

基本的には問題のすり替えが望ましい。その手段として宗教にすがる人も多い。農業のような手仕事に没頭するのも良い。箱庭作りに専念するのも効果的。他の分野に乗り出して成功する人もいる。過活動状態のまま論理的に処理しようとしても、簡単ではない。リセットのほうが手っ取り早い。

主人公のキム君も、まだまだ完全に社会復帰できる状態ではないようだったが、家族の愛情は確認できたはずだ。何か期待を持てるようなラストだった。姉の歩き方で、そんな予感を感じさせてくれた。良いラストだった。

 

 

 

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