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2010年2月 5日

愛を読むひと(2008)

- よく理解できません -

主人公は病気になり、介抱してくれた女性を訪れるが、彼女と男女の関係になってしまう。彼女の趣味は一風変わっていて、文学書の朗読を要求するのだが、どうやら彼女は文盲らしい。やがて彼女は突然姿をくらますが、後年、彼は法廷で被告になった彼女と再会する・・・

・・・「朗読者」というタイトルの小説の映画化作品だそうだ。

主人公役に違和感を感じた。もっと端正な役者で、激情的な部分が見えるような顔立ちの人はいなかったのだろうか?狂おしい部分を表現できていたようには思えなかった。

主演のケイト・ウインスレットは、この年のアカデミー賞を取ったが、個人的には「レボリューショナリー・ロード」のほうが乗っていたような気がした。メイキャップの技術により、完全にドイツ系の女性のように見えるほどだったし、何か秘密を持った男っぽいというか、女々しくない主人公のキャラクターを表現した見事な演技ではあったが。

理解できなかったのは、彼女が自分の罪を認めていたのかどうかが曖昧だったことだ。罪をかぶるべきだと強く考えて行動したのなら、裁判長に「私は就職先を間違えたのでしょうか?あなたならどう行動されましたか?」と質問したりはしない。

彼女は自分が有罪になってしまうこより、文盲であることを恥じたのかと思ったが、それまでは彼女が文盲を非常に強く恥じていることが表現されてはいなかったように思う。ちょっとした演出で、「ははーん、この女性は病的なほど文盲を恥じているんだな。」と観客に悟らせることは簡単だが、あえて微妙な表現にしていたようだ。

ただし、それは原作の設定なので、映画の出来とは関係ない話なのかも。私が画面から読み取れなかっただけの話かも知れない。

製作にはミンゲラ、ポラック両監督も加わっていたらしいが、確か直後に両方ともは急死しているはずだ。

欧米人にとってナチズムの時代は重くのしかかった過去だ。今でも度々当時のことを扱った作品を見る。日本ではきれいさっぱり忘れている人も多いのに・・・「えっ?中国が戦争しかけてきたんじゃないの?」くらいに思っているかもしれない。

東京裁判についての考え方も随分違う。ほとんどの日本映画は、当時の首脳に対して同情的。ナチスと日本軍では確かに性格の違いがあったと思うし、両国の国力、伝統も相当違う。でも、そのへんの違いをうまく説明した文章に出会ったことがない。

どんな違いがあるのか?

日本はやはり東洋の後進国であり、欧米の強国に対抗するために無理をしていた。その無理の関係で、軍部に好意的な人が多かったはずだ。戦略的な誤りはあっても、国としての誇りを代表する政府は応援したい。応援しているので反対意見を言う気にもならない。心情的な応援であって、ちゃんと分析したわけじゃないし、経済的な理由のためではない。

欧米の理屈には何かしら嫌悪感を感じる。欧米のルールに従って豊かになったとしても、心情的についていけない。一見正論のように見えるルール(=契約書)にもウラがある。そもそも理屈で人を縛ろう、あわよくばだまそうという発想に違和感を感じてしまう。

日々の生活や精神面が安定しているなら、軍国主義だろうと武家社会だろうと構わない。拠り所があれば精神的に安定するし、教育の面でも失敗が少なくなる。貧しくとも、それなりに幸せだ。多少豊かになっても、子供をどう教育して良いか解らないようでは幸せとは言えない。

日本の場合は、それの究極の結果が皇室崇拝、軍国主義だった。正しくなくたって構わない、非合理的だって社会が安定していれば安心。それもあって心情的に当時の軍部を許してしまう、そんな気がする。

「アバター」の中の原住民達はアメリカインディアンをイメージさせたが、映画で描かれていた彼らは、精神的な安定や生活スタイルを守りたいと考えたように見えた。欧米から見て非民主的な集団も、秩序を保つために封建的な戒律が必要であったためかも知れない。

秩序や精神的な安定を目指した結果は、ほとんどの場合は王か宗教集団の長が王として君臨する。権威ある存在に権利を集約して判断を仰ぐと言うスタイルだ。

ただし、封建的な社会は同時に恣意的な社会を意味する。社会の安定というお題目を勘違いして抑圧ばっかりする。部活動の理不尽なシゴキなどを見れば、我々が勘違いして妙なルールを作りたがることは明白だ。本当は違う。過度の抑圧を必要としない、恣意的な判断を必要としないルールを作れば良いのだが、作る能力が足りないのだ。

つまり、インディアンの親戚である我々には、欧米のルールは心からは理解できていない。その後進性(?)が、戦後の裁判に対する考え方に出ているのかも知れない。あまり根拠はないが。

最も情けないことは、このようなことに関心を抱く人が少ないということだ。他人より豊かに生きることだけに執心しているのが現状。一般に優秀と言われる官僚達でさえ、国家を守る誇りは感じられない。国民より上位にあることだけが目的であるかのような印象。医者達もそうだ。巨大病院を建てる、リッチになることくらいしか考えていない人が多い。

昨今の景気後退は、だいたい20年前くらいには予想できたことだ。当時花形だったソニーやトヨタも、業績悪化が著しい。製造業全体が厳しいことは疑いようもなかったはずだ。当時の人達はのんきだった。日本の製品は優秀だから・・・などとコメントしていた。自民党の政策、当時の投資の仕方で満足していた。もっと生き残りにかけるべきだったと思う。

今の政府がやろうとしていることを20~30年前にやれていれば、日本は世界経済を勝ち逃げできていたかも知れない。しかし遅かったのでは?今も的を外れているのでは?そんな気がする。このままでは国家としての生き残りは難しいはずなんだが、ひとりで気にしてもしょうがない・・・今のところ、先人達の苦労のおかげで、皆が何も気にせず結構幸せなんだから。

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