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2010年1月18日

G.I.ジョー(2009)

- 色気と迫力 -

軍の仕事で特殊兵器を移送していた主人公は、謎の敵集団に襲われる。しかも、敵の中にはかっての恋人が含まれていた。彼は何者かに救われ、彼らのアジトに連れて行かれる。彼らとは、特殊な任務に当たるスーパー兵士集団、G・I・ジョーだった。そこから主人公の活躍が始まる・・・

今、世間では小沢幹事長の逮捕があるかに注目が集まっている。検察の捜査内容がなぜか新聞やテレビで騒がれる。意図的に捜査内容をばらすのは法には触れていないのか?一応、国家の機密事項、個人情報にも該当するのでは?

裁判員制度がせっかく始まったんだから、検察官選びを裁判員の主な仕事にすればいい。刑事犯の裁判は裁判官に任せても良いが、昔から検察官の無茶が最も問題なんで、適正な捜査、立件をやれなかった検察官をくびにする審査を裁判員にさせるのが、裁判の適正化の第一の方法だ。検察組織内での出世を闇の中にしたままでは、国策(実際は国の利益とは関係ない)捜査が続く。誰が出世するかは国民が決めるべきだ。

マスコミにもらした情報によって優位な立場を作ろうという意図が見えるが、そもそも全体の動きが不自然だ。外国の諜報機関のために(ひいては自分のために)、都合の悪い政治家を葬ろうと言う作戦か? 検察は中国やロシアと仲良くする人間、某国の意志に従わない政治家は徹底して攻撃する。おそらく検察を牛耳ることが諜報機関の力の入れ所なんだろう。

半分でっち上げでもいい。叩けば後ろめたい事は見つかるから、本当に立件できれば裁判に持ち込むし、大騒ぎになるだけでも政治的意味がある。私が某国のスパイなら、そう考えるだろう。優秀な兵隊上がりを部下につけて、反抗する検察官には力を見せ付ける。コワモテで動じないやつは左遷する。金や、将来の職場を確保してやることで、情報を得る。

日本の情報を得ること、政治をコントロールすること、そのための最も効果的な方法は、検察組織を牛耳ることだ。そのために日本にも秘密組織、G.I.ジョーを派遣している・・・ってのは冗談で、もちろんここまでの話は根拠がない。ただし、根拠が残るようでは諜報活動としては落第だ。

G.I.ジョーはおもちゃのフィギュアシリーズがもともとのアイディアらしい。子供だましと言えばそうだが、派生したアイディアが素晴らしい。音や映像の迫力が凄く、動きが非常にスピーディーで、途中の良いところではスローモーションの解説までつく親切さで、さながらスポーツ実況、「土曜特番!驚きの映像集!」を連続して見るかのような感じだった。

最初の戦いが凄い。主人公も超人的な活躍をするのだが、敵は銃弾などものともしない、非現実的な強さで兵士をなぎ倒し、誰も血まみれにならない。最後のほうで刀傷がつくくらいしかない。驚くべき冷血・・・じゃないが、チャンバラみたいな非現実性。

途中のパリでの追跡劇も凄い。アクロバティックにミサイルをよけるシーンは、ムーンサルトを参考にしたのか、もしくはスキーのモーグルが題材か?

戦いの場面は荒唐無稽なほど面白い。自分も根が単純なんで、今までにない動きや武術、武器が出てくると、それだけで満足してしまう。スパイ映画や宇宙戦争の映画は、新しい武器が嬉しい。

でも、あの素晴らしいCGを観ても、感動して心に残るというほどではなくなっている。CGの効果は限定的で、短期間の寿命という宿命があるのかもしれない。次々と新鮮な映像を作らないと驚いてくれないのだ。自分の感性が落ちてきているためかもしれない。

俳優達は、二選どころという印象だったが、皆が大真面目にくさい演技をちゃんとこなしていた。イ・ビョンホンも出演していたが、彼の魅力が出ていたかどうか?私には迫力不足にように写ったが・・・

とにかく、変に演技派ぶってもらってはいけない。単純に人を愛し、敵を憎み、味方を救う展開でないと楽しめない。「この戦いに意味があるのか?敵にも権利と人格が・・・」などと言っていては娯楽映画にはならない。

敵の基地が氷の海の下にあること、その規模、敵の正体がいかにもありそうな感じ、そしていかにも憎々しげな首領、プロフェショナルな戦闘員、美しく強い女性兵士、怖ろしい破壊力を持つ兵器の数々、お約束の仲間の死、そういった条件を丁寧に拾い集めて作ったかのような作り方だった。

訳がわからないのは日本の寺院で少林寺ばりの拳法のマスターが少年達を鍛えていること、彼らがなぜか忍者スタイルで刀を振り回すことだ。いくら何でも今は日本と中国の区別がつかないアメリカ人は年寄りだけではないか?子供だって可笑しいと思うに違いない。

でも子供の頃のスパイものなどの外国ドラマは、もっと色気があったような気がする。チラッと美女の足がのぞく、胸元が見える、そのチラッとが非常に記憶に残るのであった。ストーリーは忘れても、チラッとのシーンは忘れないのだ。子供相手だからと色気を封印するのは良くない。大事なところで色気を満載してほしかった。

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