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2010年1月 3日

世界最速のインディアン(2005)

- 変人バンザイ!ゴーマンかまします -

Photo

監督 ロジャー・ドナルドソン 主演 アンソニー・ホプキンス

実在のバイク野郎の物語。彼はスピードに取り付かれて、バイク「インディアン」の改良を重ね、スピードの世界記録に挑むために、ニュージーランドからアメリカネバダ州に旅をする。途中でバイクの運搬台が故障し、金は不足し、やっとたどり着いた会場では登録をしていなかったことを理由に出場を拒否される・・・・

・・・何度かテレビで放映されたようだったが、いつも見逃していた。今回DVDで鑑賞。なかなか味のある良い映画だった。問題のバイクは、上の写真で見ると潜水艇のようだ。

大人も子供も、一応の理解ができるような作品だが、子供は楽しめないかも知れない。主人公が老人では、それだけで子供には理解ができないかも。恋人と観るのに適しているかどうかも良くわからない。中年以降の男が見るのは最高だと思う。

主演のアンソニー・ホプキンスは奇怪な殺人鬼役もこなしながら、このような老人役もこなすところが凄い。若い頃から演技派として有名だったが、確かな存在感を示している。競技会の若いスタッフに「君は登録していないからレースに出場はできないよ。」と言われる惨めな姿も絵になっていて、観客達の同情を買うことができた。

大会の会場に向かうまでのロードムービー部分が素晴らしい。出会った人達は本当にいたのか脚色か知らないが、皆が個性的で魅力的だった。オカマの受付嬢、インディアン、一人暮らしの老女。会場で彼を助けてくれる仲間などなど、実に魅力的だった。

受付嬢を演じていた役者はヴァネッサ・ウイリアムスの弟と何かに書いてあったが、ほんまかいな? あの美しいヴァネッサ様の弟がオカマとは・・・いや、オカマ役とは・・・眼の色は確かにヴァネッサと同じだったが、まさか・・・・

ロードムービーの後に、本番と言うか、盛り上がる競技会のシーンが展開するのも面白くなる仕組みだった。よく考えてある。大人しくユーモラスな前半部分。旅の中の印象的な出会いの数々。そして大会での苦難、ピンチ。最後に実際の運転。

スピード感の表現には、ちょっと不満を感じた。砂浜で他のバイクと比べれば速さが解るが、レース会場で他に比較できるものがない中では早さの表現ができない。何か物を置くか、他の車を走らせるか、何かの工夫が必要だった。決定的な表現力の決め手を欠いていたような気がする。とんでもない挑戦の迫力を、何かに比較する形で示せればよかったのに・・・

自分が初めて原付バイクを買ってもらった時は、夜中の田舎道で何度か試走してみた。まっすぐな農道を見つけて、限界までスピードを出してみたが、たしか90キロくらいが限界だったように記憶している。それでも、車体が軽いので怖かった。数百キロのスピード感は想像しにくい。

それにしても、小型のバイクでいったいどのようなチューンアップをしていたのだろうか?あんまりギア比をいじれば、たぶんすぐにエンストする。タイヤなども軽量化しているうちに、きっとパンクして事故になるだろう。数百キロにまでチューンできる方法が想像できない。エンジンの部品を手作りするなんて、普通の人間は考えないだろう。

そんな気違いと言ってよい変人が、皆にバカにされながら記録に挑むという面白い物語を、観客受けするように実にうまくまとめ上げている。彼が人類を救うような可能性は全くないので、たいした冒険ではないさ、何の役にも立たないよという向きもあるかもしれないが、役立たずでも結構じゃないか。

何のために?目的は?意味は?と、常に考えながら生活していると、非常に疲れてしまう。常に次の数秒間にできることは何かを考え続ける生活は、やはり精神面には良くない。息抜きは何か必要だろう。やりたいことをやるというのは、人間が本来持っている欲望だ。何かの理由で遠慮するか、怖くなってできないことが如何に多いことか。

一般的な意見でへこむようでは物語にはならない。たまには変人がいてもいいのだ。暖かく見守ってあげるべきだ。何をやってもいいではないか!害にならなければ。 

ここからはゴーマン宣言をしたい。遠慮するのに疲れた。

政府は必要な能力を欠いていると思う。財政が苦しくなっているのは予測能力を欠いた施策のせいだと思う。やたら厳しい規則をたくさん作るが、的を外れている。良い例が昨年のインフルエンザ騒ぎだ。おかしな規則に従っていても、簡単な感染症(2009型インフルエンザ)のコントロールさえできないのである。数百万人感染したということは、つまり厚生省は感染防止に無能だったと言えないか?大きな声では言えないが。誰も責任は問われていないようだが・・・

政府に限らない。ほとんど全ての日本人は日本の置かれた状況、自らのなすべき行為と考え方を勘違いしていることを理解できていないように自分は感じている。雑誌や新聞に意見が載っているような人物は全員落第と言ってよい。無駄な行為の意味を自覚できていない。

もちろん社会保障の分野、特に医療行為においては見逃しは許されないので、無駄に終わる行為も多少は必要だろうが、大半が無駄というのは・・・

かって世界を支配したローマ人やイギリス人達は、自分達が如何に優れた民族であるか誇らしげに論評していたようだが、ほとんどは成功神話に取り付かれて、新しい発想をすることができないまま没落するのだ。

日本においても、先輩達の世代は自分らの成功を誇りにしていた。偉い教授や大企業を作った偉い人達は確かにバカではないと思うものの、成功したから偉いとは思えない。例えば、松下幸之助は偉かったが、今日でも彼の経営が通用するとは限らない。成功神話に頼ってはいけない。成功は時代とチャンスが作るものだ。今、二股ソケットを作っても、たぶん日本製は価格的に成功しない。

自分のクリニックはちんけな規模にすぎないが、開業して5年間の月毎の売り上げを十万円以内の誤差で予想できたのは、相当な能力だと思う。特別な能力は必要ない。曇りのない目で観れば簡単だ。もっと繁盛しているクリニックは多いが、置かれた状況を全て理解し、動く金や、その意味まで理解できているとは限らない。起こっていること、これから起こることを理解できているかが証明できたことを嬉しく思うし、ゴーマン宣言をしてもいいよと自分に許可したいだけだ。

たかがクリニックをやれているから自慢するなんて・・・。でも思いあがりを気にすべきとは思えない。自己批判に終始しているうちに、良いように操縦されてしまうからだ。例えば郵政民営化の頃のテレビ番組では、色んな評論家達が専門用語で解説していて私にはさっぱり解らなかったが、結局はマスコミに流されて大騒ぎしただけではなかったのか?

人間的に優れた従順な性情は利用されやすい。例えば、もし私が外国の諜報機関員なら、迷わずマスコミや文部省に働きかけをするだろう。自国の利益をを阻害するような報道は記者を更迭することでシャットアウトするし、官庁の出世を牛耳り官僚の出世を操って、自国に有利な路線を組むことも可能だ。私ならそうする。そうしなければ、無能な諜報部員と言われてもしょうがない。

外国の諜報部員の話は極端な例だが、我々の社会内部の意思決定の場において、従順な人を自分の味方にしようとする人物は多い。彼らが集まると、自然と頭より感情で物事を決めてしまう傾向になる。子供の遊びならそれで良いが、社会生活においては確かな予測に基づいて必要なことに投資し、対処していかなければならない。仲良しの良いやつだからと任せてはいけない。我々は皆ゴーマンであるべきだ。ゴーマンだが、ごり押しはしないし強情は張らない、それが新しい理想だ。

さて、この映画の老人は、ほとんどの労力を趣味に費やしていたようだったが、それもちょっと問題がある。畑くらいは多少耕しながら、夜の時間を趣味に当てるってのはいかがだろうか?アメリカまで行くのも一回くらいに止めて欲しい。

いや、やはり彼は私が何かもの申すような人物ではない。やりたいようにやって良いと思います。

 

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