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2009年11月 8日

セルピコ(1973)

- 救いが欲しかった -

監督 シドニー・ルメット

ニューヨーク市警に配属されたセルピコは、職務に忠実な警察官。しかし市警内部はワイロが横行し、セルピコは次第に仲間を失い、孤立していく。数少ない協力者を頼って彼は上層部に改善を求めるが、事態はいっそう悪化し、彼は生命の危険を感じるようになる。ついに新聞社を使って汚職を告発するが、凶悪犯の逮捕に向かった彼を助けてくれる警官はいなかった・・・

・・・記憶違いか、タイトルをシェルピコとばかり覚えていた。古い作品だが、DVDの画像は充分鑑賞に耐えうる程度に鮮明だった。

思えば、作品の根本たる精神が懐かしい。ベトナム戦争当時の、古い観念や慣習の束縛を跳ね除ける精神、自由や開放を目指す高揚した精神状態、ピッピー達の精神である。主人公もピッピースタイルで活動していたが、あれは彼の生き方をも表しているのだろう。若者達は疎外感のようなものを感じていた。日本では徴兵はなかったが、大人社会は同じように硬直しているし、マナーや規律がくだらないという印象はアメリカとも共通していた。

監督は当時は社会派の旗手だったシドニー・ルメット。主演は売り出し中のスター、アル・パチーノ。セルピコの性格はわかりやすく表現され、彼がなぜ銃撃されることになったのか上手く説明されていた。変にこだわって芸術的にせず、テレビドキュメンタリー風にテンポ良く展開した関係で、とにかく判りやすい。

ただし、この作品は観た後にやるせない気持ちになる。全く楽しくない。セルピコのような人物の努力にも関わらず、どこの世界にも小銭稼ぎに虎視耽々とする連中は多く、セルピコ的人物は今でも孤立するからだ。

せめてラストに救いを感じる美しいシーンが欲しかった。友人達や元の恋人が、主人公の身の安全を願って海外に彼を送る別れのシーンが足りなかった。

この作品は恋人といっしょに観るべきではない。後味が悪すぎる。家族と観れる作品でもない。リアルな銃撃シーンを見たら、小さい子は悪夢にうなされそうだ。役人は、そもそも見たくないだろう。じゃあ誰が観るべきか?教育的な意味からは、役人や警察官は定期的に観たほうがいいかもしれない。

実話を基にしているらしい。怖ろしいことだ。こちらとしては、例え警官がワイロを受け取ったとしても、凶悪犯罪を取り締まってくれれば構わないという気がしないでもないが、ワイロには歯止めがかからない。きっと本格的な犯罪をも見逃し、やがては自ら犯罪に加担するようになるはずだ。

作品の中でもあったが、清廉な警官は孤立してしまう傾向がある。犯罪者達と戦う時に、仲間の支援がないのでは怖ろしい。下手すると、警官が殺人者を手引きするくらいやりかねない。結局、生き残るためには仲間になるしかない。

日本の場合は、少なくともアメリカほど露骨なワイロはないが、退職後の就職先、パチンコ業界や道路標識関連会社などとの独特な関係など、似たような馴れ合い関係はある。政権交代をきっかけに、法律を整備すればいいだろうが、政権が安定しすぎると浄化作用は働かない。定期的な洗濯は必要だ。

アメリカでは内偵を使って定期的に職場を粛清することを繰り返すしかない。日本でなら検察や、税務署など、少なくとも警察外部の組織が情報を得られるようなシステムが必要だが、退職後をしばる法律がないので、やりようがないだろう。

官僚の天下りも似たような仕組みで出来上がっているのだろう。本格派の官僚は天下りなど恥ずかしくてできないはずだが、やらなければ後輩の道を閉ざすことになり、結果的に下が誰もついてこなくなる。すると、出世の道から外れる。

建設業界と審査側、消防署なども関係が深い。情報交換の形で頻繁に接待を受け、退職後は顧問などになっている。ゴミ収集業者と市役所の担当官なども、定期的に連動して活動しているようだ。放置すると社会の機能が失われるのだが、どこの世界も甘えん坊のような性格のリーダーがショバを取り仕切って優位に立とうとして、悪いルールを作ってしまうのだ。

 

 

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