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2009年8月18日

ディア・ドクター(2009)

- 郷愁が望まれる -

監督 西川美和 主演 笑福亭鶴瓶

村の診療所で働く医師が突然失踪した。捜査のためにやってきた刑事らの調べにより、意外な事実が判明する。その捜査と平行して、若い研修医が体験する村の診療風景、胃癌の女性と医者との約束の展開が描かれる・・・

・・・8月15日に鑑賞。やっと子供達が家内の実家に行ってくれたからだ。映画館では知った顔があちらこちら。医療関係者が多い。隣の席の婦人は物腰がハイソな感じで、きっと老先生の奥さんだ。

静かで、美しい映像。鶴瓶や脇役、エキストラまで、実に自然な演技であった。惜しむらくは、全体に流れる夢のような高級感がなかったこと。庶民風の演出に徹すると高級感のある雰囲気では作品に合わなくなるので、このままがいいのかもしれないが。高級でなくとも、オーケストラの音楽で郷愁を盛り上げることも出来たような気がするが・・・

ラストも必要だったのか?行方知れずのままでも良かったのでは?例えば主演が鶴瓶でなかったら、作品の雰囲気は随分違っていただろう。鶴瓶が最高だったとは思うが・・・

田舎の診療所の待合で見かける老人達の表情が非常にリアル。しかし、この集落はまだまだ結構人が多く、家が壊れかけていない。実際の村落はもっと破綻の瀬戸際にある。米を作れば赤字となれば、さすがに作る手がなくなってしまう。映画のような美しい田んぼは、まだ70歳以下の人がいるからできるのだ。ほとんどが80代以上になると難しい。

診療所に医者が来たものの、患者さんも認知症が進んで会話が成立しないので、心の結びつきも成り立たないという集落も多い。新しい医者は信用しない人も多いし、逆に怪しい医者の宣伝に乗りやすい人も多い。

信頼関係も微妙に違う。「たとえ胃癌でもいいいから、胃の薬だけ出して下さい。」と言っていた患者さんが、「本当に胃癌です。」と言った途端に、「なんで、今まで放置したんだ!」と騒ぎ出すのが普通である。映画ほど素直な方ばかりでないのが普通だ。

登場していた女医の娘は、なぜ村に帰ってこないのか?帰ってくるべきだ・・・一般の人の心情はそんなものだろう。故郷に医者が帰らない理由はいろいろだが、私の場合は故郷に帰ると家庭崩壊するからだ。実際に崩壊した同僚もいる。

話は変わって、緊張性気胸とは・・・処置をする医者が緊張する気胸である・・・?。でも本当に緊張する。ことに田舎の男性の場合は喫煙者が多く、聴診しても両側とも呼吸音が聞きづらいため余計に緊張する。自分は注射針で救った経験はない。診断して針を刺してみたものの生き返らなかった方が3-4人。ほとんどは呼吸が止まった状態でやってくるので、心臓マッサージや気道確保が優先。

今の蘇生法指針では気胸に関することは無視する方針らしく、救急隊が延々と蘇生処置をやっている間にトドメをさす結果となる。病院に連れて行きながら蘇生を試みると成績は変わってくるのに。指針を作る際の統計に欠点がある。呼吸器疾患の患者のみ、胸部打撲の患者のみで統計をとれば、心臓マッサージと気道確保の比重が変わってくると思う。

レントゲンを撮る余裕があれば確認したほうがいい。今のレントゲンはフィルムレスなら数分で撮影可能。フィルム式の場合でもモニター画面で判断すれば2分で可能だと思う。撮影室が遠い場合はやむをえないが、聴診で判るためには肺に持病がないことが条件で、もともとの病気による音を勘違いして針を刺したら、トドメになる。

診断がつくなら、普通の胸腔ドレナージ用チューブの中の細いもののほうが便利なので、それで処置したほうが安全。1分もあれば挿入できるので、針と変わらない。呼吸が止まってから来る患者さんの場合は、やはり気管内挿管して充分に空気を送って聴診しないと診断しようもない。胸部打撲だから可能性が高いと思っても、例外は必ずある。気胸はあったが緊張性ではなかったということもある。

作品は今の田舎の現状を上手く描いていた。医療崩壊、高齢化、親子関係なども上手く話しに盛り込んであって、人事とは思えない。どうして田舎はこうなってしまったのだろう。優秀な官僚や、尊敬される政治家達が選挙や試験で選ばれて中枢に立ち、この国の政策を決めてきたはずである。この現状を予測していたのか?

田舎の経済が成り立たなくなっても構わない、そんなことより国際競争力を優先すべきと判断していたのか?古来より農村の人間を都市に追いやって労働力にしたことで競争力を維持した歴史はあるから、日本の工業のために田舎を崩壊させるのは正しい政策だったのかも知れない。

でも国際競争とは関係のない、細かい判断のひとつひとつにも判断間違いが多いように思える。

そもそも人の選び方にも疑問を持つ。日本では派閥の内部で生き残れたものがトップに立つというシステムが主流なので、一種の異能ともいえる予測能力のある人物がはじかれてしまう傾向がある。医学会や病院は完全にそうだが、霞ヶ関内部もそうではないか?優秀と言われる官僚達が、本当に優秀なのか疑問に思う。

天下りは歴然と存在するし、国家にとっては効率の悪い仕組みを作るのに官僚が関わっている。誇りのあるエリートが、その弊害を何とも思わないのか不思議だが、仲間うちの視線が気になって聖人然とした生き方はできないのだろう。政治家を選ぶ我々の側の能力にも疑問がある。

 

 

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