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2009年5月16日

ウォーリー(2008)

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- 詰めの甘さ  -

ウォーリーは、人間が見放した地球に残るゴミ清掃ロボット。黙々とゴミを集め、山のように積む仕事を繰り返している。仲間はゴキブリしかいない。彼の楽しみは、ミュージカル映画のように踊り、映画のワンシーンのように誰かと手をつなぐこと。でも、相手がいない。ある日、宇宙からピカピカのロボット「イブ」がやってくる。ウォーリーは彼女と手をつなぎたいが、彼女には任務があるらしく、全く相手にされない・・・

・・・ピクサーが作ったディズニー映画。いつもながら素晴らしい映像の美しさに圧倒されてしまった。クリエイター達が、それぞれのセンスを集めて、本当にクリエイティブとしか言いようのない仕事をしている印象。ただし、アイディアはオリジナリティにあふれるというわけではない。どこかで見たようなストーリーに過ぎない。でも圧倒的な表現力があるので、話を楽しむことができる。

キャラクターの作り方が良かった。ヒロインのイブの手の表現は素晴らしい。オバQよりも美しい。活動している時だけ首が離れること、武器の銃をぶっ放す時の素早さ、眼の表現も解りやすくて、あの形を作り上げるまでに担当者達がああでもない、こうでもないと激論を戦わせたことが想像できる。

ウォーリーが人間に近い形をしていたらどうだったろうか?より同情を得やすい半面、顔の表現のデキによっては退屈な作品になる危険性も出てくる。相当うまく表現しないと、微妙な顔の表情で観客の期待感を裏切る結果につながる。その点、完全に機械の形をしたウォーリーなら、動作だけで観客が勝手に想像を働かせてくれる。

この作品はディズニーの伝統に則り、家族で観ることができる。恋人といっしょにも見れる。この映画の後で「じゃあ、手をつなごうか?」なんて言うと、「そう来ると思ってた。」と返ってくるだろうか?

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中学、高校時代は彼女もいなくて、女の子と手をつなぐなんて夢の夢でしかなかった。本当に心から手をつなぎたいと願っていた。たまにフォークダンスの時間があると大変だ。好きな娘の順番が回ってきて、いよいよだ、どうしよう、ズボンのチャックは開いていないかな?などとドキドキしていると、直前で音楽終了。あえなく時間切れなどという人生における最大の悲劇もあった。

ただ手をつなぐだけなのに、どうしてあんなに興奮したのだろうか?今思えば、勘違いの色ボケのようなものだったに過ぎないが、でも手の感触はしっかり脳にインプットされている。軟らかくて、細くて、なぜか幸せになれるような感触だった。あまりぎゅっと握ると嫌がられるかなと気にして触る程度に遠慮していたが、もっとしっかり握りたかったが、手汗が気になった。

フォークダンスは気恥ずかしかったが、今思えば唯一の性的体験だったわけだ。擬似セックスだったとも言える。

今、一番下の子供と手をつないで散歩していると、お互いの愛情や信頼関係を感じる。感触による情報は、言葉だけの記憶よりも脳の原始的な部分でつながっているので、より動物的、原始的な記憶になると思う。私も幸せな感じを受けることができるが、彼もそうかもしれない。

映画では人工衛星が地球を取り囲んでいること、巨大企業が宇宙ツアーの宣伝をしていること、宇宙に旅立った人間が皆肥満体で立つのもやっとの状態であることなど、シニカルなアイディアをたくさん詰め込んでいる。それらをうまく整理しないと、アイディアだらけのバラバラの作品になってしまうが、この作品は充分な検討がなされているらしく、ソツがない。

話を盛り上げるために何か大事なものを奪い合い、守り抜くストーリーが必要であることも充分に理解している様子で、これしかないという流れになっていた。スタッフ会議の判断は正しかった。ソツがなかった。

その反面、涙なしで観れないほどの愛着は感じなかった。あまりに適切な判断を繰り返したために、ストーリーも人工的になってしまったからなのか?やはり人間臭さを残しておくべきだったのか?多少の冒険をしても、心から感動できるための最後の詰めをやるべきだったのではないか?

例えばの話だが、ヒーロー、ヒロインのどちらかが完全に壊れてしまうか、もしくはヒーローが完全に記憶を失って、ヒロインのことを覚えていないという流れではどうだったろうか?残念ながらヒロインのことが誰だか解らなくなってしまったウォーリーだったが、ヒロインが手を握ると嬉しそうな動作をする、などという話はいかがだろうか?完全なハッピーエンドではなくなるが、より心にしみるのではないか?

もしくは、やはり人間臭い形をしたロボットの話にすれば、恋に破れた少年少女の頃の思い出に浸れて、より感動もあったかも知れない。ただ美しいだけ、ちょっとかわいいだけの話では、なかなか人の心に残るのは難しいのだ。

詰めが甘かったのかも知れない。

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