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2009年5月22日

それでもボクはやってない(2007)

- 権利意識 -

加瀬亮演じるフリーターの男は、痴漢の犯人として捕まる。彼は無実を訴えたが、警察、検察、担当の弁護士までが罪を認めての示談を勧める。彼は罪状認否を拒否し、裁判となる。事件調書には彼に不利なことばかり書かれていることが解る。無実につながるものは、巧妙に隠されている。証人は見つからない。彼の母親と友人は、冤罪事件の経験者たちといっしょに、事件の再現ビデオなどを作製し、検察側と対抗しようとするが、裁判所はなぜか裁判官を代えてくる・・・

・・・気になっていた映画だったのだが、やっと今回DVDで観賞。周防監督の原案なのか、何かの実話からヒントを得た話か解らないが、いかにも本当にありえる話で、自然な展開、演技、演出が調和した素晴らしい出来の作品だった。

この作品は、家族で観ることができると思う。ただし、子供の興味を引くかは解らないし、子供に向くとは思えない。世間の問題点を浮き彫りにした作品なので、極端な話、子供が自分のこれからの人生に失望するかも知れない。恋人といっしょに見るのは悪くはない。完成度が高いからだ。でも完成度があだとなって、逆に娯楽の面では損をしている印象を受ける。

よく検察や裁判所から圧力がかからなかったものだ。今後、周防監督にスキャンダルが発生したら、きっと寄ってたかって‘型’にはめられるだろう。でっち上げもありえる。最も攻撃されやすい税金面には注意して欲しい。税法の解釈次第で、何とでもなるのだから。

民事事件の捜査や裁判の問題点をクリアカットに描いている。

この映画は法廷闘争劇がない。淡々としたやり取りがほとんどなので、ハりウッド映画のような派手な見せ場がない。おとなしすぎて、海外で受けることはちょっと難しいかも知れない。「シャル・ウィ・ダンス」の再来はないかも。でも、ヨーロッパでなら評価されるのでは。

役所、裁判所、検察庁の職員を代表するキャラクターが小日向文世であった。問題点を挙げてみたい。

①証拠の採用の判断

どのような証拠を採用するかは、弁護人と検察が要求するまま提示させるべきで、裁判所が決めるべきことではないように思える。でも画面を見る限り、裁判官が拒否する権限があるようだ。

すみやかな結審につなげるために、不必要と判断した証拠は採用しなくていいという規則があるのかもしれない。でも、その判断に偏りがないという前提が必要だ。それを確実に出来る仕組みがあるとは思えない。

②裁判官の偏向をチェックする機構があるか?

裁判ものに出てくる判事は、弁護人が「このような証拠があります。」と言うと、検察が「それは本件には無関係です!」などと言っても「いいや、関連性を認めます。」などと言うことが多い。それで我々はホッとするのだが、あれは裁判官がプライドを持っていて初めて成りたつわけで、全て検察側に有利に判断されたら話にならない。

小日向は見事であった。検察側の証拠の不利な点は無視し、見事に型にはめている。あのような判決はありえる。医療事故の裁判ではよくある。映画のような裁判がまかり通るようでは、司法制度そのものが信用性をなくす。実際にそうだ。

③根本的精神は?

刑事事件の裁判は、ほとんどが戦前の法律に基づいているはずだが、権利意識が低い時代の名残があって、国民を抑え込む方向が基本になっている。乱暴な悪人を懲らしめるのには有効だ。でも、いったん冤罪の疑いを持たれると、公正な扱いを受けるのは難しい。警察官の意欲を利用して、容疑者を不当に追い込む。

④根拠の示し方

保釈金の設定も万人が認められるようなものではない。仮に自分が無実の罪で拘束されて保釈金300万払えと言われたら、ボッタクリとしか思えない。本来なら恣意的な判断をさせないために、少なくも根拠となる計算式を明示すべきだ。裁判所が適切に判断して・・という規定では無茶がまかり通ってしまう。そんな規定がまかり通ること自体がが異常だ。

調書は、基本的には作文である。ストーリーとしておかしくないように文章を書いて、真実はどうせ解らないから、つじつまが合っているかどうかだけで判定する。間違ったストーリーであっても認めない。百パーセント無罪という証拠が出ない限り有罪に固執するのがクセのようなものだ。

医者は稀な例外の発見を目差す。医学的つじつまにも注意するが、例外にも対処するため、可能性を広く考える必要がある。例えば、症状がないから病気ではないと考えたら危ない。「医学は学問なんだから・・・」という医者が時々いるが、そんなヤツは危ない。患者さんを救うためには、もしや・・と疑う、つまり証拠は充分にはないけれど病気を疑う必要がある。いっぽうで、無駄な検査は差し控えることも理想だ。

⑤馴れ合いの体質

裁判所と検察、警察の間の人間関係も重要だ。スムーズに事を処理しようという思惑が自然に働く。案件が滞ると互いに時間を無駄にする。誰かが暴走してデッチ上げの書類を作成しても、それで事件の早期解決ができるなら皆ハッピーだ。でっちあげの証明は難しい。

被疑者の権利を保護すれば、仲間から嫌われる。公務員の場合は転勤などの人事で事態の解決が図られる。出世したやつは、間違いなく組織にとって都合の良い仕事をしたやつと思っていい。この仕組みは、どの会社でもそうだろう。医者の世界でもそうだ。

検察庁のOBの弁護士が暴露本を書いていたが、警察庁や裁判所のトップに立つ人間にも退職後の人生があり、その便宜を図ってくれる勢力には何かと有利な判断をする。天下り先には当然のように捜査情報が漏れるし、場合によっては捜査打ち切りの強権を発動することも可能だ。

人事、退職後の利益が仕事に影響しないシステムができていないことなどが、公務員一般に言える欠陥だ。これは、勤務評定の公開と、裁判員が人事に権利を持つことによって改善できると思う。各々の裁判官の判決文を公開すれば、偏った判決ばかり出していた時に解るが・・・

⑥裁判員制度の限界

裁判員制度の良い点は、不当な判断に介入できる可能性があることだ。あまりに偏向した裁判の場合に、「有罪とは言えない」と判定することができる。でも、おそらく裁判員は一種のオブザーバーなのだから、直接審議に口を出せない。裁判所の判断で採用した証拠の中からしか判断できないと予想する。

映画では、被告人が申請した証人喚問が、あっさり却下されていた。我々は別の画面で、証人にはどんな意味があるか解っているから却下はおかしいと直ぐ解るが、あの画面がない状態で裁判官から「証人は不必要だ。」と言われたら、「へー、そうなのか?」と思うかも。

もし裁判官が明らかに不正な判断をするようなことがあったら、その時は裁判員の目が生きてくるので、司法側は裏取引をするはず。検察が劣勢になった途端、裁判所の調停で突然示談が成立するなどは予想される。

口にはしないが臭わすだろう、「この調停を受け入れなければ、今後の審議で貴方に不利な事態もないとは言えない・・・。」容疑者は、裁判官を敵に回すことになるから、脅しに屈するだろう。

⑦警察、検察への信頼

では裁判官や検察は無能で、偏った人達ばかりかというと、もちろんそんなことはない。皆ほとんどが一生懸命だ。ストレスでおかしくなる人も多いくらい熱心に働いている。ただ、規則や慣習などに関しては問題が多そうだ。典型的な官僚の悪弊はある。

窃盗事件などは、証拠品の中の金品を警察官がネコババすることも少なくないと書いてあったが、誰が盗んだか不明と解れば、持っていく警察官がいてもおかしくない。逆に証拠を都合のいいところに置いていく捜査官だって、いないという保証はない。

極端に言えば、裁判に登場する証拠は全て捜査官が置いていった可能性もゼロではない。そう考えながら、あらゆる可能性を検討して有罪か無罪か判断するのは、普通の頭では難しい。

我々が診断を下すときに、診察をしないのは危険だ。見逃しや勘違いがありえるからだ。同様に、裁判をするならば現場に立ち、再現をしないといけない。今の検察官、裁判官が現場に立っているのだろうか?

少なくとも、被疑者の取調べは全て映像と音声を記録し、被疑者が求めれば、検察や裁判官の判断を経ずに証拠とできる規定は必要だろう。不当な取調べがあったかどうかは、メモだけでは他の人には解りようもない。取調べのビデオ記録、これは基本的な権利であろう。

と、思っていたら、民主党が法案を検討中だそうだ。警察は嫌がるだろうから、成立を妨害するために何か仕掛けてくるかも知れないが・・・

⑧恣意的な力を排除できないシステム

政治家のスキャンダルには、政敵や某国の意志が関与していると思う。そして、取引の形で検察トップも動いている。トップダウンで捜査が始まったり終わったりすることは、いろんなヤメ検の証言で語られている。でも、皆は気にしていない。我々は会社でも司法制度でも、恣意的な判断に慣れっこになってしまって、被害を受けない限り問題にしないクセがあるようだ。

我々の欠点は、権利意識が低いことだ。勝ち取った権利なら意識も高かろうが、我々の権利は与えられたものなので自覚が薄い。「おい、お前ら、権利を奪われているよ。」と言われても、「君はなんでそんなことを気にするの?そんなんじゃ、丸く収まらないよ。」という調子。人間的に丸みがあるかのように見える人が、単に権利意識が低いだけと言える。

何でも制度を作るときには、確固たる法律で容疑者や被害者の権利が確保されるように規定するべきだ。その上で人間味を加えるのが理想である。でも長年の習慣や、古い規定に加えて、官僚機構の悪弊などが絡んで、簡単に改善できない。改善をしすぎると、今度はアクドイ極悪人が無罪を勝ち取ることになるので、どんな規則を作るのかは本当に難しい。

我々のもうひとつの欠点は、システム作りのセンスがないことだ。危機管理できるシステムを作ろうとすると、意味がわからない大多数の意見で反対されてしまう。裁判所も検察も例外ではない。懸命に動いても機能できない。機能性を重視する人物は出世できないのだ。

少なくともトップの意志に捜査や裁判が影響されないシステムが必要だ。充分な現実認識能力と権利意識があれば作ることも可能だと思う。発想を変えれば、意外に難しくないと私は思う。

警察官僚たちはなぜ強力で確固たるシステムを作らないのだろうか?もし良いシステムを作れば、結果的には彼らは信頼を得て、国民に安心感や自信を生み、国力にさえ影響してくると思うのだが。官僚の伝統である予算の確保に熱中しすぎているようだ。

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