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2009年5月 6日

ビルマの竪琴(1956)

- ウロウロする -

ビルマの日本軍の部隊。隊長の三国連太郎は合唱が専門。兵隊達は歌で勇気を出していた。兵士の水島は自作の竪琴で伴奏する係。彼らは降伏し、水島は交戦を続ける部隊を説得にいく役目を命じられる。

ところが戦闘が終わっても彼は帰ってこない。死亡したものと思っていた兵士たちだが、ある日、水島に良く似た僧侶を発見する・・・

・・・原作はかってのベストセラー。監督は名監督の誉れ高い人。映画も名作の誉れ高いので、いつか観てみたいと思っていたが、子供映画中心に観ないといけないので、どうしても文芸調の名作は後回しになる。やっとビデオで観ることができた。

想像していたのとは随分違っていた。全体のリズム構成やストーリー自体に不自然な感じを受けた。メイキング映像によれば、作品は相当苦労して作られたらしい。まず、国内でロケして岩場などのシーンを撮影し、パート1としていったん公開した後に、ビルマ政府から許可が降りたので現地ロケをやり、この二つの映像を組み合わせてひとつの作品にしたそうだ。そう言われると、感じた不自然さにも合点がいく気がする。

ロケのシーンでも不自然さは感じた。主人公が川岸の死体を片付けるシーンでは、しばらく現地の人達が眺めているが、やがて協力して墓を作ってくれるという流れであったが、眺め方がおかしい。「何やってんだあ?」と眺めるのではなく、明らかに「ここに立って眺めてください。」と指示された立ち方なのだ。眺めていることを表現するためには、三々五々住民が集まっていることを示さないといけない。こんな基本的なことをしていないのは、おそらく時間や資金的問題、機材が少ない、などなどの純粋に予算的な問題があったからではないか?

なんでも、ロケには全体で数えるほどの人員しか連れていけなかったらしい。当然、日本の兵隊役はほとんどが国内ロケばかりの出演に止まり、中心の僧侶などしか現地に行っていないのだろうと思える。それなら仕方ないかも。監督はきっと口惜しくて、後年中井貴一主演で同じ映画を撮りなおしたんだろう。

軍隊は勝っているときはいいが、負けると機能しなくなる。負傷兵さえ見捨てて、とにかく逃げようという感情が先に立つ。戦友たちの死体をほったまま日本にかえることへの罪悪感、自分達がやってきたことへの反省、そんな感情がテーマになっている。

でも当時の状況では、帰れるときに帰っておこうという判断をしても批判はできない。下手をするとリンチに合うか、シベリヤみたいに長期間にわたって抑留される可能性だってあったのだから。

祖父の代の現地遺骨収集の報告会に何度か行ったことがある。戦後しばらくたって現地に旧日本軍の兵隊だった人たちが入れるようになって、遺骨を集める写真を見せるのだが、仲間をほったらかしにして自分達だけ良い生活を送っていることは、心の奥にわだかまりを残していたことをしみじみ感じた。

ストーリーに違和感を感じるのは、現地に残る覚悟をした人間が収容所のまわりをあえてうろうろすることだ。偶然ばったり会うことはあると思うが、橋の上で一回、涅槃増の中で一回、納骨堂の前で一回、骨壷のそばで一回、収容所の周りで一回など、明らかに会う回数が多すぎる。コンタクトを取りたくてウロウロしているとしか思えない。

映画のシーンとしては、兵隊達と僧侶が交錯するのは盛り上がるだろうが、不自然にならないように回数を制限すべきだったと私は思う。悩んでいる主人公を、部隊の周辺でウロウロさせることで表現したとは思えない。それははマズイ手だ。

もし、このままの映像なら、「どうしても皆の近くに足が向かってしまう。」と、主人公に吐露させないとおかしい。

この作品は、今の若い人には見せないほうがいいと私は思う。おそらく中井貴一主演のほうが、何かと自然に作られているはずだと思う。(観ていないのだが)

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