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2009年4月30日

闇の子供たち(2008)

- 力作だが・・ -

タイの街中の小さな部屋に子供達が閉じ込められている。彼らに要求されるのは性の相手と、臓器売買のための命の提供。彼らは親から売られて、暗黒街のギャングどもに囲われているのだ。

エイズになった子供は、ゴミといっしょに捨てられる。ひとりの少女がゴミ袋から脱出し、故郷の村を目差す。そこには、かって遊んだ川のそばに立つ、懐かしい木がそびえていた。

彼らの臓器を使って日本の少年に移植が行われようとしている。これを知った江口洋介演じる新聞記者、宮崎あおい演じるボランティアらが移植を阻止しようと活動するが、警察やボランティア内部にも密告者がいるため仲間が殺されてしまう。

身の危険を感じながら、活動する江口らだったが・・・

・・・・リアルな演技が全編を覆う、なかなかの力作。タイ人の俳優の雰囲気も良かった。監督は阪本順次という人で、亡国のイージスを撮った人。前作はさすがに日本映画の枠にはまってカッコづけしすぎた役者が目立った感じがしたが、今回はそんな印象を受けなかった。

この作品は観ても全然楽しくない。商業的に成りたつとは思えない作品である。家族で観ることも勧められない。恋人と観たら、「何を考えているの?」と言いたいような作品。たまには真面目な作品を観たくなった時に、ひとりで観るしかない性格の映画である。もうちょっと、娯楽的な面を加えても良かったかもしれない。

途中に出てくる日本のブローカーが簡単に描かれていたことと、最後の銃撃戦は、ちょっとリアルとはいかなかったようだ。日本のブローカーにも重点を少し置けば、より深刻で複雑な現状が描かれたかも知れない。江口らをなぐるのではなく、影響力を介して江口らを強迫するような手ごわさを描くべきではなかったか?

だが、ギャングの描き方、特に直接子供を連れてくる男の演出が良かったので、単純な話に陥いらずに済んだようだ。勧善懲悪の話にならずに、善人にも過去に暗い面があったこと、ボランティア仲間にも反目や足の乱れがあることなど、リアルさを保つだけの工夫もあった。原作が良かったのかも知れない。

江口と宮崎の演技も上手かった。だが、宮崎が乱闘で活躍するのはリアルとは言い難いので、ギャングに吹っ飛ばされる姿だけをリアルに写して欲しかった。

川べりにそびえる木の写し方にも工夫が必要ではなかったか?日本人でも、多くの人は校庭や公園などに思い出の木はあると思う。それを見るときの表情を単に再現すれば良かったと思うが・・・

実際に、どれくらいの移植がタイで行われているのかは知らない。移植の順番を待てない家族は世界中にいるはずなので、この作品の描いたことが全くの空想に過ぎないとは思えない。新聞などで報道される限り、海外での移植の多くは欧米の大病院で行われていたようだが、報道されない症例もあるはずである。

私は正直なところ、移植医療には理解できない部分が多い。自分の子供が幸いにも移植を必要としていないからだろうが、移殖=命への冒涜といった古来の考え方にとらわれている。子供に移殖が必要ということになったら、きっと考え方も変るだろうが、現在の技術では実験的な規模に止めるしかないと考える。

経済的、社会的な面を無視できない。単純な善意だけでは語れない部分が大きい。

もし今のまま移植医療をどんどん増やしていったら、医療費の財源は必ず不足する。移植システムが上手く機能して割安の臓器が入手できること、システムの維持費が低く抑えられること、技術が進歩して幹細胞などから簡単に臓器を作る出せること、などの条件が全てクリアされれば話は変わるのだが、現状では大金を喰う。すると通常の医療を制限せざるを得ない。

今でも無茶な医療制限が行われているのに、さらに負担をかける移殖医療の導入は、必要だからやればいいという単純な考えではいけない。

医療全体、社会保障全体、経済全体のことも無視はできない。日本人の平均寿命が伸びたのは、医療技術の進歩よりも経済的な改善が最も大きな要因だと考える。家なし服なし飢餓状態では、医療もへったくれもない。保険のシステム全体が破綻したら、もう医療など成立しえない。保険システムに無駄が多いのは確かなんだが、改善には抵抗がある。だから、残念ながら現状では何らかの制限は必要だと思う。

今の医療、介護保険のシステムでも感じることだが、移殖のルールを厳格にし制限を厳密にしようとすると、そのシステムの維持にコストがかかりすぎてしまって本末転倒という役所の落とし穴にもはまりやすい。何事にも効率の観点は忘れてはならない。

また、我々の現在の経済環境で移植できるから移殖して良いとは言えない。貧しい国にも同じように移殖を必要とする人はいる。そんなやつらのことなど気にしないで自分らだけやればいい、他の国のことは知ったことじゃないとは言えない。

一国の法律で縛れないところも難しい。日本独自に制限をしようものなら、当然海外で移殖を受けたいと考える家族が増える。すると映画のようなギャングどもが暗躍することになる。移殖をする医者は、自分の良心とやりがいのために移植しようと勧める、臓器が足りなければ何とかして入手したい、海外の金持ちの客はいて需要はある、こんな条件が揃えば、当然ながら結果は映画のようになる。

他の作品で繰り返し描かれてきたことだが、金持ちが力を使って貧者の臓器を買うことは防ぎようもないと思う。おそらく中国あたりは富豪が増えているので、力で解決しようとする事例は増えると思う。中国が臓器を買い占めて、日本の子供は諦めるといった事態も予想される。

具体的にどのように移殖の対象を決めるべきかと言われると、私には解らない。患者さんに面と向かって、お前は移植しないで死んでしまえなどとは言えない。少し言い方を変えたとして、「現在の移殖価格がいくらで、お前の価値が計算上いくらだから、お前は移植させない。」とソロバンをはじかれたら、誰だって怒るだろう。でも、現状はそうだ。

適合するドナーがいないから、というのは実はマヤカシではないか?移殖コーディネーターの間にも力関係は必ずあると思う。どうしても顔を知っている間で臓器のやり取りをしてしまう傾向は防げないと思う。ややこしい日本人には回さないで、目の前の欧米人に提供しようと小細工をされたら、簡単に見抜くことはできない。

医療行為を断られる古い理由としては、今までは単純に言えば、「お前は金がないから諦めろ。」と言われることが多かった。「お前は長く生きてきたから、治療を中止しよう。」「お前はコネがないから諦めろ。」「お前は人種が違う。」などという例もあった。移殖医療を発展させないで対象を制限しようと言えば、このような古い理由による中止を強要することになる。それは人道に反する。

では移殖を増やそうとすると、やはり先に述べたような別な問題が起こる。このジレンマは画期的な技術が出ない限り、解決は難しい。

技術は状況を一変させるだろう。新しい技術には期待したい。

幹細胞から臓器を大量に作って、肝臓一個バーゲンで1万円!などという価格破壊が起これば、もう適応に悩むこともない。どんどんやるべきだ。犯罪を犯してまで臓器を入手する人もいなくなるだろう。ちょっと飲みすぎて肝臓がへたったから今年も肝臓入れ替えとくか、などと言う人も出てくるだろう。100万円でもそうだ。でも1億円だと、どうか?

金のことで人の命を考えるなんて、医者の風上にも置けない!そんな意見を言うヤツラもいたが、社会のことも考えるべきだと私は思う。医療は、人間の活動のほんのひとつに過ぎないのだから。保険医療が成立することも大事であるし、海外と協調することも忘れてはいけない。人道上やりたいからやる。やれるからやるという考え方は、移殖に限って言えば独善である。

 

 

 

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