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2009年4月18日

セックス・アンド・ザ・シティ(2008)

- 諦めがつきました -

サラ・ジェシカ・パーカー演じる主人公は、ニューヨークに暮らす独身の物書き。長年の友人達は、弁護士、主婦業、俳優のマネージャー業など、それぞれの家庭と仕事をこなしつつ、ファッションにはうるさい。

恋人のミスター・ビッグとは最近とてもいい関係。ふたりは眺めのいいコンドミニアムに引っ越して、いっしょに暮らそうということになるが、なにげなく話しているうちに結婚することになる。独身貴族の代表として有名な彼女の結婚は、大変な騒動になる。

さっそく友人達への連絡、式場の予約と花嫁衣装へのこだわり、雑誌のインタビューまで受けるやら、多忙な日々を過ごすことになった主人公だったが、思わぬ奈落が待っているのだった・・・

・・・何事に関しても、力を伸ばそうと考えるなら人は常に精進すべきだと私は考えている。モテなかった私は、女性が何を考え、何を望んでいるのかが自分に解らないことがその理由だと分析していた。女性の心理を勉強するために何をすべきか?それは女性が好きなテレビを見て、女性雑誌を読み漁ればいいんだ。そのように考えた。考えてしまった。

そんなわけで、この作品を見ないわけにはいかない。細部にわたって詳しく検討し、傾向と対策を練ることが重要である。充分に下調べをして、メモを用意してから作品を観た。実はテレビシリーズは見ていない。さすがに暇がないからだ。したがって、私には過去のシリーズの予備知識はない。この作品だけで学習したいと考えたのだ。

結論から言えば、この作品は結局わたしには理解不能なように思う。根本的な思考方法が違うのか?私の限界か?

この作品を勧めたいのは、当然女性である。20代後半から40代までか?独身だったら最高。既婚でも構わないだろう。その他の一般の人間生活を送っておいでの人類には、あまり面白くないかも知れない。子供にはどう写るのか、また恋人とこの作品を見るとき、どんな反応を示せばいいのか、私には解らない。

意味はともかく、この作品の構成は素晴らしい。いろんな、私にとってはしょうのない出来事を、うまく整理し、登場人物達の顔を的確に映し出している。まさにテレビ的な、メリハリを心得た演出であった。ナレーションを上手に使って、私のようにテレビを見ていない人でも、ある程度人物が解る様に説明されていた。よほど要領よく撮影しないと、製作にとんでもない時間がかかりそうなほど、たくさんの店で食事やパーティーをやらかしていたが、カロリーと費用に関しては、彼女らは気にしなくていいんだろう。

確かにファッションセンスも良い・・・だろうと思う。正直、私にはファッションのことは解らない。でも嫌悪感は覚えなかった。華やかな格好で、画面を闊歩する女性は観ていて気持ちがいい。それだけでも観たい人もいるだろう。でも、わけのわからない花の飾りを胸につけて主人公が登場した時には、私は少々引いてしまった。

ミスター・ビッグなる人物が出演していた。彼を例にとって私にとっての問題点を考察してみたい。

彼は日本の高橋英樹や、昔のビクター・マチュアの親戚だと思われる。

結婚式をキャンセルしてしまう男であるにもかかわらず、最終的にはいいヤツとして描かれているようだった。これがまずもって私には理解できない。私ならどうだろうか?「お前が生まれた日を呪ってやる。」「そうだ、そうだ。」「絶対そうだ。」と次々連鎖的に非難されて、そのまま評価が回復することはないように思う。私がそう思うだけで、実は数年後には許してもらえるのか?・・・いいや、そんなことはないだろう。

結局、いい男は許されるのか?「そんな単純なもんじゃいないわよ!」って女達から反駁されるかも知れないが、じゃあ何で彼は許されたのか、そのへんを聞いてみたい。主人公は「自分がワガママだった。」などと発言していたが、結婚したいと願うのはワガママではない。女性の頭の中では、許すと許さないという感情が、結局のところ厳密に区別できるものではないのかも知れない。

好きだが許さないという状態はありえる。好きではないが許せる人はいる。この両者を比べた場合に、後者はたとえどんなに人格が優れて、充分に反省していることが解り、しかも犯した罪がどんなに些細であっても、やはり前者のほうが恋人に復帰できる可能性が高いのではないか?私は自分の経験から、またこの作品の感想からそのように思った。

きっとミスター・ビッグは何をやってもいいのだ。マズイことをやってしまったら、その後で寂しい格好を見せて、さりげなく友人を助け、チャンスを狙っていれば、彼女らはきっと抱きついて来て許してもらえるのだ。見た目が良くて、セックスが上手くて、金持ちでセンスが良ければ、だらしなくても、責任感がなくても、浮気性でもいい。

もうひとつ、私には理解できなかったことがある。この作品の中に、エンロンやサブプライムローンの問題が、何か影を落としていたろうか?全く、何の影響もないような気がした。しかし、今のニューヨークに暮らしていて、景気も何も関係ない、破綻する企業があってもなくても、いつもリッチで始終ロスからニューヨークを行き来してはパーティーだのファッションショーだのに顔を出してるなんて、何かおかしくないか?

私は共産主義者でもイスラム過激派シンパでもないが、この作品の途中で何かに腹が立ってきた。別に女性らが恋愛していけないってことはないんだが、40過ぎた女がベッドサイドでファッション談義をかまして、女の本音ってやつを語っている時間に、アラブやアフリカの砂漠のような耕地では、牛のおしっこを浴びながら少年がトボトボと仕事をしていることが、無性に悲しくなってくるのだ。

私の長男が高校に行くのに、一括で50万円払えって請求書が来ていたが、このご時世に50万円は痛い。クリニックの方も患者さんは少ないし、今年のボーナスをどうやって工面しようか悩んでいる私だから、おしゃれな靴にこだわる女性を見ていると、悲しくなってくる。私は運動靴しか履かないのに。ファッションも上から下まで中国製ブランドなのに。

世界中に影響を与えた国の女性が、何か悩んだりしてはいるものの、悩みの内容が我々と違うのだ。何かこの作品のテーマは、私の認識できる社会から浮いているような気がしてならない。全ての映画が経済問題を扱うべきというのではないが、少しは景気のことも出てきていいような気がする。こんなことを話題にするからもてないのよ!って声も聞こえてきそうだが・・・・

そういえば合コンの時に、私はついつい政治問題や経済問題に話が行ってしまうことがあった。さすがに「これは雰囲気を硬くする。」と感じて話題を移そうとするのだが、自分が気にしていることだから、すぐまた話が戻ってしまう。次第に女の子の顔に「こいつ、理解不能。」という感情が浮き出てくるのが気になりながら、私は「今夜も失敗だな。」と早々に諦めモードになることの繰り返しだった。軽いことばかり延々と話せる人が羨ましい。

夢は必要である。美しい服に憧れる、ブランド物のバッグをプレゼントされて嬉しいのも当然である。さっそうと生きる美しい女性達の物語には、同性異性を問わず、誰でも興味を持つだろう。彼女らは恋愛談義をしてもいい。その権利はある。暇で暇でしょうがなければ、こんな番組を見て楽しんでもいい。私には暇もないし、金もないし、興味が違う、人種が違う、服も違うし、もちろん服のブランドも違う。住む世界が違うのよ。

新しい服を買った時の女性の顔は、何となく国は違えども似ていると気がつく。勝ち誇り?満足?幸せ?生きている実感?何かそのようなものが彼女らの心理には浮かんでいるようだ。私の場合は、しょうがなく買った、金がない、どうせ中国製、どうせダサい、などの諦観が漂うのに、随分な違いだ。精神の高揚の仕方が違う。

彼女らの行動によって成立しているファッション業界もあるわけなので、大事な産業の顧客として、彼女らを批判してはいけないと考える。そんなにこだわっていると、肝心の子育てはおろそかになるよ・・・などと言ってしまうと、「女は生む機械じゃないのよ!」って怒られるのだ。そんな意味で言ってんじゃないのに・・・

私、やっと諦めがついたって感じがしますなあ。この映画は、その方面に関して私にトドメをさしてくれたわけだ。

 

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