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2009年4月 6日

ザ・エージェント(1996)

- 鼻持ちならぬ様が見事 -

スポーツ選手のエージェント(代理人)として大手の事務所に勤務するトム・クルーズは、ある日怪我をした選手を見舞うが、契約で選手を縛っていることを見透かした子供から「人でなし。」とののしられる。

今までの仕事のやり方に疑問を持った彼は、事務所に選手の側に立つ仕事を提案するが、あっさり解雇されてしまう。契約も奪われ、残ったのは落ち目のフットボール選手のキューバー・グッディン・Jrだけ。とりあえず彼の仕事をしながら、有望な新人選手の売り込みで活路を見出す予定だったが・・・

・・・3月初旬だったか、ドライブ中にラジオを聞いていたら、トム・クルーズさま御一行がプロモーションのために来日されたと報道されていた。映画「ワルキューレ」の宣伝のためらしい。彼は最近落ち目である。観ていないんで解らないが、戦争映画ではたして復活が可能かどうか、私は疑問に思う。

彼も優秀なエージェントを探せればいいが・・・。そんな関係で、この映画を思い出した。

いい映画だった。名画とは言えないかも知れないが、一定のレベルの出来栄えだと思う。家族で観るには、ちょっときわどいシーンがある。恋人といっしょに観るのはいいと思うが。

トム様の絶頂期の頃だと思える、この作品。でも実際にはトム・クルーズよりもキューバー・グッディン・Jrが素晴らしかった。結婚披露宴での歌、契約を続けるか電話で話す時のやりとり、個性的で強引なところ、そのくせ結構ビビル場合、不安げな表情とアクの強い部分とを両方演じきって、アカデミー助演賞を取ったのもうなづける。

いつも自信過剰で野心たっぷりのトム・クルーズを演じていると、鼻持ちならない感じを実に上手く表現していて見事だが、やはり多少の反感を買う。でも、彼をやり込める人物が出現したので、トム様に同情が集まる。そんな仕組みだった。この頃の彼の作品は全部そうだ。

レニー・ゼルウィガーを初めて知ったのも、この作品だった。でも、私には彼女のよさがさっぱり解らなかった。今でも解らない。美人だとは思えないし、特別に演技が上手かったようには見えなかった。田舎娘っぽい感じが嫌いではないが、あのトム様の相手役としては?だと感じた。

トム様の恋人役のスタイルのいい女優は、トム様をぶん殴った後はジョン・トラボルタと結婚したらしい。こちらは素晴らしいデキだった。出番をきっちりこなしていた。スタイルも良かった。何度も強調しているが・・・・。

Photo_2

テーマも良かった。何かの契約を取る場合には、心から相手の利益、長期的な幸せを願って仕事したほうが、こちらも気分がいいし、長い目で見れば仕事も安定すると思う。そのへんを端的に、くどくならないように美しく描いていた。

医療もある程度はそう言える。もちろん医療機関の場合は、ほとんどが良心的で、患者の不利益を願っているような施設などないと思うが、大きな老人病院などの中には運営方針に疑問を感じるところがあった。

例えば、長期の療養の後に亡くなりそうになった時、心臓マッサージは何分以上、電気ショックは何回、薬はこれとこれを使って下さいと指示する病院もあった。もちろん大抵の医者は憤慨して無視するのだが、命に関係しない限りは営業に走る病院も少なくはなかった。

体がこう縮してしまった寝たきりの老人の体を無理やり引き伸ばして心臓のエコー検査を要求してくる病院もあった。心不全ではないし、必要ないと思うのだが、数ヶ月に一回は必ずオーダーしてくる。

こちらは検査する側で事情は知らないのだが、過去に激しい心疾患があったからというような理由はなかったようで、単に利益を上げんがためではないか?そうしないと、大きな病院を建てる際のローンをかえせないはずだから、と思えた。

私達の世代では医療は斜陽の業界になることが解っていたので、大学進学のときはコンピュータ業界に乗り出そうかと随分考えた。考えすぎて勉強が手に付かなくなってしまったくらいだ。あの時IT技術に乗り出していたら大金持ちになっていたかもしれないが、仕事が自分に合うか解らなかった。

孫正義にはなり損ねたが、医者の仕事には充実感がある。億単位の金を動かしても充実感はあるだろうが、患者を救ったという小さな感動を重視してしまった。そう信じたのが、自分の限界だったのかも知れない。大きな事業をする人は、小さな満足より圧倒的な野心で営利事業を起こすのだろう。営利に走ることに罪悪感めいたものを感じるようでは、大きなことなどできるはずがない。

医学部卒業の時には、私は迷わなかった。友人達の多くは営業的に安定している耳鼻科、皮膚科、眼科などを志望していたが、やはり命に関係する科を選んだ。しかもカッコいい心臓外、脳外科などではなく、意味が最も高い分野を選んだ。営業的には損しているが、例えば人の鼻の穴を覗くのに心の込めようがないので、耳鼻科を選ばなくてよかったと思う。皮膚ばっかり眺めるのもちょっと・・・

ただし、金回りの良さには憧れる。

先週は肝癌と、胆のう癌の患者さんが来られた。当院では治療できないので当然ながら紹介せざるをえないが、患者さんの家族を知っているだけに、こちらの心も揺れる。うまく手術で完全治癒に結びつけば充実感が味わえるが、肝癌の人は最初から末期だと解ったので、後味は良くない。

初診で来られた糖尿病の重症患者が肺炎を起こしていた。まだ50代の女性だ。もしかすると死ぬかなと緊張したが、インスリン導入と外来での点滴で乗り越えられそうだ。普通なら入院だったろう。

乗り越えた時の充実感は、自分が偉くなったわけではないのだが、やはり誇らしい気分だ。しかも、無駄な検査や治療はいっさいしていない。本当に無駄がないかは評価が難しいところで、これを悪用して検査を多用する病院も多いが、色んな可能性を検討して、考えに考えて必要最小限、かつ安全を確保できたと思う。これは誇っていいだろう。

もっと判断の精度を上げられると、さらにいいのだが・・・

 

 

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