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2008年12月16日

戦火の勇気(1996)

Photo - 告発者の保護 -

湾岸戦争(第一次)の中、デンゼル・ワシントン率いる戦車部隊は、敵の戦車隊と交戦した。ところが夜間の交戦の際に、誤って味方の戦車を砲撃してしまう。軍の上層部は事件を公表せず、デンゼルも戦死者の家族に事実を打ち明けることができない。戦争の英雄の一人として出世が見込まれるが、それも重石になる。

良心の葛藤のために、デンゼルは心に深い傷を負ってアル中に近い状態になり、家族との関係もおかしくなる。そんな彼に、ある救護ヘリパイロットの調査が命じられる。パイロットの活躍によって、たくさんの兵士が救われたため、名誉の叙勲が得られそうだが、真に英雄的な行為をしたかを明らかにしないといけない。

証人として、様々な兵士の意見が聞かれるが、現場でライフルの音が続いていたという証言に食い違いがあることにデンゼルは気づく。誰かが救出の直前まで援護射撃をしていたらしいのだが、同僚達はそんな兵士はいなかったはずだと証言する。

同僚の意見を聞いていると、英雄と言われていたパイロットが、弱虫で逃げたがっていたという証言まで出てきた。いったい現場で本当は何が起こっていたのか?デンゼルの推理が進む・・・・。

・・・この作品に原作があるのか解らないが、調べる兵士自身が何かの傷をもっているという設定は、最近の作品では必ずと言えるほどで、珍しくない。今回は、それが自分自身の保身とも関わるために、より深刻な問題であることが話を盛り上げていた。

単純に面白かった。恋人といっしょに観ても悪くはないかも知れない。恋の映画ではないが。家族で観ることもできると思う。小さい子には良くない場面もあるが、家族愛をひとつのテーマにしていた。

展開の仕方は謎解きが中心で、あらすじは途中で解ってしまったが、、ちょうど「羅生門」を連想させる感じで、次々と全く反対の証言がされることが期待できた。デンゼル・ワシントンとマット・デイモンの演技が良かったためか、退屈しなかった。

脇役達も存在感があり、リアルに演じられていた。

マット・デイモンは相当減量して役に挑んだのではないか?証言をしながら、頻繁にニヤニヤするところは心の傷を隠している人を表現する迫真の演技だった。この映画で最も存在感があったし、彼のキャリアの中でも最高の演技ではないかと思う。後で泣くシーンは、ちょっと病的な感じが薄れて良くなかったかも知れない。

もうひとりの主役のメグ・ライアンは、ミスキャストではないか?かわいらしい笑顔の彼女は兵士には似つかわしくない。意外性を狙ったのか、哀れさを強調したかったのか解らないが、良い演技ではあったものの、際立って強い印象は受けなかった。

娘役はメグにそっくりだったが、彼女には娘がいたっけ?

戦火がタイトルになっていたが、この映画の場合は、メグが焼かれるナパーム弾の炎を意味していたようだ。

テーマの「勇気」だが、戦場において勇気を保つのは難しい。 生きるか死ぬかの場面で、命令に従え、仲間を見捨てるなと言われても、そのために自分が確実に死にそうとなったら、果たして任務に忠実でいられるだろうか? さらに、事実を隠さずに勇気を持って話せるだろうか?自分に不利な状況がくると解っていても。

病院では医療事故を防止する目的で、安全管理委員会が毎月開かれているが、事故があった時に「何があったのですか?」と、質問しても「あいつが悪い。俺は悪くない。」という言い合いに終始しがちである。責任を追及しない会議にしてそうなので、ましてや査問委員会や裁判では、勇気なんぞ期待できない。

日本の風土では、特に公共の利益のために真実を公表するより、仲間内の利益を優先して秘密を保持する一種のヤクザ的行為のほうが評価される。会社組織や、病院など、大きな組織で出世するヤツは、公共精神など薄い傾向がある。

三笠フーズという会社がコメの偽装販売をしたらしいが、ある匿名の内部告発がなければ、明るみに出ないままだったかも知れない。会社の秘密を、ほとんどの社員は隠してしたのだから、社員は社会正義より他のことを優先したことになる。

食品偽装の場合は、告発した社員の犠牲を最小限にしながら、会社が必ず再編されるような法律を作らないと抑止効果はない。上層部が、そのまま残っては意味がない。経営権、人事権などを失っても民事裁判は免れるとなれば、正直な証言が得られるからだ。

公共の利益を優先した勇気ある行動が法的にも経済的、社会的にも保護され、公共の利益を損なう行為や、その隠匿が許されないルールを続けていれば、数百年後には考え方も変るかもしれないので、それに期待するしかない。

しかし、いくら法律を作っても、公共精神のリーダーのアメリカにして、あんなザマでは、難しいかも知れない。

あんなザマの代表は、第二次の湾岸戦争で、イラクが大量破壊兵器を隠していたという情報をでっち上げた件である。本心から勘違いしたとは考えにくい。意図的に情報を曲げて、多くの兵士の命を賭ける結果になったのだから、完全に犯罪だと思う。

もし私が政権の中枢にいて、仲間がでっち上げを画策していることに気づいたら、果たして告発する勇気があるだろうか?特に、それが長年の友人、家族ぐるみの付き合いだったら・・・

そこまで大きくない話でも、それこそ町内会の内輪のもめごとでもいい。会費をごまかしている会員に気づいた時に、告発できるか?ちょっとした金額だが、告発すると気の毒なことになるかも知れないし、仲の良い相手だったら・・・。

もう結果が出ている場合、今さら真実を明らかにしても誰も喜ばない、罪を暴かれて名誉を失う人間が出るだけという場合は、どうしたら良いのか難しい。

そんな時に公共精神優先で告発でもしようものなら、「あいつはクソ真面目で、融通が利かない。」「確かに正しいことをしたが、感情がないのか?」と評価される。一般社会では、そんなものだろう。でも、それを食品工場にもちこんで良いのか?

「アラバマ物語」では、真実を告発するのを止めていた。ルールに厳格にしたために社会的弱者を殺すようなことは間違っていると考えたからだ。でも、この作品とは状況が異なると思う。

この作品の場合も、死人が生き返るわけではないし、名誉の叙勲まで受けるなら、真実を暴く必要はないという考え方もできる。だが、せめて軍隊ではルール優先でやるべきだろう。軍隊では、自己判断で事実を隠匿したために、後で間違った情報によって多数の兵士が犠牲になったら死に値するからだ。いっさいの隠匿は禁止だ。

伝統に問題がある。罰則で人を縛ろうとすると隠匿せざるを得ない。

考え方を変えて、戦火の勇気を示した人、不利を承知で内部告発をした人間が不利にならない、むしろ優遇されるルールを作るべきである。そうしないと、情報操作や隠匿は終わらない。より広い公共の利益を損なわない仕組みが肝心だ。

 

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