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2008年11月 4日

恋する遺伝子(2001)

- 行き遅れ物語 -

恋する遺伝子 アシュレイ・ジャッド グレッグ・キニア ヒュー・ジャックマン

テレビ局スタッフのアシュレイ・ジャッドは、なかなか恋愛運がない。ある日、新任のプロデューサーのグレッグ・キニアが現れ、彼女は一目ぼれしてしまう。彼女の恋は進展し、夢のような展開で新居への契約をしようとしていた。

彼には長年の恋人がいたが、別れ話を持ち出す手筈だった。ところが、その話の後、急にキニアの態度が変化し、彼女の恋はあえなく破れてしまう。なんで?あんなに上手くいっていたのに?

住む家をなくした彼女は、腹いせも兼ねてプレイボーイのヒュー・ジャックマンの部屋に同居する。彼女は悩み、考え、ついにある理論にたどり着く。「雄牛は一度交尾した牝牛には目もくれない。」それと同じで、男は一回セックスした女には興味を覚えないのだと。

その理論を偽名で雑誌に掲載したところ、大評判になってしまう。彼女のテレビ番組では、偽名の作者を出演させるべく、せっつかれる。

グレッグ・キニアは彼女に未練がありそう。大晦日の晩に誘われる。彼女は周囲の忠告を押し切って復縁に期待する。さて、結果は・・・?

アシュレイ・ジャッドは演劇を専攻する女性には多いタイプのような気がする。スレンダーで、仕事の能力も充分ありそうな印象だが、非常に色っぽいわけではなく、際立つ美人とも言えないが結構魅力的。普通のキャリアで普通に頑張っている感じがよく出ているキャラクターであった。美人のくせに普通に徹する演技力は素晴らしいと思う。

この作品は、本当に普通の女性を描いているので、華やかさがない。その関係で、あんまり大うけはしなかったようだ。テレビでは一回放映されたのをチラと見た記憶がある。テレビの演出のような匂いがする。おしゃれで、軽く、時々しんみりするが、大泣きと大爆笑を狙っていない。

丁寧に作ってあると感じた。よくできている。恋人といっしょに観るのには最適ではないか?あの雄牛の理論には、部分的にせよ、同調する人も多いのでは?私も、新しい牝牛に興味が移らないわけではない。正直に言えば、常に新しいほうを目で姦淫している。神よ、お許しを。

行き遅れの女性の揺れる心を描いた作品は、たくさんあるのだが実に楽しい。どれも決まって夢のように盛り上った後に派手に振られて、身近な人に本当の愛を見つけるというパターンが多い。グレッグ・キニアのような煮えきれない男が登場して、イライラさせられて爆発、ついに決裂するに至る。だいたいが、そのようなパターン。

女性の焦りが基調にあるので、何か可笑しい。悲劇も、たいていは「また良い恋が訪れるよ。」という、暖かい目で見れる。それが観客の約束事になてちるので、映画はそれをくすぐればいいのだ。

私の身の回りにも行き遅れ女性は多いが、結婚すると自由がなくなり、経済的にもかえって苦しくなり、悩み事も増えると感じているようだ。そして、それは正解である。子供と過ごせる喜びもあるが、失う自由もある。結婚にあんまり希望は持てないでいると話す。なんとも悲しい現実だ。

子供を生み、育てることに希望を持てる社会になっていないということは、はっきり言えば、政策に間違いがあったということだ。アメリカの要求が優先される日本の政策には、日本の女性が喜ぶような施策は立てる余裕もなかったのだろう。

行き遅れ女性には魅力を感じる。何を隠そう、私にも恋する遺伝子があるからだ。妊娠可能な女性には、なぜか自然に優しくしてしまう。特にすぐ飛びつきそうな行き遅れが狙い目だ。下心見え見えだが、雄牛の性だわ。

欧米諸国の女性も、キャリアを積みながら出産可能なギリギリの年齢まで結婚を遅らせる人が多いらしい。出産だけが女性の仕事ではないのは確かだが、育児のパワーは社会の活気に直結するのだから、結果的に社会が沈滞する結果になる。

今回の作品は、上司にあたる女性が恋敵だったという事実に呆然とする様が愉快であった。アシュレイ・ジャッドが取り乱すシーンは、この映画のハイライトだったはずだが、大人しい爆発に止めてあった。あれで良かったと思う。もっと軽い映画は、怒って何かをぶつけて誰かが怪我する、モノが大きく壊れるなどの大騒動になるはずだが、そうすると本当のテレビドラマのレベルになってしまう。

大人しい作品だが、観た後の気分は保証できる。いい作品だ。

邦題も原題(誰かが君を愛してる)よりは良かったが、商売っ気を出すなら「雄牛理論」「雄牛vs牝牛」「恋する牝牛」などが良かったかも。

 

 

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