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2008年11月30日

アンジェラの灰(1999)

Photo_2 - 貧困にも対応策はある -

怖ろしいくらいの貧困家庭の話。

恐慌時代の生活苦から、故郷のアイルランドに逆戻りした家族は、同じように厳しい生活苦の中であえぐことになる。

生活苦の理由のひとつは、父親がIRAのメンバーだったために北アイルランドに帰れないこと。妻の実家からすれば、父親は裏切り者のプロテスタントの仲間で、やっかいもの。さらに父親独特の性格でプライドばかりが高く、アル中であること。

これだけ揃えば、マトモな生活などできるはずがない。

アンジェラは恥も外聞もなく、教会の慈善事業や配給などに頼ってでも子供達を育てるべく奔走する。住まいを確保するために、従兄弟と寝ることも辞さない。

主人公の少年は、独特の宗教的、文化的環境の中で成長し、石炭運びや電報配達人、借金の督促状作りなどの仕事をしながら、アメリカに渡る夢を持つようになる。彼の素質を認めてくれた先生は生徒に対して、「イギリスに支配された現況では活路はない。アメリカに渡れ!」と勧める。

思わぬ偶然のために、彼は金を手にすることになり、念願がかなうことになるが・・・。

後年、彼はアメリカで教職につき、故郷から弟や母親を呼び寄せた。母親のアンジェラが亡くなって、彼は遺灰を故郷に持ちかえることから、このタイトルは付けられた。

原作はピューリッツア賞を受けたヒット作らしい。

全く小説を読まないので知らなかったが、日本のファンがサイトを立ち上げて、そのサイトが調べた情報で監督がロケ地を探したと言うエピソードもあるらしい。

この作品は、子供には向かないと思う。大人でないと意味がない。恋人といっしょに観ても、あんまり盛り上らないのではないか?そんな気がする。

同じアイルランドを舞台にした「麦の穂をゆらす風」と同じような時代背景だが、視点が全く異なり、子供の生活が中心の話。そのため懐かしさのようなものを感じる。

母親役の女優は、たぶん役作りのために相当ダイエットしたのではないか?メイキャップかも知れないが、額に青筋が立っていた。

不必要に泣き叫ぶこともなく、抑え気味の演技で雰囲気が非常に出ていた。たまにヒステリックになるものの、ほとんどは静かにタバコをふかしているのがリアルで面白い。

ヒステリックな場面が多いと演技には迫力は出るが、自然さが失せる。ぼんやりできるのは素晴らしい。

父親役は、この映画では最も難しい役柄だと思う。

嫌悪感を抱かせるなら、ヒゲづらの下品な俳優が演じればよいが、この作品では優しさとだらしなさ、哀愁が混在しないといけないので、やはりあのような演じ方しかないのだろう。いかにも役者役者した俳優だった。

ほとんどの場面は名演だったが、路上で吐く場面は下手くそだった。本人の精神的混乱が解説できたら、もっと良かったかも知れない。

家族が住まう地域は湿気が多い。画面でも、ほとんどの日に雨が降っている。その中を、傘もささずに少年達は行き交う。靴がない子も珍しくない。家の一階が水浸しの日が多ければ、いくら何でも家が持たないので誇張もあると思うが、不衛生なのは確かだろう。

私の故郷の村にも極貧家庭はあったが、トイレが匂わない工夫をなんとかやっていたし、湿気対策のために金をかけずに小ざかしいほどの工夫をやっていた。

この家族の家は実に不衛生。

我が家も貧乏だったが、さすがにトイレ代わりにバケツにおしっこするようなことは汚いという感覚はあった。日本の貧乏家庭は、文化の違いもあるのだろうが、衛生面では勝っていたような気もする。

私は子供時代に飢えた経験はない。大学時代に飲みすぎて食費がなくなったことは、しょっちゅうあったが・・・。

貧困の中で酒におぼれる父親は、だらしない甲斐性のない人物だが、映画では愛すべき対象として描かれていた。子供としては、面白い話をしてくれるだけでも無条件に愛しい存在なのである。主人公の視点が、映画に反映されていたのだろう。

おそらく原作でも、悲惨な生活の原因となった父親の行状を、ユーモアたっぷりに描いていたのではないか?

私より上の世代では貧困が当たり前だった。したがって、この映画の貧困ぶりを懐かしく感じる世代の人も多いだろう。たいていの人に聞くと、つましく苦しい時代だったはずなのに夢はあったし、家族が連帯感を持っていた幸せを感じていたと言う。

私より少し後の世代では、逆に豊富な商品に囲まれた中流~上流家庭が普通になってしまった。世代間ギャップがある。

ところが最近は子供の同級生にも、給食費を払わない家庭が結構いるらしい。意外にも、いつの間にか貧困は過去の話ではなくなっていた。

フリーターでやっと生活を続ける人も多いし、田舎に職場はなく、農業漁業では食べていくのも難しい。そんな状況では生活の工夫にも限界がある。ましてやパチンコ通いやアル中などの問題を抱える親がいれば、映画の再来のような子供もありえる。

ホームセンターに行くと大きなボトルで安酒が売ってある。たぶん、極貧のアル中にとっては有難い商品だろう。逆に社会にとっては、あんなアル中様ご用達の商品は有害ではないか?酒の値段が高くて買えないようにしたほうがいい。

自分には変なプライドがあるので、あの安酒は買いたくない。

そう言えばアル中の患者で、病棟にあの酒を隠していた男がいたなあ。強制退院になったけど、肝硬変で亡くなったと聞いた。やっぱり・・・。

子供にやる気がないとしたらやむを得ないが、向学心旺盛な子だったら社会全体が助ける制度が必要だ。

もしかすると金持ちの夢が、それによって多少そがれても、やはり進学だけは可能にしないといけない。子供に夢がなければ、社会全体の未来がない。

フリーターの若者も奨学金で大学などに行けないことはないんだが、大学を出ても就職が厳しい状況では、確かに希望を持って進学を目差すのは難しい。でも、可能性だけは必要だ。

今の状況は、日本が目差した経済の構造が時代にそぐわなくなっているためだろう。原材料価格が上がりすぎて、付加価値を高めた製品で儲けようにも無理が来る。中国の安価な製品に客を取られてしまうなど、状況の変化は確かにある。

田舎でも食べていけるような産業構造にするのは簡単なことではないが、政策次第で何とでもなるはず・・・。

 

 

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