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2008年10月26日

荒野の用心棒(1965)

- オリジナルの凄みには及ばず   -

ニューメキシコの国境近くの村が舞台。さすらいのガンマンであるクリント・イーストウッドが立ち寄ると、囚われた母親に向かって子供が駆け寄ろうとして、番人に追い返される。母親は、町のボスの一人に囲われているのだ。

乾いた風が吹く村に行ったイーストウッドは、さっそく宿で情報を収集する。村はロホ兄弟とモラレス一家の勢力争いで二分され、殺し合いが耐えない。喜んでるのは棺桶屋だけというありさま。

何を決めたか明らかではないが、イーストウッドはモラレス一家の4人を殺し、ロホ兄弟の味方を申し出る。そのいっぽうで、両者を戦わせようと画策する。さらにスキを見て、囚われた母親を救出し、子供といっしょに逃がしてやる。

ところが、これを兄弟に気づかれてしまい、リンチを受ける。かろうじて脱出したイーストウッドは体力の回復を待って、ついに村を制圧したロホ兄弟と対決するに至る。しかし、彼は銃を持つべき手を怪我している。どうやって戦うつもりか?

・・・・この作品は有名だ。ひとつはマカロニ・ウエスタンの代表作であること。もうひとつは、黒澤作品を勝手にパクッて訴えられたことで。当時としては珍しく日本側の映画会社が勝訴したらしく、イタリアの会社は賠償金を払わされたらしい。

仲代達也が演じた敵役は、ジャン・マリア・ボロンテが演じている。彼は夕陽のガンマンでも敵役だったが、こんな役に持ってこいの顔をしている。しかし、仲代が目をギロつかせてニヤッと笑いながら、主人公の刀を奪うようなキレのあるシーンはなかった。

やはり武器の違いがあると思う。刀より銃、銃よりライフル、ライフルよりマシンガンである。刀のレベルで戦っている間は刀を使う力量の戦いになるし、刀を奪えば勝負はつくが、銃のレベルでは先に銃口を向けるか撃ったほうが勝ちだ。味気ないのは仕方ない。

三船敏郎の場合は、歩き方、その後姿を写すカメラの目線などが非常に独特だった。最高の独創性を持つキャラクターを演出していた。アンチヒーロー的ヒーロー像として、古典的ですらある。

クールで殺しを何とも思わないが、本質的には正義感。独特のヒネたところがあって、本名や本心を語らないし、ワルぶってカッコをつける。アプレゲール時代の青年の所作を参考にしているようだ。

しかも腕が立つ。その上頭の回転も良く、抜け目がない。いわゆるタフな男。身なりが汚い点は、西洋のヒーローとは違う。これは、経済状態の違いも影響しているかも。

映画全体ののスタイルもクールだった。ある意味で、マカロニウエスタンは、黒澤映画のクールさを参考にして生まれたのかも知れない。残虐なシーンは古いハリウッド映画にもあったが、自分を正当化できないような主人公がヒーローになることは、ハリウッドの常識からは外れている。

イーストウッドも充分にカッコいい。三船のような妙な歩き方はしないので、外見はよりさっそうとしているが、スーツが似合う感じはしない。たぶん着たこともないかも、そんな雰囲気がカッコいい。

まさか最初から自分の考えを明かしたりはしないだろう。「俺は、この村のならず者を一掃して、平和をもたらす目的で、こうする予定だ。君も協力しないか?希望を持て、ともに立ち上がろう。村に変化を!」なんて、今の政治家のようなやり方は取らない。何でも明かしてしまうと、クールではない。

マケインもオバマも、イーストウッドほどクールじゃない。

 

 

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