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2008年10月24日

西部開拓史(1962)

- 構想は良かった -

カール・マルデンの世代、ジェームズ・スチュアートの世代、ジョージ・ペパードの世代の三代に渡る冒険や戦いを描いた、オムニバス形式の叙事詩とでもいう作品。

全ての世代に渡って生きているのはデビー・レイノルズだけ。彼女の父のカール・マルデンは、妻の反対を押し切って西部への移住を決意するが、途中で強盗団に襲われ、激流で自らも命を落とす。

強盗団に襲われた時に活躍したのが、ジェームズ・スチュアート演じる猟師。一家の長女と結婚して、どうやら婿養子になったらしい。

次女デビー・レイノルズはダンサーになって各地を回ってる時に、思いがけず金鉱を相続することになる。ところが、これを聞きつけたグレゴリー・ペックがついて来て、馬車で共に旅をする。

旅の途中、インディアンの襲撃を受けるが、ペックらの活躍で生きのびる。金鉱にたどりついてみると、金は掘りつくされて遺産は無価値。ペックも去っていくが、後年二人は再開し、新天地サンフランシスコで事業を始め、一定の成功を収める。

ジェームズ・スチュアートの息子、ジョージ・ペパードは南北戦争で戦った後、大陸横断鉄道の建設現場で守備隊を指揮する。インディアン達が攻撃してくるが、非は契約を守らない会社側にあるのは明らかなので、憤懣やるかたないペパードは除隊する。

ある町の保安官となったペパードは、宿敵イーライ・ウォーラック一味の列車強盗計画を察知し、ケリをつけるべく列車に乗り込む。はたして、激しい銃撃戦が始まる・・・・。

この映画は意欲的な試みをしている。厳密に言うと、西部劇とは言えないかも。

原題は、いかにして西部は勝ち取られたか?・・・誰から?

本当は可哀そうなインディアンやメキシコからなんだろうが、映画では主に白人の悪者が敵役だった。作品の意図は、そんな悪者から自分達を守ったということなんだろうが、ついでにインディアンも虫けらのように殺されたんだろう。ほんのついでに・・・。

もしかすると、この物語には原作者か脚本家の家族の実体験が織り込まれているのかも知れない。ストーリー的に無駄なエピソードもあるように思えるからだ。あちらの物語には、開拓時代の実体験が伝承されたエピソードがよく登場するが、この作品もそうかも知れない。

非常に変っているのが、三つのスクリーンを合わせてひとつの画面にする方法で上映されたらしく、DVDの画面にも縦に二つの線が入っている。最初はなぜこんな線を残したままDVD化したんだろうと思ったが、理由を聞いていちおう納得。要するに大きくして迫力を出そうと言う手法らしい。

老年にさしかかったジェームズ・スチュアートやヘンリー・フォンダが登場しているのでオールスター戦並みだが、監督もジョン・フォードを含めて3人いたらしい。実験的な試みがいろいろ。

このような数世代に渡る物語は他にもいろいろあったが、やはり主役となる一人がいないと、話が散漫になるなどの弊害のほうが大きいような気がする。ヒットした小説を映画化する時には、語り部を一人持ってくるかどうかして、流れをはっきりする必要があると私は思う。

例えば、この映画の場合はデビー・レイノルズの姉妹が最初に登場し、何があっても互いに連絡を取り合おうと誓う場面から始めると良かったかも知れない。そして手紙で話を続ければ、整理しやすい。

開拓時代の移住者は大変だったろう。自らの力で道を切り開いたという自負が、もしジャマがあれば実力ではねのけるという精神につながったことが解る。この映画のナレーションでも、誇らしげにそう語られていた。そのあおりを喰らわないようにしないといけない。

このような精神は、きっと昔もあったに違いない。古代国家が大帝国を築いていく時、イスラム教やキリスト教を布教していく時代、大航海時代、努力が成功体験となって、強力なパッションが生まれる。少々の苦難は我慢し、少々の問題は無視。利益への魅力の前では多少の荒業への罪悪感も消える。そんなところだろうか。

アメリカの銃規制がうまくいかない理由のひとつは、そんな精神がまだ残っているからではないか?単に慣習で銃に慣れ親しんでいることもあるだろうが、パッションに結びついた物を奪われることは、魂を奪われるのと同じように感じるのかも知れない。

銃が規制されるのは、おそらくアメリカが分裂する時だろう。この映画を見ると、そんな気がする。

 

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