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2008年10月16日

真昼の決闘(1952)

- 西部心理劇 -

非常に古いが、今でも家族や恋人といっしょに観るのに耐えられる作品だと思う。

保安官と、彼が過去に刑務所送りにしたはずの荒くれ男達の決闘の物語。荒くれ男の仲間には、リー・バン・クリーフなどもいる。町の人の中にも、荒くれ男達のシンパがいて、保安官が協力をお願いしても誰も手伝ってくれない。

よっしゃあ、俺は頑張るぜと威勢が良かった男も、「ええっ! 誰も加勢に来ないの?じゃあ、俺も帰る!」と、去っていく。

孤立無援の保安官には新婚の妻がいるが、街に残るかどうかでケンカして、とうとう彼は一人で敵と相対することになる。悪玉を乗せた列車が到着して、ついに決闘が始まる。銃声が響き、果たしてこのバカな保安官の運命は・・。

今回観たのはレンタルビデオ屋さんの普通のビデオだったが、非常に画面が鮮明で、細かいところまで写っているのに驚いた。テレビでも2回くらい観た記憶があるが、これほど保存状態が良いとは始めて気がついた。リマスタリングしてあるのだろうか?劇場で最初に観た観客は、クリアな画像で表現の細かいところも鑑賞することができたはずだ。

加えて、スタジオでの撮影が非常に少なくて、ほとんどのシーンが屋外の自然光でやられていること、いつもの派手な芝居くさい演技ではなく、心理劇の手法で展開されていることも再確認した。心理描写には、画質が良いことが絶対に必要だと思う。

アクションを写す場合には、あんまり細かいところが写る必要はなく、スピード感あふれる場面の展開が大事だが、この作品では助けを求めて街をさまよう主役の表情や、丸い背中、とぼとぼした歩き方まで解らないといけない。あのような場面に、西部劇でよく眼にする大げさな夕陽の背景パネルなどを登場させたら、いっぺんに真実味がなくなってしまう。

いろんな点で特殊な西部劇。西部劇というより、西部を舞台にした心理劇と言ったほうが正しいかも。

劇の中の経過時間と、上演時間をマッチさせる手法が取られたことが有名で、これは誰のアイディアか知らないが効果的だった。時計を時々映し出して、敵が到着する時間が迫っていることが解るので緊迫感が出る。普通の西部劇で時間を気にすることはまずない。珍しいことだ。

主役のゲーリー・クーパーは当時人気が落ち目で、いろんな問題を抱えて大変だったそうだが、それが役柄に合っている。歩き方がさっそうとしていない。猫背で、腰痛を起こさないように、そっと歩いている感じがする。しょぼくれた姿が、街の人達から援助されなくて困った姿とマッチしていた。

動きが非常に遅い。かってのハリウッドのスターは異常に動きが遅い傾向があり、「あんなんじゃ、まっ先に撃ち殺されるはずなんだが・・。」と、違和感を感じるのが常だが、彼は大柄なこともあって特に遅い。悪役のほうがずっと機敏で強そうな気がした。

ケヴィン・コスナーの親戚みたいな顔で、ハンサムだが迫力には欠ける気がする。なぜスターになれたのか、タフガイを演じることができたのか、自分にはよく解らない。

グレース・ケリーは魅力的だった。ほこりが舞う街で場違いな白い衣装で過ごしていたが、あれは美しい心を連想させるのと、目立つためには必要だったのだろう。やたらアップの場面が多い。共演者のメキシコ人女性役を始めとして、他の女性は可哀そうに目立たない服装をさせられていた。

夫を救うために人を殺してしまった後の動きや表情が自然だった。彼女のそれまでの話し方やセリフ内容から予想される悲しみ、迷いなどの表情が、短いシーンだったにも関わらず、適切に演出されていたので、観客に好印象を与えることができた。オーバーすぎるとシラけるので、このシーンの彼女にセリフがなかったのも良かった。

街の人達の対応は、赤狩りにあっていたスタッフが感じた心理と共通するものがあったのかも知れない。

強力な悪玉が登場してきたときに人々が取る対応は、いろんな時代で悲喜劇を起こしている。アメリカは比較的健全な精神が大勢を占める珍しい国だが、それでも赤狩りの時代には裏切りが横行したし、ギャングに対しては‘強いものに巻かれる’人達も多いらしい。なんと言っても銃で話をつける国なので、当然の反応である。

それを話の中心にしない、すぐに助力を申し出る人がいるのがハリウッド映画の特徴のひとつとも言えるのだが、この作品には赤狩りショックの影響があるようだ。リアルで情けないストーリーになっていた。よく会社が製作を認めてくれたものだ。

同じような状況の「リオ・ブラボー」では、ちゃんと文句も言わずに協力してくれる助手がいたし、敵は惨めにも一方的にやられていた。これが通常のパターンだったはずなのに、この作品は独特である。

これは心理劇で、西部劇として考えないほうがいい。

 

 

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