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2008年10月10日

アフリカの女王(1951)

- 象狩りの影響なし -

第一次世界大戦の頃のアフリカ、コンゴ近く。

宣教のために奥地に来ていたイギリス人の宣教師と、その妹キャサリン・ヘップバーンは、ドイツ軍に襲われる。村も教会も破壊され、ショックで兄の宣教師は死んでしまう。彼はもともと肥満体で、メタボリック症候群だったからか?

妹は村にやってきた蒸気船の船長ハンフリー・ボガートに助けられて難を逃れるが、船に乗っている爆薬やボンベを見て、兄の復讐のためにドイツ軍艦を攻撃することを思いつく。

しかし、そのためには激流を越えて、ドイツ軍の銃撃にも耐えて、しかも河口のデルタ地帯の湿地を乗り越え、さらに軍艦に体当たりを成功させないといけない。ほとんど無謀な計画。

でも、ブサイクな行き遅れのガリガリ妹(劇中の表現をかりれば)の熱意に負けた船長は、仕方なく出発する。

激流、滝、ドイツ軍からの銃撃、船の故障、ヒルの攻撃にも耐えて、デルタ地帯に行ったは良いが、広大なアシの平原の中から脱出できない。船長は熱を出してダウンしてしまう。

やっとの思いで戦艦への攻撃兵器をこしらえ、いざユニオン・ジャックをはためかせて攻撃だ!でも無事に戦艦を撃沈できるか?・・・・・

良き時代の雰囲気を保ち、単純明快なのに様々な試練が待ち受ける冒険物語。ハッピーエンドが痛快で、全編ユーモアとロマンにあふれ、勇気と根性にも感動できる、かっての娯楽の王道を行くような作品。

水浴シーンではチラと足は見せていたが、おっぱいポロリもなく、爆風で兵隊が吹っ飛ぶこともなく、さすがに表現法は50年前。

激流も、今の映画のレベルで言えば、全然迫力が足りない。スタジオで水をかぶりながら撮影してると解る色彩の違いが背景と人物にあるので、興ざめする客もいるかも知れない。

深い人間洞察があるわけではない。キャラクターは皆が単純で、テレビドラマ並みのパターン化されたもの。大人しいスペクタクルである。

ではあっても、この作品を飲んだくれの監督と主人公が作ったとは信じられない。

この作品の撮影現場を描いた「ホワイト・ハンター・ブラック・ハート」では、監督は象狩りに熱中して撮影準備をおろそかにする人物として描かれていた。全くの誇張ではなかったらしい。

キャサリン・ヘップバーンが非常に美しく見えた。実際、彼女はブスではないのだが、映画の画面で器量が悪い行き遅れの・・・うんねんを兄からも言われるのが可笑しい。

でも気になったのは、川で体を洗うのは良いが、下着のままで川に入れば、あの川の見た目の印象では、鼻が曲がるほど臭くなるのではないか?川は微生物が多いので、少し乾くとすぐ臭うはず。

すると二人は、怖ろしく臭い同士で抱き合ったことになる。そう考えると、あんまりロマンティックではなかったのだ。我々日本人のような繊細な民族には耐えられない、野獣の交尾のようなラブシーンが展開されたと想像する。

イギリス人的な話し方、仕草をユーモアと皮肉を交えて演じている様子だったが、好感を持てた。

ハンフリー・ボガートは、本来の顔に合った悪役的な表情でアル中の船長を演じていたが、細かい表情で笑わせてくれた。ギャグ的な表情は、いわばテレビタレントの喜劇のようなパターンだったが、彼のようなコワモテのスターが演じると可笑しかったろう。

配役も、演出も編集も適切で、象狩りにかまけた影響や、飲んだくれの演出の影響がどこにあるのか解らない出来栄え。

この作品は、今でも通用すると思う。家族も、恋人も、きっと楽しんでくれる。もちろん、手に汗握ることはない。爆笑もない。エッチシーンもない。主役の男優も、ゴリラの親戚みたいに下品。でも、それでいいのでは?

 

 

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