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2008年10月12日

荒野の決闘(1946)

Photo - タフガイの教科書 -

ヘンリー・フォンダのポーズがカッコいい。

カウボーイをやっていたワイアット兄弟が何者かに牛を盗まれ、末の兄弟を殺されてしまう。犯人はクラントン一家だとにらんだワイアットは、保安官になって復讐の機会をうかがう。

町の賭博場のボスはドク・ホリデイ。ドクを尋ねてクレメンタイン嬢が登場するが、結核に犯されたドクは彼女を追い帰そうとする。ワイアットは彼女に恋をするが、打ち明けられない。

酒場の女チワワが、殺された兄弟のペンダントを持っていた。すると、弟殺しの犯人は恋人のドクだったということになる。激しすぎるくらいの追跡の後、ドクを追ったワイアットはドクと対決することになる。

その対決の後、クラントン一家の一人を殺したことで、ついに宿敵クラントン一家がワイアットに宣戦布告してくる。一家が立てこもるOK牧場に、ワイアットの兄弟、ドク、町の有志が向かい、銃撃戦になる。果たして勝負の結末は?クレメンタイン嬢との恋の行方は?

この作品が作られたのは世界大戦が終わった直後だから、アメリカは精神的には最も充実していた頃ではないかと思う。ヒネたマカロニウエスタン風のヒーローが登場する前であり、カッコいいタフガイのヘンリー・フォンダが全てを牛耳っていた。

一人勝ちのアメリカン・ヒーローだった。真面目ぶって保安官事務所に座るようなシーンは全くなく、冒頭の片足を柱に乗せる独特の姿勢で通りを眺めていた。あれはタフガイを気取る連中が真似しそうなスタイルだった。時にはダンスに興じ、美女と向き合ってニヤッと笑うし、堂々とギャンブルもする。

タフガイがいかに行動し、話し、恋人に相対し、カッコづけするかを充分に描いていた。そう、この映画はタフガイの教科書だったのだ。

DVDの表紙には、叙情的に西部を描いたなどと書かれていたが、ケッ、なよなよしたやつらには本質が見えていないぜい。叙情性はあくまでカッコづけのための要素に過ぎない。メインテーマは、いかにカッコマンの道を貫き通すかである。いくつかのルールがある。

①たとえ令嬢がどんなに可憐であっても、デレデレしない。「あなたが好きだ。」なんて告白しないで、「あなたの名前が好きだ。」とカッコづける。キザやね~。

②保安官になっても、事務仕事は軽蔑する。ギャンブルはするし、足を柱に乗せる下品さを保つ。もちろん、紳士淑女が通りかかったら、親切に荷物を持ってあげる。

③当然、勝負の場では怖がったりできない。ドクのような無法者と素手で対する時には、こっそり仲間に銃を持たせて、いつでも殺せるように準備しておく。何ごとも備えは必要だ。勇ましいばかりのジャップの兵士との違いは、ここにある。

④大事なことは譲らない。保安官という優位な立場は最大限に利用する。敵と同じ人数、同じ武器で戦うことにこだわらない。平気で大勢でかかるし、武器もたくさん持って行く。これもジャップとの違いである。

しかし、かってのタフガイは最近とんと見ない。これは先程の①~④の状況変化による。

①浅はかなドラマで洗脳された女は、愛をささやく男に鞍替えしてしまい、取り残されたタフガイは一生独身という厳しい現実がある。

②暴力沙汰がなくなれば保安官と仲良くするメリットがない。高級な服を着た紳士と友達になりたいと考える。足をどけろよ!と、嫌われる。

③現代では、勝負の場で戦わない人が勝ちである。殴ったら現行犯で逮捕される。銃を構えても、敵はマシンガンを持ってくる。逃げたほうが正解である。

④保安官のような貧乏役人と仲間になっても、金をせびられるくらいで優位とは言えない。弁護士は優位だし高収入だから、タフでなくても、そっちがいい。

叙情的(に気取った)作品だが、現代ではおとぎ話となってしまった感がある。

はて、子供達に見せたものか・・? 恋人とは、おそらく観ないほうが良いのでは?バカにされるのが関の山だから・・。

 

 

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