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2008年10月 2日

怒りの葡萄(1940)

- キリスト的タフガイ? - 

西部劇のイメージが強いジョン・フォード監督の作品だが、これは完全に社会派の映画。楽しいシーンは全くと言って良いほどない。

刑務所から仮出所してきたヘンリー・フォンダは、家に帰る途中で自分を洗礼してくれた元神父?と出会い、いっしょに旅をすることになる。家に着いてみると、ちょうど大恐慌と天候不順、農園の機械化のための追い立ての真っ最中で、家族はカリフォルニアへ旅立つ直前である。

おんぼろトラックで出発したものの、死人が出るやら金がないやら、ほとんど流浪の旅、出エジプトなみの苦行になってしまう。

やっとカリフォルニアに着いたが、夢とは全く違った低賃金、もしくは飢えの危機が隣り合わせの農奴のような生活が待っていた。そんな中でフォンダは殺人事件に巻き込まれてしまい、警察に追われることになってしまう・・。

セリフは明らかにキリスト教的、そして社会主義的。「アカって、どうゆう意味だ?」と、フォンダ演じる主人公は共産主義の存在すら知らないようだが、民衆の団結が必要だとは理解していく様子。

製作された当時は、恐慌後のニューディール政策の時代だったので、この作品の意見は世間から肯定されたようだが、こんな内容の作品を作ったフォード監督が、その後の冷戦~赤狩りの時代に無傷だったとは信じられない。

フォード監督がたまたま赤狩りの時点で既に巨匠の地位を占めていたこと、彼の毅然とした言動、西部劇や戦争ものを監督してきたこと、それらが幸いしたのだろう。若い監督だったら、おそらくハリウッドには居られなかったはずである。

ヘンリー・フォンダがやたらツバを吐くのが気になった。これは、おそらくタフガイのイメージをつけるためにやったのだろう。しかし、今から別れる妹の枕元で床にツバをはくと、衛生上の問題がありそうである。彼の風貌は本来スマートな2枚目で、役に合ってないような気もする。

タフガイにもいろいろあるが、彼は荒野の決闘やミスター・ロバーツなどの映画で見せたように、知力と度胸で乗り切るスマートなタイプである。体力勝負ではない。スマートなタフガイを演じるには、頭の回転が良いことを表現できないといけないので、「この俳優は本当はアホなんだよなあ。」と、観客に思われないようにしないといけない。

田原俊彦が島耕作を演じた時に違和感を感じたのは、彼の年齢や姿態だけではない。ジャニーズ育ちで、満足に勉強していないとしか思えないイメージのトシちゃんが、スマートな社会人を演じることに違和感があったのだ。

主人公と同行する元教会関係者は、預言者ヨハネの役割だったが、民衆を煽動したという罪で聖書の預言者と同様に殺されていた。完全なリンチなんだが、保安官や警察までが手を貸すという不条理さ。キリスト教的には、この家族達が置かれた状況は許しがたい。

家族のセリフにも、いろいろ表現されていた。おそらくスタッフの意図は、闘争が必要と言っているのではなく、キリスト教精神に基づいて救済するというものだったと思う。わざわざ元神父に死んでもらったのは、明らかにキリストやヨハネをイメージさせるためだったはず。

主人公はラスト近くで、「俺にも何かが見えてきた。」と言いつつ姿を隠していたが、流れから考えると殺された預言者の後を継いでキリストのように行動し、民衆を救済する運動をやるということを意味する。しかし、労働運動=共産主義と勘違いしている人も多く、たぶん時代が違えばえらい騒動になっただろう。

公開されたのがニューディールの時代だったから成功したのだろう。

飢えた子供を見て、「どうしてよいか解らない。」 と繰り返し言っていた母親が、ラストでは「どんなに状態が悪かろうと、私は耐え切れる。」と言うまでになっていた。それくらいヒドイ経験をしたということか・・・。

豊かな農村のイメージがあるオクラホマ州が、かって農民を追い出して大規模農園化したとは思いもよらなかった。皆が楽しくオクラホマミキサーを踊っている楽しい場所か?と勘違いしていた。農民が土地を追われる歴史は、産業革命前のイギリスや、今日の日本や中国でも見られる事象だが、悲劇的である。

日本の農業が立ち行かないのは、米作に頼りすぎた歴史や、農産物を輸入しないといけないこと、内外の価格差などが主因だと思うが、WTOなどの国際組織の根本精神が解らない。農業国としては、産物に高い関税をかけられるのは納得がいかないことだろうが、自由に輸入したら貨幣価値の高い国の農業が成りたたないのは自明の理である。

繰り返すようだが、農業の衰退は、文化の破壊、村落の破壊と同義である。どんなに良い農産物を生産したとしても、文化や村を破壊する権利があろうはずがない。この映画のように農民を追い立てることは法律的には合法であり、経済的生き残りのために必要であったとしても、人道的には許しがたい。

農場主や農業国の権利も大事だが、追われる農民にも権利があると思う。 

 

 

 

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