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2008年9月14日

ハイド・アンド・シーク(2005)

Photo_3 - いっしょに観る人に注意 -

何者かが、少女の周囲で殺人を犯しているらしい。少女が気がつくと、自分の周りに血の付いた後がたくさん付いている。自分が眠っている間に血は付いているらしい。

少女は気がつく。「もしかして、犯人は他ならぬ自分ではないか?自分が寝ている間に、無意識のうちに怖ろしいことをしているのではないか?」不安でいっぱいの少女だが、父親は彼女を慰めてくれる。

彼女の周囲で殺人事件が起こる。かってはバック・トゥ・ザ・フューチャーやインビジブルに出ていた美女も、憐れ殺人鬼の餌食になる。

さて、彼女は本当に悪魔のような女の子なのか、もしくは彼女を付け狙う殺人者が、やはり家の外でこちらをうかがっているのか?そういえば、近くに洞窟があったが、あの中に・・・

この作品は、子供には向かない。悪い夢を見させてしまうかも知れない。でも、恋人といっしょに観るのは悪くない。できればびったり寄り添って、いつでも手を握り、肩を抱けるような体勢で見はじめたほうが良い。うまくいけば、ハッと気がつくと手をギューと握りしめているかも知れない。肩をがっちり、足も絡んでいるかも知れない。

したがって、嫌いな人、別れたい彼氏とはいっしょに観ないのが原則である。気がつくと映画より怖い展開になるかもしれないからである。結構怖い演出ができた作品だった。

デ・ニーロはミスキャストだったと思った。

彼が登場したとなると、よほどのことがない限り、きっと悪人の役である。今までがそうだったからだが、すると「はは~ん、きっと父親には何か秘密があるな。」と、ネタばれの方向に観客を誘導してしまう。デ・ニーロの演技力には関係なく、謎解きのヒントになりかねない。

できれば、観客が考えた犯人像とは違う方向にストーリーを持って行きたいものである。そして観客には、「まいった!まさか彼が犯人ではないと思っていた。」と、グーの音をあげさせたい。そのためには、父親役は優しい~真面目~正義感~気の毒な境遇といったイメージがつくような役者を持ってきたかった。

ダコタ・ファニングを、本人が自覚できないうちに怖ろしい犯罪を行う怖ろしい少女か?とイメージさせるのは良いアイディアだった。でも、そのためには彼女の悪夢の中で、自分が「イヒヒ~」と笑いながら狂気の犯罪をやってしまうシーンを何度か繰り返すべきではなかったか?

ダコタの演技は素晴らしかったと思う。

自分の手でやってしまったのか?と、彼女が感じる様子を、もっと上手く表現できれば恐怖感は増したはずである。悩み、いっそ自分は死んでしまおうかと考えるように描くのが観客の心をつかむのには必要であった。ちょっと演出が不足していなかったか?

管理人か友人の誰かを、いかにも怪しい人物として演出するのも手であったが、管理人の登場場面は少なくて、印象が薄かった。頻繁に登場する別な友人が必要だったと思う。その人物が、いかにも怪しい行為を繰り返し、観客は「ダコタちゃん、そいつが犯人よ!早くそいつから逃げて!あ~、何で気がつかないの?じれったい。」と思う。

ところが予想が外れる!今まで味方だと思って頼りにしていた人物が、ふと振り返ると実は犯人だった!ギョエー!・・・そんなパターンが有効だが、なぜか若干違うパターンを狙っていたようだった。そのため、驚きが軽くならなかったろうか?

犯人の最後も、やや物足りなかった。

観客が満足するのは、幸運によって助かったかのように見えるが、実は必然の理由によって助かる設定だ。例えば母親がくれた物が最後に役に立つなど、結局は愛情が必要だったのねという結論に導くパターンである。安易ではあるが、受けるパターンである。この作品では、それも排除されていた。

いろんな点で変った作品だった。

 

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