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2008年9月22日

英雄の条件(2000)

- 自衛隊派遣の条件は?  -

ベトナムのジャングルから物語はスタートする。二人の軍曹が部隊を引き連れて敵を探す。片方のトミー・リー・ジョーンズは待ち伏せにあって部隊はほぼ壊滅、もう片方のサミュエル・L・ジャクソンは、ベトコンの将校を捕らえて攻撃中止をしないと殺すと脅迫。敵が退却してくれて、あやうく全滅を免れる。

そして現在。ジョーンズのほうは事務方になって退役。ジャクソンのほうは今も現役。今日もソマリアの大使を救うために、大使館に突入する。しかし、敵のデモ隊に混じったテロリスト達によって仲間が殺され、ついに彼は女子供も含めて皆殺しを命じる。

やがて、虐殺に対して軍事法廷が開催される。テロリストが混じっていたことを証明できるか?敵が先に攻撃したことを証明できるか?かって、敵の捕虜を違法に殺したことはなかったか?攻撃は必須だったのか?

隊長の独断による虐殺に仕立て上げないと政府の責任になるので、政府は証拠を隠滅して罪をジャクソン個人に背負わせようとする。そのために敏腕検察官を呼んでくる。救出された大使にも偽証を強いる。いかにもありそうなことだ。

さて裁判が始まったが、ジャクソン被告は旗色が悪い。テロリストの存在を証明するものがないかぎり有罪が予想される。弁護人のジョンーズは必死に無実を訴えるが・・・。

フリードキン監督は生きていた。

この作品は思っていたよりもずっと奥が深く、考えさせられる内容だった。実際の戦地でも、似たようなことは多いと思うし、戦争以外でも、例えば会社の営業や病院の医療事故でも似たようなことは起こっていると思う。

原題のengagementの意味が良く解らないが、戦闘の意味か?雇用契約の意味か?どちらでも通用すると思うが、邦題のほうが断然かっこいい。

さて、この場合の戦闘の状況だが、デモ隊にとってはどうだろう?

たとえテロリストが混ざっていたとしても、デモ隊にとっては無差別攻撃は人道に反するとしか思えない。アラーの神がアメリカ人を殺せと言っていると説教されれば、デモをしながら石くらいは投げるのが普通だ。アルカイダが勝手にデモ隊にまぎれて発砲しただけなのに、いっしょに攻撃されたらたまったもんじゃない。皆殺しして無罪なんて、ありえない。

きっと、そんなふうに考えるのではないか?

あくまで軍事法廷であるので、軍隊の規則に則っているかどうかが問われた裁判である。そもそもアメリカの軍隊に所属しているだけで、人道的にはほとんど犯罪である。

私が隊長ならどうしたか?やはり最初は狙撃兵めがけて発砲するだろうか?きっと長時間の撃ち合いになって、その間に犠牲者が増えてしまう結果となり、戦略的には無駄が多いが、建物の下からの攻撃は致命傷にはなりにくいので、より危険な狙撃手めがけて撃つべきだと思う。

最初に下に向けて攻撃すると、向かいのビルからの狙撃の餌食になりやすいはずである。このへんは映画では触れていなかったが、明らかにおかしい。

また、このような作戦では制空権を支配するために、戦闘ヘリを上空に飛ばしておくべきだが、それなら向かい側のビルをヘリで先に攻撃すれば良い。破片などが飛び出したら、デモ隊は逃げるはず。

攻撃の方法はマズかったと思う。

銃撃が始まれば、本当の民衆は逃げていく。残ったヤツラは戦闘の意志があると考えていい。少なくとも、そう言い訳できる。現代では、何事も言い訳ができること、責任を取れることが必要だ。突撃ラッパを吹くばかりでは生きていけない。

医療事故の場合も似ている。

事故が起これば、自分は関係ない、知らない、あいつのせいだと言わんばかりの態度をとる者が多い。病院は、医者個人のせい、医者は看護婦のせいにする。いまだにカルテの改ざんをする輩もいるが、気持ちは解る。

医局の責任になっては具合が悪いので、お前が責任を取って辞職しろ、なんてことは多かった。心臓カテーテル検査で死者が出た場合は、必ず一人は辞職するルールがあったくらいだ。

しかし、責任責任と言いすぎると、結局は自信のない症例には何もできないことになり、たらいまわしの事例が増える結果になる。善意に基づいて標準的治療をした場合には、よきソマリア人として救われるような法律がないと、とても仕事にならない。

自衛隊が海外派遣されるようになったが、法律がおかしいので必ず無駄に死ぬ隊員が出るだろう。その後で、おそらく本格的に派兵して戦闘できるように規則が変わるように、なしくずしの事態を防衛省は待っていると思う。

しかし、危険にさらされる隊員は、たまったもんじゃない。攻撃してはいけないと言われて、敵の前に立たされるなんて怖ろしい。

もし反撃したら、先に撃ったんじゃないか?本当に銃撃は必要だったのか?女子供を撃ったんじゃないか?などと、細かく追求されるだろう。

子供のアルカイダ兵がいたら、もう終わり。撃たれて死なないことを祈るしかない。

 

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