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2008年8月24日

プライベート・ライアン(1998)

Photo - 作戦の意義は? -

軍のある上層部(将軍?)からノルマンディ上陸後のミラー大尉に命令が下る。その内容は、前線深くで戦闘中と思われるライアン二等兵を救出し、速やかに後方に移動させること。

なんでまた、そのような命令が出たかというと、ライアン二等兵の兄弟二人が戦死したため、家族の子供すべてが戦死したという悲劇で厭戦ムードを高めてはいけないという配慮か、純粋な思いやりか不明だが、一人だけでも生き残らせようという目的である。

ライアンを探して、戦場をさまようことになった部隊は、途中で戦闘になって仲間を失い、着いた先ではドイツ軍の反撃で全滅しそうになる。そんな中でも、捕虜になったドイツ兵を助けてやったり、村人を救おうと努力する兵士達であったが、そんな人道主義は戦場では命取りになる。

いよいよドイツ軍の戦車部隊が襲ってきて、激しい戦闘の中、仲間が次々と犠牲になる。さて、ミラー大尉とライアン二等兵は生きて帰れるのか?

この作品のタイトルは、これでよかったのだろうか?普通、プライベートというと、我々は「個人的な」とイメージしてしまう。自分も、受験英語で軍隊の階級を意味したこともあったかな?程度しか覚えていなかった。

したがって、もっと別のタイトルを考えたほうが良かった。「ライアン二等兵」「ライアン救出作戦」「ミラー大尉」「ライアンはどこに?」「ライアンを探せ!」なんか、どうだろう。(そんなアニメもあったか?)

作品のウリは、戦闘シーンだった。撮影技術は素晴らしかった。爆弾が炸裂して振動が伝わる様子、音響効果などなど、いろんな技術の積み重ねが実際に戦場にいるような恐怖感さえ感じさせるレベルに達していた。

水中を弾丸が走る様子も表現されていたが、おそらく何度もリハーサルをする必要があるだろうし、実際にそばで火薬を爆発させる中で撮影するわけだから、カメラマンも大変だったろう。しかし、カメラの位置をなるべく近くしないと臨場感が出ないので、決死の覚悟で臨んでもらうしかない。

ライアン二等兵を探すための部隊のメンツが良かった。個性的な役者を揃えて、存在感を出そうとしていることが解った。神様に祈りながら銃を放つ狙撃兵は、さながら聖職者のようなストイックな感じ。実戦経験が豊富な副官である軍曹は、たたきあげの兵隊の雰囲気が充分にあった。

そんな中で、マット・デイモンの演技には不満があった。

彼が自分の兄達のエピソードを話しながら噴き出す場面は、おかしなことを思い出して笑うことで、かえって悲しさを思い出させることを狙うシーンだが、エピソードが良くなかったのか、無理に笑っている演技力の不足のためか、いわゆるクサイ演技になってしまっていた。一般的には演技派と言われる彼なのに・・。

また、ライアン二等兵が後年、年を取ってからノルマンディーの墓地を訪れるシーンでは、CGを使って顔が老けるのを表現していたが、これには意味がないと思った。

多数の死傷者が出る戦場において、兄弟が戦死するかしないかなどは大きなことではない。例え兄弟が自分の知り合い、親戚であっても、救出のために部隊を派遣などしてはならない。そのために部隊に犠牲を引き起こすようなことがあったら、それこそ軍事裁判ものの失策である。

この作品でも、兵士達は呆れながら任務についていた。

恣意的判断は、日本の軍隊では特に多かったと思う。恣意的判断をされた、けど反対できない・・・という感情を持たれると、よほど強制されないかぎり、組織として機能することなどできない。戦う集団に、恣意的判断は禁物である。

今でも会社や官庁において、村社会のような仲間優先の意識がまかり通っている。汚職や天下りの弊害が全く改善されないところを見ると、戦前と今とで社会に対する我々の意識レベルは全然変っていないと思われる。

どこかの国と戦わなければならない時にも、組織の力を発揮できないことは疑いようもない。そんな状況があると、兵士達は許せなくてクーデターに出るだろう。古代の民主国家が専制政治に変る時はそうだし、かってのわが国でも、そうだったのではないか?

今後も、そんな歴史が繰り返されなければいいが・・・。

トム・ハンクスの部隊の犠牲は大きかったが、彼らのおかげで生き残ったライアン2等兵は、その犠牲の上に生き延びて、自分の家族を養い、社会に貢献もできた様子だった。我々も多くの先人の犠牲のおかげで生きているので、あまり過去の人を悪く言うことはしたくないと思う。

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