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2008年7月23日

潜水服は蝶の夢を見る(2007)

- 詩と絵画 -

驚くべきストーリー。

突然の病気で「閉じ込め症候群」になった主人公が、自分の周囲に起こることや、家族や友人への想い、後悔、その他をつづった物語。奇跡のような回復が訪れる夢物語ではなく、淡々とつづったという作風。

この作品には実際に病気になった作者が、瞬きを使って書いた原作があると書かれていたが、気が遠くなるような時間と手間をかけてコンタクトを取らないと本にはならないはずである。忍耐力に恐れ入った。

この映画は、家族で観ていいと思う。小さな子供には難解かも知れないが、きっと小学生くらいなら解る。恋人と観るのも悪くない。絵になってるシーンが多いし、詩的な表現が高級な雰囲気を生むと思える。

原題は、潜水服と蝶という単純なものらしいが、これを日本版のタイトルは‘夢を見る’という表現で非常に詩的にしていた。見事だった。

ロックド・イン(閉じ込め)症候群は、本では学んだことのある有名な状態だが、実際に確定した患者を見たことはない。脳卒中の症状のうち、限られた合併症だと思う。自分が見た卒中の患者さんは、ほとんどが意識障害を伴っていた。

通常の卒中の好発部位は、手足の片側にマヒが出る場所である。運動に関する神経と感覚に関する神経繊維がそばを走っている場所なので、同時にマヒと感覚障害が起こることが多くなる。

しかし、障害される場所が珍しい場所だと、症状も珍しいものが出ることはある。仮に手足の運動が完全に失われても、顔面神経や動眼神経の一部が無傷の場合は、マブタを動かすことはできる。大脳から外れた場所なら、おそらく意識は清明だろう。

要するに運動に関するほとんどの機能は失われるが、大脳自体は無傷なので、見た事や聞いたことは理解できるし、物を考え想像することも全く自由、瞬くこともできる。ただし話したり書いたりができないので、まるで牢獄に閉じ込められたような状態である。

有名なのは、作品の中でも話題になるノワルティエ老人で、モンテクリスト伯爵がエドモン・ダンテスと知って、すべてを理解して眼で激しく訴えられると、不気味で凄い迫力がある。言葉がでないと、かえって怖い。印象深い登場人物であった。

映画の語り口がバツグンに良かった。あまり感情たっぷりに描きすぎると悲劇的な面が重くのしかかって、観客の中には耐えられなくなる人も出てくる。また、淡々と描きすぎると、感動できない人も出てくる。そこらのバランス感覚が優れていた。

砂浜で子供達が遊ぶのを眺めるシーンや、時折挿入される風景などは実に美しく、印象的な絵のような効果を生んでいた。全体の風景の中で、どれくらいの大きさで家族を写すか、カメラをどれくらい引くかで観客の印象は全く変ってしまうが、詩情を失わないように上手く計算されていた。まさに絵画的、そして詩的であった。

私自身が同じ状態になったら、自分の現状を簡単に了解できそうにない。日々、涙涙の後悔かヤツアタリで荒れてしまうだろう。卒中になったが意識が清明の人は、うつ病のようになることも多い。当然だと思う。自由に意志を伝えられないことは、監獄に閉じ込められたように口惜しいことである。

気になった点もいくつかあった。

潜水服姿の主人公が何度か登場したが、最初は主人公が趣味でダイビングをやっているうちに、事故で病気になったのかと思ってしまった。潜水服姿の登場は、主人公の自由が失われたことを象徴するので、登場する回数には注意すべきだと思う。

回数が多いと、私のような要らぬ勘違いをさせるだけで、必ずしも意味がないとも考えられないか?象徴を重視しすぎると、シュールな作品になってしまいかねない。最初から登場させるのが得策だったか疑問にも思う。セリフの独白で「俺はまるで潜水服を着ているみたいだ・・。」と、何度か言わせてからでも良かったのでは?

また、飛行機の座席を譲ってやったために誘拐された知人が登場していたが、座席を譲る時は、もっと若々しい姿であったほうが自然ではないか?それに、彼に座席を譲る場面は、彼の最初の登場場面でいっきにやっておいたほうが良かったのでは?主人公の後悔が理解しやすくなったと思う。

とにかく、このストーリーを根気良く記録したスタッフに敬意を表したい。仮に日本の病院でこの状況になった場合、病院のスタッフが、患者さんとコミュニケーションを取ることが可能であろうか?時間的にも、報酬の面でも無理だろう。

根気を要する作業は、ボランティアでないとできそうにない。脳卒中の患者は急性期を過ぎたらリハビリ病院に移されるが、医療費抑制のために在院日数とリハビリ内容には厳しい制限が定められている。それに、スタッフの誰かが一人の患者につきっきりになってしまうと、他の患者さんにしわ寄せが来る。

おそらく作品のような患者さんが実際に発生したら、家族に通訳の作業の仕方を教えて、後は病院側は手を引くことになると思える。ボランティアの人が運良く見つかればいいが、そもそもボランティアの人の数が欧米ほどいないだろう。

構音障害(言葉を表現できない)の患者さんに対しては、我々も50音のボードを作って、指で文字を追って、患者さんが示したい文字を探す手段でコミュニケーションを取ろうとすることは多かったが、痒い?痛い?など、原始的な内容に限られていた。感情にかまっていられるほど余裕がないのだ。

ロックド・イン状態に限らず、脳卒中は悲惨である。予防のために禁煙し、血圧や血糖が上がらないように節制して欲しい。

 

 

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