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2008年7月10日

クジラの島の少女(2002)

Photo - 夢あふれる作品  - 

最近、故郷の村に帰ると、活気が失せているのに愕然とすることがある。

田舎の場合は、工場が誘致されたりしないかぎりは産業がない。昔は農林業で食べていけたが、今は農産物の価値が変っているので採算が取れない。どんなに精魂込めて米を作っても赤字になるような状況である。いきおい、村を出て都会で就職するしかない。若者はいなくなり、年寄りだけが残る。

家を継いだ同級生達は、たいてい生きるのに精一杯である。子供を学校に行かせる資金をどうするか?などと、頭の痛い悩みを抱えている。それは昔も同じだったはずだが、希望のなさは全然違う。将来、自分の子供に後を継いで欲しいとは到底言えない。ますます将来が厳しいとしか考えられないからだ。

私の知っている先輩達で村の商店を継いだ人達は、離婚率50%以上に達している。それだけ経済的に厳しいということだろう。人口がどんどん減るから、商売の工夫もしようがない。

村の基幹産業は役場、などというのは異常である。でも、最も安定した職場であり、銀行が融資話を持ってくるのも役所関係ばっかりというのが現実である。目先の公共事業にかまけて、村の将来の展望をできなかった住民や、そもそも住民の努力でどうにもならない状況に追い込んだ国の政策のツケが出ているように思う。

農林水産物輸入を自由化すれば、こうなることは当然である。一世代で対応できないほどの激しい経済的変化が起これば、当然破産や休業が頻発し、地域の経済ばかりか文化も破壊され、やがては村そのものがなくなる。

それは決して良いことではないと思う。産物を自由に輸出する権利は一見すると正当なもののように思えるが、‘自由な輸出≒集落の破壊’であることを無視している。文化や精神風土を破壊する権利があるとは思えない。

この映画のマオリ族の場合は、加えて侵略された歴史がからんでいるから、さらに深刻である。もちろん、絶えず迫害され、銃で追い立てられているわけではないが、イギリスからやってきた違う人種が国を形成して行き、自分達は小さなコロニーの中で細々と生活するしかないのは、希望にあふれる状態ではない。

独自の精神風土と生活基盤が失われる集落、少数民族の悲哀が根底にあって、抜け出せない状態の中、ロマンあふれる物語が展開された。傑作だと思う。

商業的に、どれくらい成功したのかは知らない。

大人しい描き方をしていたので、子供が観ても退屈するだろう。大ヒットする映画は、決まって子供も大人もスペクタクルで感動できる作品が多いので、そもそもこの作品のような静かな感動を狙う路線では、大のつくヒットは難しい。でも、それでいいと思う。恋人と観るのはいいかも知れない。特に女性は喜んでくれるのでは?

クジラによせる独特の想い、父と子の断絶、互いの愛情、アイデンティティなどを叙情的に表現できていた。スタッフにマオリ人が多かったからこそできたことだろう。演技は感動するほど上手いとは思えなかったが、本物のマオリ人たちが演じたことで、やはり本物を感じることができた。

加えて、少女の精神的な成長、それに伴う不安感なども織り込まれて、色気がでる直前の、あの時期の不思議な魅力が相乗効果を生んでいた。

沖縄あたりの漁村を舞台に、同じような物語はできるかも知れないが、同様のテーマの日本の映画は無理に喜劇にすることが多く、この映画のような雰囲気が出せない。客にこびすぎる感じが、かえって客をシラケさせてしまう。

我々に夢を見せることができた点で、この作品はよい雰囲気を出せたのだろう。

 

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