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2008年6月28日

リトル・ミス・サンシャイン(2006)

Little_miss_sunshine - 後味の良い佳作と思った -

家族が食事をしながら、またはドライブ中に会話をする中で、お互いの意見がバラバラなのが面白かった。「・・するのは負け組だ。自分は成功者の法則に従って・・する。」というのが口癖である父親に対しては、妻や子供達が顔を見合わせながら「ケッ、反吐が出る。」とでも言いたげな表情を浮かべる。その表情と、写すタイミングが素晴らしかった。

ここで登場人物を整理してみる。

まず、その父親だが、「成功の秘訣」に関する持論をテーマに本を出版して一儲けを狙っている。かってのアメリカでは多かった父親像だと思う。しかし実績がないので相手にされず、話はポシャッてしまいそう。持論を展開する度に家族からは、「また、言い出したよ。」という顔をされて、敬意を払ってもらえない。妻とは言い合いの連続。教育方針も何もかも意見が合わない。

演じていたのはグレッグ・ギニアで、何か不幸になるか失敗する役をやらせると実に上手い。思うとおりにならなくて、どこか弱々しく我慢する、無理を承知で何か方策を練るといった時に、バツグンの存在感がある。

自分の意見が周囲に受け入れられないための自尊心の傷や、焦燥感などを表情や、間の取り方などで表現するのが上手いのだろう。

妻は、映画の冒頭でタバコを手に運転し、イライラしていることが解る。どうやら年中イライラしている様子。家族の中では唯一、マトモに近い。しかし、夫とはことごとく意見が合わない。腹を立てて、呆然とした表情をする時の顔が実にリアルだった。私の奥さんと情けないくらい同じ表情だった。

長男は、航空学校に行くための誓いを立てて、半年間口をきかない。会話はメモを書いてよこすことで成立している。意志が強いと言えば強いが、そんな変な誓いを立てて、何の意味があるのかとも思える。家族に対しては愛情もある反面、あきれているし、反感がある。

娘は家族を愛している。父親にも好かれたいので、例の「成功哲学」に従って、努力をしたいと考えている。努力の対象は、可愛い子供のコンクールであるリトル・ミス・サンシャインに選ばれること。

おじいちゃんは、年甲斐もなくジャンキーで、かっての不良。老人病院で覚醒剤を吸ってるところを発見され、追い出されたが、今もクスリをやっている。平気でセックスをやりまくれと孫に勧める。子供とも言い争いが耐えない。

妻の兄は、かっては有名な学者だったらしいが、ホモの恋人を同僚に奪われ、職場からも追い出され、自殺未遂まで図った完全な脱落者。演じるのは「ブルース・オールマイティ」で主人公のライバルのアナウンサー役をやっていたスティーブ・カレル。あの時は奇妙な話し方で笑わせていたが、今回は学者風の全く違った役柄を、実に自然に演じていた。

このようなロードムービーは繰り返し作られている。

多くの場合は、この映画のようにお互いがお互いを理解できず、不毛な言い争いを繰り広げる設定が多い。そして、道中の事件をきっかけに完全に仲が破綻するか、もしくは理解が深まるというストーリーが多い。決まったパターンであり、この作品も筋が読めてしまったが、それでも場面ごとに見えるセンス、役者達の力量のせいか、十分に楽しめた。

私の家族も、しょっちゅう言い合いをしているが、なんであんなに低レベルのことでギャーギャー言い争いをしないといけないのか、情けなくなる。風呂に誰が一番に入るか?どこのスーパーに買い物に行くか?どの映画を観るか?何イ~、ドラえもんを観るくらいなら俺は行かないぞっ。なーんて、実にくだらないことでケンカしている。

私の子供時代は、親子、兄弟げんかをした記憶がほとんどない。兄達は私より5歳以上年長だったので、私は完全に甘やかされて育った。でも、自分が欲しいオモチャを取ったり、チャンネルの権利でケンカまではしなかった。多数決やじゃんけんでカタをつけていた。さすが戦後民主主義の成果!兄達が大人びていたということか?

親兄弟を尊敬していたというような大げさなものではなかったが、自然と一定の敬意は感じていたので、何かを取って来いと言われると素直に従うことが多かった。お互いのキャラクターによっては、こんなおとなしい兄弟関係になることもあるわけである。

敬意が自然に育つかどうかは、母親が父親を、父親が母親を尊敬し、お互いに態度で示すかどうかにかかっているような気がする。そのような姿を見て育てば、よほど方針が間違わない限り、子供の反抗は一定のレベルに止まるのではないか?

冗談めかしてでも、敬意に反するような態度を示したり、感情的になってレベルの低い争いをすれば、子供達も同じようなレベルで屁理屈をこねて口論のための論理を応酬して、不毛な言い争いを続けることになるような気がする。

かっての古い家長中心の家族関係では自由がなかった。しかし、宗教、家訓、何でもいいが、盲目的に従うルールがあったほうが、家族関係が壊れる危険性は少ない。今は自主的に生きられることはいいが、道を誤る危険性はより高いと思う。

どんな家庭環境でも、最終的に家族が互いに理解しあえればいいのだが・・。

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