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2008年4月18日

イージー・ライダー(1969)

Photo   - タメゴローはいずこ  -

この作品に影響された若者はたくさんいたらしいが、自分の世代よりひと昔前に公開された映画なので、当時のインパクトがどれくらいだったのかは解らない。が、田舎町にお盆休みなどで帰ってくる青年の中にも何か雰囲気をまねているような人がいたと記憶している。

自分としては、この映画で提起された問題よりも、広大な草原の中で、チョッパースタイルでバイクを走らせること、その行為自体に魅力を感じる。カメラワークが良かったのだろう。景色も素晴らしい。夕暮れに涙するのは日本人独特の感情らしいが、この映画はカメラマンがアメリカ出身でない関係か、叙情的な風景の写し方が日本的ですらある。

BGMも良かった。俺は自由だあ~と叫びたくなるような曲がそろっている。「ワイルドで行こう」の曲は時々ラジオで流れるので、子供の頃から知っていた。気持ちよくドライブする時、この曲以上に自由を感じさせる曲はない。でも、この曲をかけながら走ると、ついついスピードを出しすぎる傾向がある危険な曲である。

懐かしい手法を取っていた。ギター中心のBGMにのりながら、広大な原野を飛ばす光景は、日本の旅物語の場面にも必ず使われていた。いいかげん、うんざりするくらいワンパターンに使われすぎてたくらいだった。場面が切り替わる時に、次の場面のカットバックのような映像がチラチラ浮かぶのも、しばらく日本のテレビや映画で真似られていたように思う。

ジャック・ニコルソンが演技しているのを見て、何だかトム・クルーズの表情にそっくりだと感じた。もちろんトム・クルーズが真似をしているんだろうけど、あちらのほうで笑う人はいなかったのだろうか?今のジャック・ニコルソンは、ここまで派手な表情は取っていない。年齢と体型に合わせて、微妙に演技を変えているようだ。

原案を誰が考えたのだろうか?当時の制作秘話を読んでいないので解らないが、ピーター・フォンダか、デニス・ホッパーのどちらか、あるいは両者の合作であろうか。たぶん「荒野の決闘」をモチーフに、結果としては悲劇で終わることを最初から決めていたのではないかと思うが、途中のエピソードでアメリカの保守性、非開放性を表わす問題提起の力は充分にあったと思う。

あっけない幕切れは、今となっては盛り上りに欠けるとも取れるが、当時はあっけないやられ方が非条理な社会を表現するには最適だったかも知れない。

でも、ヤク中が好むような表現方法には今となってはついていけない。墓場で娼婦達と過ごすシーンは芸術的といえばそうだが、いかにも当時のやり方である。ラリッて訳がわからなくなってはいけない。噂によれば、本当のマリファナを吸いながら撮影していたのかも、とのこと。

この映画は、主にアメリカ人が見ることだけを考えて作ってある。「アメリカ人は、自由のために人を殺すが・・・自由な人を見るのが怖いんだ。」というセリフは、この映画のメインテーマだと思うが、東洋の島国なんぞを意識しながら作ったセリフとは思えない。でも、結構共通する問題はありそうだ。

今日ではアメリカがどうかよりも、アフリカがどうか、アラブ諸国がどうかのほうが、よっぽど人類にとって重要である。テロや、民族浄化などがない世界を作ることのほうが急務である。アメリカ人がラリッても、もう構わない。ハイになりながら婦女暴行をしないでさえいてくれたら構わない。

いわゆる”風紀”をどこまで自由にすべきか? 

自分としては、悪い影響がないかぎり自由であるべきだと考えるが、どこまでが悪影響がないと考えるかが難しいところである。長髪 → ヒッピー → フリーセックス → 麻薬 → エイズとなれば公衆衛生的な実害があり、絶対に阻止しないと困る。 しかし、この→のように短絡できるグループもあれば、いたって堅物の長髪もいるはずで、そんな彼は理不尽な扱いを受けることもありうる。それは間違っている。

しかし、堅物の長髪がいつ転向してバリバリのセックスアニマルにならないとも限らない。抑えてたものが吐きだされると、みさかいなくエイズを広めるかも知れないので、やはり怖い。自由な発想は、もしかすると自由な生活態度、周囲への迷惑を顧みない生き方に、いつなんどき変らないとも限らない。風紀はなんとなく、そのヤバそうかどうかの参考資料にはなる。あくまで参考だが。

見た目が気に入らないから撲殺してしまうというのは、いくらアメリカでもひどいと思う。でも、そんなやつらが多数派だとしたら、その社会を壊すことは良しとしない。そもそも銃をもつことが文化と思うと言うことは、殺人を普通と考えていることの現われだろうが、ならずもの殺人者集団が作った社会だからといって、完全に否定はできない。社会を壊すために、彼らを屈服させる殺人が必要になりそうだからである。

当時ヤケクソになってラリッていた青年達は、今どうしているのだろうか?定年を迎えて、若かった頃のバカなピッピーの猿真似を自嘲気味に笑っているかも知れない。自由を求めすぎて、年金の額が低くなって後悔している人もいるだろうし、完全に社会の保守勢力の一員になってしまった人モ多かっただろう。

タメゴローのような格好の人達は、今どうしているのだろう?荒野に置いてけぼりにされたのか?アパートで今も大麻を吸ってボロボロになっているのか?自然食に凝って健康を維持することができて、元気にやってるかも。

 

 

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