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2007年12月30日

フィラデルフィア(1993)

- 小津監督にささぐ?  -

「フィラデルフィア」では、登場人物が向き合うアップの画面が多用されていて、小津監督の真似でもしてるのかと感じたが、この手法はお互いに心が通い、信頼しあうことを表現する時には本当に効果的。この手法に加えて、様々にカメラの位置を変化させる、照明などを変化させるなどの細かい工夫をしていることが伺えた。

よくできた映画。家族や恋人で観ることを勧められる作品だと思う。いたって真面目なテーマなので、爆笑したい時には別な作品にしないとダメかも。

この監督は、「羊たちの沈黙」で気味の悪い映像を作っているから、いろんな手法を使う’手法オタク’なのかも知れない。カメラアングルも独特な気がした。どの監督も、程度の差はあれ、皆オタクだとは思うが・・。

敵対する弁護士達が本当にエイズのことを知っていたのかが、明確に描かれていなかった。ストーリーから想像するに、少なくとも彼らの誰かが調べてから解雇したはずだと思えたが、はっきり描かないのは珍しい作り方だった。

実際の事例でも、例えば裁判の陪審員のおかれた立場でもそうなのですから、この流れはリアルになる効果があって正解だったと思える。しかし、はっきりしないなんて嫌という観客もいそうな気がする。やさしいヒントがあったほうがウケがいいかも。

いくつか気になった点があった。

ラストでトム・ハンクスが横たわるベッドにデンゼル・ワシントンが座って話をするが、その脇で家族達が家族だけで話している。普通は自然にトム・ハンクスに皆の視線が集まりそうなものです。たぶん家族同志で話しながら、チラチラと病人のことが気になって目を向けるのが自然だと思う。

不必要に長いシーンもあったように思う。マリア・カラスの歌を聞くシーンは、主人公の感情や感性を表現する良いシーンだったが、トム・ハンクスを長々映さず、かえってデンゼル・ワシントンの背中や、レコードや遠景、影などを映したほうが観客のイメージが拡がるはず。トム・ハンクスの顔は時々チラッと見せるほうが良かったのでは?

歌に酔いしれているのかと思って、くるっと振り向いたら大泣きした顔だったら、本当に可哀そうな気持ちになるだろう。「こんな曲で感動すんなよ。」と、笑っていたデンゼルが、「笑ってすまない。」と、感じるのが普通の演出ではないかと思う。

エイズという病気に対する当時の認識の仕方がよく描かれていた。

研修医の頃、病棟に始めてエイズ患者の血液が持ち込まれた時は、正直言って一刻も早く立ち去りたかった。こんなの持ち込むな!と真剣に思った。患者さんに一度もさわることがなかった婦長が、「エイズ患者の看護」と題して講演したりするという笑い話のような本当の話もあった。

トム・ハンクスの演技は、確かにアカデミー賞のレベルだった。最近の彼よりも役柄の深刻さもあるのか、もっと険しい表情が目立った。初めて弁護を依頼しに来る時の半分ヤケクソで怒りを秘めた目つきは、病院の患者さんに時々見かける目でした。あの怒りは独特のものだ。

デンゼル・ワシントンの演技の仕方も、今とは少々違う。最近は、もっと鋭い目をしていることが多くなったような気がする。この作品では、結構にこやかな好人物、よくいる有能なエリート型に近い雰囲気で演じていた。

アントニオ・バンデラスが、今では考えにくい役柄で出演していた。ホモセクシャルの感覚は正直まったく解らないが、だから迫害することはしたくない。私が道を歩くギャルのお尻を見てにやけるような感覚で、同姓のお尻を見て興奮しているなら、たぶん私も同罪。迫害されたくない。したがって、ホモセクシャルを迫害したくない。

お尻をながめるのは、「自由だあ~!」

法廷でのシーンは、珍しい穏やかな雰囲気。今までの裁判ものは、決まって激しい口論、誘導尋問、意義あり!という叫び声の応酬で終始したものですが、この作品では節度を守り、時にはジョークをまじえる演説が目立った。

「宣誓して答えなさい。汝、目で姦淫したことはあるか?」

「うっ・・お尻を・・。(何て答えればいいのか?)」 

 

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