映画評

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2019年12月12日

ゴールデン・リバー(2018)

Thesistersbrothers_2018

- The Sistrers Brothers -

オレゴンの有力者「提督」の元で殺し屋稼業を遂行する兄弟の二人。彼らの新しい任務は、化学者を追跡し、金採取の秘法を聞き出すこと。しかし、思わぬ裏切りに遭ってしまう・・・DVDで鑑賞。  

マイナー路線の映画だったが、ジョン・C・ライリー、ホアキン・フェニックス、ジェイク・ギレンホールが共演しているところから考えて、まず駄作はありえないはず。そう考えてレンタルした。確かに、一風変わった西部劇で、価値ある作品だったと思う。ガンマンが今後の自分の人生について考える、その点が現代人にも通じる。

途中で「歯磨き」という行為を知るシーンが出て来る。あれは笑える。考えてみれば、昔の人達の口臭は酷かったろう。絶世の美女たちも、食ったらそのまま、虫歯も酷くて、凄い臭いの息をしていたのではないか?臭いは記録に残しにくいから、実際は分からないのだが。

監督はフランスの方で、その点も作品の特徴になっているかも知れない。ハリウッドの監督が作る西部劇にも作品ごとにいろいろな特徴はあるが、この作品の場合はちょっとしたセンスに特徴があって、旧来の西部劇よりもグローバルな感覚を感じた。自然の美しい光景を見て、どのように美しいと感じるか、会話の際の感情の移り変わりの表現をどうするかなどに、ほんの微妙な差なのだが違いがある。日本人には分かりやすい表現だったと思う。

でも疑問点はいろいろあった。そもそも、薬品で金を探り出すことが現実的とは思えない。この作品の性格を考えると、非現実的な方法は良い設定だと思えない。仮に何かうまい方法があったとしても、狭い池の中で使うのはおかしい。その範囲に多数の金塊があるはずはない。狭い範囲にあるなら、手作業で探したほうが手っ取り早い。普通なら川の流れを変え、上流で水を別なルートで流し、水量を減らしてから薬品を一気に流すだろう。 

ジェイク・ギレンホール演じる人物が、化学者と行動を共にするに至る心境の変化は、この作品の中で重要な点だっだと思うのだが、観客が納得できるような表現だったかどうか、ちょっと微妙に思えた。化学者が本当に能力のある人物と判断できること、人間的に信頼し、尊敬できること、自分が仕事や人生に行き詰まり、道を変えようと元々考えていたことなど、よほど上手く表現しないといけない。 おそらく化学者役に、もっと人間的な魅力が感じられたほうが、その表現には有効だったと思う。哲学者風の人物が良い。  

また、オレゴンからサンフランシスコまで旅をした兄弟なら、提督の手から離れようと思えば、テキサスやメキシコなど、もっと遠くに流れることも十分可能だったと思う。提督の側も、兄弟を追うために部下を無駄にしたくはないはずで、殺し屋が次々襲って来るのは無理のある設定だった。日本の暴力団が、抜けようとする幹部を追うのなら、狭い国だから何もおかしくはないが、荒野の中でいちいち裏切り者を探すのは効率が悪すぎる。

そして、追手の中に強力なライバルが欲しかった。兄弟と力量が近い手ごわい相手が迫って来るほうが、ラストが絶対に盛り上がったと思う。主人公らが傷つき、もうだめかと思った時に、幸運と工夫で逆転する・・・そのほうが絶対に感動できる。そんな常道からは外れていた。 

西部劇の時代に生きていた荒くれたちは、人生の後半をどのように暮らしたのだろうか? おそらく人によって様々で、殺されたり、酒場に入り浸って死んだり、どこかの農場に雇ってもらったり自分で商売を始めたり、それなりに考えて道を選んだことだろう。今の時代だって、転職したり、異業種に参入を試みる人は多い。劇場主も今後の事を考えている。とりあえず地震で傷んだ病院をどうするか、決めないといけない。

 

2019年12月 8日

トイ・ストーリー4(2019)

Toy-story-4

- Disney,Pixar -

人気シリーズの第4弾。今回は、新しい主人の女の子が幼稚園に行くことから新しい仲間の人形?が誕生し、彼を守るためにオモチャたちが奮闘する話。実に斬新な展開だった。どうやって、こんな展開にしようと決めたのだろうか? 

おそらく製作スタッフの間では、家の中や幼稚園の中だけで物語を作るのは無理という認識があったに違いない。 今まででも飛行場のベルトコンベアーやゴミ処理場の中でスリリングなアクションをやったり、場所を広げる工夫がなされていた。狭い場所での戦いでは、飽きが来てしまう。そこで今回は遊園地を舞台に考えたようだ。当然の帰結だろう。 

そして人間の御主人様を代えるかどうかも大きな問題である。少女が大きくなって、また他の子供におもちゃ達が譲られるのなら、このシリーズを永遠につないでゆくことも可能になるが、きっと観客の飽きを誘うだろう。御主人を代えて行く手法には限界がある。そこで、ある意味ではシリーズの終了をも意識して、主人公がお気に入りのおもちゃでなくなりつつも、御主人さまのために献身的に戦うというストーリーになったようだ。

それが正解だったのかは分からない。まだシリーズをつなぐ方法はあったと思う。 新たな敵を作れば良いはずだ。 内部では、そういった意見もあったかもしれない。シリーズ第三作と四作の間は9年も経っている。検討会が開かれなかったはずはない。意見がまとまった結果が、この作品なのだろう。では第五作は作られるのだろうか? また10年くらいかかるのか? 

この9年間、シリーズをどんなふうにつないでゆくのか、劇場主は興味があった。第一作は平成8年の公開だったそうだ。持ち主の少年のお気に入りの座をめぐって、主人公とライバルが争う話は、二人が協力して危機を乗り越え、仲良くなることが結末だった。第二作は、おもちゃマニアの業者によって仲間が売り出されるのを阻止するため、おもちゃ達が協力して戦い、結果として新しい仲間を得る話。第三作は、おもちゃ達が恐怖の託児所やゴミ収集車に放り込まれ、危うく焼却処分になろうとする展開。

いずれも、何かの偶然によって危機が訪れ、仲間たちの協力や諍い、裏切りや逆転勝利などの展開がありと、共通する流れになっていた。CGの技術が、作品が新しくなるほど進み、細かな点も自然に描かれていて、その点でも非常に興味を惹いた。今作でも、特に光沢の表現が素晴らしい。おもちゃの材質が分かる。

このシリーズは、我が家の子供たちの成長とも時期が重なっている。子供たちは繰り返し、このシリーズを観ているはずだ。もしかすると、家内が長時間の昼寝をしている間、時間を持て余して仕方なくビデオを見る羽目になっていたのかもしれない。その点を考えると、悲しくなってくる。子供達には可哀そうなことをしてしまったのかもしれない。 

この5年ぐらいは、我が家では誰も観なくなっていた。スピンオフのホラー版が出たが、子供たちは興味を持てなかったようだ。劇場主の感覚では、このシリーズは大人が観ても充分に楽しめる作品のように思うのだが、子供たちは嫌になるほど見せられたせいなのかもしれない。少し違う感覚でいるようだ。

第五作を、孫が観る日は来るのだろうか?その時、親は起きているのかどうか、そこが気になる。

 

2019年12月 4日

わたしたちが孤児だったころ(2006)

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- カズオ・イシグロ著・早川書房  -

カズオ・イシグロが戦前、戦中の上海を舞台に描いた物語。映画にはなっていないようだが、いかにも映画的な小説なので、ここに登場していただく。文庫本を購読。

この本はかなりの長編なので、読むのを敬遠していた。このところ、村上春樹の小説をシリーズのように読んでいて、ライバル?と言えるイシグロのことが再び気になり、購読するに至った次第。 

この作品は、他の作品と違って少し理解不能だった。訴えたいテーマもよく分からなかったが、記憶は、ひとつのテーマかも知れない。子供の頃の記憶が曖昧になることは劇場主もよくある。しっかりした記憶のつもりが勘違いしていたことに気づくまで、数十年にわたって間違っていたということも多い。主人公が勘違いや理解不足をどのように正して、真相に結びつくのか、そこを描いたのではないかと思うが、もう少し分かりやすく、鮮やかに表現できなかったかと感じた。 

戦闘中に母親を探すことも理解できない。時期をずらすのが普通だろう。もし本当にそうしたいなら、おそらく正式なルートを使って、日本軍に自分が侵入することを伝え、銃撃や拘束を逃れようと考えると思う。あるいは現地人に頼むかもしれない。土地勘の足りない人間が、砲弾が飛び交う中で移動するのは、映画的には盛り上がるだろうが、現実味を失うだけとも考えられ、好ましい設定ではないと思う。むしろ、戦争の直前の緊迫した雰囲気の中を設定したほうが良かったのではないか? 急いで現場に入ったが、探しきれないうちに戦闘が激化した・・・そのほうが自然な描き方だろう。作者の意図が分からない。  

主人公と社交界の花形の女性との物語は、良い物語になっていたと思う。なんだかロシアの文豪の小説のような、はかない運命を連想させて、小説の格まで上がりそうな感じがした。上流階級に属する女性が、夜な夜なパーティーに出没し、魅力を振りまくと、憧れや運命を心配する感情が起こってしまう。これは文学の影響が大きいと思う。かならず主人公の男はフラれ、女性は不幸な結婚をして病気で早世するのではと、なんだか期待してしまうのである。この小説で最も魅力になっている部分だろう。相手の女性に欠点が多々あり、主人公が振り回されることもお約束だが、女性の魅力を引き出していると思う。  

当時の中国の状況はよく知らない。軍閥が各地で勢力争いをして、日本軍に満足な抵抗をできなかったのではないかと思うが、あの時代の中国人は自分たちをどう考えていたのだろうか?「ワイルド・スワン」を読んだ時に感じたが、中国人の多くは、長いこと中国人としての意識が希薄になっていて、組織的な対応ができない状況だったのではないかと思う。満州族に支配されていたからだろうか? 国よりも一族のことが重要で、軍閥の主に自分の娘を差し出すなどで、一族が裕福になることを目指すという、まるで漢や唐王朝時代のような古いやり方が残っていたようだ。

日本も幕末になるまでは似たようなものだったのだろう。国単位の考え方より藩や家族単位の利害、誇りが最優先で、欧米のような侵略的考え方をする連中が来ても、団結して立ち向かうことができない。意識改革がまだできていない状況だったのではないか?

今の中国は逆に国家意識、党優先の思考が浸透している。過剰すぎる管理体制ではないかと感じるが、気を抜くとソ連のようになるから、党は何事も譲らないだろう。でも海外旅行や留学が活発になっているから、アホらしい党の命令に反感を抱く人間が増えるかも知れない。党が何かの対処を誤れば、怖ろしい瓦解が起こっても不思議ではない。香港の状況も、予断を許さないと思う。

 

2019年11月30日

寒い国から帰ったスパイ(1965)

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- Paramount-

リチャード・バートン主演のスパイ映画。東ドイツの情報部をワナにかける作戦に従事するイギリス諜報員と、相手側との駆け引きを描いた作品。ジョン・ル・カレが1963年に原作を発表した企画が、はやくも2年後には映画化されていたようだ。スパイ組織の非情さを描いて秀逸だった。

ストーリーにひねりが効いていて、ラストまでどんでん返しが繰り返されるようになっていた。よく考えられた展開に感心する。劇場主は「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」で、ル・カレの存在を知った。アイディア、二転三転する展開にいつも感心する。

スパイ小説には、もとからあまり期待するものがなく、007シリーズのような派手な映画のほうが観ていて楽しく、あまり暗い映画は好みじゃなかった。それは多くの観客もそうなんだろう、一般にアクション中心の映画のほうが、圧倒的に人気がある。騙し合い、静かな戦いを描く作品は、普通はマイナーな路線だ。この作品も、何度も繰り返し見たいと思うタイプではなかったが、そこは仕方ないかも知れない。 

静かな作品だった。流行りの映画のような血まみれのシーンはない。ほとんどの時間は、主人公が誰かと話し合い、敵を欺くために演技をするシーンが続く。乱闘もない。途中で恋人ができるが、どこまで意図して付き合っているのかはよく分からない。あるいは彼女も敵から送り込まれたスパイでは?という疑いも劇場主は持ったが、それは今どきの設定で、この作品では違っていたようだ。

当時、イギリスの一般女性が東ドイツに招待されるなんてことが本当にあったのだろうか? 普通なら身の危険を考え、共産圏には行かないと思う。喜んでスパイになろうと考えるのは、よほどな闘士だけだろう。普通は弱みを握られて、のがれられなくなるだけではないか? 当時の英国の知識人たちの考え方が分からない。 

また、作品の中に東ドイツで裁判が行われるシーンがあり、すこし驚いた。当時、東ドイツで英国のスパイが逮捕されたら、裁判なしでの処刑か、裁判になっても即決で終身刑だったのではないかと思っていた。でも確かに、共産圏でも体裁は要るから、裁判は必要だろう。主人公が裁判中にあまり緊張しているように見えなかったのだが、あれで良かったのだろうか? 実際はどんなものだったろう? 

そういえば共産圏での裁判は、どんな形で行われるのだろうか?本当に公平で民主的な裁判なら、たとえば共産党に害となる人物でも、違法性が曖昧な場合、無罪になる事があるのだろうか? 一党独裁の体制の場合は、党にとって害がある人物が許される必要はないといった考え方で、簡単に有罪判決が下りそうな気もする。そうすることで党からの裁判官の評価が上がるなら、理屈をひねり出してでも有罪判決が出そうだ。裁判所が党から独立できていたのかどうか、その仕組みがよく分からない。 

最後に主人公の人間性が試される場面があり、劇的なラストになっていた。でも、画面が暗すぎたし、少し人物の映り具合が小さすぎて、表情が分からなかった。今なら、悲しそうな顔をアップで写すのではないだろうか?

 

2019年11月26日

MIB インターナショナル(2019)

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- Sony -

クリス・ヘムズワース主演の新シリーズだろうか? DVDで鑑賞。侵略を試みる宇宙人に対抗して、MIBのメンバー二人が中心となって、世界各地で戦う話。

謎解きの部分があり、ラストでどんでん返しがあった。よく考えられた展開だと思う。しかし、どんでん返しが爽快に感じられるのは、主人公が圧倒的に苦しい立場に置かれ、長く苦しい戦いを経てのことが多い。時間配分の点で、問題があったかも知れない。

旧MIBシリーズは独特の雰囲気があった。主役のコンビの個性の設定が非常に面白かったのが、雰囲気作りにも影響していたと思う。偏屈でニヒルなKと、おちゃらけのJという個性の二人が、漫才をしながら怖ろしい怪物と戦い、人類を救うというのが大きな流れで、途中で出て来る宇宙人たちは気味の悪い連中か、あるいはキモカワ路線の個性的な面々。その個性でも笑えた。

敵を倒すときはクールに銃を放ち、たいていは気味の悪いバラバラ姿にしてしまう。シリーズ中の作品ごとの違いは、敵の個性だったり、二人のどちらかの運命だったり、ワンパターンのようで少しずつ設定が異なるというのがお約束だった。

いっぽう今回の作品は、元の設定も相当違う。新たなコンビを作って、今後もシリーズ化するつもりなのか、単発の作品だったのかは分からないのだが、最初の二人と比べて、今回の二人は個性のぶつかり合いが足りないように思えたので、次回作を作るなら、もう少し検討し直すべき部分がきっとあるだろう。

ヘムズワースのほうが女で大失策をやらかすのが原則だろうが、女MIBのほうもヘマをして、相棒を非難できない苦しい状況になるという展開も考えられる。あるいは、この二人のコンビニは早々に諦め、全く違った展開を目指すかどうかだが、全く違うと相当な企画力が要求される。どうすべきか、分からない。

今回の宇宙人の個性には、もう少し工夫が欲しかった気もする。二人組の魔人のような敵は迫力があり、笑いの要素を排除していた点で際立つ存在だったと思う。エッフェル塔を介して侵入しようとする宇宙人は、あのままでは面白くない。もっと狡さやしぶとさが際立つほうが良い。小柄で弱そうだが、どんな打撃にも耐えるとか、再生能力が高いとか、あるいは直ぐに乗り移って生き残るのでも良い。話し方もいやらしいほうが良かった。

 

2019年11月22日

危機と人類(2019)

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- ジャレド・ダイアモンド著 日本経済新聞出版社 -

フィンランド、明治維新時代の日本、クーデター時期のチリ、インドネシアやアメリカなどを題材に、国家の危機に際しての対応の仕方を論じた本。映画にはならない内容だが、テレビの特集番組の材料にはなりそうだ。 

日本人にとっては特に明治維新が大きく扱われている点で、分かりやすいと思う。そもそもの語り口も非常に工夫されていて、個々人が人生で体験する危機をまず述べ、それと同じような視点で国家としての対応を考える内容になっている。

フィンランドという国の立場は、劇場主も今まで大きく勘違いしていた。共産主義に勢いがあった頃は、ソ連の支配下にあって、何も主張できない国、形だけの独立を維持している小国というイメージを持っていた。日本も米国の支配下にあるので似たようなものだが、情報が少なかったこともあり、より支配度が強く、意見さえ言えない国だろうと感じていた。ソ連崩壊後はどうなっているのだろうか? あまり評判を聞かなかったが・・・・

いやはや、とんでもない勘違いだった。独立を維持し続けた、偉大なる国家だったと言えるようだ。生き残りに失敗した国も多かったのだから、フィンランドの生き延び策は称賛に値する。長期にわたって難しい対応を迫られ、それを切り抜けていたことに、あらためて感じ入った。

でも、フィンランドの位置がもっとドイツよりだったとしたら、おそらく策の如何に関わらず、エストニアやポーランド等と同じ運命になったと思う。ドイツとソ連の間の戦いに巻き込まれて、いかに素晴らしい政策を繰り出そうとも、覇権争いの場になったはずだ。少し位置が違っていたことが、生き残れた最大の理由ではないかと思う。ソ連にとって価値が低かったから攻撃の優先順位が下がり、攻める対象にならなかったのだろう。

それでも、抵抗することに成功し、綱渡りのような対応で独立を維持できた点は、本当に素晴らしい。 現代の日本も、見ようによってはそうかもしれない。無条件降伏という危機を乗り越え、米国の強い力の下にはあるものの、経済的に安定していて、戦闘がなくて安全な状態が長く続いている。

もし共産主義勢力の側に一時的にでも入っていたら、ソ連と米国の間の代理戦争の舞台になっていたかもしれない。そんな怖ろしい対応をとらなかったことが、結果的に幸いだった。右翼や政界、財界の先達に感謝しないといけない。 

今後は中国やロシアとの対応が問題になるだろうが、切り抜ける方法がないとは思えない。原則に従い、臨機応変に対応すべきだろう。かっての軍部のような過ちは、もう犯してはならない。 

インドネシアの例は、日本とも関りが深いから、興味がある。インドネシアへの日本軍の進出は、独立の機運をたかめる要因にはなったはず。スカルノの時代が長く続いたら、日本との関係もより深まっていただろう。人材育成などで協力ができて、今頃は中国に迫る巨大市場として、日本の経済にも良い相手になっていたかも知れない。でも、それが遅れたとはいえ、これからも発展しそうな国なので、単に交流のスピードが違っただけとも言える。

この作品の後編には、今の日本がかかえる問題点も述べられている。人口問題は、やはり負の要因と書かれている。普通に考えればそうだ。これだけ明らかな問題なのに、対処が先送りになり、しかも選挙で争点にならないのが非常に不思議だが、政党の能力不足、政治家や役人たちの意識の低さ、国民が国への信頼を失っていることなどが、問題解決の足を引っ張っているように思う。

11月17日のニュースで報道されていたが、アンケートで「政府を信頼する」と答えた人の割合は3割程度だったようだ。これは各種の統計で、およそ一致している。信頼されていなくても、とりあえず革命が起こる気配はないし、法律が無視されることも少ないから、国民の気質やモラルは大したものだと思う。

でも、信頼は大事だ。政府が利権や名誉など、自分たちの利益を度外視して、国民のために働いてくれているという姿を見せないと、見放されて何も対処しないという状況が続くだろう。真面目で優秀な人間が、選挙や人事で排除されていることを感じるようでは、大失敗が待つと予想される。問題点を認識し、分析し、優先順位をつけ対応する、その原則から外れている。

 

2019年11月18日

アラジン(2019)

Aladdin

- Disney -

ウィル・スミス主演のCG実写版アラジン。歌はアニメ版とかなり共通していたが、ダンスは最近の流行を取り入れており、少しインド映画も意識したような作り方だった。DVDで鑑賞。

CGの出来栄えは素晴らしかった。街並みや、その上空を飛ぶ絨毯の動き、風の抵抗の表現など、細かい部分の処理が丁寧で、観ていて無理が感じられなかった。ダンスも素晴らしい。インド映画とのレベルの違いを感じる。なんといってもディズニーは毎日パレードをやって鍛えられている会社だ。伝統が違う。 

設定に違和感は感じられなかった。大まかな点では伝統に従っていて、安心して観られる作品だ。この作品を劇場で観るのは、親子連れだけではないかと思うが、今の親子はウィル・スミスに満足してくれるだろうか? その点を少し疑問に思った。

たしかにウィル・スミスは順調にキャリアを重ねている。スキャンダルも聞かない。アクション俳優には違いないはずだが、コメディ俳優の要素も大きい。今回の魔人役は、コメディアンが演じるべき役柄だから、キャスティングはスムーズに進んだのかもしれない。でも劇場主の感覚では、ミスキャストではなかったかと思えた。微妙なところかもしれない。

おそらく、本来ならもっと肥満体の、悪役の顔つきの俳優が一番おかしく、魅力的に感じられるだろう。キャラクターとしては、いかにも無茶なことをやりそうな、乱暴者の雰囲気の役者が良いだろう。ジョン・ベルーシやジャック・ブラックのような体形が欲しい。ひねた個性を売っているロバート・ダウニー・Jrやジョニー・デップでも面白かったかも知れない。ラップ調の曲には合わないかも知れないが、歌が外れても、この作品の個性を考えると問題ないと思う。

あるいは有名俳優でないほうが良いかも知れない。その代わり、アラジンや王女役をアイドルにしたら良いだろう。アラジン役は、もっと背の高い、王子役をやれそうな役者のほうが良かったはず。そのほうが昔ながらのディズニー映画の雰囲気に近くなる。子供が喜んでくれることは第一の目標なので、子供受けするための配役、ストーリーにすべきである。少し、ピントがずれていたのかもしれない。

劇場主の記憶では、本来の物語ではランプの魔人と、指輪の魔人が出て来て、指輪の魔人のおかげでアラジンが戦える話だったような気がするのだが、映画用に設定が変えられているようだ。この作品を見る限り、魔人が複数出て来る必要はないかも知れない。そもそもアラジンの話は、もともとは中国あたりの話かも知れないそうだ。アラビアンナイトの原典に、この物語はないという。いかにもアラビアチックな話だが、途中で加えられた話らしい。

 

2019年11月14日

売り上げを、減らそう(2019)

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- 中村朱美著・ライツ社 -

佰食屋を展開する中村氏が、会社のあり方を紹介した本。売り上げを限定し、無駄を減らすことで、経営が安定し、職員の幸福にもつながるという内容。きっとドラマになりそうな気がするので、この劇場に登場していただく。

佰食屋は、食品業界における経営形態としては、かなり特異な形だと思うが、今日のように働き方に注目が集まっている時代では、学ぶべき点が多いと感じる。出版したライツ社が、これまた斬新で、出版関係者がたった4人で集まって始めた意欲的な会社らしい。きっと出版社も働き甲斐を求めて始めたんじゃないかと思える若々しい雰囲気。 

何かに特化し、昼だけ、あるいは夜だけ商売をする飲食店は多い。特化と限定は、佰食屋の専売特許じゃない。昼から営業する焼き鳥屋はあまり聞かないし、お弁当屋などは昼限定が多いと思う。もし一日中営業しても、それらの店の需要のある時間帯は限られているから、ほとんどの時間は暇になり、思ったほど売り上げを伸ばせない。自然と営業時間が決まっている。

でも、そんな店でも準備の時間が延々と続き、夜遅くまで掃除して、朝は早くから下ごしらえしてと、非人道的なくらいに時間を拘束されていると聞く。おそらく、焼き鳥屋は昼夜逆転の生活だろう。簡単に時間を短くすることができるなら、どこの店でも短時間労働にするだろうが、そんな楽な商売は滅多にない。激しい競争に打ち勝つために、営業努力を競う。

佰食屋の場合は、独特の商品を扱ったことで個性を出し、他の店舗が真似しにくかったというのが、成功の理由のひとつのようだ。直ぐに真似できる料理なら、たちまち真似されて売り上げも減って行くと思う。だから同じ手法はラーメン、焼き鳥、寿司では成り立たない。そんな個性のある商品が、次々と出て来るものかどうか? 滅多に出て来ないなら、この本の内容を参考にしても仕方ないことになる。  

売り切れ御免のスタイルも、饅頭屋やパン屋さんでは珍しくない。 美味しい食パンを目当てに遠くから人が集まる店の話はよく聞く。売り上げの制限は、佰食屋だけが成し遂げた奇跡ではない。  

それに世間は厳しい。大きな資本を持つ業者が、真似て格安の丼物を開発し、佰食屋を狙い撃ちにして競合させたら、さすがに資金力の勝負になって来るから、小型の店舗は維持できない。そんな業者が興味を持たないほどの、少額の儲けだからこそ今まで維持できただけとも考えられる。あるいは味覚と調理技術に優れた人間が、佰食屋のステーキ丼を参考にしながら、全く独自に斬新な焼き肉丼を開発したら、やはり厳しい競争になる。

そうなると、佰食屋が長期的に店を維持できるか、誰も分からない。数年後に、もしかして消滅していても不思議ではない。短期間の成功、発展だけでは評価できない。だとすると、この本の信頼度、説得力にも限界があるというものだ。

 

 

2019年11月10日

PROSPECT プロスペクト(2018)

Prospect

- Bakhorma LLC -

宝石を産出する惑星に降り立った父娘。しかし、欲に目がくらんだ父親は、盗賊たちに襲われてしまう・・・DVDで鑑賞。 

豪華な作品ではなかった。おそらく低予算の、マイナー系の映画だろう。出演していた俳優達は、すべて記憶にない人たちばかり。CGも少し使われていたかも知れないが、基本は普通の森林の中で、前面にモヤのかかったフィルターを通した映像に過ぎず、素人映画に近い雰囲気。でも、それなりの完成度を感じた。 

おそらく、ストーリーが自然で、予算以上の派手さを狙って無理をしていないことが良かったと思う。さらに、ヒロインと一緒に行動する男が狡くてタフな悪役だったことが、ストーリーを面白くしていたように思う。悪役の魅力が、作品の魅力になっていた。彼の個性をどう決めるかがポイントだったのだろう。  

もう少し悪役の程度を強めにしたらどうだったろうか? たとえば、何度もヒロインの期待を裏切り、自分だけ助かろうとしてしまうが、仕方ない事情でヒロインと彼は互いを許さざるを得ない。憎くて仕方ないが、相手を助けないと自分も助からない、そんな判断を繰り返す出来事が何度もあれば、印象はもっと強くなったと思う。

ヒロインと彼の立場の逆転が繰り返されると面白い。どちらが誰を味方につけるかで、有利になったり不利になったり、二転三転する展開は、物語の常道のひとつだと思う。この作品では、極端に立場が変わっていなかった点を、少し残念に思う。 

宝石の入手の仕方にも、工夫できた部分はあったかもしれない。たとえば生きている動物を捕まえ、悲しい叫びをあげさせながら体内から宝石を取り出すとしていたら、印象はもっと強くならなかっただろうか? よりグロテスクになるだろうが、象牙の入手方法はそんなものだから現実に大きな問題を連想させる。乱獲や動物虐待、種の維持に反する行為を、欲にまみれた人間がやらかすことへの怒りを、ヒロインに体現させたら、意味も変わっていたかもしれない。

さらに、もし作品にもっと予算をつぎ込めていたら、質はずっと上げられていたかも知れない。宇宙船の設備を意識的にオンボロに設定していたが、あれは逆効果だったように思う。高度な技術を平然と使わせるべきだった。ヒロインか悪役に有名な俳優を連れてきて、グロテスクな面を強調し、CGの技術で観客を幻惑すれば・・・たぶん、それなりに評価は高まったのでは? そんな作品も、過去にあったと思う。

 

2019年11月 6日

未完の資本主義(2019)

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- 大野和基著・PHP新書 -

資本主義の今後に関して、複数の経済学者、ジャーナリストらに質問した内容をまとめた本。著者御自身は、専門的な学者ではないようだが、英語の力を生かして、様々な領域をレポートしている方らしい。 興味深い内容だった。

でも、ふと思うに、なぜ劇場主はこのような内容の本を購読したのだろうか? 一介の医師が経済学の知識を培っても、その知識を使う場所はないと思う。株取引もしていないし、会社を立ち上げるような能力も、余った資産もない。資本主義がどうであろうと、その将来がどうなろうと、流れに流されるまま、ただ浮遊するしかないのではないか? 

劇場主に限らず、たいていの人がそうだろう。社会のシステムをいじれる人は限られている。知識があっても、それが行動に結びつく人は少ないはずだ。劇場主が深く学習できたとしても、周囲から浮いた感覚を持ちながら、独りよがりにしか見えない感覚を持ちつつ、疎外感を感じながら生きていくしかないだろう。なんだか、不幸な感覚を持つために頑張っているような、損した気がしている。

それでも本を読むのは、やはり知識欲のゆえだろうか? 経済面の知識、観念は、人の生き方に影響すると思う。資本主義をどう考えるかは、場合によっては人権への意識、倫理感、生き方そのものに関わる場合がある。 

かって共産主義にのめり込んだ人達は、資本主義の悪い面に義憤を覚えただけの者も多かったと思う。共産主義のことをを詳しくは知らずに、命を賭けた連中も多かったはずだ。彼らは、資本主義を肯定的にとらえる人物は人道に反する悪い奴らだと、きっと考えていただろう。義憤が強すぎて、大量の粛清者を出したり戦争をしたりも、当然のこととされた時期もあった。資本主義は殺しの理由になる。

ただの経済的ルールが、生き方に関係してくるのは、まぎれもない現実だ。正しく生きるためには、経済のことも学ぶ必要があるのではないか? そんな微かな善き心がけから、ついつい買ってしまうのであろうか?しかし、正しく生きるのも大変なことだ。購読が役に立てば良いのだが・・・  

印象深い示唆がいくつもあった。何となく感じていたことが、自分だけの印象ではなかったと分かる。所得を保証することは、素晴らしいことかも知れないが、危険な賭けになると思う。安定した地域なら、良い面だけが出るかも知れないが、景気後退の時代に導入したら、経済を破綻させることはないだろうか? 

そして、この本に書かれていた内容は、まだまだインパクトに欠け、不十分な面があると思う。歴史的に考えると、イタリアあたりで始まった商取引の契約習慣が、スペインやフランス、イギリスへと覇権が移る中で、様々な法律や習慣が総合されて資本主義として成立していると思う。力のある地域がルールを決めたはずだ。

覇権が移れば、ルールも中心地域も変わるはずで、たとえば将来は中国共産党が定めたルールに基づいて、世界中の取引が行われなければならなくなる可能性は高い。民主主義とは違う方法でルールが決まるだろうが、もともと資本主義は民主的とは限らないのだから、何も不思議ではない。米国の資産家たちの意見で決まっていることが、共産党の方針で決まるようになるだけの話。もし本当にそうなると、資本主義の印象も変わって来ると思う。

覇権がどこに移るかは、様相を決める大事な要素だと思う。その観点が大きく抜けていた。

 

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