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2019年10月13日

海辺のカフカ(2002)

Kafka-on-the-shore

- 村上春樹著・新潮社   -

家出した少年と、知的障害の老人、彼らを取り巻く人々が時空を超えて関係する不思議な物語。文庫本(2005)を購読。

この作品は舞台で何度も上演されているそうだが、映画になっているかどうかは知らない。劇場主は騎士団長殺しで村上作品に興味を持ち、その流れで過去の作品を色々読んできたので、流れのままに、この作品も劇場に登場していただいた。

この本も相当な厚さがあり、読み終えるのに1週間ほどかかった。できれば連休など、時間がある時にいっきに読んだ方がいいのだろうが、この作品は別個な物語が章ごとに、およそ交互に進んでいるので、切れ切れで読んでもなんとか話は通じてしまう。その点で、短編集と同じような読みやすさを持つ作品と言える。 

しかし、ここまで色々な作品を読んできて、村上作品の特徴でもあるパラレルな話の進行の仕方、異常な世界に迷い込む展開、人間以外の者や化身の類、残虐な悪魔のような存在が登場する話に、劇場主は少々飽きてしまった。村上ワールド、独特の世界と言えばそう言えるが、ワンパターンと言えばそうとも言える。他の描き方も、あって良かったのではないだろうか? 

普通、同じパターンで作品を作っていると、作者本人も飽きて他のパターンを試すと思う。二度と同じパターンを使わない人だっているだろう。そうなっていない理由は分からないが、あまりに繰り返されるので、作者の意図に疑問を感じる。 推理小説や怪奇小説に近い雰囲気も、他の作品と共通している。ノーベル賞を取る作品は、少し違った高尚な雰囲気のものが多いような気がするが・・・ 

戦時中の事件も繰り返し出て来るし、大きな事件を連想させる出来事も、よく出て来る。 オウム真理教の事件はIQ84に、東日本の津波は騎士団長殺しと関連している。海辺のカフカには、学生運動末期のリンチ事件が関係しているようだ。理不尽で悲惨な事件に対して、村上流に理解し、文学で表現しようというのが、氏の基本テーマなのかもしれない。それは時代を代表する小説家の義務とも言える。問題が発生すれば、言語を生業とする専門家が、文章で表現しないといけない。当事者や政治家、評論家達の言いなりではダメだ。 

魅力的な人物がいろいろ登場している。人物に特徴があるので、奇怪な物語であっても興味を失わずに読み進むことができた。個性の設定も、描き方も素晴らしい。その中でも、知的障害者の老人は最も重要な存在のようだ。

戦時中の奇怪な事故で障害者になったといっても、それが必ずしも戦争の悲惨さを訴える意味ではないようだが、異常な時代を舞台にすることで、謎を謎のまま残すことができる。戦時中は理解不能の事件も多かったはずだ。重苦しい軍部独裁、過剰な精神主義、情報管理され経済的にも余裕のない、今から思えば理解不能の時代だが、理解不能な人物が登場するにはふさわしい。 

学生運動がさかんな頃、劇場主は子供だった。浅間山山荘事件は、ちょうど高熱で寝ていたので、中継をテレビで見れた。活動家たちがリンチをなぜやらかしたのか、分かるような分からないような、妙な印象だった。小学校にも妙に高圧的な上級生はいたから、自分の命令に従わないヤツは許さないという動物的な感覚が、集団心理を生んでしまうのかな?と、理解したようなしてないようなレベルで終わってしまった。

当時、同世代で生きていた人達の感覚は違うだろう。共感する部分、古めかしい感覚の大人たちへの失望、怒り、時代が変わらないことへの焦り、そんなものはあったに違いない。劇場主も子供なりに怒り、焦っていた。大人の世界は妙だ。このままでは早晩、正しい戦略を持つ連中に圧倒され、唯々諾々と圧力に屈しないといけなくなる、そう感じていた。常に改革し、変化に対応しないといけない。でも、今日でもそうできていない気がする。

オイディプス王の話は、どのような意図で作品に使われていたのだろうか? 実際に自分の子供に呪いをかける親は滅多にいないだろう。でも呪いの言葉をかけられた少年なら、家出しないわけにはいかない・・・そんな必要性から使われた設定かも知れない。効果的だったと思う。

ただ、この作品の文学的価値については、よく分からない。日本人の心の問題、歴史の問題、時代や事件に関しての認識に、どのような意義を持っているのか、それはノーベル文学賞に値するかどうかにおいては大事な判断材料になると思う。村上春樹の小説は独特な作風のせいで、その判断が難しいように思える。ひょっとして、まったく賞に値していない可能性もあると思う。

 

 

 

 

2019年10月 9日

バジュランギおじさんと、小さな迷子(2015)

Bajrangibhaijaan

- カビール・カーン監督、Eros international -

インドとの国境付近で迷子になった少女は、ある男とともに故郷を目指すが、国境警察が彼をスパイと勘違いし、追われることになる・・・・DVDで鑑賞。

アクションスターのサルマン・カーンが自ら主演し、製作にも関わった作品。サルマン・カーンを観るのは初めてだったが、有名なボリウッド・スターだそうだ。怖ろしい額の出演料を取っているので、製作にも乗り出せるのだろう。

起承転結がはっきりした素晴らしい作品だった。まず、高原地帯の風景が素晴らしい。ハイジのような可憐な少女が現れるのも当然の感じがするほど、美しい光景だった。そしてヒロインの少女役も素晴らしく可愛い。表情も良かった。 

いきなり歌と踊りの大演舞劇が始まるのはインド映画の特徴だが、慣れてしまえば気にならない。ハリウッド映画のような洗練されたダンスでないのは確かだが、笑いのためのダンスと考えるべきだろう。どんな経緯でインド映画にミュージカルシーンが入るようになったのか、誰か解説できる人はいるのだろうか? 

主演のサルマン・カーンは、日本人の感覚から言うとオーバーな演技が目立ち、動作もそんなに美しくはなく、何が魅力なのか分からなかったが、今回の役柄は非常に素晴らしい。共演者たちも、ほとんどがオーバーな表情をしているように感じられたが、おそらくインドのような国では、様々な人種と文化が混在しているから、微妙な表情では観客の感覚の壁を越えて理解させることは難しく、分かりやすさを優先したオーバーな演技が必要なのだろう。そう考えれば、よく演じられていた。 

この作品は有名な脚本家のアイディアによるらしい。実話が題材になったわけではなく、まったくのフィクションだろうと思えるが、テーマが素晴らしいので、夢があふれ、心が和む作品になっている。  

舞台のひとつとなっているニザームッディーン廟のことは全く知らなかった。ニューデリー近郊にあるらしいが、もともとはイスラムの聖人を祭る聖地らしく、イスラムとヒンズー教徒が混在していた時代に、双方から信仰を得て、今もムスリムの人達が国境を越えて訪ねて来ているらしい。インド人とパキスタン人の間で、よくトラブルが起こらないものだが、聖地ということで双方が自重しているのだろうか?ハマヌーンという猿型の神様も、実際に信仰を集めているようだ。  

つい最近も、インドがカシミール地方の自治権剥奪行動を起こした。意図はよく分からなかったが、パキスタンや中国の政情に関して何かの判断があって、今動いたら有利だという時に行動を起こしたのだろう。米中がもめている時に、中国は軍事行動を起こせない。かっては中国が準備を整えて侵攻してきた時代があった。現場の感覚と中央部の判断が合致したら、互いに攻める状況が続くのだろう。その際に人道的な面は、おそらく気にされることはないだろう。

 

 

2019年10月 5日

セルジオ&セルゲイ 宇宙からハロー!(2017)

Sergio-and-sergei

-MEDHIAPRO-RTV Commercial-ICAIC-

ソ連の崩壊によって宇宙ステーションに取り残されたセルゲイ飛行士と、経済的に困窮するキューバの大学教授は、ともに無線の趣味を持っていて通信がはじまった・・・ DVDで鑑賞。

モデルとなったセルゲイ飛行士は、実際にもソ連崩壊の前後の機関、宇宙に滞在していたらしいが、単独の任務ではなく同僚もいたようだ。まったく取り残されたわけではない。しかし、滞在期間が延長されたのは本当だそうで、精神的に不安だったのは間違いない。

彼が本当に地球の民間人と交信していたのかは分からない。宇宙ステーションには機密事項も多かろうから、勝手に外部と通信するのはルールに違反しているように思うが、何かの理由で許可されていたのかも知れない。いずれにせよ、この作品は事実関係を詳細に追うタイプの映画ではなく、何事も過剰に制限され、自由と豊かさが損なわれた社会を皮肉交じりに描くことが目標だったと思える。かなりのフィクションが混ざっているから、あくまで娯楽作品と考えたほうが良いだろう。 

アイディアが良かった。宇宙飛行士と地球との通信には夢がある。しかも、キューバの窮屈な社会で、監視された人間が隠れて行動するという設定には、観客をハラハラさせる効果がある。監視する人間のキャラクターによっては、怖い映画になる場合もあるはずだ。この作品ではしつこいが、どこか迫力に欠ける人物が監視役になっていた。監視係の側も機材が不足していて、自分で自転車の車輪を回して発電しているところが笑わせる。計画停電が多かったはずだから、実際にそんな諜報係がいたのかも知れないが、あの設定が作品の雰囲気を決めていたのかもしれない。その監視役は、ラストで大いなる旅に出てしまうが、さすがにやり過ぎだったような気もした。

主人公の大学教授役はトマス・カオという俳優が演じていたが、特別に演技が上手いとは感じなかった。でも、実在感のある俳優だった。脇役に良い雰囲気の俳優がたくさんいた。米国の末端諜報部員を演じたロン・パールマンは、独特の風貌をした俳優で、アクションもののTV映画の宣伝で見たことがある俳優だが、今回は全く違った味のある演技をしていた。 

主人公の家庭の生活費が足りない中で、質屋に物を持って行ったり、密造や内職に精を出すシーンを、興味深く観た。封鎖の中で生きる人達は、盗みを働いてでも、何とか生き抜こうと工夫をこらすことだろう。 つい最近まで、日本でもあった話だ。今の日本はたまたまグローバル経済の恩恵を受けているが、戦前は封鎖を受ける側だった。物を作って輸出して成り立っていた事業が、金融取引を止められるだけで成り立たなくなってしまうと、会社はあっさり倒産させられることになる。いかに努力、工夫して物を生み出しても、その努力が報われなくなるなんて、その会社の人間の情けなさ、怒り、悲しみには想像を絶するものがある。 

大がかりに産業を破壊され、町の経済の構造や規模を変えられてしまうと、戦うか降参するか、ただ耐えしのぶしかない。戦争への誘惑が忍び寄ってくることだろう。米国相手だと、勝ち目のある国は当分の間はない。イランなども酷い状態らしいが、耐えられる限り、耐えているのだろう。 中国も、今は厳しい攻勢をかけられている。だが、中国は市場規模が大きいので、耐えているうちに米国の攻勢に免疫を得る可能性はある。封鎖が不完全になれば、米国流の攻撃も力を失うはずだ。中国が耐えきったら、他の国は中国に支援されて乗り切ることを考えるから、経済封鎖という手段は使いにくくなる。

 

2019年10月 1日

ねじまき鳥クロニクル(1994)

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- 新潮文庫・村上春樹著 -

専業主夫の主人公は、飼い猫と妻に出て行かれてしまう。妻の行方を捜す中で、奇妙な占い師、高校生、怪しい姉妹などに翻弄されてしまう・・・・文庫本を購読。今回も、「騎士団長殺し」を読んだついでに、興味を持って買った次第。この作品は舞台化されるらしい。したがってビデオ化される可能性は高いし、映画化されるかもしれない。

かなりの長編なので、一日ではとても読めなかった。もともとが三部作になっていたようで、そう言えば表紙をどこかで見かけたような気もする。奇妙なタイトルだなあと、その時は思ったはずだが、読むまでには至らなかったようだ。専門書や学会雑誌を読むのに苦闘していたからだろう。  

この作品も怪しい雰囲気が全編を覆っている。変な通り抜け体験が出て来るし、地下にもぐって瞑想するなど、何かトラウマを感じさせる行動を主人公がやるのは、もはや村上作品のお約束になっているのかも知れない。 トラウマと言えば、戦時中の出来事は村上氏のトラウマなのではないか? 様々な作品に戦時中のことが出て来るし、恐ろしい行為、悲惨な運命が作品のストーリーに重い影を落とすことが多いから、きっとそうなんだろう。

もっとも、第二次大戦を経た国々の人間は、戦勝国も敗戦国も、戦時中の残虐行為に関してトラウマを持って当然と思う。能天気に「平和になって良かったね」だけでは済まされないような、背筋も凍るほどの殺傷事件はたくさんあったはずだ。それを忘れてはいけない。再発を防ごうと思うなら、トラウマになって当然と言えるだろう。無神経に普通の国を目指す、領土のために戦争を辞さないなどと発言する人間は、人間性に欠けており、鈍感なのだ。 

主人公のキャラクターに関しては、読者を説得できるだけの描写が足りない印象を受けた。こんな人間いるよなあ、こんな気持ちは自分も感じることが多い、そんな描写を散りばめていないと、主人公が仕事を探す気にならないことや、危険を顧みずに冒険に出ることを理解するのは難しい。だから、もっと強いこだわりを子供のころから持っていて、周囲の人達と衝突して来た個性であること、そこを矯正したいのだが、どうしても我慢できないで危険な目に遭うといった、やむにやまれぬ性分のようなものが描かれたほうが良かったと思う。

幼少時のことがカギだった。何かのこだわりのせいで、自分の親や先生を困らせて来たことなどが、もっと描かれるべきだろう。その感覚が、誰でも感じたことがあるような、普遍性を持つものなら一番だ。 それにラスト近くで主人公の推理が当たり過ぎているような気もした。唐突に出て来る内容に驚いてしまった。もっと勘違いして間違っていたほうが自然だろう。   

「羊をめぐる冒険」「騎士団長殺し」とは共通する部分が多い。戦時中の出来事が作品のストーリーに影響していることは間違いない。悪意に満ちた人物が戦時中には暗躍しており、今作では、それによって後遺症に苦しむ元兵士が書いた手紙が、主人公の運命を解読するための参考書になっているようだ。

旧満州時代に不幸な目に遭った人達への哀悼の意図は、この作品の根底にあるに違いない。劇場主の周りにも、満州からの引揚者は多い。家族を失って帰郷した親戚のおじさんもいた。 最近亡くなられた患者さんは、ソ連に抑留され、思想教育を受けた経験を語っていた。抑留や拷問という行為は、犯罪にはならないのだろうか? 法的に正当な理由があろうと、道義的には許されない。人権意識の薄い連中でないと、とてもできることではない。  

ソ連側も日本側も、悪意に満ちた人間は多かったと思う。戦場では理性もへったくれもなく、凶暴になった連中が自分の事しか考えずに残虐な行為をやり合ったに違いない。劇場主だって満州に放り込まれたら、味方以外は全部殺しの対象と考えたことだろう。そうしないと、生き残れないはずだ。 

そんな状況に人を追い込むことが、諸悪の根源である。しかし、そういう流れを作る人物はどこにでもいる。この作品では、ソ連の諜報機関員ボリスと、日本の政治家である綿谷昇が、そんな能力に長けた人物として描かれていた。両者とも、魅力的な・・・というと語弊があるが、目立つ個性の悪役だった。社会の仕組みや人間の感情、怖れなどを利用して、自分が有力者になって敵対者を排除したり、危険な場所に追い込んだりする、そんなことに熱中できる人間は少なくない。

そんな人間に喝采を送る人々だって多い。自分の利益に結びつくなら、誰でも喜んでそうしてしまう。支持した人がどれくらい悪意に満ちているか、後にどのような結果をもたらすのか、普通の人間は想像することができずに、簡単に騙されてしまう。だから、そんな人物に用心するよう、常に注意を怠ってはいけない。特に近年はSNSの技術などによって、派手な言動に注目が集まり、雰囲気に流されて政治家を選ぶ傾向が強い。権力を握った人間が悪意に満ちていても、気づかれないまま、破滅へと導かれる可能性はある。そんなことへの怖れも、この作品のテーマだと思う。

 

 

2019年9月27日

シャザム!(2019)

Shazam

- Warner Bros. -

DCコミックで古くから掲載されてきたキャラクターの実写映画化作品。魔法でスーパーヒーローになった少年が家族と協力して悪の軍団に立ち向かう話。DVDで鑑賞。 

主人公のキャラクター設定が素晴らしかった。母親に捨てられて傷ついた心のまま成長し、周囲の人々に打ち解けることができていない。その点で、まず共感を得やすいと思う。それでいて正義感にあふれるところや、生真面目ではなくて警察を出し抜いたり、悪さもする。好感を持ちやすい要素をそろえていたようだ。

しかも、変身してヒーローになっても、子供らしい遊び心はそのままで、イタズラして失敗したり、自分の能力に有頂天になったりする姿がおかしい。このキャラクターに加え、ヒネたキャラクターの兄弟がいて、二人の会話が漫才のようになるので、余計におかしい。この二人のコンビが素晴らしかった。 

また敵のキャラクターも素晴らしかった。主人公らと正反対に、笑いの要素が全くないコワモテのキャラクターで、幼少時の体験でヒネてしまっており、戦闘力でも主人公を圧倒しているので、敵役として完璧だった。こんな作品が今まで映画化されなかったのは不思議な感じもするが、おそらくマンガ雑誌の中での人気が一時期よりも落ちていて、キャラクターとして古かったせいだろうか? 

しかも、CGの技術が進んできたことによって実写映画化も可能になるのであるから、その時代に人気があるものを、まず映画化するのが常識的な考え方だろう。わざわざ古いキャラクターを復活させるのは無理がある。だから遅れたのかもしれない。 

この作品の登場人物たちの多くは、紅毛碧眼タイプではなかった。人種で言うと、WASPとは少し違う人達が中心。もともと主人公はプアホワイトの出身のはずだから、原作の設定でそうなっていたのか、映画関係者が意識的にそうしたのか知らないのだが、おそらく誰かが意図してそのようにしていたのだろう。それが成功していたのかは分からない。 

CGの技術に関しては問題なく、アクションシーンにも迫力を感じた。しかし、最近の作品はどれも高度なCGを使っているので、もう少し戦いに斬新さが欲しかったような気もする。ヒーローと怪物たちの戦いに、決定力のようなものが感じられず、ただ組み合っているだけのような印象も受けた。そのへんの検討も、不足していたかも知れない。 

 

 

2019年9月23日

むらさきのスカートの女(2019)

Asahi

- 朝日新聞出版 -

ホテル清掃業に従事する主人公は、近所の女に興味を持つ。こっそり彼女を誘導し、自分の職場に勤務させ、親密になろうと考えるが・・・ 雑誌の文芸春秋上で掲載された作品を拝読。本は朝日新聞出版から出ているらしい。 きっと映画化されそうな気がしたので、この劇場に登場していただく。

著者の今村夏子氏は実際にホテル清掃に従事していたことがあるそうで、職場の実情には詳しいと思える。ただ、ホテル清掃をしながら小説家を目指すという生き方は、劇場主には理解し難い。なんとなくだが、図書館員などが望ましい気がする。何かのバイトをしないと生きてはいけないが、正職員になってしまうと時間がなくなるし、モティベーションも下がって普通のOLになる、そんな理由から、あえてバイトを続けていらしたのかも知れない。

作風や主人公の個性は、「コンビニ人間」と少し似ているように思う。両作ともヒロインは仕事をこなしていて、恵まれた経済的状況とは言えない。結婚を意識している様子でもない。おそらく、そんな余裕はなさそうだ。ただし本作の場合は、ストーカー行為をやらかしているので、より病的な印象があり、最後には犯罪めいた行為をやってまで、紫のスカートの女と親密になろうと考えているようだから、人物像はずいぶん違う。

ストーカー女の考え方が面白い。人に面と向かって意見できるような性格ではない様子で、影の薄い、目立たない人間であることも的確に表現されていて、俳優が演じると面白そう。怖い喜劇になるだろう。ぜひとも上手い女優さんに演じてもらいたいものだ。 

紫のスカートの女の変貌にも興味を持てた。化粧っ気のない女が化粧をするようになり、恋人もできて、職場では高く評価されたり、嫌われたり、その変化は自然に思えた。実際に作者が職場で経験された事例があったのかもしれない。 女に対する職場の人間関係の変化は、よくあるパターン。慣れない間は先輩から世話をされ、心配もされて、仲良くもなれるが、何かの欠点や待遇のちょっとした違いに気づかれると、その面が強調されて急激に反感が生まれる、そんなことは良くある。

劇場主自身も、職場で孤立する傾向があった。公立病院に勤務することが多かったから、公的病院によくある馴れ合い関係、公務員的態度に不満を持っていた。過剰なサービスを求めると、他の職員は困る。抜け駆け、独断、協調性のなさ、卑屈なサービス精神、過剰な潔癖性。そんな態度は民間でやってくれ、一人でやれよ・・・口に出さなくとも、そんな視線を感じる。自分が満足したいという精神衛生上の理由のために、同僚との協調性を欠いた行動をとっていたのは事実だ。反論できない。

だが、退職後に元の勤務先を訪れると、管理者が代わって怠慢だった多数の職員がいなくなっていた。おそらく、あのままでは病院として成り立たないと判断されたのだろう。劇場主が感じた問題点は、管理者側、利用者側から見るなら当然のことだったのかもしれない。

 

2019年9月19日

オズランド 笑顔の魔法教えます(2018)

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- ROBOT 小森陽一原作 -

荒尾市のグリーンランドを舞台に、新米女性社員が遊園地の裏方の仕事に取り組む姿を描いた作品。原作は小森陽一氏の「オズの世界」という小説だそうだ。「オズの魔法使い」に絡めている。DVDで鑑賞。  

グリーンランドが舞台の作品なので、以前から興味は持ってた。しかし、波留や西島秀俊が主演だと、熱血ものの芝居になるんじゃないかと、「海猿」のようなイメージで予想してしまい、あまり期待はしていなかった。実際の作風は全く予想外で、ほのぼのしたドラマでありながら、仕事に関する真摯な取り組み方を描いた真面目なテーマの作品。出演者たちの演技についても、多少オーバーな場合はあっても、特に臭い芝居とは感じなかった。起承転結がはっきりして、自然な流れだった。

ヒロインの恋愛に関しては、あまり盛り上がってはいなかった。あれで良かったのだろうかと、少し疑問を感じた。文部省推薦の映画を狙うなら、あのままで良いかも知れないが・・・ 波留の特徴だろうが、怒っていても本気で怒っているようには見えない。あの特徴が、この作品に合っていたのかも、よく分からなかった。「フラガール」とは作風が違うので、問題ないのかも知れないが・・・ 

映像に写っていたのは、どれも懐かしい光景ばかり。グリーンランドに初めて行ったのは、いつ頃だろうか? 記憶がはっきりしない。学生時代は車がなかったので、たぶん一度も行けなかったと思う。田舎なので、移動のための時間のロスを覚悟しないといけない。車でないと行きにくい場所だ。卒業後、特に子供ができてからは毎年2~3回は行っていたのだが、広大な敷地の中を、子供を追いかけたり、おぶったりしながら、疲れ果ててしまうまで延々と歩くことが多く、広すぎてキツイ印象が第一。

現地のスタッフの仕事ぶりに関しては、特に熱がこもったサービスと感じたことはない。スタッフはバイトの学生らしき、若い人が多かったように思う。劇場主の感覚では、炭鉱が閉山になった荒尾大牟田地区と三井グループが賭けに出て、無理して作った遊園地であり、最初からうらぶれた地盤に基づく、やや暗めの施設の印象はあった。赤字経営じゃなかったか? 豪華な東京ディズニーランドとは対象的な、戦後の匂いが漂う田舎の行楽施設。

そんな印象も間違いじゃないと思うが、経営努力は間違いなく凄い。次々新しいアトラクションが導入されているし、花火大会やサーカス、海外から来たショーなど、客を呼ぶイベントも多彩だ。あれは、企画スタッフが伝統に則り、あるいは他の遊園地を真似たり、ときには斬新なアイディアを持ち込んだりして運営していたに違いない。おそらく予算の制限は相当厳しいはずで、その中で苦闘していたのだろう。地元には雇用を提供しているし、周辺の店も成り立たせている。

今後、少子化が進めば、遊園地はどこも減収になると思う。グリーンランドをどうやって維持していくのか分からないが、もし休園になったら悲しい。子育て時代の苦闘を思い出して、泣けてくるに違いない。

 

2019年9月15日

ヒトラーの時代(2019)

Chuokoronshinsha

- 池内紀著 中公新書 -

ヒトラーが支持を得ていく様子や、それによる影響などを中心に解説した内容。著者は歴史家ではなく、そのためか本の細かい記載内容には多くの間違いがあるらしいのだが、庶民の心情やユダヤ人側の工夫などを細かく解説した点は評価できる内容。 

この本が原作となって映画ができることはないだろう。この劇場に登場させたのは、令和元年の参議院選挙で気になったことがあったからだ。今の劇場型政治を考える際に、ヒトラーは最高の教科書だ。メディアが発達して、選挙はいよいよ劇場型になっている。考えられないような候補が、政権を奪取する可能性も高まっている。よく学び、考えておくべきだ。 

ヒトラーは短期間で権力を掌握し、派手な成功と未曾有の被害、失敗をもたらした。彼が国民の支持を集めた理由は大きな謎だが、今まで本職の歴史家達がやってきた分析が充分だとは思えない。いまだに理解不能の部分はある。歴史家以外の目でも、解析してみるべきと思う。多少の記述間違いは、本質から考えると大きなことではない。 

ナチスドイツに関する記録は、おそらく資料をかなり処分され、隠匿され修飾されて、都合が良いように変えられていると思う。歴史家と言えども、確実な記録を追うことは難しいはず。基本的なことでも、勘違いが流布している可能性はある。

つい最近、昭和天皇と宮内庁長官との会話の記録が発表されたが、昭和天皇の考え方が今までの正式発表とは少し違っていたように思う。日本の再軍備に関して、昭和天皇は肯定的に考えていたらしい。御本人の日記ではないから、宮内庁長官のほうが記憶違いで記録した可能性もあり、検証は難しいかも知れない。同じように埋もれた事実は、おそらくナチスに関しても多々あるのだろう。  

この本を読んで、ナチスが支持率を上げた理由が、おぼろげながら分かった。経済の混乱や、フランス等からの激しい要求への反発、機能しない議会への不信、民族的な考え方の伝統などが基本的な下地になっていたのだろう。そして筆者が強調していたように、「まさかナチスが政権を維持できるはずがない。」という思い込みも、政権奪取を許す要因だったと思う。 

もし、経済が急速に回復していたら、無茶な連中に投票する人は少ないだろう。議会が何でも決められる状況ならば、普通の政党に支持が固定し、急激な政権移行は起こりにくいだろうが、どこの国でも激しいインフレは簡単には対処できない。経済的混乱が、ナチスへの期待につながっていたと思う。

ナチスの政策は、実際に効果もあったようだ。アウトバーンの建設、国民車の開発は有名だが、国民ラジオ、芸術祭や海外旅行ツアー、禁煙運動などもやったそうで、真面目に国力の有効利用を考えていたことも間違いない。早い段階から、再軍備の必要性も訴えていたようだ。ぶれずに政策をアピールし、実行のために敵を効率的に排除する、それが支持を得た理由のひとつかも知れない。

ただ、それだけじゃなく、他の理由もあったと思う。ヒトラーの勘の良さ、芸術的センスも、もしかすると大きな影響があったかもしれない。もともと芸術家志望だったのだから、細かい事実を積み上げて検証するのではなく、大局的に眺めて問題点を単純化してしまう頭だったのかもしれない。それが、大衆が受け入れやすい形で訴えかけるには必要条件となりうる。学問の力ではなく芸術的感覚に近い。今で言うと、優秀な番組プロデューサー的能力で、それが時代の要請に合致したのかも知れない。 

ワグナー劇のタッチで政界に乗り出した人物、歌劇に陶酔したかのごとく演説した舞台俳優、そんな雰囲気が映像では感じられる。雰囲気も大事だ。訴えかける力がないと、いかに正しい意見でも、理解を得ることはできない。 

現在の米国大統領も、移民を嫌悪し、国境に壁を作るなどの政策で人気を集めた。外国との協調を嫌い、自国の利益を最優先する姿勢、演説も派手で口調も激しい。不法移民を収容所に多数送り込んでいるらしい。そういった特徴は、ナチスとそう大きく異なるものではない。「まさかトランプ氏が大統領になるはずがない!」と思っていた人も多かった。だが、現在の米国は全体主義になっていないし、たぶん憲法も大きく変わらないままだろう。ちょっとした運が、米国とドイツの違いになっているのかも知れない。

伝統と安定、好況などが、運命を分けたように思える。日本の場合は、米国ほどの民主的基盤がない。選挙の時の判断基準になるのは、曖昧で気分的な材料が多い。忖度も蔓延している。大きな経済変動や紛争があれば、国会や政府が機能しなくなり、極端な勢力に支持が集まる可能性はある。我が国の国民は、それに喝采を送り、状況を理解できないまま流されるような気がする。

「維新の会」「N国党」や「れいわ新撰組」、あるいは今後出現する勢力が、政権に近づく日が来るのかもしれない。戦略的に国民の不満を吸い上げ、問題を単純化して激しく訴えかけ、敵対する勢力を派手につるし上げる行為を続け、周囲の者に呆れられても諦めずにいるなら、チャンス次第で政権を取る可能性がある。

 

 

2019年9月11日

ビリーブ 未来への大逆転(2018)

On-the-basis-of-sex

-Forcus Features -

性差別で苦労してきたヒロインは、差別を撤廃する足掛かりを作る目的で訴訟を起こす。しかし法廷闘争に不慣れなため、劣勢に立たされる・・・・DVDで鑑賞。

派手な法廷闘争がなかった。弁舌で敵をギャフンと言いくるめるシーンがないので、それを期待していた劇場主は少し拍子抜けしてしまった。判事達から厳しい質問が浴びせられ、ヒロインは論駁に成功していなかったようだ。結局、判事達はヒロインの主張を却下はしなかったが、派手さに欠けていたので、少し変な気もした。しかし、実際の法廷でも、相手を完全に打ちのめすことができるのは稀で、この作品のような裁判が本当の姿なのかもしれない。 

ヒロインはフェリシティ・ジョーンズ。意志の強そうな風貌は、ヒロインの個性と一致しており、役柄にマッチしていた。彼女が演じていたキンズバーグ氏は、現在は最高裁判事になっているそうだが、彼女が辞めるとトランプ大統領が保守派の判事を選ぶはずだから、高齢になっていてもなかなか引退できないようだ。命を賭けて、職務を続けるに違いない。根性のある彼女の事だから、やりとげるだろう。 夫が不治の病で、子供をかかえ、しかも夫婦とも在学中という苦難を乗り越えたのだから、生半可な精神力ではないはずだ。家族からの支援や学費の補助があったのかもしれないが、厳しい環境の中でも法律家の道をあきらめずに戦い抜いた意志の強さに感服する。 

いっぽうで、敵役の連中の言い分にも、一定の根拠はあると考える。陰湿な対応を取り続けたことや、そもそもの人間的なレベルには疑問を感じるものの、理屈に正しい点が全くないとは言えないのではないか? 時代背景、経済的状況、人口動態によっては、彼らこそが正論を言っている場合もありうると思う。

女性の社会進出は良いことである。優れた才能を生かせず、無能な男性上司の下でつまらない仕事しかさせなかったら、社会の損失は大きい。仕事をしたいと望む女性に対し、それを邪魔する行為は許し難い。意志と能力を持つ人間には、試させるべきと思う。

しかし、若い女性が仕事にのめり込んでしまうと、出産や育児の余裕はなくなる。キンズバーグ氏のように優秀な女性なら乗り越えることも可能だろうが、どう努力しても仕事で忙しすぎて、子供は生めないという方達も多いと思う。すると少子化の傾向が生じる。女性の社会進出と少子化の直接の因果関係を証明することは難しいだろうが、何も影響がないと考えるのは明らかに無理。統計をとるまでもない。くたびれ果てた若い女性は多い。出産、育児をしやすい状態とは言えない。 

もし、ある地域、ある国家にとって少子化が極めて大きな問題なら、その解消を最優先し、他の問題の優先度を下げることも考えないといけない。少子化問題の捉え方、その重症度が重要になる。急激な少子化は社会に決定的な影響をもたらす。年金や財政などの維持には一定の人口が必要であるから、結局のところ少子化はほとんどの問題の根源を成す。人口が安定して推移することが、社会制度を維持するためには必要で、人がいなくなると、社会そのものが破綻する。まともな社会を維持できなければ、性差別も含め、あらゆる権利の問題も改善しようがない。  

人口動態に問題がない時代なら、女性の権利は守られないといけない。米国では、女性の権利が優先されるべきだ。人口は増えている。今まで、非常に気の毒な女性が多かった。世界中で認識が低かったと思う。能力と意志を持つ女性に、見えない壁を作って邪魔することは道義的に許されない。だが残念なことに、日本では既に少子化が最大のネックになっているので、少子化を助長する方向に向かわせてはならない。権利を侵害せずに、人口も維持しないといけない。  

女性の社会進出だけが少子化の原因とは思えない。出産育児に対する国や地方の援助が少なすぎる点が一番の原因だろう。教育の内容にも欠陥が多いのかも知れない。学問を教えても、社会の維持の重要性は教え切れていない。自分達が犠牲になって、次の世代につなげるだけの人生なんてアホらしい、子供は少なく生んで大事に育てたい、そう考えても不思議ではない。大真面目に社会の維持を目指ざそうと考える人が少なかったから、今日の状況にあるのだろう。

 

 

2019年9月 7日

アクアマン(2018)

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- Warner Bros -

海の女王と人間との間に生まれた子供が成長し、アクアマンとして活躍する話。DCコミックシリーズの中で一番売れた作品で、ダークナイトよりも興行収入が上だと聞いて、DVDで鑑賞。劇場には行かなかったが、そもそも上映されていたのかどうかも知らなかった。  

この作品は、中国系のジェームズ・ワン氏が監督していて、彼のセンスが生きていたようだ。美術的な面が素晴らしい。海底都市の映像は、今までにも様々な映画で描かれてきたが、この作品の都市像は特に見事なものだった。おそらく、東洋系や中南米、アフリカ系など、センスが異なる監督を連れて来ると、作品に新しい魅力が生まれる。今後は、マイノリティーが映画界の主流になるべきなのかもしれない。 

センスとともに、技術も進んできたからだろう、海中で移動する際の髪の毛の流れ方、周囲の浮遊物の動きが実に自然に表現されていて、CGの手が感じられないほどの完成度だった。少しでも不自然な動きがあれば、たちまちのうちに二級品の、マンガをただ映画化した作品という評価につながってしまう。圧倒的な技術が、この種の映画では必要とされるようだ。 

主人公を演じていたのはハワイ原住民の血が入ったモデル出身のジェイソン・モモア。演技力はよく分からなかったが、体格や顔つきが素晴らしく、一見しただけで海のヒーローにぴったりだった。彼は今後、イメージを変えて俳優を続けることは難しいかも知れないが、こんな役に出合えたなら、それで十分なのかも知れない。相手役のアンバー・ハード嬢も目つきがきつく、勇敢そうな印象が役柄に上手く合致していた。こちらのほうは、スパイ映画やヒーロー映画、SFからメロドラマまで、ヒロインも悪役も、いろんな役柄を演じられそうだ。総じてキャスティングが成功していた。 

ストーリーは省略されていて、主人公が戦いの技術を学ぶシーン、途中の成長の場面はほとんどカットされており、いきなり大人になって激しい戦いぶりを展開する。順番的には逆になってしまっていたが、冒頭部分で主人公の強さが大変なものと分かり、一気にヒーローとしての魅力を訴えかけられるので、観客の心をつかむ効果があったと思う。時間通りに成長のシーンを延々やられたら、観客は退屈してしまっただろうから、上手い展開だった。  

主人公が一方的に勝ち続けないことも常識的な判断だし、家族愛がストーリーの根底を成しているし、仲間や恋人が主人公を助ける友情、恋愛の要素もちゃんと織り込まれているし、ストーリーの完成度が非常に高かった。そしてCG技術が凄いし、俳優たちも有名な人が多かった。かなり資金的にも力が入っていたように想像する。

 

 

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