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2020年11月28日

アメリカ大統領選挙(2020)

-306:232 -

今年のアメリカ大統領選挙は興味深い展開をした。世論調査ではバイデン氏が大きくリードしていたが、開票の途中ではどちらが優勢なのか分からない時期もあって、ニュース速報を何度も見た。自国の首脳でもないのに、あんなに興味を持ったのは、やはりトランプ氏の個性のせいだろう。 

今の時点でトランプ氏は敗戦を認めていないそうだ。306対232という選挙結果が出ても、自分は負けていないと主張するなんて、凄いことだ。度胸も凄いが、普通の考え方じゃできない。民主主義を尊重したり、紳士的に行動しようという気はないようだ。

確かに、紳士的な行動をとる必要はないかも知れない。選挙で不正があったと主張し続け、今後もバイデン政権を攻撃し続けることで、次の選挙での雪辱を狙う戦略ではないかと思う。そうだとするなら、負けを認めるべきではない。次期政権への攻撃は共和党を有利にするだろうから、党もトランプ支持を続けるかも知れない。

トランプ氏は常識豊かなことを訴えて大統領になったのではなく、非常識で強烈であることがウリの人物だから、紳士的にふるまう必要はいっさいないと思う。固定支持者に加え、少しの浮動票を得られれば勝てる。正しい戦術を採っている。 

バイデン政権が何をやろうとも、トランプ氏は必ず激しく批判してくることが確実。国民の支持を維持できるかどうか、国のかじ取りは非常に難しいと思う。コロナ対策や外交交渉、パリ協定やTPP、イランや中国、ロシアとの関係など、完璧にこなせるはずのない問題は多いから、批判のし放題になることは確実だろう。

かなり上手くやっても、大げさな批判は続く。それに乗せられるトランプ支持者は、今後も増え続ける可能性がある。バイデン側は、トランプ氏のスキャンダルを執拗に強調する必要がある。法廷に出せる問題も多いと思う。法的に失脚させないと、次の選挙で不利になるから必死にやるべきだろう。  

それにしても思うのだが、米国の大統領選挙はおかしい。歴史的な経緯があったのは分かるが、もはや時代遅れの仕組みだろう。前回の選挙で、得票が多かったクリントン氏がトランプ氏に負けてしまったのは、一票の価値から考えれば絶対におかしい。それを認める米国の憲法の欠陥を意味すると思う。

選挙結果の判定に時間がかかることも、お粗末極まりない。いかに広大な米国と言えど、西部開拓の時代とは違うのだから、当日中に結果が判明するようにすべきだ。権力の空白は、敵の国に有利に働く。数か月も結果を確定できない仕組みは、時代に即していないと思う。 

また、米国の怖さもよく分かった。トランプ氏のような人物に支持が集まるような国は、何でもやらかすだろう。利益になるなら平気で戦争を仕掛けるし、テロも当然。他の国がどうなろうと気にしない、そういう国民性があることを再認識した。原爆だって大空襲だって、気にしないからやったのだ。そういう国なのだと、忘れてはいけない。

 

 

2020年11月25日

空母いぶき(2019)

Film-partnership

- 同制作委員会 -

かわぐちかいじ原作マンガの映画化作品。南方の島を占領された日本が、空母いぶきを派遣する・・・DVDで鑑賞。  

原作の漫画では、敵国は中国になっているそうだ。でも、さすがに映画の場合は海外での放映もあるので、少し配慮したのだろう、ISと似た架空の国を設定していた。 

この作品での戦闘は、ほとんどが海の上に限定されていた。そのため、やや盛り上がりには欠けていたと思う。ミサイルを放つ、攻撃を回避する、そんな戦い方に限定され、興奮度に関して言えば、海外の戦争アクション映画に全く及んでいなかった。 でもリアルさは感じられた。日本が置かれた特殊な法体系のために、攻撃されるまで戦えないという苦しい状況が良く表現されていた。  

イージス艦の武器が高い確率で敵の攻撃を防いでいたが、実際にあんなに上手く防御できるものだろうか? 実戦では、魚雷とミサイルとを組み合わせて、複数の方向から同時に攻撃してくると思う。いちいち人間が「・・発射!」と、確認をやっておられる状況は、そんなにないのではないか? それにミサイルも高性能化し、飛び方も複雑になって、迎撃が難しくなって来るだろう。もっと余裕のない現場になるように思った。  

「空母」は、今のヘリ搭載型護衛艦をイメージしたものだったようだ。実際、今のヘリ搭載護衛艦を今後は空母に転用する計画だそうだ。記憶では建造した時は、空母ではないという答弁をしていたはずだが、おそらく最初から転用しようという意図はあったに違いない。

中国が空母を建造して、領土的な野心を明白に出してきているので、そうせざるを得ないという判断からだろう。中国は軍事力をどんどん強めているが、意図が分からない。本当に日本海域の島々を奪取するつもりだろうか? 

中国側に利益があるとは思えない。仮に太平洋全域を支配しても、世界全体を支配するのは現実的なことじゃない。無駄な人的損害と予算を使って、各地から反発を買い、膨大な管理維持費も要するとなると、やがては破綻し、政権幹部は怖ろしい目に遭うこと確実。「攻撃できるが、やらない」「圧力をかけて言う事は聞かせるが、実力を発揮はしない」・・・その状態を維持することが最善だと思う。でも、向こうの考え方は分からない。  

設定に関して理解できないのは、日本が領有権を主張している島に敵が侵入した場合、既に日本側が攻撃された状態とは言えないのだろうか?つまり、最初の時点で、既に日本側は攻撃されており、もはや日本の先制攻撃には該当しない状態ではないのだろうか? 

領土を占領された状態で、まだ戦闘が始まっていませんという理屈がありえるのだろうか? その基本的な部分が分からなかった。 

全面戦争を辞さずに攻撃してくる敵に対して、先制攻撃できない自衛隊は、なんと怖ろしい立場だろうかと、同情せざるを得ない。こんな状況になっている理由は、元をたどれば米国と戦争をした結果と言えるから、戦前の軍部や国民の責任と考えて良い。そもそも太平洋戦争だって、先制攻撃をやってはいけない状況だった。当時と大きな違いはないと言えば、そうとも言えるが・・・ 

ただ、戦後に「先制攻撃できない」という言葉が強調されたことで、現実離れした対応をとらざるをえなくなってしまった面もあると思う。敵がどのような行為をはたらいた時に応戦できるのか、よほど明確にしておかないと、最初の場面で全滅してしまう可能性もある。いっぽうで、先制攻撃を許可しすぎると、戦前の日本軍と同じく、勝手な判断で戦線を拡げてしまう連中も必ず出て来るはず。

攻撃が許可される事態について、どの程度規定を設けてあるのだろうか?曖昧さのない規定が必要だが・・・

 

 

2020年11月22日

ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語(2020)

Sony

-Sony-

オルコット女史原作の若草物語の映画化作品。DVDで鑑賞。本作は女性の社会的自立や家族愛をテーマに、小説家を目指すヒロインと、その家族が苦難に立ち向かう物語。

監督のグレタ・ガーウィグは、「レディ・バード」でも似たようなヒロインを描いていた。女性が自立し、男性と対等に生きていける時代は、今日でもまだ来ていない。まだまだ戦い続けるしかないのだろう。

それでも、監督は独身のまま戦いだけを続けようとは考えていないようだ。結婚や出産については肯定的にとらえているらしく、この作品のヒロインも恋人と再会した時は実に嬉しそうにしていたし、結婚もするように見えた。監督自身も結婚しているらしい。

以前の女性運動家は、その多くが独身であることが多かったから、様相が変わっているのかも知れない。それでも、資産家と結婚できるかどうかで一生が決まるような時代は許せないという、その点が監督がこだわる大きなテーマなんだろう。

主演はシアーシャ・ローナン。叔母の役で大女優のメリル・ストリープが共演していたが、ストリープの威厳を受け継いだかのような堂々たる演技ぶりだった。

男っぽい格好で、ボサボサ頭のまま活動するシーンもあれば、シックな格好で気鋭の文化人のように行動するシーンもある。ただの美人女優にはできない、表情の変化が素晴らしく、まさにアカデミー賞に相当しそうな存在感だった。ノミネートだけで終わったのは残念に思う。

スター女優のエマ・ワトソン嬢も出演していたが、迫力の面でずいぶん損していた。だが、エマ嬢も貧困の中で愛情を保つ姿は、なかなかサマになっていたと思う。そこに、出演する意味があると考えたのだろう。 

丘から村を俯瞰する光景や、浜辺でピクニックするシーンは実に美しい。古き善き時代を再現し、作品の魅力を上げていた。

エリザベス・テーラーが出演した「若草物語」も覚えている。あの作品のほうが原作に近いのではないかと思う。今回は、ヒロインのジョーが契約交渉でしたたかな判断をする様子が出ており、より今日的な印象を受ける。不当な契約を逃れることで、観客が嬉しくなる効果があったと思う。

 

2020年11月19日

少年と犬(2020)

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- 馳星周著・文芸春秋社 -

東北から九州まで、心に傷を持つ人々に寄り添うかのように、一匹の犬が旅をする物語。直木賞をとった作品。 

この作品は映画化されそうに思うのだが、問題は犬をどう表現するかだ。日本映画の予算では、完全なCG化は難しい気がする。海外のスタジオに依頼してリアルな犬の画像が得られるなら、実写版も製作可能だろうが、アニメ化のほうが現実的かも知れない。

この本を買った時、最初は短編小説集なのかと思った。犬に関わる人々を別個に扱い、各々の話に関係はないのかと思ったが、登場する犬は一匹のようで、各々の章は時系列でつながっているようだ。

ただしラストの表現を読むと、この犬が一匹だけとは限らない。各々の章が別個の話でないとも言い切れないし、時系列でつながっているとも限らない。単に他の地域も旅したと表現したのか、あるいは犬がもっと象徴的、普遍的な存在なのかも知れないという匂わせの印象も受けた。  

東日本震災で被害を受けた地域の犬が、全国各地を旅をして、一人の少年に会おうとするが、その途中で出会う人々も含め、勇気づけてくれている・・・犬と人への愛情にあふれる話だ。 

著者は雑誌のインタビューによると、犬のために移住したくらいの本格的飼い主らしい。物書きだからできたことでもあろうが、たしかに犬のためには広大な遊び場があったほうが良い。都会で飼われている犬は、可哀そうな気がする。

犬の話を書くためにも、実際に犬を飼って、よく犬のことを知っている必要はある。一度も飼わないまま、小説で犬の生態を表現するのは無理があると思う。この小説は馳氏だから書けたと言えるだろう。 

ただ、気になった点もあった。各章に登場するのは別個の人間なので、同じ犬を見ても、感じ方は絶対に違うと思う。でも誰もが、この犬は賢いと思った・・・腸捻転に用心しないといけない・・・言葉を理解しているようだ・・・そんな同じ評価をしていくのはおかしい。

鈍い飼い主だっているはずだし、一緒に寝るのは遠慮する、顔を舐められるのは嫌、イライラして叩いてしまうなど、バラバラの反応をするのが普通だと思う。著者と違う感覚の人間が犬と接した場合を想定した表現になっていなかったように感じた。

文章が、もっと格調高くても良い気もした。海外の小説なら、各地の風景の描写がしばらくありそうだ。そこに住む人達の個性や地域性を盛り込もうという文章はよく見かける。この作品に、それはない。 

それでも、この本には素晴らしいアイディアが感じられ、犬への愛情に満ちた内容で、読後感が素晴らしく良かった。

 

2020年11月16日

オー・ブラザー!(2000)

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- Universal & Touchstone Pic -

隠した宝を掘り出すため、3人組の受刑者が逃走する。しかし、行く手にはいばらの道が待っていた・・・DVDで鑑賞。 

コーエン兄弟の作品。主演はジョージ・クルーニー。この頃の彼は光っていた。作品も素晴らしい完成度。音楽も実にハイレベルで、作品を盛り上げていた。センスの素晴らしさが随所に出ている。 

この話は、オデュッセイアが元になっていると冒頭で書かれていたが、そこが、そもそもギャグかも知れない。 

オデュッセイアを読んだことがないので、どんな詩が出て来るのか知らないのだが、少なくともオデュッセウスは宝を目指して旅をしたのではなく、故郷に帰ろうとしただけのはず。3人組ではなく、ほとんど一人きりになっていたはずだし、息子が助けに来る展開だったと思う。だいぶ違っているはず。

盲目だったというホメロスの作品を参考にしたというのは、作品に重みを与える効果が狙えるからではないか? 最初のほうで出会う盲目の黒人が、ホメロスをイメージしたものであるのは間違いない。壮大な悲劇が繰り広げられそうな表現だ。

たしかに、3人組はひどい目に遭う。でも、ギャグのような悲劇であり、最初の設定が格調を高くするためのギャグであっても不思議ではない。  

劇中で歌われるカントリーソングが素晴らしい。関わった歌手たちの名前が出ていたが、知っている歌い手は誰もいなかった。日本で言うところの演歌歌手のようなものだろうから、他の国の人間には馴染みがなくて当然だろう。歌はアフレコだったそうだが、俳優たちが歌う姿に違和感はなかった。 

ティム・ブレイク・ネルソンが、一緒に逃げる小柄な人物を演じていた。いかにも犯罪者のような風貌で、考え方に問題がありそうな個性を実に上手く演じている。彼は、「黒い司法 0%からの奇跡」でも個性のある犯罪者を演じている。答えに迷った時の表情など、どんな思考の過程をたどっているのか分かるような表現が素晴らしい。滅多にいない個性だと思う。

聖書を売るという好人物が正体を表したり、弱そうな男に喧嘩を吹っかけて意外と簡単に撃退されたり、牛が象徴的な現れ方をしたり、犬が水に流されて奇妙な格好で流れて行く様子など、さまざまな形で笑えるシーンがあった。そして、それなりのハッピーエンドに収まっていた。観客が満足できる仕組みが整っていた。  

 

2020年11月13日

バッド・スパイ(2018)

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-  Imagine Entertainment -

ミラ・クニス主演のスパイ映画。恋人に捨てられたヒロインは、国際的陰謀に巻き込まれる・・・DVDで鑑賞。

最近よく見かけるケイト・マッキノンが、ヒロインの友人役で共演していた。今回も彼女独特の、存在感抜群の怪演だった。普通の人間が空中ブランコをやれたり、エドワード・スノーデンと友人だったりするのは無理な設定だが、異様な表情をしたマッキノンなら、何でもありるような気がして、許されてしまうようだ。 

コメディタッチのスパイ映画の場合、ヒロインは大袈裟な表情で驚くシーンが続き、恐怖の体験をしながら、運よく切り抜けていくことが多い。今作でもヒロインらは大声をあげながら逃げ惑っていたが、旧来の逃げ方とは少し違う気がした。意図したものだろうか? 

眼を見開いてギャーギャー言い続けるだけの逃走シーンには、たいていの観客が慣れてしまっているのも確かだと思う。ミラ・クニスは比較的クールに演じていたが、今回やった程度の表現のほうが、より自然なのかもしれない。

スパイ同士が争う戦いは、結構ハードなアクションになっていた。実際に2階から地上の車の屋根に飛び降りるシーンもあり、スタントマンじゃない俳優本人がこなしていたようだ。この作品で、あそこまでやる必要があったかどうかは分からない。

もっと盛り上げようとするなら、アクションに力を入れるのではなく、主演の二人が意識しないまま、敵を残虐な方法で殺してしまうと良かったかも知れない。

既に、作品の中で人の指を切り落としたり、クイに叩き落したりしている。あれを意図しないまま次々とやらかして、敵も味方も傷だらけ、関わる人間を次々と無残な死体に変えて行く、そんなブラックコメディに徹していたら良かったろう。

結果的には怖ろしい殺人をやりながら、くだらないジョークが気になって大笑いする二人組だったら、たぶんシリーズ化されるくらいブラックな、強烈な個性になったろう。

 

2020年11月10日

教育格差(2019)

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- 松岡亮二著・ちくま新書 -

親の学歴、収入、住む地域によって教育の格差が再生産され、子供の未来が制限されている現状を分析した本。1000円の新書を購読したが、本の厚みはかなりすごく、もはや新書レベルではなかった。大学で使っている教科書なのではないかと思った。  

内容も完全に学術書。さまざまな統計から表やグラフを作り、それをそのまま載せている。正直言って、くどすぎるほどの強調のされ方なので、読みづらい。もう少し一般向けに整理したら、もっと読みやすい本になったのじゃないかと思う。 

しかし、内容は素晴らしい。曖昧な形で劇場主が感じていたことを、統計で証明している。劇場主に限らないだろう、この世には不公平、理不尽な差別や仕打ちがあふれており、能力を伸ばせないと感じている人は非常に多いはずだ。昔からそうだったのだろう。

江戸時代までの日本では、多くの人が才能を伸ばせないままだったと思う。チャンスは基本的には裕福な武士の家に限られていたはず。小作農の子供が、一気に幕府で中枢に立つことはありえなかった。だが明治以降は、大学に行く人間も出て来た。少しチャンスが広がったわけだ。

でも昭和の時代になっても、大学に行くためには無理をする家が多かった。「自分も行きたいが、家計を考えて就職を優先しよう」・・・そう考える学生は多かったと、同時代人として実感している。劇場主は国立大学に行けたが、幸運だっただけだ。

そして平成の後半からは、雇用の状況が厳しくなった。もし劇場主がパートの職についていたとすると、子供を私立大学に進学させることは全く想定できない。正社員で、しかも高給を得ていることが、子供を確実に大学に進ませる条件になる。それは間違いない。

そんな経済的な問題があることは確かだが、だからと言って大学を無償化することは、解決策にはならない。本にも書かれていたから、劇場主が思うだけじゃなく、一般的な考えなのだろう。無償化は維新の会などの政策として提言されているらしいが、見当外れだと思う。

たぶん、第一の策として、国立大学の独立法人化を止め、本来の国立に戻して学費を抑えることなどが、もっと意味のある政策なのではないか? それが、貧乏でも優秀な研究者の生活を守り、学術のレベルを維持する手になると思う。 

国立大学は、より狭き門になるだろう。でも、優秀な学生を最低限守ることが可能になるし、研究者として生きていける道を開いて、国の競争力を高める結果が期待できる。今は企業の予備校のような大学が多いので、研究が発展しにくい。 

学習競争に参加すらできない子供はどうしても出て来るが、全員の機会均等を達成するためには、子供全員を幼児の頃から一か所に集め、集団生活をさせるしかない。それでは情緒面での弊害が大きいだろうし、費用的にも無駄が多く、現実的ではない。完全な平等は、目指すものではない。

また、第二の策としては、遠隔授業などのネット学習を利用することで、学習の機会を安価に均一化することもできそうな気がする。その二つが、対策の大きな道筋ではないだろうか?

 

2020年11月 7日

野生の呼び声(2020)

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- 20th Cenc.Studios -

都会で優雅に暮らす大型犬のバックは、アラスカに売られてソリをひく仕事をさせられるが、やがて買主と旅に出て、野生の声に目覚めて行く・・・DVDで鑑賞。

良い話だった。この作品で「野生」は、黒い巨大なオオカミの姿でたびたび現れたが、良い表現方法だったと思う。原作のことは知らなかったが、この作品の原作小説は1900年頃に出版されてから、何度も繰り返し映画化、アニメ化されているそうだ。

今作はCGによって犬を描き、人間は実写で演技するという手法で、おそらく演技している人間は空間に向かってセリフを言ったり、犬の代わりを演じる人間に向かって、犬の姿を想像しながら接したり、大変な苦労をしたろうと思うのだが、観ている方からすると違和感のない、自然な映像になっていた。素晴らしい技術だった。 

犬のバックの個性の設定が難しい。今作では完全に人間と同じように考える設定だったようだが、アニメと違って、リアルなCG姿の犬が人間のような表情をすると、妙に感じる。アニメを連想し、子供っぽくなりすぎるきらいがある。顔の表情は非常に微妙なものにしたほうが良かったと思う。

その代わり、動作で激しい愛情表現をし、自分を人間と認識していた犬が、奴隷のような環境に置かれて感情をなくす、あるいは友情に目覚めて親愛の情を動きで示すなど、もう少しリアルな方向で描くと無理がなかったかなと思う。 

人間側の主役のハリソン・フォードは随分と齢をとって、老いぼれた孤独な男を演じるのに合うようになってきたが、過去の出演作の影響かも知れない、今回の役にリアリティを感じなかった。この役は、もっと汚れ役を演じて来た俳優のほうが本当は向いていたのではないかと思う。

たぶん選ぶとしたら、ニック・ノルティか、ジェフ・ブリッジスが良いだろう。本当にワイルドな生き方をしているイメージがある。もちろん興行面を考えたらハリソン・フォードに決まるだろうが、俳優の持つイメージは作品に与える影響が大きいと思うので、劇場主としてはハリソン君には遠慮して欲しかった。

今、日本では「少年と犬」という小説が人気だそうだ。著者は実際に犬を飼うために家屋敷を購入しているような人物らしく、犬との付き合い方について雑誌で意見を述べていた。犬は賢い動物で、人間との関わり方を学習し、人間とともに暮らす群れの中の一員として生活していると思われる。

散歩中の犬をよく見るが、ひたすら臭いを嗅いでマーキングを繰り返したりする仕草は、おそらく野生の時代のままの行動であり、たまたま現在の群れが人間中心であるだけに過ぎないと理解できる。彼らは今でも野生動物と大きくは変わらないはずだ。

 

2020年11月 4日

荒野の誓い(2017)

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- Star Channel Movies -

クリスチャン・ベール主演の西部劇映画。ヒロインはロザムンド・パイク。インディアン達を護送する部隊が、数々の襲撃を乗り越え、モンタナ州を目指す物語。

あまりヒットしなかったようだが、見ごたえある映画だったと思う。ラストシーンはよく考えてあって、ゆっくりとした動きで主人公が決心した様子が分かる仕組みになっており、洒落た演出だった。

タフでクールな人物が任務を全うしようとする姿は、古くからある西部劇の醍醐味の一つだ。頑固で勇敢、情け無用の戦いぶりの男、そんな彼がほのかな愛や友情に気づく話は、過去の多くの作品でも何度も繰り返されて来た。

クリント・イーストウッドらが、まさにそんなキャラクターだった。今回は、その流れにクリスチャン・ベールが新たに加わったということになる。ベールはバットマン・シリーズでも似たようなキャラクターを演じていたから、この役には向いていると思う。ヘンリー・フォンダにも近いイメージだろうか? 

タフなヒーローは、心に闇を抱えているのが鉄則だ。今回の主人公は、かつて仲間たちの多くをインディアン達との戦いで失い、自分の仕事に嫌気がさしている。その自分が、かつての敵を護送するという皮肉な流れも、西部劇の常道であった。

鉄則にしたがって作られた物語だ。ヒロインとのやり取りや、インディアン達との心の交流も、古い西部劇の復活を見るかのようで、懐かしさに満ちていた。

逆に言うと、斬新さには欠けていたのかも知れない。今日求められる西部劇がどのようなものかは分からないが、ただ抒情性に満ちているだけでは、嘘くさいドラマという印象につながるのかも知れない。そうでないなら、この作品はもっとヒットしていたはずだ。

劇場主には分からないが、古めかしさか何かが影響して、米国の観客には支持されなかったようだ。 もしかしてヒロインがもっと若く、華奢な感じのアイドル的な女優だったら、彼女を守るために命を賭ける主人公の気持ちが分かりやすくなり、観客にも共感する気持ちが生まれていたのかも知れない。何かが足りなかった。

主人公が傷つくのも大原則だったような気がしたが、その点も影響していなかったろうか? 「真昼の決闘」ではゲーリー・クーパーも傷ついていたはずだったが・・・ 

スターチャンネルが制作の中心を成したらしい。最近はネットフリックスが制作した映画が賞を取ったり、資金の出所が大きく変わっている。ネット企業に金が集まる時代だから、当然の流れなんだろうが、作品の公開にも当然影響が出て来るはずで、映画館での公開は二の次で、テレビとネット配信のみの作品も増えて来るのかも知れない。  

 

2020年11月 1日

首里の馬(2020)

Sinchosha

- 高山羽根子 -
 
私設資料館を管理するヒロインは、台風の後、自宅の庭に馬が迷い込んでいることに気づく・・・・第163回の直木賞を獲得した作品。雑誌・文芸春秋誌上で読んだ。

作者の高山氏は30代から小説を書き始めたというが、老練の作家のような手慣れた手腕を感じさせる。小説を書くための基本技術を教室に通って学んだそうで、たしかに基本的なプロットを積んで、教科書の手順に則って話を構成したような印象。 

ヒロインの人物像が良く考えてあった。不登校から資料館に入り浸るようになる経歴は、現代では起こりうることだし、普通ではないヒロイン像をイメージさせるのに便利な設定。しかも、彼女が精を出す仕事も、日本語で外人にクイズを出すという一風変わった内容で、あり得るようなあり得ないような、微妙なライン。まさに小説のような設定で、絶妙だった。

馬が民家に迷い込むことが実際にどれくらいの確率で起こりうるのか、これも微妙なラインで、あるようなないような話。それらのプロットによって、この小説は非常に個性のある話になっている。

文章力が凄いかどうかはよく分からなかった。村上春樹氏のように、一読して文章の美しさに感銘を受けるタイプの書き方ではないと思うが、読みやすい表現で奇をてらうことのない、きれいな文章だと思う。

同じように設定、発想が素晴らしい百田尚樹氏は、文章力には改善の余地がある。でも、高山氏は構成力と書き手の力の両方のバランスが良いように思う。実際には頭をしぼって作業しているのかも知れないが、雰囲気としては自然に話を作れているかのようだ。  

ただし、劇場主はヒロインに共感することはできなかった。微妙なラインをつないだ設定は、想像力に欠ける一般人には少し遠すぎる話に思えてしまったのかも知れない。あまりに現実的なだけの主人公では話が面白くなりにくいという問題もあり、どういう話にするか、現実に近づけるか離れるかは難しいが、今回はもしかすると解離し過ぎた点があったのかもしれない。 

現実的な話・・・たとえば馬のフンの処理で困るヒロインなどを描くばかりだったら現実的描写ではあるが、話は面白くもなんともなく、読んでもいっこうに楽しくならない。「首里の馬の糞」・・・そんな小説は誰も読むはずがない。

読んでもらうためには、おそらく誰か個性的な恋人、つらい過去を持つ住民などを登場させ、ヒロインの心情が激しく動くと良い。そして馬の存在によって、その心の変化は美しい方向に昇華していく・・・そうすると単純なメロドラマになるのかも知れないが、それだと感情移入はしやすかったのかも知れない。

 

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