映画評

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劇場主


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おことわり

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2020年7月 2日

新型コロナウイルスへの対応 その8

- 7月2日現在 -

東京都の感染者数は50人程度が続いている。なかなかゼロにはならず、むしろ増加傾向のようだ。主に新宿区の歓楽街で発生しているから、やはり夜の街は不衛生な環境なんだろう。

でも店の人間も感染が怖いはずだし、客だってバカじゃない。国などから衛生面の指針が提示されるらしいので、それが順守されれば、やがて収束する可能性もゼロではないと思う。

劇場主も気が緩んだわけじゃないが、数カ月ぶりにスポーツジムに通いだした。ジムは窓が少なく、感染の巣窟になりやすい。事前に着替えをして入館し、拭き取り用のタオルを借りて自分が触る場所を拭いて回り、誰ともしゃべらず、着替えないまま帰るようにした。  

(ステイホーム)ステイホーム運動の効果について、JAMAに掲載された論文を読んだ。米国の隣り合う州であるアイオワとイリノイ州で比較したら、規制によって一か月後の感染者数は6割程度に減っていたそうだ。

6割は意外に効果がない気もするし、少しでも減ったなら、おそらく次の一か月でさらに差が出るだろうし、やはり規制に意味はあると考えられる。東京都だって、5月に急に感染者数が減った。もし感染力の強いウイルスがまた流行ったら、今後も外出規制が発令される根拠となるだろう。 

(中国と韓国) 中国では6月から北京付近で患者が増えだした。海外から再流入したのだろうか? 北京は封鎖しにくいので、武漢のように管理できるかどうか分からない。

韓国も同様で、どこかから持ち込まれた感染クラスターが散発している。感染に勝利したかのように見える地域でも、油断できないことが分かる。人の移動を完全に遮断することは難しい。

そこから考えると、なにかしらの自粛、規制は続けざるを得ないと思われ、流通や人の移動に関しては、今後数年間は元に戻らないんじゃないかと推定される。観光、飲食関係では、商売を諦める人も増えて来るだろう。 

(ドイツ) ドイツは、EUの中では感染者数が少なかった。雑誌やネット記事で見ると、対策が実に鮮やかで、理屈に従って行動できている点で、最も参考にすべき地域と思う。

日本より被害は大きかったが、日本の成功は、元々の衛生習慣や、ちょっとした幸運によるものと思われる。日本の政策も滅茶苦茶ではないとは言えるものの、理論に関しては脆弱で、冗談のような施策もあった。

日本政府には危機を想定して準備し、国民を守ろうという意識が、そもそも欠けていた。ドイツのような法律、職を続けられる補償、検査体制、それらは必須であることが明らかだ。さすがに今後は今回の失敗から学び、改善する政策を打ち出してほしい。第二波に間に合わせることが必要だ。 

(スウェーデン) スウェーデンの政策も参考になる。 あまり規制をしなかったことで、徐々に感染者数は増えているようだ。だが、経済破綻、医療崩壊には至っていないので、もしかすると適切かつ、理性的な対応をできたのかも知れない。少なくとも無駄な予算は使っていない。

現在の免疫獲得率は7%前後らしい。日本よりは高い。7%だと、次の大流行を防御することは難しいが、このままの状況を維持できれば、数割までゆっくりと持って行き、ワクチンができるまで我慢できるかもしれない。

もし結局ワクチン開発が難しいと判明したら、スウェーデンこそが最善の策をとったと言えるだろう。コロナウイルスは免疫が成立しにくい性格を持つ。だから、まだ結論は出ていない。

(日本)コロナの感染管理は、誰にもできないと思う。個人の能力では無理だ。劇場主が首相や厚生大臣であっても、感染をゼロにはできない。ただ、結果が同じとしても姿勢は違っていたはずだ。

残念ながら流行の前に、感染症の分野は、自民党や省庁の利益には、あまり関係ない領域だった。

日本の政界の構造は、①財界の特定分野に有利な予算が組まれる、②予算に関わる役人と政治家が影響力を強める、③影響力の強い人物に忖度する人間が増える、④権力におもねるルートが構造化し、関係ない分野の問題は無視される、そのように出来上がっている。

感染症の管理は、通常の状態では構造の中にいる人間にとっては興味がない問題のはずだ。オリンピックやリニアモーターカー建設、付き合いのある企業の利益のほうが重要に思えたことだったと思う。他のことに予算を回したりしたら、仲間から自分が排除される可能性もある。流れに調子を合わせないといけない。

そのため、危機管理意識がはたらかなかったのだろうと思う。危機というと、自分の失脚や選挙で負けるなど目先のことが最大で、あとは近隣の国々による武力攻撃くらいしか想定できないはず。起こりうることを想定し、それに対して準備する、その当たり前のことを、構造が阻んでいる。

劇場主はそこを心配していたが、今回は予想通りの当然の結果が出てしまっているようだ。こんなに問題点が明らかなのに、根本的構造改革に考えが及ぶ人は少ない。もっと酷い目に遭わないと目が覚めないのだろう。 

 

 

 

 

2020年6月29日

マザーレス・ブルックリン(2019)

Motherless-brooklyn

- Warner -

チックの持病を持つ主人公が、恩人の死の真相を暴こうと苦闘する物語。主演のエドワード・ノートンが、監督や制作も兼ねており、力の入った演技を見せていた。 

もともとの原作小説があるらしい。ハードボイルドタッチの推理小説なのかなと思う。映画も懐かしい雰囲気を感じた。主人公に持病がある点で個性的なキャラクターになるので、映画化してもいけると判断し、権利を買ったのだろう。極めて独特の個性の主人公だった。

汚い言葉を叫びながら、冷静に推理を進めるというのは対極的な性格に見える。まるで心がすさんだ人間が正義を目指すかのようだ。実際に身の回りにいられたら迷惑だが、映画のキャラクターとしては魅力を感じる。

でも、人の話を記憶する力が優れているというのは、本来ならチックとは関係ない能力ではないかと思う。少し作り過ぎたキャラだったかも知れない。

チックを見たヒロインは笑っていたが、持病によって好きな人を怒らせるような悲しいエピソードがあれば、もっと共感を得ることができたのではないかと思った。

ジャズが効果的に使われていた。古いハードボイルド映画の雰囲気を思い出す。トランペットはウィントン・マルサリスが演奏していたそうだ。20代の頃のイメージしかなかったが、メイキング編で見たら、えらく肥満体になっていた。ルイ・アームストロング体型に近づいている。 

共演者たちが、それぞれ味を出していた。ボス役のブルース・ウイリスは、最近の彼の出演作の中では最もクレバーな役柄を演じたと思う。結果的に大活躍はできなかったが、能力の高さが上手く表現されていた。  

アレック・ボールドウィンの役柄には実在感があった。実際、彼の演じたような人物は多いのかも知れない。彼のような人物がいないと、巨大事業は進まない。ある程度、犯罪に至らないまでならば、必要な個性だと思う。田中角栄を思い出す。 

スキャンダルにまみれる政治家を見ていると、どうして犯罪と分かっていることに足を突っ込むのか、巨額の資金集めに奔走するのか、劇場主には理解できない。平凡な人間とは違い、強い権力欲、達成感にこだわる人間は、平凡に喜びを感じるなんて、実につまらないことだと感じているのかも知れない。それが向上心につながる。

権力を持ち、金と支持者を集め、やりたい事業をやって達成感に浸りたい、それができない人生に意味を見いだせないから、犯罪行為をも厭わないのかも知れない。米国もそうだろうが、日本中も、そんな欲に満ちている。

与党の中枢には、党内の政治家や官僚がすり寄り、各々がやりたい事業や欲しい予算、役職を得るために力を貸す。それに県議会の議員も連なるから、上層に忖度する構造になる。一連の流れに関係しない事業は無視。その構造の中でしか予算が動かない体制が、しっかり出来上がる。事業欲、成功欲の成せる構造だ。 

そんな構造が国家的な欠陥になっていると思う。意欲が、国力を消耗させるという妙な現象だ。

弊害の第一は、社会の閉塞感が高まること。構造から外れた人間は、絶望せざるをえない。正しかろうと能力があろうと、中枢の外のまま。社会が固定化するので、未来が明るくなる気配すら感じられなくなる。

社会の気配、雰囲気、希望は大事だと思う。中枢の人間が、「自分が希望をつぶしてないかな?」と、気にすればよいのだが、「そんなの関係ない」と思っているはず。そして予算が固定されるので、イノベーションが起こりにくい。だから国際競争には勝てない。

第二は、本来必要な戦略が後回しになること。構造内部の利益にならないことは、たとえ重要であっても軽視される。たとえば少子化問題は、利益につながらないので無視されている。

第三は、自浄能力がなくなること。事業遂行が優先されるので、それによる弊害を許容する雰囲気が生まれてしまう。事業を止めてはいけないので、問題点は見逃せよといった圧力が生じる。

・・・そんなことに、この作品から思いがつながってしまった。たぶん日本のコロナウイルス対策に呆れていたからだろう。

コロナウイルスのような感染症に対し、事前にもっと準備していれば、給付金支給やPCR検査などがスムーズにできたかもしれないのに、社会構造が邪魔していた。そんな準備をするなんて、政府中枢の人間には思いもよらなかったのだろう。

安倍総理を個人攻撃しても意味はない。彼とて構造の中の象徴的存在に過ぎない。政権が代わっても、それだけじゃダメだ。構造自体を改革しないかぎり、失敗は繰り返されるはず。  
   

 

2020年6月26日

ジュマンジ(1995)

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- Tristar Pic. -

両親を亡くした姉弟が、魔法のゲーム「ジュマンジ」を始めてしまう。ゲームからは動物たちが出現し、町は大混乱に陥る・・・・DVDで鑑賞。近年のジュマンジ・シリーズを観ていて、あらためてオリジナル版を観てみたくなり、ビデオ屋さんでお借りした次第。

この作品は、CG技術の点では年代を感じさせる。今なら極めてリアルなサルたちが描かれると思うが、この作品の時代はマンガのような顔をして、動きもギクシャクした描かれ方である。当時の技術の限界ギリギリのレベルで描いたはずと思うが、最近のCGとは完成度が全く異なる。技術の進歩は本当に早いと感心する。 

1995年というと平成7年、劇場主が勤務と子育てで忙しかったころ。この作品を劇場で鑑賞することはできなかった。少し後になると、ピクサーやディズニーの映画を子連れで観ることになるが、まだビデオ中心の時代だったはず。

もし、この作品を子供と観ていたら、描写がすこし強烈すぎると感じたかもしれない。笑えない銃撃シーンや、迫力があり過ぎる洪水のシーンなどもあるので、作品が狙った対象年齢は幼児期ではないように思う。小学校の高学年から中学生くらいか? 

銃撃の描き方は、もう少し子供向きにおかしくしていたほうが良かったのではないかと感じる。ドジなハンターが襲って来るが、おちゃめな失敗を繰り返しているといった設定でないと、子供が見る作品には向かない。笑いを求めるかどうかの、微妙なセンスの狂いを感じた。

欧米の童話には、かなり怖い話が多い。怖さがないと、子供たちが飽きるという感覚があるのだろうか? グリム童話も、えらく残酷な話が多い。その伝統でスリルに重点を置き、笑いの要素を軽めにして、冒険映画にしたいという考え方だったのだろうか?そうならば、それに徹するべきだ。 

SONYが企画した2017年以降の新シリーズは、笑いの要素にかなりの比重を置いている。親子の関係よりも、友情の構築や再確認のほうを重視している。路線としては、新シリーズのほうが商売に長けていると思うが、一般的にはどう評価されているのだろうか? 興行成績は圧倒的に新シリーズのほうが上のようだが。 

懐かしいロビン・ウイリアムスやボニー・ハント、まだ小さかったキルスティン・ダンスト嬢が出演している。ロビン・ウイリアムスの動きは非常に軽い。彼は40代だったのだ。子供のように純粋な考え方をした大人を演じさせると、素晴らしい味わいを出す俳優だった。心に傷を持ちながら、大人しく日常を過ごす優しい人間を演じさせても抜群の味があった。

この作品の頃はたくさんの作品に出演するスターだったが、徐々に脇役が中心になり、まさかの急な最期を迎えることになった。生きていれば、今のシリーズにもきっと出演していたのだろうが、残念だ。

 

 

 

2020年6月24日

チーズはどこへ消えた?(2000)

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- スペンサー・ジョンソン著・扶桑社 -

迷路の中でチーズを探すネズミ2匹と、小人2人。彼らは、あるはずのチーズがなくなっていることに気づいた。さて、どうすべきか・・・・B6判の小型書籍を購入。古い本だが、続編が発売されたので本屋に並んだようだ。

自己啓発本、ビジネス本に属する書籍。でも童話にも近い印象。有名な本だから、タイトルは知っていた。「1時間で読めて、10年間役に立つ」と表紙に書いていあったが、確かにその価値がありそうな気がする。特に、挑戦している間に心理的に良い状態になっていく点が上手に描かれていた。 

作者は心理学者で、医学研究者でもあるという。複数の研究機関に所属しつつ、著作家としても活躍された方。この本は、着想や構成の仕方、表現の手法などに抜群のセンスを感じる。

本の厚さ、文章量も良く考えてあった。詳しい心理描写を加えて、読みごたえを深めようと考えることもできたはずだが、厚みの薄い本に留め、エッセイや童話のような雰囲気を保つ方を選んで、善き読後感を生むのに成功していた。

他の描き方もありえた。たとえば、その場に立ち止まって待った人の心理を詳しく描く方法もあった。話は暗いものになったろうが、問題点をより浮き彫りにする効果はあったかもしれない。

小人の二人の個性の違いは分かったが、ネズミ二匹の個性については、それほど重視して掻かれていなかったようだ。ネズミの二匹にも、もう少し違いがあってはいけなかったのだろうか? あせり過ぎて暴走するネズミがいるとしても良かったはずだが、そうすると話の論点がぼやけると考えたのだろうか?  

劇場主は、これまでの人生で迷いや怖れのために挑戦を止めたことがある。思い切って留学したり、都会の大学を目指したり、中央の病院に実習に行ったりしたら、人生はだいぶ変わっていたかもしれない。ただ、体力面の自信に欠けていた。

学生時代に腰のヘルニアを起こし、長時間の立位、座位が厳しいので、猛勉強や激務は難しいことになり、自分が最先端を目指せるイメージが湧かなかった。そもそも机につくことすら苦しい状況で、思い切りようもない。だが、頑張らない理由を探していただけかも知れない。

健康に自信がないと、日々の仕事をこなすことが、とりあえずの目標になってしまう。チャレンジする道は、自分の道ではない・・・そのイメージに従ったが、あれで良かったのかどうか分からない。思い切って挑戦して大きく挫折しても、得るものはあったかも知れない。  

「座して死を待つべきか?」・・・競争の激しい業界では、旧来のやり方が通用しなくなることも多い。家電業界は、まさにそれだ。かつて、日本には優れた製品が多かった。SANYOや三菱電機の家電製品は、つい最近までいろいろ利用させてもらったが、どれも長持ちして、衣類乾燥機は昨年まで、およそ30年間もお世話になった。冷蔵庫も20年くらい故障がない。

しかし、いまや売ってある家電は外国製が多い。製造コストの競争にさらされたし、国内需要の縮小などで良い要素がなかったから、白物家電企業が縮小するのは当然だ。あるはずの収益が消えた彼らはまさに、会社をどうするのかの厳しい判断を迫られたはず。

三菱電機は高性能分野に絞って、今も家電を扱っている。企業向け、高性能、大型で特殊、宇宙や防衛がらみなどの特徴ある領域に絞って生き残っていると思う。完全撤退した分野もある。携帯電話などは、さっさと見切りをつけたようだ。

内部では激しい論争、人事異動があったはずだが、今日まで会社を維持できているのは、すぐれた経営判断があったからだと思う。彼らに、この本は必要ないかも知れない。だが、彼らが果敢に新規分野に挑戦し続けていたら、どうなっていたろうか? アイフォンより優れた通信機器を作る能力はあったはずだ。どう転んだか分からない。 

「果敢な挑戦」・・・果敢すぎる挑戦が裏目に出ることも多い。待ったほうが正解だったということも多いのではないか? その場合、正解が印象に残りにくいだけで、実は挑戦の失敗のほうが圧倒的に多いのかもしれない。たとえば飲食店の開業は、8~9割が失敗すると聞く。挑戦すれば成功するわけじゃない。 

要は、事態をどうとらえ、適切な対応をとれるかどうかだ。素早く、正確に状況を把握し、行動に移る決断ができるかどうか。さまざまな能力が必要だ。

今年のコロナショックの経済的影響は大きい。もし今年飲食店を開業していたら、いかに腕が良かろうと絶対に閉店せざるを得ない。外出を自粛されたら、新規の開業は無理だ。新規でなくても、外食、宿泊、旅行関係の業種は、よほど基盤がしっかりしていないと立ち行くはずがない。今後もすぐに客が集まる保証はないから、廃業する店も多いだろう。それも立派な判断だと思う。

極めて厳しい時代には、チーズの求め方を考える必要がある。そもそも求めるべきか、考え直す必要も出て来る。この本は、2000年頃にIT業界に対応、あるいは挑戦する人達のバイブルになったのかもしれないが、今回のコロナショックの時期に通用するとは限らない。

 

2020年6月21日

イエスタデイ(2019)

Yesterday

- Universal -

主人公は交通事故に遭遇し、意識を失う。回復した彼は、誰もビートルズを知らないように世界がリセットされたことに気づき、曲を世間に発表する・・・DVDで鑑賞。 

この作品は興行的にはマイナーヒットだったようだが、心地よい佳作だと思う。珠玉の名作にはなれていないものの、心温まる物語だった。もし映画館で鑑賞していたとしても、充分に満足できたろうと思う。

ひょっとして誰か有名な俳優が主演し、演出の仕方も変えていたら、もっとメジャーな作品になっていたのかも知れない。アイディアが素晴らしかった。

インド系の俳優が主演していたが、今作のオーディションで選ばれた方らしい。この役には歌の上手さとともに、無条件に人から好かれる外見が望まれたと思う。彼は落第ではなかったと思うが、共感を集める力には欠けていたように思えた。 

ヒロインのリリー・ジェームズが化粧っ気をなくし、恰好もかなりダサい感じにし、行き遅れの女教師の雰囲気を出しており、とても好感を持った。彼女は貴族の娘役や、おとぎ話のヒロイン役など、様々な役柄を演じてきたが、劇場主は正直、彼女からお姫様のイメージを感じることができなかった。

庶民出身でチャーチルの秘書という役をやった時には、しっくりくるものを感じたから、本来は今回の役のようなキャラクターのほうが合っているのではないだろうか? 齢をとっても愛嬌のある婦人役を続けられるかも知れない。 

ミュージシャンのエド・シーランが本人役で出演していたので驚いた。ちゃんと演技をやっていたし、出番もかなり多かった。この作品の中では笑いの対象にもされていたが、それを本人が気に入っている様子がうかがえた。

劇場主はビートルズ世代ではなかったが、中学生の頃には非常に影響を受け、曲をずいぶん聴いたものだ。せつない曲調が素晴らしく、激しさと悲しさの両極を表現できる彼らの才能に感服した。

彼らの音楽に出会えて本当によかったと思う。当時はオーディオセットを持っておらず、もっぱらカセットデッキにラジオから録音した曲を入れるしかなかった。あの時の作業が懐かしい。

たまにNHKのFMで特集が組まれ、曲をノーカットで流してくれることがあり、テープの残り時間を気にしながら録音していた。途中でテープが切れると、一生の不覚と思ったものだ。

ただし、彼らの曲の歌詞は、訳してあらためて読んでみても、心に染み入るような内容のものは少なく、意外に無味乾燥だ。日本の歌謡曲や米国の歌のほうが直接的に表現したものが多く、詩に関するセンスが違うようだ。

「イエスタデイ」は、彼らの代表作だと思う。この作品のタイトルに使われたのも理解できる。あの曲が普通のギターソングとして売り出されていたら、ビートルズというグループの印象も違っていたかも知れない。弦楽器をバックにしたのはプロデューサー達の功績だったそうだが、あれによって音楽性の幅を感じさせ、存在感がより高まったように思う。 

 

 

2020年6月18日

ホテル・ムンバイ(2018)

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- アンソニー・マラス監督 -

ムンバイの高級ホテルにテロリストが籠城し、多数の死者が出る中、客の多くを救ったスタッフの行動を中心に描いた作品。DVDで鑑賞。

緊迫感が上手く表現された作品だった。興行的な面で大成功ではなかったようだが、作品の質は高いと思う。テロのシーンが非常にリアルで、客もテロリストも警察も、それぞれがどんな考え方で行動していたのかがよく表現されていた。

テロリストに対しては、好意的に描きすぎてもいけないし、無感情の怪物のように描いても事実と異なり過ぎるから、適切な線で描くのは難しい。人によって評価は違うだろうが、この作品の描き方は適切ではないかと感じた。

だが、おそらく関係者にとっては、生ぬるい描き方に写るかも知れない。逃げ惑った当事者にとっては、恐怖の描き方が不十分に感じられたか、あるいはトラウマが酷すぎて最初から観る気になれないほどかも知れない。 

主演は「スラムドック&ミリオネア」のデーヴ・パテール。弱い立場の青年を演じると、非常に味が出る俳優だと思う。殺されていく宿泊客たちも、それぞれが生き残ろうと努力している姿が描かれているので、「このままハッピー・エンドに向かうのかな?」と劇場主は思ってしまったが、ストーリーは甘くなかった。

現実もそうだったんだろう。殺された人質も、もしかすると見逃されるのかな?と、淡い期待を抱きながら殺されたはずだ。悲しい流れだったが、変に観客の期待に従いすぎるのも良くない。現実に近い形で描くことは、正しい判断だったと思う。 

今後もテロは繰り返されるに違いない。コロナウイルスが流行っている間、遠慮してくれるなら良いが、テロリストたちにとってコロナは関係ない事象だろう。 

あるいは、コロナショックによって起こる経済危機が、今後のテロの誘因になるかも知れない。景気が悪化すれば、弱者が先に職を失う。先進国に出稼ぎに行っていた人達が解雇され、社会不安が強まれば、犯罪やテロが増える可能性は高い。今後は国境管理も強まるかも知れない。

グローバルな人の動きが、今回の感染を広げた原因のひとつであることは誰の目にも明らか。当然、皆が思うだろう、国境を管理して病気が入るのを防ごうと。国境管理が強まり、人の往来が減れば、仕事を求めて移動していた人達が貧しい地域に押しやられる。豊かな国の不当な扱いに我慢できなくなる。これもテロを引き起こす理由になりうる。 

EUが目標としていた理念も、弊害が明らかになってしまった。EUの首脳や各国の政府が何を言っても、今回の惨状を引き起こした社会の仕組みを変えないといけないという強い圧力の前には、立場が弱い気がする。右翼政党の勢いが増し、国ごと地域ごとの対立が深まり、紛争の火種になるかも知れない。

 

 

2020年6月16日

内閣官房長官(2020)

Mdn

- 大下英治著・MdN新書 -

現在の内閣官房長官、菅義偉氏の活躍を解説した本を購読。予想と違い、かなりの礼賛本で、批判めいた言葉はなかった。菅氏を直撃!と書いてあったが、何も攻撃していない。確認してから買えばよかった。 

著者の意図が分からない。普通の物書きなら、ある程度の批判も書くと思うのだが、それがない。客観性は気にしていないようだ。この本によって菅氏の活躍を知ることができたとは思うが、あまりに批判がなさすぎるので、誇張や忖度が入っている可能性も高く、内容を信頼して良いのか分からない。 

菅氏の様子をテレビで拝見すると、隙のない回答ぶりに感心する。無駄な言質を与えることがなく、それでいて言える部分は簡潔で明瞭に話す。それが過去の官房長官達より際立っていて、好感を持つ。そのぶん、人間味は感じられない。感情が感じられない点で、外国の政治家と比べると魅力はないのだが、官房長官という役目を考えると、魅力のあるなしよりも冷徹であってくれたほうが良い。

菅氏は、今の職務に最適な方だと思う。菅氏がたたき上げの政治家であることは知っていた。世襲議員が多いのは良くない。無能な人が多いからだ。ただし秘書上がりの人も、非常に良いとは言えない。利権の調整などの実務を習得できても、それは本来の政治活動ではない。それだけでは足りないものがあると思う。

氏が加藤の乱に参加した議員の一人であることも何かで読んでいた。あの時期に、加藤氏が党の行く末を案じて行動しようとしたのに、党側の逆襲に遭って惨敗したと見えて、残念に思えた。

当時も今も、日本をドラスティックに変革する必要はある。‘乱’のような大きな変革が望まれると思う。既得権益にメスを入れ、政治体制も経済界の在り様も変えないと未来はない。当時の森政権は、その点で見込みゼロだった。あの時点では加藤氏に賭けるべきではなかったのか? 小泉氏や安倍総理も改革をとなえたが、意味ある改革と言えるだろうか?

菅氏も結局、加藤氏を見限ったのではないかと思う。加藤氏に、そもそもの求心力、胆力が足りていなかった。菅氏があの時、加藤氏と最後までいっしょに行動していたら、今のような立場には立てていなかったはずだ。会派を渡り歩いた結果で実力者になったのだから、立場の一貫性に関しては疑問が残る。  

ただし、自民党がそもそも利権集団であって、政治集団ではないと考えるなら、派閥を渡り歩いても問題はない。権力中枢を目指した合理的な行為だ。 何かの法案を通したいと思えば、権力中枢の側に行かないといけない。その位置から官僚を脅さないと、誰も動かない。現実的行動だったと思う。

スキャンダルや災害、外国とのトラブルなどで、中枢は予想外の移り変わりをする。まさか返り咲くとは思えなかった政治家が長期政権を維持し、有力候補が中枢から排除される、権力争いと足の引っ張り合い、それに事故やスキャンダルが多発し、経過を予測するのは難しい。菅氏の判断は正しかった。運もあったのだろう。

菅氏の実務能力は素晴らしいと思うが、秘書タイプの人間で、指導者タイプの人とは感じない。実直な印象を受ける。それに菅氏が様々な法案に関わり、自分の生活を犠牲にして活動し、たとえばスマホの通話料や拉致被害への対応に改善があるとしても、日本の長期的衰退を止めることができるとは思えない。菅氏に、未来への期待感を感じさせる力はない。  

実務をこなし、手続きに則って細かい改善を目指すのは民主主義の中での正しい方法である。ただ、情勢の変化が激しい場合は、ドラスティックな対応も必要。IT社会への対応、中国の台頭、少子化などは、細かい手続きに終始して良い余裕のある問題とは思えない。コロナへの対応だって、もっと瞬発力が要求されたと思う。 

日本の政策では、まず少子化のスピード調整が必要と思う。それを達成できずに、他に何か達成しても、ピント外れの成功に過ぎない。長期的に見て、日本が衰退しないと多くの人が認識できる必要がある。その絶対条件に目途が立っていない。手続きに終始した細々した政策の効果は、このままでは霧消する。菅氏を含め、自民党の近年の活動すべてが、まだ意味を成していない。

菅氏の実務能力を褒めるより、必要なことが何か、考え直すべきだ。

 

 

 

 

2020年6月13日

翔んで埼玉(2019)

Toei

- 東映 -

娘の結婚を控え、東京に向かう家族は、ラジオから流れて来る物語を聞く。それは伝説の埼玉県民の戦いの話だった・・・・DVDで鑑賞。感動など全くありようもない、くだらないギャグ映画なので、かなりとばしながら鑑賞した。でも面白かった。 

テレビで何度も繰り返される県ごとの特徴を笑う路線のひとつだが、ディスリ路線をとことん追求すると、かえって愛情を感じてしまうという不思議な現象が、この映画において完成されていた・・・というと大袈裟か? あざ笑うのではなく、田舎を残す良い土地柄であることを念頭にし、自虐的な言葉をエンターテイメントとしてとらえる、そんな楽しみ方も、今はできるようになった。

ちょっと昔だと、そんな表現には危険を伴なったと思う。本気で怒って来る連中がいたからだ。おそらく、同じ地域住民同士なら、昔から自虐話で盛り上がってきたはずだ。劇場主の場合だと、四方が山で囲まれた土地で空が狭いとか、信号機が一個しかない、近所に電気が通じていない家もあった、鶴屋デパートを見あげて首が痛くなったなど、田舎である故郷を笑うのは、同級生同士なら普通のことだった。

他の市町村でも同じ感覚はあったはず。出身県を扱う自虐ネタがさまざまな形で繰り返され、エンターテイメントとして確固たるジャンルとなったからこそ、何かのセリフにも我々は瞬時に反応できるようになった。「テレビという公共の場で、県民をバカにするなんて許せない、モラルに反してる。」という反応が起こりにくくなったのは、「ひどい言葉だが、これは自虐ネタであって、本気でディスってはいないのだ。」と、すぐ分かるからだ。

そんな反射のレベルが上がるまで、多くの漫才師たちのギャグ合戦、県民ショーなどの番組、はなわの歌などが、我々の感性に影響を与え続けたのだろう。原作マンガの影響もあったかもしれない。変わり種漫画家として知られる魔夜峰央は、気味の悪い画とナンセンス、非常識ギャグがウリだったから、どぎつい話を作っても諦められる面があった。 

作品の中で使われたネタは、基本としては漫才風のネタである。それを延々と繰り返しながらも、観客を退屈させないように物語を構成したセンスは大変なものだと思う。そのためには、千葉県や神奈川などとの対比を使うなど、地域の特徴を際立たせる必要もある。自虐だけではなく、対決の構図を持ち込んだのは、優れたセンスのなせる業だ。テレビでも県民同士が互いに相手をけなす構図はよく使われている。自虐ばかりでは、話が続かないからだ。  

上手く作らないと、興行的に失敗しかねない企画だったと思う。ギャグだけで映画として成り立つのか、反発を生まないのか、考えればかなり難しい路線のキワモノ作品だったと思うが、結果的には大成功している。ギャグの質やキャスティングも含めて、充分に検討しつくされた作品だった。

劇場主から見ると、埼玉は都会だ。東京から境目なしに家々が続き、駅のそばで学会があった時にも便利の良さを感じた。九州とは全然違う。東京までちょっと遊びに行くのも気軽にできるだろう。それは過去に埼玉県民が戦って得た権利だ・・・・ということはなく、普通にそうなっちゃったんだろう。

もし、今後世界が平和であるならば、埼玉を欧米人が笑える日が来るかも知れない。そして埼玉県民が、逆にパリやニューヨーク近隣の田舎町を笑える日も、もしかしたら来るかもしれない。そうなれば、「世界埼玉化計画」は達成されたことになる。でも、コロナウイルスへの対応が上手くいかないと無理だろう。今は東洋人というだけで差別され、本気で「そこらへんの草でも食え!」と言われそうだ。笑えない。

 

2020年6月10日

ジュマンジ/ネクスト・レベル(2019)

Jumanji-the-next-level

- Columbia-

前作で壊したはずのゲームを、ふたたび動かしてしまった。迷い込んだ仲間を救うため、4人がゲームに参加するが、想定外の現象が起こってしまう・・・DVDで鑑賞。 

コロナウイルスの影響で、連休前のビデオ屋さんの受付は客が込んでいた。濃厚接触、3密の環境であり、できれば行きたくない。しかし、ビデオなしでは空き時間の扱いに困る。なにしろ、行楽地に行くのを自粛するよう言われているからだ。ビデオは、ネット申し込みだとクレジット情報の提供が必要になり、個人情報が洩れる。仕方ないので、ウェットティッシュを手に持ち、マスクをがっちりはめて店舗で借りている。今後も、このままの借り方を続けよう。  

今作ではダニー・デヴィートやダニー・グローヴァーが出演しており、老人ネタ、互いの諍いや友情の話が物語に深みを与えていたようだ。さらに、互いのキャラクターを入れ替える不思議な水の影響や、バギーカーによるカーチェイス、吊り橋を使った逃走劇など、前作とかぶらないように新しいアトラクションを考えてあった。舞台も砂漠や山岳地帯などに変えてあり、マンネリにならないような工夫を感じる。

ゲームの仕様がそうなっているのかもしれない。設定が色々あって、その中から映画用に都合の良いものを採用しているような気がする。 

前作は非常にまとまった作品だった。高校生の主人公が、心身ともに情けない状態から、冒険を通じて友情をはぐくみ、自信を深めていく成長の喜びを観客もいっしょに体験できるような、そんな流れができていた。今作も、青年が再び自信と友情を取り戻す流れは同じで、それに加えての老人の友情のエピソードも適切に重みを置かれており、出来栄えは悪くなかったと思う。

ただ、極めて感心するほどの斬新さがあるとは感じなかった。面白い作品だとは思うが、次に第三作が企画されたとしても、さすがに素晴らしい出来を期待できないような、限界を見た印象がある。やはり襲って来る敵が動物に限定されていることなど、自由にやれていない部分があるから仕方ないと思う。

「パイレ-ツ・オブ・カリビアン」のような、奇想天外で自由な発想は、このシリーズではやれない。その壁を打ち破ることができそうなら、新しい企画が進むだろう。動物が襲って来る話を逸脱し、中世の戦場や荒野のカーチェイス、宇宙を舞台にすることや、恐竜がいた頃の世界など、ありえないわけではない。 

ドウェイン・ジョンソンは今日最高のメネーメイキングスターであるし、「ランペイジ」では制作も兼ねていた。このシリーズにも制作で加われば、「ランペイジ」の技術をそのまま持ってこれるだろう。そう言えば、ラストでゲーム機は壊されていなかったような気がする。次作の布石が打たれていたのかも。

 

 

2020年6月 7日

社長って何だ! (2019)

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- 丹羽宇一郎著・講談社現代新書 -

伊藤忠商事の社長や、中国大使を務められた丹羽宇一郎氏の著書。新書本を購読。

丹羽氏は商社の人間である。基本的には利益至上主義の人物ではないかと考えないといけない。多くの本を書いておられるが、氏が人格者であるという客観的な評価を知らない。商売人だから正直な人間であるとは限らないし、国民の利益のことを重視しているかも分からない。

もしかすると中国に取り込まれた人物の可能性もある。大使時代の言動は、どちらを向いているのかよく分からないものもあった。伊藤忠のためにしか動いていない可能性もある。それらを考慮したうえで、この本を読むべきかも知れない。 

氏が社長になる前、伊藤忠が債務過多に陥っていたとは知らなかった。伊藤忠や丸紅などの総合商社は、抜け目ない戦略で常に利益を確保し、赤字など出したことがない、そんなイメージを持っていた。でも経済に詳しい人なら、きっと実情を知っていたはずだ。バブル崩壊やリーマンショックの頃は、商社と言えども不景気に見舞われないはずがない。劇場主が知らなかっただけで、会社の中では壮絶なことが起こっていたのだろう。 

著者によると、社内では会計操作によって黒字と見せかける時期が長く続いていたらしい。株価などのことを考えると、赤字の報告にはなかなか踏み切れないはずだ。赤字を出した者は責任を問われるから、出世をあきらめないといけない。自分のせいじゃない赤字なのに・・・そう考えると、負債の処理は後回しにしたくなる。著者御自身にも責任がないわけではないだろう。 

負債を処理するには、反対派を抑え込み、責任を明言し、最終的に良い結果を出す覚悟がいる。巨額の金が動く大きな会社のことだから、胃が痛くなるような思いをしたことだろう。壮大なバクチのようなものだったに違いない。それを成功させたことで、氏の評価は今でも高い。

そう言えば、日産のゴーン元社長もそうだった。日産の業績をV字回復させ、凄腕社長の代表選手と思われていた。ゴーン氏は、結局は会社の金を自分のものにしてしまったらしく、一時期思われていたような尊敬すべき経営者ではなかったようだが、モラルの部分を除けば、優れた業績を残したと言える。

ゴーン氏が調べを受けていた犯罪がどのようなものか理解できないが、氏も壮絶な職務を果たした時期があったはずだ。巨額の報酬を受ける権利も、ありそうな気はする。会社が傾くほどの金額でないなら、あまり法律で縛らずに、自由にさせてはいけなかったのだろうか? 株主には不利益を生じるが、それが嫌なら投資しないと良い。腹が立てば、訴訟を起こせばよい。

どんな経緯で報酬をしばる法律ができたのか、そこらへんがよく分からない。株主は、損しても自己責任で良いのでは?投資を呼び込むために、ある程度の規律は必要だが、保護し過ぎる必要はない。リスクを背負うべきだろう。もっと大事なことを法律で規制すべきだ。たとえば、商品の生産場所だ。

最近になって知ったのだが、マスクの生産は中国一国に依存していたらしい。それでコロナ感染の発生により、いっきに品不足になった。いかに原価が安かろうと、重要な物品を一国に依存するのはリスクがある。だから安全保障のために規制が必要で、会社の自由にさせてよいはずがない。そっちのほうが、国家戦略としては大事だ。株主保護なんて、二の次、三の次の問題だ。

一か国への依存度は一定以下に限定することを、法律か社則で決めさせるべきだ。業界団体の規制でも良い。一か所に偏る企業の税金を増やす手もある。法律の視点が間違っていると、国民が苦労する。グローバル社会においては、変化が急激に来る。事前に危険性のあることを予測し、安全保障を維持すべきだ。食料の確保などにも、もっと頭(=法律)を使わないといけない。

リスク管理できていなかったマスク業者、医療機器会社、流通会社、厚生省の役人は、全て能力不足だったと言える。責務を果たせなかった。すべての社長が失格だ。役人も与党も野党も失格。ついでにといったら悪いが、伊藤忠商事がマスクを扱っていたなら、丹羽氏も失格だ! 氏も効率と利益を優先し、害を社会にもたらした社長の一人と言える。リスクを考える基本的能力は必要だ。

社長とは何だ!・・・それは、劇場主が述べたことを達成できる人間だ!株主がどうなろうと知ったことじゃない! 社長である以前に、国民への義務を果たさないといけない!

 

 

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