映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主


Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

2020年9月28日

グエムル -漢江の怪物-(2006)

The-host

- The Host -

漢江に怪物が現れ、住民を襲う。娘をさらわれた主人公は、家族と一緒に娘を探すが、政府や米軍は彼らを逮捕しようとする・・・DVDで鑑賞。 

「パラサイト」でアカデミー賞を取ったポン・ジュノ監督の作品。有名な作品だったが、ハリウッド映画ほどの完成度には至っていないだろうと勝手に予想して、今日まで観ていなかった。監督がアカデミー賞を取ったので、どうやら勘違いだったようだと気づいて、借りてみた。

怪物が現れて右往左往する人々、暗躍する米軍、役立たずの警察や韓国軍の在り様が描かれていた。 怪物は米軍が廃棄した毒物が影響して生まれたようだし、米軍が主人公の脳を傷つけようとしたり、抗ウイルス剤を散布するなど、数々の悪行を犯している。どうやら怪物は、米軍や、それに付随する韓国内の弊害を象徴しているように感じられる。少なくとも米軍に対して好意的な表現ではなかった。監督は、朴政権からも敵視されていたと聞く。政治的には微妙な立場なのかも知れない。

主演はソン・ガンホ。表情が分かりにくい。劇場主は彼のどこが良いのか理解に苦しむところがあるが、有名な作品には必ずのように出演している。ビートたけしのような個性だろうか? 今回は金髪の、少し頭の足りない父親役だったが、違和感は感じられなかったから、うまく演じていたのだろう。でも、観客が自然と彼に同情しないといけないのだから、もっと細身で小柄な、弱々しい俳優ではいけなかったのだろうか? 

怪物の映像はニュージーランドの会社が制作していたらしい。橋の下を上手に移動していく動きや、重量の表現などが素晴らしかった。怪物は、ゴジラのように巨大なものではなく、放射能を吐き出すような怖ろしい能力も持っていなかったが、それでも充分に気味が悪くて力強く、しぶとそうな感じで、敵役としての個性が非常に優れていた。

展開がスピーディーでない点は気になった。家族が景気や政治的混乱で酷い目に遭ってきた点を表現するためだろう、休憩や睡眠の時間帯が長くなっていた。娘を救いたい人達の行動としてはリアルさを損ないかねないが、仕方ない面もあったと思う。家族の問題を描かないと、ただのドンパチ映画になってしまう。戦い続ける中で端的に、さりげない表現で、社会問題を盛り込むことが理想だが、それはなかなか難しい。 

この作品の監督が、やがてアカデミー賞をとるようになるとは、正直なところ思えない。この作品の当時はまだ粗削りだったのかも知れない。でも、画像のように少女の背後に怪物が迫って来るシーンなど、印象的な表現がいくつもあった。

 

2020年9月26日

スキャンダル(2019)

Bombshell

- Annapurna Pic. -

FOXニュースを支配するCEOのロジャー・エイルズに対し、セクシャルハラスメント訴訟が起こる。エイルズの権力を怖れる社員は、一様に口をつぐむ。しかし、徐々に展開が変わる・・・DVDで鑑賞。

特殊メイクで、実在の人物に似せたシャーリーズ・セロン、ニコール・キッドマンが出演し、コメディアンの印象が強いジョン・リスゴーが、怪人物をリアルに演じていた。若手のマーゴット・ロビーが、自分の行為を告白するシーンは見事な迫力で、表現力の凄さを感じた。

映画は静かに話が進み、特に山場らしいシーンがなかった。劇場主は、そのために拍子抜けというか、盛り上がりに欠けた作品という印象を持った。

映像作品としては、法廷などで敵と面と向かって戦うシーンが欲しい。弁護士同士が丁々発止のやりとりをしても良い。対決がないと、印象に残りにくい。それは劇場主に限らず、一般的な感覚だろうと思う。

この作品には、盛り上げの工夫が足りなかった。ただ、エイルズ氏は亡くなったとしても、御家族は存命中のはずだから、あまり派手な演出をやって、今度は製作者側が訴えられでもしたら困る。限界はあったかもしれない。

エイルズ氏の考え方が分からない。多くの女性に手を出せば、誰かは告白しようとするはず。出世や雇用を餌に、自分への反発を抑えるといっても、なかには自爆覚悟で来る人間もいるはず。優秀な弁護士を雇ったとしても、告発者だって法律の専門家を雇うだろう。証拠を残そうと工夫する人間も、きっといる。起こりうるリスクを考えずに、自分の運や力を過信していたに違いない。

訴訟が起こった時、会社内部の女性達の多くは口をつぐんだように描かれていた。米国のように権利意識が強い国でも、自分の立場を考えて黙秘し、被害女性に協力しない人は多いのかも知れない。まず自分の利益を優先し、裁判の経過を見守る対応に出たとしても、彼女らも生活がかかっているのだから、非難はできない。 

2016年に結果が明らかになった事件だったが、その頃は他にもニュースがあって、特にトランプ候補が色々な話題を提供していた時期であり、「セクハラで訴訟」と聞くと、真っ先にトランプ氏を思い浮かべる状況だった。そのせいで、「あれ、トランプじゃないのか、なあんだ。」と、興味が湧かない結果になってしまった。会社のCEOだと、けして一般人ではないが、スターではない。特に注目すべき人物ではないと思った。

このスキャンダルに対し、FOXニュースは、和解金や慰謝料を数十億円支払ったらしいが、問題を起こしたエイルズ達の退職金はもっと大きな金額だったというから、理屈はともかく、呆れる。道義的には納得できない。億単位の金額をもらうのなら、個人として慰謝料を払う能力はあるはずだ。それなのに、金は会社から出ている。その方が責任を追及しやすい、あるいは高額の賠償金を得やすいというテクニカルな理由があったのかも知れない。

 

2020年9月23日

フォードvsフェラーリ(2019)

20th-century-studios

-20th Century Studios -

レースで圧倒的な力を見せるフェラーリに対し、フォードが戦いを挑んだ物語。DVDで鑑賞。主演はチーム・リーダー役のマット・デイモンと、ドライバー役のクリスチャン・ベール。

レースのシーンはスピード感にあふれていた。でも、最近はF1のテレビ放送でもカメラを車に持ち込んで放映しているから、少しスピードに慣れてしまった感がある。驚愕するほどの迫力は感じなかった。 

ベールが演じたのは独特のこだわりを持つ人物で、いかにも映画のヒーローに向きそうな、かってのスティーヴ・マックィーンを思い出させる個性だった。チームの仲間からすると困る人間だが、映画の中の人物としては実に魅力的。上司から言われたことを守るだけの人間では、映画的にはつまらない。

モデルとなった人物は、実際にもル・マン・レースの直後に事故で亡くなっているという。おそらく、次のレースで圧倒的な勝利を得るべく、果敢なドライビングを試みた結果ではないだろうか?  

こだわりと言えば、エンツオ・フェラーリのこだわりも凄いと思う。資金力を持つフォードに支配され、自分たちの方針を捨てることを嫌がったからこそ物語は始まったはずで、そのこだわりは尊敬に値する。資金的に厳しい中でも戦い抜いたのだから、実は本当のヒーローはフェラーリの方だったのではないか? 

フェラーリはいまだにトップレベルの戦績をあげ続けている。それは社主だった彼の心意気、こだわりに感じ入る人間が多数存在し、会社の伝統となっているからだと思う。こだわりが、ブランドイメージにつながっている。

面白いと感じるのは、自分の整備工場や販売店を持つ人間が、大手企業の技術者としてレースチームを組むシステム。ちょうど作品にも名前が出ていたが、マクラーレンのような独特なチームもある。いろんな会社からエンジンの提供を受け、システム管理を担当しているようだが、それで経営が成り立つのも不思議ではある。

日本の自動車メーカーは、主にエンジンを提供することでレースに参加する場合が多いと思う。数は少ないが、日本にもマクラーレンに近い形のチームや、制御システムを売るIT企業もあるらしく、そのテレビドキュメンタリーを見たことがある。

様々なレースが日常的に行われている欧米の場合は、会社の外にタレントがいることも多いはずで、採用されたり契約を切られたり、人の所属は流動的なんだろう。しかし、モータスポーツの業界は、コロナの影響を受けてかなり変わるかも知れない。

 

2020年9月20日

大分断 教育がもたらす新たな階級化社会(2020)

Photo_20200913162601

- エマニュエル・トッド著 PHP新書 -

本当に教育が社会の分断を生むのだろうか?

(教育の意味) 
教育の意味は、時代に応じて変わると思う。戦前は、国力のための人材を育てる目的で大学が作られ、学生は立身出世に熱心だった。近年の日本だと、難易度の高い大学を出た学生が目指すのは、一流のIT企業や、外資系証券会社などではないか? 

技術を学び、人脈を形成し、一気に長者を目指すのが「あがり」であろう。

昔ながらの司法試験を経て、国家公務員への道を目指したりもすると思うが、そのまま続けるのは魅力的ではないと考える学生も増えているはずだ。事務次官といっても、あまり魅力的に写らない。

(ITの影響)
この変化の理由は、産業構造が変わったこと、特にITで世の中が大きく変わったためかも知れない。運が良ければ、IT長者になれる。若者たちは、それに敏感に反応していると思う。

それに応じて、大学の意味も、莫大な資産形成のためのステップに変わっているはずだ。SONYや東芝に入社して、魅力的な製品を作って誇りを持てる時代ではなくなった。 

そして、超一流でない多くの学生は大卒の資格を取ること、条件の良い企業に就職することなどが、大学に行く目的だろう。企業で魅力的な商品を作れるか分からないから、とりあえず生活の安定が大事と考えるはず。

(教育資金の問題)
教育にはお金が必要である。今の子どもは小さい頃から塾に通っている。親に資産がないと、同じ条件では競争できないことになる。劇場主の時代も条件に差はあったが、一世代が苦労すれば逆転して次世代は豊かになれることを確信していた。今も努力次第でそうできるはずだが、確信は持てない気がする。社会の階層は以前より固定している。  

(生産現場の変化)
今のような状況だと、一部のビジネスマンが巨額の金を集め、その他大勢の会社員は、低賃金にすがりつく構造になりやすい。なにしろグローバリズムのせいで生産は中国や東南アジアに依存し、国内の仕事は集配と受付が中心である。事務的な仕事に、多額の給与は必要ない。教育より以前に、IT技術と生産現場の偏りが、格差を生んだ理由と考える。  

(逆の流れ)
スマホは大きく社会を変えた。スマホのようなブレイクスルーは、そうそうあるものではない。でも、やがて技術は一段落するはず。それに、生産現場を国内に回帰させるべきと考える人も増えた。中国に何でも依存すると、コロナのような病気が流入するし、マスクや防護服も手に入らないというバカバカしい事態を生むことがはっきりしたからだ。

国内に工場が帰れば、工場で働いて生きていける人が増えて、社会の活気も戻る。技術が停滞し、工場が戻れば、教育のありように関係なく、それだけで格差は縮小するかも知れない。ただ、それはまだ本流にはなっていない。   

(日本独特の事情)
日本政府の政策は、日本の利益を目指していないと感じる。格差の拡大も、ある意味では米国にならった結果だ。国の中枢部は、どこを見ているのだろうか? 

日本の場合は、米国の政策研究所からの指示には素直に従う。郵政民営化のような、あまり意義のない要求でも、大騒ぎして達成する。日本経済が発展し過ぎると、米国の利益を損なう場合があり、そんな時には自粛を激しく要求され、国益を無視して実行される。

戦前、米側の要求に抵抗したばかりに、敗戦という結果を招き、米軍基地が配置されているのだから、基本として要求を拒否できないと考えているのだろうか? ただ、韓国にも米軍基地がある。でも左寄りの政権がたびたび成立し、米軍に反旗を翻すかのような行動をとる。

韓国にだって米国諜報部の力は及んでいるはずだ。両国とも、検察や高級官僚に硬軟含めた働きかけがないはずはない。何が、韓国と日本で違うのだろうか?

国民性の問題か?理由がよく分からないが、韓国には米国への敗戦の歴史はないから、何も気にせずにやっているだけかも知れない。そうすると日本側は、もしかすると単なる時代錯誤を続けているだけではないのか?  

(エリートの考え)  
受験競争を勝ち抜いた高級官僚が、国家のことより自分のキャリアや、退職後のことなどを気にしているように感じる。だから格差も国民の利益も気にされないのかと、疑念を抱く。

記録を隠匿したり、破棄したり、公務員らしくない行動が多かったので、官僚の論理を少し垣間見れた気がした。あれも教育のせいなのだろうか?たぶん、教育とは別な理由ではないだろうか? 

もし競争に勝った自分が利益を得ても当然だと考え、不正行為をしてしまうなら、受験や採用のシステムの弊害なのかもしれない。教育のせいと言えるかもしれないが、システムのせいと言うのが正しくないか? 

(あるべきシステム)
人が考えることは簡単には変えられないのだから、システムのほうを変えるべきだ。教育では無理だろう。
国家を裏切る公務員は、厳しく罰せられるべきである。上司からの無茶な隠蔽指示を告発したら、あるいは告発しなかったらどうなるかなどのルールもありうるのでは? 

国家組織なんだから、ルールは厳しくしないと、国の破綻につながる。

そして、一定レベル以上の出世には、国民の審査が必要だ。内閣人事局が決めて良いはずがない。直接選挙は技術的に難しいだろうから、国民が審査員を選び、審査員が官僚の出世を審査すべきだろう。そうしないと、役人の質を確保できない。今のように官邸が役人の人事を扱うと、官邸に権力が集中し過ぎる。独立した組織が望ましい。 

 

 

2020年9月17日

ザ・ピーナッツバター・ファルコン(2019)

The-peanutbutter-falcon

- PBF movie,LLC -

ダウン症で施設に閉じ込められていたザックが、お尋ね者のタイラー、施設職員のエレノアと旅する物語。DVDで鑑賞。

この作品は、障害者役のザック・ゴッサーゲンが役を演じるために企画された作品らしい。作品を監督したのはCMなどしか扱ったことがない新人で、そんな企画に有名俳優のシャイア・ラブーフらが集結して、心温まる映画に仕上げるなんて、まさに夢のような企画。他の国ではなかなか成立しにくいだろう。

ザック・ゴッサーゲンは障害の度合いが非常に軽いようだ。言葉が明瞭だから、劇場主にも理解できるセリフが多かった。彼はもともと演技に興味を持っていたらしく、その能力を伸ばせたのは素晴らしい。 

障害者の扱いは難しい。健常者が演技で障害者を演じると、どこかに偏見が入ってしまい、意図せぬ反発を呼ぶことがある。 でも誰かが障害を表現しないと、健常者の心に彼らへの共感を生むことができない。演技ができるザック君は稀有な存在だから、今後も大事にして欲しい。

彼らが移動のために使うのはイカダ船だから、ハックルベリーフィンなどをイメージさせる。交通手段が発達した今日、手作りのイカダを使うのは非現実的な気がするが、映画の材料としては夢や牧歌的雰囲気を感じさせるから効果的だ。社会から脱落した二人組の男たちには、のろい移動手段のイカダ船が似合っていた。

作品中で地図をたどるシーンがあり、彼らはノースカロライナ付近の遠浅の海や湿地帯を移動していたようだ。沼や浜辺の中を移動しているし、風呂に入った様子もないから、どう考えても彼らは猛烈に臭かっただろうが、映画では誰も彼らの臭いに嫌悪感を示してはいなかった。話が妙な方向に行くからかも知れない。

主役のシャイア・ラブーフは実際にも社会不適合者らしく、この作品の製作途中に事件を起こしている。お尋ね者としては本物だが、過去の役柄のイメージのせいか、この役に合っていたかどうか微妙だと思った。髭を生やしても、少年の頃の顔を思い出してしまい、ワルらしい迫力に欠けているように思う。

また、ザックがプロレスに出場する話は、必要だったかどうか分からない。普通なら、素人の障害者を出場させでもしたら、どんな契約書を作ったとしても、犯罪に相当するはずだ。必ず責任を問われるから、協力する奴はいないと思う。現実から離れすぎる設定は、夢を壊す。だから、プロ相手にトレーニングさせてもらうだけで良かったのじゃないかと思う。 

施設に入所している障害者が何かの活動を希望する場合、社会はどう対応すべきだろうかと考えた。「能力的に無理だろう」「危険に巻き込まれる」「犯罪者に利用される」「管理責任を問われる」・・・そういった考えが直ぐに浮かぶ。

今作のザック君のように脱走を図られたら、規則違反がまず重大視され、彼の想いがどうかの問題は後回しになる。彼に共感し、彼の行動に協力することは考えられない。協力したら、自分が犯罪者になりかねないからだ。規則が障害者の希望、気持ちのことをどこまで把握しているのか、劇場主には分からない。 

劇場主の診療所には知的障害者も来院する。診断書を要求されることもある。ある時、独居で生活するのが難しい患者のことで、担当官から施設入所を要すると書くように要求されたことがあった。患者の希望を確認したかどうか尋ねてみたら、その担当者は本人の意志を全く気にしていなかった。

「何を言ってるんだ、あいつに意志なんてあるもんかい! あったとしても、だからどうした! 一人暮らしは無理だろうが!」言外に、そんな感覚を持っていることを、表情で感じた。

担当官は、自分の責任のことを第一に考えていたはずで、確かに施設に放り込んだほうが患者は安全で、管理はしやすい。責任を果たしたことにできる。だから脅したり、誘導したりして入所させるケースは少なくない。でも、障害者の権利への配慮や、敬意に欠けるものを感じる。

敬意を忘れてはならないと思う。何を考え、希望しているのか、誘導しないで聞くべきだし、独居が明らかに困難だという証拠にも、その客観性にこだわるべきだ。

 

2020年9月14日

記憶にございません!

Hit-me-anyone-more-time

- 東宝 -

首相の黒田啓介は記憶喪失になる。秘書官たちの協力によって、なんとか仕事をこなそうとするが・・・DVDで鑑賞。三谷幸喜監督作品。この作品は舞台用ではなく、最初から映画用の企画だったらしい。

主演は中井貴一。威厳のない人物を上手く演じていて、無理を感じなかった。良いキャスティングだったと思う。可能ならば、元々の態度を表現する映像では、政治家が実際にやりそうな、定型文を繰り返して煙を巻こうとする答弁をして欲しかった。ただし、そうすると現実の政治家を連想させるから、クレームがつくと判断したのかも知れない。  

作品全体として、大人しいコメディという印象。爆笑するようなシーンはなかった。流行りの漫才、コントほどの強烈さはなく、古めかしさを感じた。ただし、喜劇映画の場合は、テレビのコントとは笑いの質が違って当然だと思う。激しいコントを、続けて2時間も観ることは考えにくい。

それに映画の場合は、真面目なシーンも必要だ。この作品で親子や夫婦の関係が破綻している姿を描くことは、ストーリーのために必要だったし、テンポのためにも必須だったと思う。時間的な構成のバランスは良かったはずだ。 

でも個人的には、もう少し爆笑が欲しかった。「あのシーンは傑作だった」と多くの人に感じてもらえるシーンが欲しい。何かが足りない印象。万事につけ、激しさが足りていなかった。お色気も不足していた。

主人公を誘惑する野党の党首は、もっとグラマーで色気全開のアバズレタイプのほうが良かったと思うし、主人公もパンツ姿くらいにはなって欲しかった。あるいは、相手は女性ではなく大柄のオカマタレントではだめだったろうか?

周囲の人間が主人公に絡み、とことん人格批判を繰り返しても良かったと思う。セリフも動作も昭和のサラリーマン映画のようなものが多く、あまり新しさを感じない。今風の登場人物がもっといても良かったと思う。

この作品は安倍政権が続く間に制作されたが、安倍総理をイメージする内容ではなかった。そんな内容だと批判を呼んでしまうと自粛したのかも知れないが、それが最も面白さを欠く原因だったかも知れない。露骨なくらいの皮肉があるほうが面白いはず。ただ、一般的な政治の醜さ、質の低さを感じるエピソードは描かれていた。  

官房長官だった菅氏は、映画と違って、総理を替えるほどの権力は持っていないと思う。安倍総理のほうこそ、頭一つ抜けた実力者という印象がある。ただ、安倍総理が独断で権勢をふるう印象は受けない。ちゃんと党幹部の了解をとって段取りを踏み、集団で意思決定をやっている印象を受ける。

実際には選挙の際の助力などで圧力をかけ、かなり強引な取引もやっているようだが、安倍総理自身がそれを指示しているようには見えないし、実態は分からない。参議院広島選挙区のように、対立候補を持って来ると言われたら、たいていの政治家たちは官邸の意向に従うと思う。

政治家が自分の信念で動けるためには、相当な実力がないといけない。そのために、権力=主流派を奪い取ろうとする争いが必ず起こるし、多くの妥協の結果、信念を失ってしまうのも、誰だってあることだろう。質の低い権力闘争は、国家にとっては不毛な争いだ。

でも、選挙制度や政党政治の仕組みを変えるには、気が遠くなるような作業を要するから、現実には改善できないと思う。国民の多くが首相を尊敬し、子供が総理を目指すような国になることは、非常に難しい。  

可能性に過ぎないが、今回の新型コロナウイルスの流行は、政界の問題点を考える人を増やすきっかけになったかも知れない。政権内部の人間の愚かさが明確になってしまったので、さすがに自分たちの選択の間違いに気づいたはずだ。

飲食業や観光業に従事する人達の中には、政権に恨みを持った人もいるだろう。政治家と役人のすべてが大バカ者に思えたろう。質の高い行政府を作る必要性に目覚めたかも知れない。

ただ、そうでない人も多い。自分の家族や仕事に直接の影響がなければ、新しい政治を求めたりはしないのも、自然なことだ。直接害を受けた人間が首相を代えたいと思っても、同じ感覚になれない人には分からない。だから、根本的な変革には思い至らないだろう。

 

 

 

2020年9月11日

エンド・オブ・ステイツ(2019)

Angel-has-fallen

- 主演 ジェラルド・バトラー -

合衆国大統領のボディガードを務める主人公だったが、謎の敵からドローン攻撃を受け、意識を失う。目覚めると、彼は事件の犯人にされていた・・・DVDで鑑賞。   

シリーズ3段。このシリーズは、完全にジェラルド・バトラーのためのものだと思う。彼が活躍するのを描くためのシリーズだ。その点でぶれていないのが、かえって心地よい。

他のアクション・シリーズものでは、相手役のヒーローや強力な敵を登場させて、互いにいがみ合ったりすることで、物語を面白くしようとしたものがあるが、えてして注目度が分散され、ヒーローを称賛する気持ちに悪影響が生じたものが多い。注目を主人公に集め、逆境からの脱出と勝利の道をひたすら描きたいなら、他はすべて盛り上げのための道具として扱うべきで、他のことに色気を出してはいけない、そう考えたのかも知れない。

この作品は、その徹底ぶりが良かったし、悪役も予定通り、ラスト近くの展開も予想通りの、古典的アクション映画の定石をたどる作り方だった。父親が登場して主人公を救うのも、よくあるパターンだったと思う。そんな設定のおかげで、安心して観ていられた。西部劇と流れが同じなので、どこで逆転が起こるか予期して待つ心理に作品のほうが合わせてもらえる感覚を持った。水戸黄門や大岡越前のドラマと同じだ。 

レベル的に見れば、そんな約束路線であることが気になり、退屈してしまう人もいるかも知れない。娯楽の路線通りに進めるか、意表をつく路線にするか、判断は難しい。

ドローン攻撃のシーンが素晴らしい出来栄えだった。実際にあのような兵器ができているとしたら、もはや戦場に行くのは自殺行為に近い。勇気も訓練も役に立たない。高速で飛んできて人間を察知して爆発されたら、もう避けようがない。鍋をかぶって逃げるか? たぶん、それくらいじゃ助からないだろう。

中東で使われていたというプレデターやリーパーなどの大型ドローンなら、大きなミサイルは落ちて来るが、部隊ごと全滅することは考えにくい。分散して隠れ、周囲を見張れば助かる可能性がある。でも複数の小型ドローンでは対処法がない。上空から高性能のカメラで観察し、自動的に敵を補足し、攻撃して来られるのは怖い。その兵器がこちら側にある限りは頼もしいが、敵の側にあれば悪夢だ。

カメラや画像処理の技術は進んでいるので、もう出来上がっていても不思議ではないように思う。イスラエル、中国、米国以外でも作れるだろう。近距離で戦う場合には、すでにドローンが主役なのかも知れない。どうか戦場に放り出されることがないように祈っている。 

 

2020年9月 8日

自分のことは話すな(2019)

Gentosha_20200724141701

- 吉田珠央著・幻冬舎新書 -

どのような生き方をするかで、人は悩むものと思う。劇場主のこだわりと言えるものは、口先で人を操り、自分の利益を追求する人間になるなという事である。実際には、金持ちに憧れるあまり、ついつい誘惑にかられることも多いのだが。

ただ、もしできるなら日々の仕事に精を出し、責務を果たし、家族や社会に貢献したいと考えてはいる。いろいろ学び、諭され、経験していく中でそうなったのだが、後悔したくないという怖れから、そんな考え方になったのではないかとも思う。

おそらく自分でソフトバンクやユニクロのような会社を立ち上げていたら、こんな考え方はできなかったろう。動く金額が大きければ、考え方も変わるはず。ショボい商売をやっているから、利益を追求できないのか?

今の劇場主の考え方が、現実社会で自分の利益に通じることはない。経済的、精神的にも損する道になる。死ぬときには自己満足に浸って穏やかに天国へ行けるかも知れないが、生きている間は辛いままだろう。商売や人づき合いの面での利益がない考え方だからだ。  

劇場主とは違い、若い頃から上司に引き立てられて出世街道を突っ走る人もいる。人物評価は最高、やり手で、管理能力や人間性、すべてにおいて高いレベルとされるような人物。高級官僚や代議士、大会社の社長などの中に、そんな人は多い。でも、大成功をおさめた人物だから優秀とは限らない。人間性も分からない。

大きなスキャンダルが明るみに出て、その本性がさらされてみると、意外なほどに普通の人間で、ただ野心や欲にまみれていただけと想像される場合が多い。逆に言うと、野心や欲があれば、普通の人間でも社会的成功を狙えるとも言える。それは悪いことじゃない。

暴かれた実態がとんでもない悪人、犯罪者の場合に、その人物が高い評価を受けている間、本質に気づかなかったのは・・・それは我々が口先や雰囲気に騙されていたからだろう。騙されてはいけない。そして騙すことも避けたいと、劇場主は考える。自分が悪徳にまみれ、人のことを言える立場じゃないのは嫌だ。

この本は接遇教育に近い内容である。接遇トレーニングの講師は、旅客機の客室乗務員出身の人が多い。この本の著者もそうらしい。

人との会話は難しい。劇場主もついダラダラと、家内への愚痴や自分がやった運動メニューの紹介などをしてしまい、ハッと気がつくと、相手がどう返事したらよいのか困惑している様子が見える。内容も思いやりもない話を会話と勘違いしている。このままではいけないと考えて、この本を購読した。

この本は、そもそも人の生き方を論じる内容ではなく、接遇の仕方を解説するもの。ある意味で本心とは関係なく、条件反射で応対でするための、そんな受け答えのトレーニングメニューに関する本だと思う。商売をするうえでの、マニュアルと思えばよい。条件反射に精通しても、人間性に影響するわけではない。

トレーニングによって得た能力で顧客を獲得し、社会的に成功するのは良いことだが、実態がクソ野郎のままというのは望ましくはない。我々は、おそらく接遇対応が優れた人物を信頼できると感じて選んできたのだが、結果として役立たずのクソ野郎を選んでいたのかも知れない。接遇の質と人間の質を勘違いする浅はかな判断がなされたのだろう。

ただし、口先の反射をおろそかにしていると、自分の評価を下げる結果になる。会話を軽んずるべきではない。中身も立派でありたいし、受け答えも一定のレベルでありたいと願う。   

今日、支持を集めて議員になった人達が、コロナ対策で右往左往し、見当違いの施策をやらかす姿を繰り返し見ている。もちろんコロナ対策は難しいが、人として信頼できない連中が多すぎる点が一番の問題だと感じる。

端的に言うと、クソ野郎に命令されて、自粛を続けないといけないのは腹が立つ。指示内容は正しいのかも知れないが、その前に指示する人間が信用できないので、「仕方ない、あんたが言うならそうする」という風な了解ができないのだ。

たぶん、昔からそうだったのだろう。第二次大戦の時代も、当時のエリート達が無茶な判断を下し続けたはずだ。当時の首脳たちは、選ばれた優秀な人達だった。彼らは毅然としていて、きっと素晴らしい受け答えをしていたに違いない。彼らが選ばれたのは、商売レベルでの人の評価と、戦略レベルでの評価を間違えていたからだと思う。

彼らを選んだ人間は間違っていたし、そんな人間を選んだ先達も間違っていた。評価を、間違い続けている。

・・・そんなことと関係なく、この本は成立している。この本に「真心」などの単語は出てこない。そんなものの必要なく、日常が営まれている現実を忘れてはいけない。

 

 

 

2020年9月 6日

キャッツ(2019)

Cats

- Universal -

ロイド=ウェーバーのミュージカルの実写映画化作品。監督はトム・フーパ―。DVDで鑑賞。歌手のテイラー・スウィフトやジェニファー・ハドソン、ジェイソン・デルーロなどが出演していた。

主人公は捨てネコ役のフランチェスカ・ヘイワード嬢で、本物のプリンシパルらしい。バレエの踊りが美しく、猫のような動作、ヒロインにふさわしい表情も素晴らしかった。彼女のキャラクターが問題になる。個性がはっきりしていなかった。

子猫役だから、イタズラ好き、甘えん坊など、観客が彼女に好意を抱くような性格は欲しい。踊りはもっと下手でも良いから、可愛らしいコメディエンヌがヒロインを演じると良かった。彼女が何を経てどう成長するかも、共感を得るためには必須だったはずだ。 

ずいぶん前に、舞台を映画化した作品を観たことがある。役者が汚そうな着ぐるみを着て演技する記録映画ふうの作品だった。技術的には、今回の作品のほうが数段優れている。

この作品のCGの技法は徹底している。あらかじめ着ぐるみを着て演技するのではなく、撮影の段階ではモーションキャプチャー用のタイツを着ており、後でCG処理によって耳や尻尾、毛並みまで追加して描くという方法のようだ。尻尾や耳の動きに無理がない。そのために失敗もあったらしく、腕時計をはめたままの画像が残ってしまい、公開後に修正したらしい。

着ぐるみを必要としないためか、ダンサーたちの動きが制限されなかったようで、踊りに関しては非常に高いレベルを感じた。主にバレエの動きで優雅に踊り、途中ではヒップポップ系や、タップダンスも交え、退屈させないようにバラエティ豊かにする工夫を感じた。

ただし、映画でバレエを観たい人がどれだけいるかは疑問。それに、目で追えないほどの踊りは、観ていて疲れる。踊りの動作の早さ、カメラワークに注意が必要だった。

ダンサーの全体的な配置や、演出の計画性に関しても疑問を感じた。人間の目の性能を考えると、プリンシパルが踊る時は彼女の動きに目が行くものであり、それと同時に他のダンサーが目立つ動きをされても困る。「あれ? 他のダンサーに焦点が移ったのか?彼を観よう。」と思ってた所で、またプリンシパルが何か大事な動きをすると、どこを見て良いのか分からなくなる。観客の目の動きを考え、どこかが動くときは他のダンサーは止まるくらいのメリハリが必要だ。そこの管理ができていなかった。 

歌に関しては、本職のテイラー・スウィフトのシーンは完成されていた。彼女は自分のMVでも似たようなことをしているから、踊りに関してもサマになっていた。ただし、この役はもう少し色気を強調するタレントのほうが向いていたかもしれない。

また、ジェニファー・ハドソン嬢は、せっかくの声質が生きていないように思えた。「メモリー」は古いタイプの曲だ。クラシック系の歌手に向く曲調であり、ハドソン嬢に向くのは、もっとソウルフルな曲だと思う。ミスキャストだったのではないだろうか? 

ジュディ・デンチにいたっては声が聞き取れなかった。音響に関して問題があったかもしれない。生の声を生かす手法は、同じ監督の「レ・ミゼラブル」でも使われていたが、まったく感心できない。明瞭に聴こえないと話にならない。

この作品は興行的には大コケだったらしい。一億ドルの赤字を出したというから、もはや想像を絶する金額だ。巨大セットに金をかけすぎたのだろうか? 技術面に野心を感じるから残念だ。 既に舞台で大勢の人がキャッツを観ているから、ストーリーで客を呼ぶことはできない。音響や表現の面で問題もあり、当然の結果かもしれない。アニメにすると良かっただろう。

ただし、セットは豪華で、踊りに関しては素晴らしい。踊りだけなら、何度でも鑑賞したい。

 

 

2020年9月 4日

安倍総理の会見(2020)

(報道) 
令和2年8月28日に、安倍総理が辞意を表明した。事前に記者会見をやるという報道があった時点で、発表内容はそうだろうと思っていた。既にここ2カ月くらい、あまり活動していないと報道され、体調不良が噂されていた。テレビの画面でも覇気がなかった。 

(理由)
御本人の説明によれば潰瘍性大腸炎の病状が悪化したのが理由だという。本当は大腸癌なのかも知れない。あるいは次の選挙への不安などから、身を引くべきと思っただけで、実は病状は関係ない可能性もある。

新型コロナウイルスの流行は、明らかに大きく影響したと思う。対応が難しかったので仕方ない面もあるが、トンチンカンなこともやったので、自分で自分に不満だったに違いない。経済面の落ち込みも激しく、自信も失っていただろう。どうしたらよいのか、もう分からなくなっていた可能性もある。

(功績)
安倍政権の実績は、株価が安定し、雇用の状況が良くなったことにつきると思う。好景気は米国経済が好調だったからに過ぎないだろうが、なんにせよ結果的に失業者が減るのは良いことなので、成果を認めるべきと思う。

総裁に復帰した時、好景気がやって来そうな予感はあった。あのイメージは大事だ。非正規雇用が増えて格差が広がった点や、成長戦略が現実的でなかったなど、施策の内容に問題があっても、夢は抱けた。それには感謝したい。

企業に対して、給与を増やしてくださいと真顔で要請する総理は初めてだったのでは? CEO連中は苦笑したろうが、劇場主も総理と同感だった。

(罪)
その成果が、新型コロナの流行で吹き飛んでしまった。飲食業や観光業、航空業界などは、総じて経営危機に陥ったはずだ。

ところがモリカケ問題などで、もともと安倍氏に対する信頼が失われていたので、共に乗り越えようと言いだせない状況にある。人間的に信用できないのに、共に…などと言われてもおかしい。腹が立つだけだ。信頼回復は難しい状況。

そして財政の悪化が著しい。将来にツケを残し、破綻の危険度を高めてしまった。アベノミクスも、成功したとは言えない。どうやら大騒ぎした結果、功罪相半ばする施策だったようだ。予想通りの結果だった。 

(総理という立場)
総理を7年間も続けたのは、たいへんなストレスに耐えてのことだったと思う。病気のせいでの辞任となると気の毒ではあるが、本来は気の毒では済まされない。

総理は、国民の命や財産に関わる重要な立場だ。世間では人間だから、病気だから・・という評価が主流のようだが、それは勘違いが多数派を占める事を意味するだけで、正当な評価を意味しない。

もちろん難病を持っていても、社長や議員にはなって良い。でも総理は違う。国家的難題に対処するためには、健康であることも必要。総理は、時には国民に生命や財産の提供を求める職である。

自衛官に死を命じながら、自分が職を投げ出すようなことは許されない。それが許されるなら、自衛官たちが逃亡しても文句は言えない。何でもありの世界になり、寝たきりの重病人や生死をさまよう患者が総理に就いても良いことになる。それで国が機能するはずはない。 

職の重要さに鑑みれば、あらゆる言い訳が通用しない。二回も辞職するなど、恥を知る人間ならできることではない。彼を支持する人達も、恥の概念が欠けている。心構えの点で、安倍氏は不適格だった(気の毒だが)と言わざるを得ない。それが総理という職だ。 

(新首相) 
次の首相は、まだ分からない。菅官房長官が有力だと言う。でも選挙の事を考えると、石破氏のほうが国民受けが良いので、より望ましいかも知れないと思う。話しぶりには辟易するが。

菅氏は実務に関しては、そつがないだろう。ただ、選挙の顔になれるかどうか分からない。人相やイメージの面で、党の利益に結びつくかどうか? 国民が夢を感じられる政治家だろうか? 

安倍政権の負の面がそのまま引き継がれることになるなら弊害が大きいし、非民主的な選出方法には嫌悪感を感じる。 米国からは、誰がなっても安倍氏ほどは歓迎されないと思う。したがって次の総理は無茶な要求をされ、党内からも足を引っ張られるかもしれない。

 

«アメリカは日本経済の復活を知っている(2013)

無料ブログはココログ