映画評

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2018年1月16日

ウィラード(1971)

Willard

- Bing Crosby pro. -

 

気弱な青年ウィラードは父の会社を乗っ取られ、鬱屈した生活を送っていた。彼はネズミを飼うようになり、ネズミを使った復讐を始める・・・・

 

DVDで鑑賞。雑誌で紹介されたのを読んで興味を持ち、あらすじは知っていたのだが、今まで鑑賞してこなかった作品。TUTAYAの紹介コーナーに置いてなければ、たぶん観ることはなかったろう。古いタイプのSFサスペンス映画というところだろうか。

 

懐かしいアーネスト・ボーグナインが出演していた。いかにも役柄に合致したふてぶてしい悪役ぶりで、素晴らしい存在感を示していた。本人はちゃんと自分は仕事をしており、人生も楽しんでいるといった表情をしていて、悪意を前面に出した安直な悪役ぶりでなかったことが効果的だった。あんな人物は、実際にもそこらじゅうにいるからリアルだった。

 

この作品では、母親役や親切なおばさん役も悪役に相当していた。特に母親の役割は大事だったと思う。主人公を愛しているが、同時に依存してもいて、主人公にとっては重荷以外の何物でもない。細かいことで小言を言う姿は、素晴らしい悪役ぶりだった。ヒロイン役も懐かしい。ソンドラ・ロック嬢だ。

 

今の作品と比べると、CGの迫力がない分だけ訴えかけるほどの恐怖感は感じられない。ネズミが襲ってくるシーンは大事だと思うのだが、ぬいぐるみを投げつけているだけらしいのが分かってしまい、興ざめする。当時の客は、あれで満足していたのだろうか?さすがに幼稚な表現だと思うが・・・

 

おそらく70年代でも、手書きのグラフィック技術はあったはずだから、たくさんのネズミが黒い影になって人を襲うシーンは作れたはずだ。予算の関係かも知れないが、気味の悪さは絶対に必要な作品だから、もう少し頑張ってほしかった。

 

この作品は、企画としては非常にまとまっていると思う。ネズミが人を襲うアイディアは良かった。他の動物では大きすぎたり小さすぎたり、可愛らしすぎたりして妙になる。復讐に走る流れも分かりやすかったし、結末も予想される自然な流れだった。

 

 

 

2018年1月13日

たかが世界の終わり(2016)

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- Entertainment One etc. -

 

自分の死を家族に告げるために家を訪ねた主人公。しかし、家族を前にすると話を切り出せない。家族の間にギクシャクした空気が流れる・・・・DVDで鑑賞。

監督と原作はグザヴィエ・ドランという方で、フランスの有名な俳優がごっそり出演したか?と思えるほど豪華な出演者が演技合戦をやっていた。特に強い印象を受けたのは母親役。子供達から敬意をはらってもらっていなかったが、それに対抗できている点がよく表現されていた。

 

遠近を強調した映像、小津安次郎ばりのアップを使った会話のシーンが印象的だった。でも、失敗作では?という印象も強い。アイディアは良かったはずだが、少しテンポに問題があって、観客が観ていて耐えられなくなる間合いではなかったかと思う。

 

しっくりいっていない家族の関係はよく分かった。表現が良かったからだろう。主人公が家出同様に都会に出て以後が疎遠であること、性的な問題により理解されていないことが大きな原因らしいが、残った家族の間でも諍いが多い元々の家風のようなものが、妙な雰囲気からよく分かった。実際にも、あんな感じになるのかもしれない。

 

でも、それでストーリーが転ぶ流れ、帰結に至るまでの必然の経過は表現できていないと思う。観客が、「ああ、こんな家族関係なら、こんな結末になるだろうね。それでも、こんな家族は好きだなあ。」と納得できないと、満足感に浸れないはずだ。

 

深刻な内容の話であるから、基本はアップテンポなほうが、鑑賞に堪えやすいという点では好ましい。基本は喜劇タッチであるべきだ。それに時々テンポを遅くして涙を誘ったり、時々笑える話を持ち込むといった調子の変化は必要だろう。気まずい家族の雰囲気を延々と演じられると、観客も気まずいというものだ。

 

家族の関係とは、なんと難しいものだろうか。許されるなら、人は自由に人生の選択ができるべきで、何を選んでも批判されないほうが良いのだが、私の父も兄の生き方を激しく、しかも執拗に批判していた。兄夫婦もしまいには腹を立てて絶縁状態になってしまったが、わが家があんな風になるとは子供の頃は考えていなかった。仲が良く、希望に満ちているような感覚だったから。

 

おそらく成長していくに従って、親の希望と子供の現実の違いが明らかになり、憤懣が募って悪い関係がどんどん重症化していくのだろう。劇場主自身も子供に大きな期待を持っていたが、障害が明らかになってからは無理なことは言えないと悟った。でも障害が軽かったら、もっと腹が立っていただろう。どうしてできないんだ!などと怒っていたに違いない。

 

子供を誇れないことは悲しいが、もちろん世界の終わりを意味するほどのことではない。子供だってなんとか生きていけるだろう。常に尊敬されながら雄々しくとはいかなくても、それなりには生きていけると信じる。諦めというのだろうか、自分ができることやるべきことには限りがあるように思う。

 

 

 

2018年1月10日

わたしはダニエル・ブレイク(2017)

Idanielblake

 

Sixteen Tyne Limited etc. -

 

大工として長年働いてきた主人公は、心臓発作によって職を失い、支援を請求する。しかし、制度の狭間にはまってしまい、破産目前となる・・・・

社会制度の不備、貧困、格差と助け合いを描いた作品。DVDで鑑賞。

ケン・ローチ監督の作品は、劇場で観ることは難しい。地方都市ではDVDが基本になる。おそらく名画座は、福岡市くらいでないと経営的に成立するのが難しくなっているのだろう。熊本市では、かろうじて1軒が頑張っているのが現状。レンタルビデオに押された面もあるだろうし、DVDのおかげでマイナー作品を鑑賞できる状況を考えるとビデオ屋さんも大事ではあるし、ビデオ業界は諸刃の剣となっていて、難しいところ。

 

主人公の境遇は非常に不幸で、悲劇を演じているのだが、演じ方が喜劇的なので救われる面がある。これを本当にシリアスに演じていたら、観客も観ているのが辛くなるだけだろう。コメディアンの主人公がユーモラスに演じていたことで救われていた。

 

人として誇りを保つには、自分は自立した存在であり、税金を払い、社会的な義務を果たしてきたといった自負も必要だろうと思う。もし明らかな障害を持って生まれたり、精神的か身体的に重篤な病気で仕事が難しくなった場合は仕方ない、誇りを大きく損なわずに権利として支援を請求することも当然と感じることができる思う。問題は、そんな要求が多数になって、制度の維持が難しくくなった時にどう対処すべきかという点。権利ばかり主張する人間も多い。

 

旧共産圏の場合は、強力な管理によって制度を維持しようとして、結局は破綻してしまったように思う。自由に頑張ろうとすると密告されるから、皆が過剰に働くことを止める。そのツケが、社会全体にのしかかると、国が破綻するはずだ。働くなくても良い、うまく立ち回ったり権力者へのツテがあるなら楽できるとなれば、普通の人間は頑張ろうとは思わない。労働に対するモラルは破綻する。社会保障にも、どこかで制限を設ける必要はある。

 

でも、その制限が難しい。支援を要求している人間の本当の資産を把握することが難しいし、仕事をする能力、体力の認定も時間がかかる。素早く判定するためには判定組織を大きくする必要があるが、それでは管理者ばかりが肥大化した組織になってしまう。

 

日本の介護認定だってそうだ。現実とかけ離れた判定がされている。診断書を書いてはいるのだが、認定会議に行ってみたら無視されていて驚いた。使われているソフトが、これまた怪しい。ケアマネージャーら管理側が判定した内容に引っ張られ、真面目な人が損する結果になっている。事務する人が多すぎて効率も悪い。請求がややこしいから、事務専門の人間が多数必要で、旧共産主義社会の運営を連想させる。

 

介護保険の財政についても、最初から疑問に感じる。ドイツの制度を手本にしたそうだが、どこを見てきたのだろう。新しい建物を建てさせることが前提になっており、各施設が維持されるためには、建設費に介護保険料を回す大きな流れを作ったことになる。それでは介護のためではなく、建設業界のための資金を集めただけだ。介護する人、自分たちで努力する人に手厚くするよう、なぜやらなかったのか。大きく方針を買えない限り、財政を維持できる可能性は低い。

 

 

 

2018年1月 7日

太陽にかける橋/ペーパー・タイガー(1975)

Paper_tiger

 

- NBCuni -

 

第二次大戦の英雄が日本領事の子供の家庭教師として採用された。しかし、彼は子供とともに反政府グループに誘拐されてしまう・・・・12月3日、衛星放送で鑑賞。

 

主演はデビッド・ニーブン。当時の彼は65歳。相手役として三船敏郎が大使を演じていたが、アクションを演じるわけではなく、ただ素振りを一瞬やるだけの、あんまり活躍しない相手役だった。東洋のスターを使ったことに意味があり、特に三船独特の迫力を求めていたわけではないように感じた。

 

撮影の舞台となったのはシンガポールか香港かどこかで、特定の国ではなく東南アジアの架空の国を想定しているようだ。大臣が白人で、やたら外人が多い妙な国だった。カンフーアクションも少し出てくるし、一応はカーチェイスも少しあるのだが、迫力の点ではまったくいただけなかった。

 

演出の方法にもおおいに疑問を感じた。古いテレビドラマのような適当な演出だと感じる。十分に計算して、時間やタイミングを練った様子がなく、スタントマンや俳優たちの体力に任せて撮影されたのではないだろうか?そのかわり、俳優たちの動きは機敏だった。

 

良い話だった。戦争の英雄が実はそうではなく、嘘とホラ話に満ちた虚言癖の人物という設定が良い。そんな人物が必要に迫られて本物の勇気を出さざるを得ない・・・そんな物語はたくさん見てきた。この作品も、全体の流れは悪くないと思う。ちょっとした演出のセンスが、何か足りないような気はしたが・・・。  

 

太陽に・・・という邦題は、戦場にかける橋にひっかけ、東洋の日出る国に親近感を示す意味合いがあったのかもしれない。張り子のトラのままでも良くなかったろうか?

 

少年役はなかなか利発そうで、役柄にあったキャスティングをしていた。しかし、残念ながら演出がテレビタッチなので、「チャコちゃん、ケンちゃん」レベルの演技になっている印象。子供が自分の恐ろしい運命に恐れおののくような不安げな表情を見せたほうが、作品全体のイメージとしては良くなったと思う。ヒーローものとは違った味わいが望まれたはずだ。

 

 

 

2018年1月 5日

天使のくれた時間(2000)

The_family_man

 

- Universal -

 

エリートビジネスマンの主人公は、優雅な独身生活を楽しんでいたが、イブの日に別れた恋人からの便りが届く。そんな彼に不思議な出来事が・・・・12月24日、衛星放送で鑑賞。クリスマス・イブだったからだろう。

 

主演はニコラス・ケイジ。ヒロインは懐かしいティア・レオーニ。ニコラス・ケイジの魅力は正直、まったく感じなかったのだが、彼は今日でも堅調に出演作が続いており、第一線のスターではなくても、しっかりした支持者がいる実力派俳優のようだ。劇場主の感覚では、こんな役はソフトな二枚目役者か、完全なコメディアンが望ましいと思う。ニコラス・ケイジは、そのどちらとも言えないのでは?

 

冒頭の空港での会話は、なんとなく違和感を感じた。ぎこちないというか、芝居がかった印象で言葉が古めかしい印象。もしかすると、原作の「素晴らしき哉、人生!」のセリフをそのまま使っていたのか?そんな気がした。それ以外のシーンは自然で、現代風の会話だったような気がするので、何かあっていたはず。

 

ドン・チードルが出演していた。恰好は違うが、彼が天使の役らしい。大事な役だった。白人よりも彼が演じたほうが効果的だった。チードルはアメリカの黒人の中でも色が濃いほうで、性格もきつそうな感じが漂う。我々の持つ天使のイメージとは正反対だから、そこが効果的。

 

監督のブレッド・ラトナーという人は、2017年に盛り上がったセクハラの騒動で告発された一人らしい。作品よりも、スキャンダルのほうで有名になったかもしれない。

 

この作品はリメイク~あるいは旧作を参考にして作られていると思う。したがって、旧作との違いが明確であるか、旧作と共通する部分が明らかで、比較したり思い出したりすることでの独特の満足感を狙えると思う。いっぽうで、旧作と似ていると観客には飽きられやすい傾向もあるはずだ。「新しいアイディアに乏しいなあ・・」と、思われたら作品の評価が下がってしまうだろう。上手くコピーして、急に全く違った思いがけない展開に向かうことができれば、非常に受けるのだが、どうだろうか?劇場主は「素晴らしき哉、人生!」のセリフは覚えていないので、よく分からなかった。

 

覚えているのは、天使役は白人の酔っぱらい風のさえない中年男で、二級天使という名称で呼ばれていたこと。川から自殺しようとして飛び込もうとすることなど。冴えない二級の天使という設定は今日でも使えそうな気がする。権利関係に問題が生じないなら、おそらくパロディ風に利用できたのではなかろうか?

 

2018年1月 3日

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー: リミックス(2017)

Gurdians_of_the_galaxy_vol2

 

- Marel  -

個性派ぞろいの仲間が、異星人たちからの襲撃を乗り越え、宇宙の平和を守り抜く物語の第二弾。今回は主人公の父親が登場し、主人公の誕生の経緯が明らかとなるストーリー。DVDで鑑賞。

 

このシリーズはギャグ満載、極めて個性豊かなキャラクターが喧々諤々、仲たがいしながら暴れまくるのがウリの、まあ品は良くない作品。同世代の友人たちと観るのに最適な作品。ギャグの感覚が日本人のそれに近く、その関係で分かり易いと思うが、米国の観客にはどう写るのだろうか?笑いは共通化しつつあるとは思うが、少しシュールすぎるシーンも多かったのでは? 

 

80~90年代の音楽満載、テープレコーダーを大事に扱っている点も前作と同様、笑いを呼ぶ仕掛けのようだ。 わずかな間にテープのない記録媒体が主流になり、 素晴らしいアイディアと思っていたウォークマンですら時代遅れの象徴としてギャグに使われる時代が来るなんて、この分野の進歩には驚かされる。 

今のウォークマンはMP4方式になっているのだろうか?古いタイプの機種が使えなくなっている。MP3~MP4間での変換がパソコンを介さずにできると良いのだが、厄介な手作業を要する。わずか5年くらいで専用のスピーカーが使えなくなるとは思わなかった。SONYも生き残るために色々やっているようだ。泣いて馬謖を切るがごとく、劇場主のようなヘビーユーザーを切り捨てているのか? 

 

スタローンが出演していて驚いた。でも、完全な老人になっているし、この種の映画では迫力負けしてしまうように感じる。もはや、SFでは完全に価値が失われたようだ。 体格や、セリフの言い方、年齢、それらの総合力で無理がある。全盛期の「ジャッジ・ドレッド」の時でさえも違和感があった。実社会を舞台にすればサマになっても、SFでは個性が生きてこないタイプの俳優なんだろうか?  

 

今作では敵役のひとり、ヨンドゥのキャラクターが目立っていた。権威が失墜して裏切りに遭うことや、自分の過去を語ること、そして主人公らとの共闘など、彼のための映画だったようだ。もともと、ヨンドゥというキャラクターの個性は光っていた。善き悪役がいると、作品の魅力が増す。本当に良い働きをしていた。 妙な矢の武器の使い方も面白かった。 マカロニウエスタン映画の悪役と同じようなキャラクターだと思う。 

 

この調子だと、きっとシリーズ第三作が作られるだろう。まだまだ素晴らしいアイディアが生まれ、新しいキャラクターが魅力的な敵を演じてくれそうな予感がする。    

 

 

2018年1月 1日

PK(2014)

Pk

 

- RAJKUMA HIRANI Films -

 

地球にやってきた宇宙人が、通信機器を奪われてしまう。放浪の最中、インド人女性と知り合った彼は、宗教の教団が彼の機器を持っていることに気づく・・・・DVDで鑑賞。

 

この作品のテーマは大きい。宗教を正面から扱っている。「かけ間違え」の表現が秀逸だった。誰のアイディアだろうか?劇場主の宗教観も、かなり偏ったものかもしれない。宗教活動を熱心にしている人たちは、どのように感じるだろうか?

 

主演はアーミル・カーンで、ヒロインはアヌーシュカ・シャルマ嬢。

シャルマ嬢はスタイルの良いモデル出身の女優さんで、30代だろうと思っていたら、この作品の公開当時は24歳くらいだったらしいので、うかつに外人の年齢を言うのはよろしくないと感じた。

 

アーミル・カーンの演技は、志村けんとよく似ていた。もしかすると参考にしたのかもしれない。チャップリンなどの伝統に基づき、芸人らしい表情や妙な走り方によって、頭のおかしい人物らしい行動を表現していた。

 

インド映画はミュージカルが突然始まる妙な伝統があるので、冒頭部分はかなりつまらない印象を受け、飛ばして鑑賞した。全体には長すぎて、おそらく編集を工夫して、焦点を絞って作ったら、世界的な興行成績はもっと上がったのではなかろうか?   

 

でも、十分に面白い作品だった。ただ、危険な作品でもある。宗教家たちにとってみれば、この作品は痛い所をついてくる嫌らしい内容で、できれば無視して過ごしたいだろう。インドのような国で、こんな内容の作品を発表する勇気に敬意を表さないといけない。

 

もしもだが、主人公が宇宙からやってきたか分からない筋書きだったら、どんな作品になったろうかと思った。冒頭部分の、通信機器を奪われるシーンがないとすると、おそらく観客は主人公は単に頭がおかしいと思うだろう。

 

最初はトンチンカンな言動をする主人公に呆れていると、徐々に真相が分かってくる。彼が実は気の毒な境遇にあり、真剣に考え、真実に近い考えを持つ存在であることを徐々に観客が悟るという流れにならないだろうか?あるいは、彼こそが神であったと最後に分かるストーリーもできなくはないだろう。

 

理解されるか賭けになり、大失敗につながりかねない危険な筋書きだが、作品のレベルとしては上がるかも知れない。

 

 

 

2017年12月31日

ローガン(2017)

Logan

 

- 20C.Fox -

 

Xメンでの戦いで名をはせたローガンだったが、病魔に侵され死期が近づくのを感じている。そんな彼に、ある少女の護衛が依頼される。そこから始まるミュータントの生き残りのための戦いを描いた作品。DVDで鑑賞。

 

このシリーズも随分長く続いている。役者の世代も変わってきつつあるが、ローガン役のヒュー・ジャックマンだけは代役のない主役だった。そんな彼も、キャラクターと同様、そろそろ引退の時期を悟り、今回の企画に参画したのだろうか?彼こそが、ミスターXメンだったのに残念である。

 

ローガンの弱り方、衰えの表現が素晴らしかった。腕の皮膚には何か塗っていたのだろうか?シワが実にリアルだった。メイクも微妙に老年者独特の色を再現していたし、表情や動作もそれらしい演じ分けをこなしており、あまりわざとらしくならないように、よく考えてあったようだ。

 

Xメンは、映画になるまでは物語を知らなかった。シリーズ最初の作品はどうも二級のヒーロードラマのような独特の暗さ、怪しさが感じられ、バットマンやスーパーマンを一流ヒーローとすると、ゲテモノに近いような印象を受けた。その中で、芝居がかった演技で迫力満点の戦いぶりをするローガン君は、シリーズの人気を支える存在だったと思う。演技の基礎力が、他のキャラクターを演じた俳優と一段違って見えた。そして、彼が結構簡単にやられる点も良かった。圧倒的に勝つばかりでは、いよいよ子供だましの映画になるだろうが、よく負けるのでリアルな感じがした。絶妙な弱さだったと思う。

 

アクションシーンが全般に単調な気はした。ローガンの戦いぶりは、基本が殴り合いの切りあいであるから、普通の兵士を相手にする場合はどうしても単調になる。戦う人数や場所、敵の武器で変化を持たせないといけない。この作品ではいろいろな場所で撮影されていたようで、美しい林の中でのクライマックスは、ロケーションとしては素晴らしかった。でも、もう少し大掛かりなCGが使えたら、もっと盛り上がったかもしれない。

 

さて、これからのXメンシリーズはどうなるのだろうか?若い世代のXメンは独自の話で進行中だが、このローガンに代役があるのか分からない。あまりに役にはまりすぎ、他の役者が演じた場合にヒュー・ジャックマンと比較されて、はたして新たな魅力を出せるのか?より大柄でマッチョか、あるいはよりヒネた個性か、何かの際立った魅力がないと観客は満足してくれないだろう。

 

劇場主も衰えを感じている。先日、新しい靴を買おうと試着していたら、足がうまく入らずにひっくり返ってしまった。おなかがつかえたのと着ぶくれが重なってのことだったが、若い女性の店員がニヤニヤしながらも憐れみの言葉をかけてくれて、恥ずかしい思いをした。この調子だと、道で転ぶ日も近いだろう。患者さんには転ぶな転ぶなと言っているが、いざ自分が転んだら、さぞ情けないだろうと思う。そして悲しい顔をして諦めるのだろう。

 

 

 

2017年12月29日

メッセージ(2016)

Paramount

 

- Paramount -  

 

世界各地に突然現れた宇宙船。彼らが来訪した目的を探るため、言語学者らが接触を試みる。難航を究めた研究の結果、彼らとの会話が成立するが・・・

 

静かなSF映画。エイミー・アダムスの回顧~トラウマの映像と現在の仕事の進行状況が交互に繰り返され、かなり複雑な構成になっていたが、回顧部分には娘が登場するので両者が混同されるようなことはなく、分かり易く表現されていた。

 

神秘的な雰囲気で登場する宇宙人と、彼らが表現する文章の表現が素晴らしい。おそらく本物の言語学者やデザイナー達が考えたのではなかろうか?アルファベットなどを基本とする人類の文字表現は、表現の一形態に過ぎないという根本的な認識がないと、あのような表現方法はできなかったろう。言語学的、芸術的なセンスの良さを感じた。

 

主演はエイミー・アダムスで、素晴らしい演技だったと思う。美しい女優だが、おばさん体型で過剰に色っぽくないので、今回の役柄にはまっていた。もっとお色気のある女優だったら、直ぐに恋愛沙汰の方向に話が生きそうな気がしてしまう。あの体型が重要だった。

 

監督のドゥニ・ヴィルヌーヴ氏は、ブレードランナー2の監督をしているらしい。確かに両作品には共通する性格がある。靄がかかった広大な光景の中に、静かに直線的に進む飛行船や乗用車の映像がある。静かすぎて、そして靄がかかりすぎて少し不気味な感覚がある。何かが急に攻撃してこないだろうか?といった、本能的な恐怖に訴えているのだろう。

 

静かなSFというと、宇宙で謎の遺跡を探検する話を思い出す。「エイリアン」シリーズも、実際にエイリアンが顔を出すより、人間が進みながらエイリアンが登場しないか恐れているシーンのほうが怖い。ただし、静かに進んだ作品でも、時には退屈してしまうことがある。静かなシーンだけではいけないようだ。今回は重力に変化が来たことを表すCGや、宇宙人の文字表現など、他にも斬新なアイディアが随所にあったので、退屈しないで済んだ。

 

CGが本当に素晴らしい。円盤のような宇宙船の形、その向きの表現や、霧の中にたたずむ光景が美しい。ただ規模の大きさで観客を驚かせようとしても、もはや「インディペンデンス・デイ」で無茶な大きさが描かれていたから意味がない。斬新な形態こそ重要だったが、今回は大成功していた。

 

予知能力が大事な要素になっていた点は、良かった面もあるし、テーマとして少し底が浅くなる面もあると思う。予知能力を持った人間が、未来を覚悟して受け入れるかどうか?そこを観客も納得できるかどうかが大事になってくる。今回の登場人物が、どのように覚悟を形成するのか、観客も「ああ、自分でも受け入れるだろう」と納得できるに至っていたかどうか、少し疑問に感じるところもあった。おそらく彼女が恋人の命がけの献身によって救われたなら、全てを受け入れる心境が理解できただろう。

 

 

 

2017年12月27日

ポンペイ(2014)

Pompeii

 

- Summit, LionsGate

 

ローマに侵略されたケルト人の生き残りの青年が主人公。彼は剣闘士として育ち、ポンペイに連れていかれる。そこで富豪の娘と恋に落ちるが、ローマ軍と対立することになる・・・・

 

11月21日、衛星放送で鑑賞。ベスビオ火山の噴火、火砕流、噴石や津波の迫力をどう表現するかが、この作品のテーマだったのではないかと思う。ストーリーには特別な工夫を感じない。ロマンスの要素も、どうやら最初からたいして期待されていなかったと思う。あくまで火山と剣闘のスリルが作品の中心だったはずだ。

 

バイオハザード・シリーズのポール・アンダーソン監督の作品。CGに関しては非常に完成度が高く、迫力満点の映像だった。おそらくシリーズのCGスタッフがごっそり参加していたのではないか?手慣れた表現手腕を感じた。火山噴火のスペクタクルに関しては大合格だったと思う。津波が起こったとは知らなかったが、本当に発生した形跡があるそうだ。

 

剣闘のシーンについては、さすがに工夫のしようがなかったかも知れない。剣での戦いは、既に「ロード・オブ・ザ・リング」の頃に一定の完成段階に達している。血しぶきの表現などについては、今作品のほうが抑え気味で、やや迫力不足に感じた。したがって、剣劇アクションに関しては不合格。そしてラブシーンについては、まったく盛り上がりに欠けるものだった。

実際の火砕流はどんな形だったのだろうか?「ローマ人の物語」に紹介されていた文章だと、火山灰に困ったと報告した元老院議員が、やがて被災して亡くなったと報告されていたから、映画のように一気に町が壊滅したわけではなく、大量の火山灰、繰り返す火砕流で徐々に被災範囲が広まったのかもしれない。「これで終わるだろう。」と思って避難しなかった人達が、気づいたときにはやられていたという具合では?

 

この作品、本当に火山のCGを狙いにしていたのだろうか?制作の意図が、今一つ分からない。それだけで観客が満足できるだろうか?監督たちの表現の手腕に関して不安はなかったと思うが、作品の個性を際立たせる魅力、独自の何かが定まっていたのかどうか、よく理解できなかった。

 

主役の二人も良く知らない俳優。ヒロインは「世にも不幸な物語」の少女役らしいが、そういえば評判を聞かなくなっていた。ヒロインよりも、召使い役の女優のほうがずっと美人でセクシーだったように感じたが、どんな狙いでセクシー美女がキャスティングされたのか、よく分からなかった。

 

ポンペイには一度行ってみたいと思うが、当面は金も時間もないので無理だろう。同じ火砕流被害に遭った島原には毎年のように行っているが、外国まではそう簡単には行けない。島原の火砕流では酷い火山灰に悩まされたが、あんな現象が起ころうとは、最初は全く考えも及ばなかった。最初、噴煙が立ち昇ったと報道されても、フーン、たまにはそんなこともあろうね、くらいの軽い気持ちでいた。まさか大火砕流が発生しようとは!

 

今でさえそうなんだから、古代ローマ人は何も予想できなかったろう。熊本地震も意外な場所で起こり、想像を超える被害を受けた。阿蘇地域に限定して起こるだろう、熊本市は軽く揺れる程度では?と予想していたが、甘かった。人智の限界を感じる。次はどんな災害が起こるのか、怖いけれども予測できないからどうしようもない。

 

 

 

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