映画評

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劇場主

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Conflict of Interest

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2017年11月22日

プロミスト・ランド(2012)

Promised_land

- Focus Features -

天然ガス採掘権を狙う会社の社員が主人公。自信たっぷりに町に乗り込んだが、住民の鋭い指摘に立ち往生。しかも環境保護団体の人間が妨害し、仕事は失敗の結果が見えてきたが・・・

良くできた作品だった。主役のマット・デイモンと、共演者のクラシンスキーが脚本を担当しているから、おそらくクラシンスキーのアイディアによる作品ではないだろうか?アイディア、各々の人物の性格、立場などの設定が非常に上手くできていて、簡潔に描かれていたと思う。起承転結もはっきりしていた。

背景をぼかして写しながら、その背景の人物が何をやっているかよく分かるように計算して撮影していた。その演出が自然な感覚につながり、効果的だったと思う。

マット・デイモンの演技が特に素晴らしかったとは思えなかったが、軽く言うジョークはどれも良かった。同行した同僚をフランシス・マクドーマントが演じていて、とても良い味を出していたが、二人の掛け合いがリアルで、かつユーモアに満ちていた。

マクドーマントが息子に電話で連絡を取り合うシーンが何度か出たが、あれで彼女の立ち位置、生き方が上手く表現できていた。良い演出だった。彼女は主人公にねたみを持っているから、一種の悪役であり、真の敵役と言える。善き悪役だった。

クラシンスキーが非常に大事な役を演じていた。主役の敵なんだから、もう少し憎々しげに演じさせることもできたと思う。あるいは、徹底的な二枚目、理想に燃えた熱血漢の好人物として演出することもできた。少し中途半端だったかも知れない。

今は電気自動車の注目度が非常に上がっている。中国がガソリン車を排除したら、一気に流れは変わるだろう。発電には石油が必要としても、ガソリン車による直接のロスが減る。石油の需要は、かなり減るのではないだろうか?減ることは、環境にとっては良いことだと思う。

シェールガスの開発会社は、意外に経営破綻する例があるそうだ。開発にコストがかかるからだろう。住民対策に、この作品で描かれたようなコストが様々かかっていたと思える。中東の王様が命令で採掘するのとワケが違う。コストを抑え、相場に敏感に対応して、そして成り立つ厳しい環境のようだ。

でも現時点では、石油会社はスーパーパワーを持つ。戦争だって平気で起こすと思われるし、大統領になれる人間は、おそらく石油業界を敵にしたりはできない。大統領だって、平気で殺すはずだ。ましてや一個の町の住人の将来など、気にとめないだろう。嘘も上手に平気でつくだろう、そんな気はする。

シェールガスの採掘の際に、水を注入することは有名。それで環境破壊がどの程度起こるか知らないのだが、この作品ではかなり説得力のある説明で、問題点を指摘していた。水だけじゃなく、化学薬品を使うのは本当らしい。地下深くだから、害は軽減されるとは思うものの、地下水に影響がないはずはない。

石油会社から、この作品に圧力はかからなかったのだろうか?

 

 

2017年11月19日

ゴースト・イン・ザ・シェル(2017)

Ghost_in_the_shell

 

- Paramount -

 

近未来の世界。サイボーグ化した少佐は、公安9課の仲間とともに犯罪組織を追っていた。そして徐々に事件の背景、自分の秘密が明らかになる・・・・DVDで鑑賞。

 

鑑賞してまず思ったのは、この作品はブルーレイで見たほうが良かったかもしれないということ。「ブレードランナー」のような都市の映像が何度も描かれていたが、おそらくブレードランナー当時より技術が進んでいるはずだから、その表現力も上ではないかと思う。せっかくなら、高画質で観たほうが良い。 

 ただし、全体としての出来栄え、インパクトについては少し残念な印象も個人的にはあって、もう一度見たいとは思わなかった。ヨハンソンのコアなファンなら、何度でも観るのだろうが、あのボディスーツの色に問題があったかもしれない。 

 

この作品のウリは、何といっても主演のスカーレット・ヨハンソンが半裸状態で戦う姿だと思う。原作を見ていないが、もともとあんな格好で戦っているのだろうか?真っ裸だと映倫に触りそうだが、肌色のボディスーツなら許されるという判断が働いたのか、少し違和感のある服装だった。黒色系の色のほうが似あうだろう。しかも途中で本当の背中を見せていたようだったが、サイボーグなのに実際の肉が見えるのは変だ。あそこはCGで筋肉のようなものを描いたほうが迫力があったと思う。お色気も大事だが、肌が見えると体が機械のはずという設定が分からなくなる。 

 

作品のアイディアが斬新とは感じなかった。漫画ではどうなっているのだろうか?少なくともサイボーグになった主人公の過去に何かがある、元々は敵だった連中のために洗脳され、戦っているという話はたくさん見てきた。何かの警察に所属していて、個性的な仲間がいる、未来都市は立体的で、敵は都市の奥深くに異様な姿で潜んでいる・・・それも、もはや食傷気味の設定だ。もしかすると漫画の描き方が非常に斬新で、伝説的な人気を生んでいるのかもしれない。そうでないと、わざわざ海外から映像化の企画が舞い込むはずはないかも。

 

ビートたけしが日本語で堂々と会話していた。サイボーグ連中なら日本語と英語のチャンポンが理解できても不思議ではないと思うが、日本人からすると少し妙な設定だった。セリフを覚えきれなかっただけではなかろうか? あの設定も、中途半端ではなかったろうか?

 

2017年11月16日

世界から格差がなくならない本当の理由(2017)

Sekaikara  
 

- 池上彰著・SB新書 - 

 

格差社会を論じた本。何かの番組のためにまとめた内容を書籍化したらしい。したがって記述の中には池上氏以外の人物、たとえば番組スタッフが集めた資料、文章も含まれているかも知れない。池上氏オリジナルの内容かどうかも分からない。取材した専門家たちの意見をまとめただけかもしれない。

 

格差の問題は、現代社会の最大の難問ではないかと思う。昔からそうだったのだろうが、実感としてそうだと感じる状態は、この数十年のことではないか?様々な環境の進歩によって、以前より大規模になっているはずだ。たとえば欧州に移民が大量に流入するのは、経済的な格差があるからだろうし、そのせいで人種問題が表面化し、人種間の対立が目立つといった風に、格差が他の問題を誘発していく病態のようなものも感じやすくなっている。

 

もし富の再分配に成功しているなら、格差は一定のレベルにとどまり、「仕方ないかなあ。」程度の諦観のもとに許容されそうな気がするが、どうも昨今はそういってない。許しがたいレベルの格差、常識から外れた不平等があると感じるようになっている。感じるだけじゃなく、実際に格差は拡大しているようで、様々な統計でそれが示されていた。

 

なぜ富の再分配が成功しないのだろうか?それが、本の結論になるべきだろうが、読んでも結論めいた文章はないように思えた。もちろん簡単な方法など、ないのだろうけど、もう少し意見を紹介するくらは、やっても良かったのではないか。 

 

EUのような経済圏の誕生とネット空間の整備により、人や金は動き方が変わった。壁がなくなって富がグローバルに動くから、国の単位で何か方策を考えても、富は国境を越え、形を替えて逃れていってしまう。国境があることで不平等も固定化されていたのではあるが、境目の扱いが変わったことで、格差の持つ意味も変わってしまったようだ。

 

解決法の基本は税制だろう。税制が国のものである間は、国際的に協調して資産家が税金から逃げることができないように、どう対処するか?そこが大事な問題。しかし国同士が互いに隙を狙い、競争し合っている関係だから、協調は難しそうだ。格差問題は戦争につながりかねないが、根本から解決する協調の意欲は、互いの思惑に引っ張られて捨て去られる。それに各国首脳が真っ先に資産隠しに走るくらいだから、協調は夢のまた夢だろう。解決の糸口がつかめない。

 

今の20代の方達は、自分が大きな資産を形成できそうな予感、自信はあるだろうか?非常に稀には強い野望を持ち、実際にもかなりの仕事をやってのける人物がいると思うが、昔と比べたら、そんな野心家は少ないような気がする。巨大な富でなくても良い、裕福になれるだろうという予感だけでも欲しいが・・・
 

理由はいろいろあろうが、

①その必要がないくらい、社会はかなり豊かであること。

②既得権益が守られて、ありつける資産に限界がありそうに感じること。

③格差問題に対する危機意識が薄く、簡単に事が改善しそうな予感がしないこと。
そういった雰囲気のようなもので、希望を失っている人が多いのでは?と、想像する。よくは分からないが。 
 

劇場主が20歳の頃は、かなり貧乏なほうだったが、今後は豊かな生活を送れそうだという希望や確信のようなものがあった。学校を追い出されないなら就職はできるだろうし、家庭も持てるだろう、明日の食事を心配するようなことは、天変地異か戦争が起こらない限りないと思っていた。たまたま幸せな時代に生まれ、不安より夢のほうを感じることが多いように感じられただけかもしれない。劇場主の時代が、むしろ稀なのかもと思う。おそらく、当時の若者と今の20代では、微妙な感覚の違いはあるだろう。 

 

感覚を良い方向に誘導することは大事だと思う。ただの励ましではなく、若者が常識的な判断力で「無理してでも借金し、商売を始めたい。きっと上手くいくだろう。」「豊かにならないとは、あまり思えない。きっと対処法はある。」・・・そんな風に感じるように、融資枠や税制をいじるべきだろう。国家の意志が明瞭に示されれば、少なくとも良い方向に変化するはず。 

 

 

2017年11月13日

夜に生きる(2016)

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- Warner Bros. -

禁酒法時代に犯罪組織で頭角を現す人物の栄光、愛、失敗を描いた作品。ベン・アフレック主演、監督作品。DVDで鑑賞。   

映画館で鑑賞するほどの作品とは感じなかったが、出来栄えは素晴らしく、アクションシーンの完成度も非常に高かった。技術的には完ぺきと感じた。 ストーリーも二転三転の変化があって面白い。普通のギャング映画は力をつけ、組織が大きくなり、復讐に成功し、やがて裏切りにあって死んで行く流れが多いが、この作品は勝利と失敗が繰り返されており、その点で面白さが長続きする仕組みだった。映画の題材として面白いと、映画作りにたずさわる人達なら感じそうな企画だった。 

 

ベン・アフレックは最近クールな犯罪者の役を好んで演じているようだが、あまり怖さを感じない。それは、この作品の制作に関わっているディカプリオも同様だ。 もともと端正なイメージの役者が犯罪者を演じても、できる場合とそうでない場合がある。 日本の俳優にも、デビューの頃は恋愛ものに登場していて、やがてヤクザの親分役で味を出す人が多い。たいていは目に迫力があって、いかにも人を殺しそうだという雰囲気が漂う人が多い。優男のままだと無理。実生活でも問題があり、何か事件を起こしたり、少し問題があったほうが観客のイメージが変わる。 あくまでイメージの問題で、演技力とは別だろうと思うのだが、見た目のイメージが悪役っぽい人が演じたほうが、作品の魅力は増すと思う。監督や製作者は、本業に精を出したほうが良い。この主役は、少し迫力不足だった。 

 

主人公に関係する女性役では、情婦役のシエナ・ミラー嬢が一番魅力的だった。 少し演出過剰な印象も受けたが、役柄から考えるとオーバーなほうが良い。 犯罪者の映画では、悪役や敵役に存在感があることが大事で、彼女にとってはやりがいのある役だったに違いない。 

ゾーイ・サルダナ嬢も魅力的な女性を演じていたが、 スタイルを重視しすぎたのか、やたら背中を映すシーンが多く、濡れ場を撮影するセンスに問題を感じた。確かに美しい背中で、モデル体型だということは良く分かったが、出し惜しみしたほうが印象に残る。アングルを良く考えて、変化を持たせるべきだろう。  

 

他のシーンはともかく濡れ場に関しては、日本から日活ロマンポルノの監督を呼んで撮ってもらったらよかったのに・・・。  

 

 

2017年11月10日

シルバラード(1985)

Silverado

 

- Columbia

シルバラードを経てカリフォルニアを目指す兄弟。彼らと行動を共にする仲間たちが、街を牛耳る保安官、牧場主らと一戦交える物語。10月1日、衛星放送で鑑賞。たぶん二回目の鑑賞だろうと思う。部分的に観た記憶があった。

ケヴィン・コスナーが若者役で出演しており、時代を感じる。今は肥満体の彼も、この作品の当時は非常に細身で、動きも軽快だ。この頃は30歳で、すぐ後には大スターにのし上がるが、この頃はまだ一級の扱いではなかった。軽いお調子者として演じている。今でも主演映画があるから、実に息の長い俳優だと感心する。  

 

この作品のウリに相当するものは何だろうか?おそらく、最後近くの銃撃戦ではないかと思う。そこに至るまで、黒人農夫の惨殺、姉一家への暴力、誘拐、移住民への迫害など、様々な怒りの種がまかれ、ついにラストで決戦を迎えるという伝統的なスタイルになっている点は、ウリと言えるだろう。伝統を無視した作品も多いので、今の時代に観ると、かえって斬新に映る。 でも大ヒットした作品ではないらしい。 

 

主役のケヴィン・クラインやスコット・グレンは、西部劇の大スターとは言えないように思う。主役が二線級では、興行的には厳しい。結局、そこがネックだったのかも知れない。狙いを理解できない企画だと感じる。ガンマンたちの友情を中心に抒情的に描くのか、残虐な農場主一派への怒りを爆発させるスカッと路線を目指すのか、リアルか物語性か、何か明確で単純な流れがないと、観ている側の感情の盛り上がりが肩すかしのように、スルリと外されてしまう。それじゃあ、満足できない。 

移住者の奥さんにプラトニックな感情を持つ様子が描かれていたから、たぶん昔ながらの抒情性と、対決の緊迫感を再現したいという意図だったのではないかと思うが、復刻版のような作品形態は、時間が大きく離れないと受けない。  

 

黒人ガンマンが突然登場したような気がした。仲間にならざるを得ない事情があったはずだが、見逃してしまったか、テレビ用に削除されたのか、急に仲間になって保安官たちを攻撃したように見えた。ご都合主義で、ストーリーが展開したかのように感じる。テレビ映画なら良いが、映画では印象を悪くする登場の仕方だった。 

  

 

2017年11月 7日

フェンス(2016)

Fence_2

 

- Paramount -

 

ピッツバーグに暮らす黒人家族の物語。父親は清掃局に勤務し、真面目な仕事ぶりで昇進を目指すが、子供達は反発し、それを抑えつける父親と衝突を繰り返す・・・   

 

DVDで鑑賞。いやはや、これは参った、名作だと思った。人種差別を主題にした物語かと思っていたら、中心は家族の諍い、家族内の事件だった。

もともとは舞台でやられていた戯曲が原作だそうで、この作品もわざわざ舞台の雰囲気を残すように、映画としては妙な構図、役者たちの妙な動きが気になる作品だった。それが約束と分かっていれば、気にならないレベルの違和感ではあったが。

 

物語の面白い点は、家族を養うために仕事一筋だったはずの主人公が、突然、家庭を壊すような行為を働いてしまうこと。息抜き、気分転換、違う自分を感じたかったといった理由を主人公は述べていたが、それまでの自説とは矛盾する行動。でも、そんな行動を人はとってしまうものだ。清廉なイメージの政治家が、とんでもないゲス不倫をかましたりするのにも通じる。過去には泥棒をはたらいていた、刑務所にいたという話も、話を展開させる善きエピソードだった。 

 

アカデミー賞では主人公の妻を演じたヴィオラ・デイヴィスが助演女優賞をとったが、主演女優賞にも相当しそうな、大変な存在感だった。エマ・ストーン嬢よりも明らかに迫力があった。怒って主人公に喰ってかかり非難する時の様子と、現実を受け入れざるをえなくなる時の表情は、実に心を打つものがあった。

 

父親が真面目に働き、それなりの確信めいた人生訓で子供を正しい道に導こうとするいっぽうで、子供たち独自の生き方を阻害し、互いの関係を壊していく様子がリアルだった。日本人の家庭でも似たような話は多いだろう。知恵を持つ親が、ものを知らない子供に説教し、自説に従わせようとする構図は珍しいものじゃない。

 

劇場主だってそうだ。特に我が家は障害のある子を抱えているので、子供たちの自由にさせることは、さすがに危険である。どこまで自由にさせ、親が引き下がるべきかは、子供と親それぞれの能力、興味の方向性によって千差万別だろう。正解というのはないはずだ。親は懸命に考え、ベストと思えるアドバイスをするしかない。子供は自分でベストと思える選択をし、それに責任を持ってもらうしかない。

 

主人公の長男は自分の望む道に進んだが、結果は必ずしも良いものではなかったようだ。そんな結果も現実にはよくある。主人公の言う通りになったとも言える。だが、次男の進路を制限したのは正しかったかどうか分からない。少なくとも次男は夢を失い、自暴自棄に近い状況に追い込まれた。

 

劇場主の両親は、進路については何も言ってこなかったに等しい。ちょうどITの時代が来そうな頃に受験だったので、有名大学の工学部に行って一攫千金も目指せそうだと話したことがあるが、両親ともに安定志向で、派手な金儲けを軽蔑するところがあったので、「医学部のほうが安定していて、良くないかい?」みたいな言い方はされた。自分自身も欲が足りないところがあった。  

 

大富豪を目指して大勝負をしなかった不甲斐ない点については、いまだに後悔するところがある。でも、パソコン技術、ソフト開発、買収劇などに熱中するより、患者のことで悩むほうが、向いていたようだ。パソコンはよく分からない領域だったし、自分の目で見える小さな世界で自己満足感に浸りたいという欲求のような理想像があった。それに従っても、悪いことではないさと思うのである。・・・負け犬のセリフかも知れないが。

 

 

 

2017年11月 4日

幸せはパリで(1969)

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- towa.etc -

ジャック・レモン演じる主人公が、身分違いの夫人に惚れて、フランスに行こうとする騒動を描いた作品。DVDで鑑賞。 

なぜ棚に置かれているのか分からなかったが、この作品は2017年にDVD化されたらしいので、新規の作品扱いになったのだろう。

バート・バカラックが音楽を担当していたそうだ。歌詞が劇中の状況と合致するように、タイミング良く挿入されていた。でも、少し一貫性に欠けていたかも知れない。パーティーで微笑む女性が急に歌い出して主人公がマヌケになるシーンがあったが、あれは完全にミュージカル調だった。でも、その他はミュージカルタッチではない。一貫していなかった。

ジャック・レモンは非常におかしい。パーティーで完全に無視され続け、居場所がない様子が笑える。確かに奇抜なパーティーには慣れが必要だ。急に部長に昇進し、セレブ連中と接点がなかった人物は、なにかしら無理をするだろう。そこを強調した演技が素晴らしかった。

彼の友人役は、少しオーバー過ぎた印象も受ける。酔っ払いを演じる場合は、無理してちゃんと行動しようとする様子を演じるほうが良い。まともに歩こうとして何かに激突する、物を落し、隠そうとするなど、だらしないほうが良い。白目をむくような顔は、度を超していて作品の質を落としたと思う。

この当時のカトリーヌ・ドヌーヴは非常に美しい。本来なら二枚目俳優と共演するために存在しそうな個性だろうが、そんな女優が喜劇俳優と共演するところが、笑いにつながるのだろう。「お熱いのがお好き」「メリーに首ったけ」なども、ヒロインが不釣り合いな美人だから笑えた。

この作品では、不倫問題が軽く扱われていた。昨今の日本では、政治家やタレントらが騒がれているが、この作品では実に肯定的に描かれていて、時代のせいかお国柄のためか、違いに驚く。週刊誌の暴露ぶりが酷く、いかにも下品であるように描いているせいだろうか?

ドヌーヴなみの美女の場合は、不倫問題が吹っ飛ぶくらい、ぜひともチャンスを逃すなというのが一般的な評価なのかも知れない。すると、民進党の議員は、そこまで魅力がなかったという評価か?否定はできない・・・と言ったら怒られる。一般人の評価レビューを採点できたら面白いかもしれない。

A「この不倫議員はレビュー1点!」 B「馬鹿野郎!1点もやるな!」など、サイトは荒れるだろうが・・・

あるいは、ジャック・レモンのような気の毒な男性なら、不倫も離婚も仕方ないという評価なのだろうか?つまり、ゲス不倫のボーカリストは、気の毒に思えないということか?確かに、彼は呑気そうな顔をしていて気の毒には思えなかった。人に同情を買うような演出が、彼らには足りていなかったのかも知れない。

 

2017年11月 1日

ナイスガイズ(2016)

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- Warner Bros. -

私立探偵と問題処理屋のコンビが、ある女性の探索を依頼されたことからはまる、巨悪との戦いをコメディ・タッチで描いた作品。DVDで鑑賞。

懐かしいタイプの作品で、劇場主は満足できた。劇場で鑑賞するとなると、ちょっと損した気分になったかも知れないが、おそらく若い人がデートで観る場合は、ちょうど良い程度に笑え、爆笑には至らない、充分には満足できないかも知れないが、我慢はできるからちょうど良いといった作品ではないだろうか?

「探偵はBARにいる」と似た作品だった。この種の作品のオリジナルは、おそらく古いコメディの何かにあると思う。おそらく映画誕生の前の舞台劇や小説だけの時代からあり、チャップリンの作品にも共通する部分を感じる。デコボココンビが、最初は殴り合いの関係から始まり、ともに危機に瀕し、やがては友情で結ばれ、敵を倒すというパターン。

探偵役は抜けていて、腕力に欠けるのがお約束。今作品ではライアン・ゴズリングがアル中のダメ男を演じていた。彼の娘がしっかり者で、協力して探偵業務をこなすところは面白かった。こんな娘役も、よく見るパターンではあった。

ライアン・ゴズリングがアル中役に合っていたかどうかは、少し疑問に感じた。日本の大泉洋は、表情や声が実におかしいが、ゴズリングは少なくとも話し方までおかしくはない。本職の喜劇役者が演じたほうが、きっと役柄の魅力を引き出せたのではないかと、劇場主は思った。

腕力担当はラッセル・クロウが演じていた。通常、この種のパターンでは、腕力担当者は極めてクールであることが望まれる。松田龍平は無表情で、考え方にクセがあることが、その行動からも直ぐ分かり、より個性的だったと思う。徹底が足りなかった。性格の設定の点で、「探偵は~」のほうに歩があったかも知れない。

結局、この作品は興業的には失敗だったらしい。個人的には残念に思う。ほんの少し、キャラクター設定などに工夫をこらせば、「探偵は~」に近いおかしさが出たと思う。アクションに関しても、もっと派手にやったほうが客受けが良かったと思う。ちょっとしたヒネリで充分だったはずだ。

 

2017年10月29日

「安倍は保守」とは言ってはいけない(2017)

 

- 橘玲著、文藝春秋(2017) -

 

文芸春秋を読んでいたら、作家の橘玲氏の政治評が掲載されていて、興味深い内容だと感じた。元々は早稲田の学者が何かの研究をした結論らしい。自民党政権の政策が、リベラル化しているという内容だった。確かにそんな気がする。民主党が訴えていた内容が、いつの間にか自民党の政策になっていることが最近多い。

 

橘氏の書かれた本では、「言ってはいけない」を読んだことがある。独特なまとめ方をしているが、間違った内容とは思えない。氏はもともと経済問題を中心に、いろんな形の作品を出しているようだ。今回の文章は、より鋭い内容で、説得力のある文章だった。ただし、タイトルの言い回しは、少し妙な気もする。

 

サイコパスらしき人物との交渉を何度か経験したが、彼らは他人の意見を自分の発想だと言い出すことにこだわりがない。こちらが何か意見を言うと激しく反論し、とんでもない!大間違いだ!などと言っているが、次に会った時には「俺は前からそう考えていたんだ!」と、また激しく訴える。「ええ~?そう来るか!」と、こちらが怯むのを期待しているかのようだ。

 

おそらく彼らの頭の中では、こちらの意見を検討し、自分が有利になる案だと判断できれば、それを学んだ自分を肯定的に認識しているのではないかと思う。意味を理解できたら、元々知っていた気になり、自分の発想のような気になる。意地を張って反対し続けると、やがて不利な結果に終わるので横取りするが、横取りの自覚は乏しく、とにかく自分の有利な方向に持っていくほうが良い、そんな感覚らしい。

 

総理の個性がそうなのかは分からないが、現政権はそんな態度のようだ。でも間違ってはいない。政治家は、常に自分の有利な方向を目指すべきだ。そうしないと選挙で負ける。節操がないと言えばそうだが、こちらとしては法案は通りやすい勢力から提出してもらったほうが都合が良い。民主党から提出すると、おそらく政府がつぶしてしまう。ここは与党から提案されたほうが良い。そもそも民主党は瓦解してしまったようなので、余計にそう言える。ただし、政府案は骨抜き法案に変わっていくだろうけど・・・

リベラルだった労働運動は、一定の既得権を生んでしまった。劇場主もそう感じる。かっては大まじめで命がけだったと思える労使交渉も、長い年月繰り返されると、慣例でどの程度融通するか決まってきやすい。要求する際の人間関係、流れ自体が既得権益化してしまう。そして、保守化してしまうという流れはある。団体交渉は、さながら舞台劇みたいな雰囲気で、茶番のようだ。結論の落としどころが最初から決まっている。

 

政治的な概念も、文化人類学的な原則からは逃れられない。理論に基づいて権利を主張した斬新かつ清廉な意見も、慣れや人間関係、そして活動家自身の年齢的変化によって、パターン化した意見に変わっていくものだ。運動家だって自分を守りたい。それは成熟、老練化ととらえることもできる。活動家が、老練な保守的人物になることは仕方ないのだろう。交渉を繰り返していくと、敵から影響を受けるものだ。   

 

いっぽう、リベラル活動家達と交渉している保守勢力も、世間からの印象が気になるのだろう、強面路線を続けてはいない。こちらも懐柔と譲歩によって世論の人気を得て、敵に力を与えないように、折り合いをつけることに慣れる。それを恥じらいもなくやらないと、隙を生じるから仕方ないと感じているのでは?馴れ合いと出し抜く意図、それらの結果がパターン化したように思える。

選挙に勝たないといけないので、客受けする内容を公約に盛る必要があり、一度失敗したことで、そこを決して忘れないようにしている。本来は投資家に有利な政策を基本として、印象を操作する手段の数々を、おそらく専門家達と相談しながら練っているのではなかろうか?米国の大統領選がまさにそうだから、参考にしないはずはない。安倍政権の戦略は本当に優れている。

 

憲法改正を目指す人間が、グローバリズムの片棒を担いで格差を助長しつつ格差是正を訴え、本音は隠してリベラルな政策を盗み、財政を悪化させつつ若者世代の支持を得る・・・おそらく、完全に自己矛盾しているはずだ。皆は勘違いしてしまっているのだろう。臆面もなく訴えると、大きな矛盾に気づかれないままやれる。サイコパス連中が、そんな技術を持っていた。あれを技術というべきか?彼らは異常で、認識障害を持っているようにも思えたが・・・?

 

 

 

 

2017年10月26日

君がくれたグッドライフ(2014)

Hin_und_weg

- Majestic Film.etc. -

恒例の自転車旅行に出かけたグループ。今回はベルギーを目指す。しかし、この旅には隠された目的があった・・・・

・・・ドイツ映画。多数の会社が製作に関わっていて、権利関係が正直わからない。中心はマジェスティック・フィルムという会社のようだ。DVDで鑑賞。この種の映画はDVDでないと観れない。以前だったら時間を調整して、職場から白い目で見られながら、こっそり名画座に潜入しないと観られなかった。DVD様々、TUTAYA様々である。

俳優達はドイツの有名なタレントらしいが、誰も見たことがない。演技は充分に上手かったし、演出も自然で、この種の作品に求められる技術は完全に満たしていたと思う。あまりに芸術表現にこだわり過ぎたり、安っぽくなったりする愚を犯していない。

仲間で旅をする物語の場合、普通は極端な個性の人間を集め、話を面白くしようとすると思う。この作品ではプレイボーイの人物、セックスレス夫婦が、その役目を果たしていた。もっと個性派を集める手もあったように思うが、やり過ぎると時間が長くなりすぎるし、適度なレベルだったかも知れない。

エピソード作りのために、互いに課題をこなすようにするルールも設けられていて、無理難題をこなすことで笑いが増える要素となっていた。これも成功していたと思う。ただ旅する物語では辛くなってしまう。自然な設定だった。

尊厳死と友情がテーマになった作品。尊厳死は日本ではまだ一般的ではないが、徐々に議論の方向性が変わっている印象もあり、今後は実行されることもありうると思う。難病、癌などを抱える人は、命を長らえることに意義が見いだしがたいこともある。ただ、勘違いによる早まった死を増やす可能性も高く、難しい。

劇中では何かの薬物を一本、注射していた。一本で苦しまずに永眠できる薬物とは何だろうか?KCLでは安らかにいくとは限らない。麻酔剤、筋弛緩剤でも、確実性に欠ける気がする。聞いていたのは、まず麻酔剤、麻薬、最後に毒物といった具合だったと思うのだが・・・・

いずれにせよ、家族に見ていてもらうのは、気が進まない。別室で待ってもらうのでは問題があるのだろうか?その場にいると、自分達が積極的に参加した、あるいは見殺しにしたという感覚を生むと思う。耐えきれずに泣き出すに違いない。外でじっと耐えていたという状況にしたほうが、あとあとの自責の念を軽くできないだろうか?

宗教観、死生観は人によっていろいろあると思うが、共通する部分も多いはず。劇中の友人達は大人しすぎた。本当にああやって友人を看取れるか、信じがたいと考える。家族や友人に死を見せるかどうかは宗教以前の問題で、おそらく見させない施設もあるのではないだろうか?

 

 

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