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2018年5月25日

素顔の西郷隆盛(2018)

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- 礒田道史著・新潮新書 -

 

今年の大河ドラマで西郷どんが放送される関係か、様々な西郷本が出ている。人気歴史家である磯田氏も新書を出していたので購読した。 

 

西郷に関する本は非常に多い。過去に何冊か読んだことがある。西郷は間違いなく日本史の中でも稀有な人気を持つ英雄であり、多くの人から尊敬され、悪い印象を持つ人は滅多にいない珍しい存在だと思う。他の有名人では、悪い面も必ずある。徳川家康や織田信長だと陰険な部分、残忍な部分を感じて嫌う人も多いはずだ。西郷は彼らとは違う。

 

西郷の凄いところは、出世欲、金銭欲を感じさせないところだろう。権力を捨てて国家の中枢から離れている点が、広く評価されていると思う。偉人は多いが、金や権力、名誉欲、支配欲の亡者がたまたま成功しただけの人がほとんどだと思う。西郷が何を基準に自分の道を選んだのか、常人ではなかなか分からない。この本を読んでもよく分からなかった。

 

もしかすると、西郷は自分の人生訓として名誉や金銭欲を捨てることを目指し、それを実行することでの満足に欲を持ったのではないかと、少し感じた。それよりも高尚な、何かの義務感、やむにやまれぬ動機があってあのように行動したのかも知れないが、いずれにせよ一般的な常識を外れた判断があったようだ。

 

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る・・・」という彼の言葉があるそうだが、確かにそんな人間は扱いにくい。弱みを見つけて懐柔することができないし、あら捜しして批判することも簡単ではない。そんな人物を目指すと、みずからの行動は制限され、やがては政権を去らねばならなかったし、政権と戦わざるを得ない運命にあったのかもしれない。彼の目指した姿、彼の信条こそが彼の最後をもたらしたのかもしれない。 

 

西郷には様々な問題点があると思う。彼の信条は非合理性をはらんでいるので、彼を崇拝する連中が非合理性を当然のことのように思い、無茶な行動をとりかねない。過激化しやすいはずだ。集団の中で誰かが合理的なら良いが、全体が非合理的では破滅する。

 

もともと薩摩藩士には「理を言うな!」という伝統があって、理論に走ることを嫌悪する傾向があったそうだが、西郷の迫力の一部は、そんな伝統から生まれたものもあるように思う。ただ、西郷だから良かった姿勢が、欲まみれのエセ西郷によって、妙な施策に持ち込まれてしまうと困ったことになる。旧日本軍の上層部にも伝統的に薩摩藩士の子弟がたくさんいたはずで、薩摩藩の伝統を継いでいたとすると、やはり無茶な作戦に走りやすい。それこそが敗戦の主因なのかもしれない。  

 

むしろ欲深き人物に合理的な施策をとってもらったほうが、無茶が少なくなる。玉砕するのは怖いので、消極的な作戦が多くなるかもしれないが、全滅するよりはマシだろう。西郷は何をやらかすか分からないし、始めたら途中で止めたりしてくれないないだろう。そこが怖い。

 

 

 

2018年5月22日

デビル(1997)

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The Devil's Own

Columbia

 

IRAの戦士が米国の刑事一家に居候し、母国への武器搬入を試みる。しかし、計画に邪魔が入ってしまう・・・513日、衛星放送で鑑賞。デビルズオウンとは、悪運やとんでもない悲劇を意味するようだ。   

 

ハリソン・フォードとブラッド・ピットが共演していた。若い頃のブラッド・ピットには確かな色気を感じる。でも最近の彼は、年齢的な限界が来ているようだ。色気で勝負してきたキムタクが、ほんの少し目元の具合が違うだけで賞味期限過ぎの印象を受けてしまうのと同様、同じ男優でも皺が出たほうが良い人と、出てはいけない人がいるようだ。その俳優の個性によるのだろう。

 

ハリソン・フォードは、その点で得をしている。皺が出ようが、体力が落ちようが、それなりに活躍しても意外に感じない。もともとが二枚目半のような個性だったから、見栄えが多少落ちても気にならないように思う。皺も白髪も体形の変化も、納得ができてしまう。 

 

「麦の穂を揺らす風」は心に残る作品だった。IRAが分裂を繰り返し、内部で対立が先鋭化していく中で兄弟の仲も割かれていくリアルな話だった。あれは実際に起こっていた話かもしれない。この作品もIRAの活動に伴う悲劇を扱っているが、作品の質は全く異なる。まさかカンヌでグランプリを取るような映画ではない。完全に娯楽作品、サスペンス映画の路線にあり、味わいの面では少し残念な印象も受ける。IRAの青年がもっと無残な最期をとげ、痛々しい姿をさらしていたら、観客の心に残ることもできたのではなかろうか?   

 

この作品の頃には、IRAの活動はあまり注目されないようになっていた。なぜだかは気にしていなかったが、活動自体が沈静化してしまったからだろう。北アイルランドでは、カトリック政党が政権に参画できているそうだし、武装闘争よりも合法的に権利を獲得していく路線に力が集まっているからではないか? 英国の鞭と飴政策が成功したのかもしれない。   

 

ただ、日本人からすると、アイルランドの一部だけが英国連邦に残ったままなのは、やはり不自然な印象もある。無理にでも南側と北側が統一しないといけないとは思えないが、歴史の成り行きによって妙な国境ができて、それがそのまま認められているのは、変だと感じる。最近またもめだしたパレスチナもそうだ。強い国の無茶な線引きが、悪魔がもたらしたかのような悲劇につながって良いのか?     

朝鮮半島だってそうだ。政治体制の違う国ができて、核戦争の危機をはらみながら交渉しないといけなくなっている。歴史的な経緯がそうさせてしまったようだが、悪魔の成した計画かも知れないという印象も受ける。正しい道を探れるような問題ではなく、ただそういう結果が残っているのが現実であり、解決は事態が変化する歴史の流れによってしか成されないものなのか、まあ直ぐには分かりようもない。

 

 

 

2018年5月19日

バリー・シール(2017)

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Universal

 

パイロットをやっていた主人公は、CIAの仕事を命じられ、やがて麻薬組織や軍事政権とも関係を持つようになる。武器や麻薬、資金洗浄に関わるうち、巨額の資産を貯め込むが・・・・DVDで鑑賞。

 

主人公は犯罪者だが、非常に魅力あふれる人物だった。実際のバリー・シールがそうだったらしい。資産も凄かったらしいが、寄付行為も頻繁にやっていたらしく、人助けをさかんにやったと描かれている。人間的魅力に満ちた人物だったようだ。演じていたトム・クルーズが笑顔の素晴らしい俳優なので、確かに実在した人物の雰囲気を出せていたかも知れない。

 

疑問が湧いてくるのだが、バリー氏は自分の行為を楽しんでいたのだろうか?あるいはCIAに尻尾をつかまれた状態だから、戦々恐々としていたのだろうか?映画では自分の資産形成に懸命になっており、みずから積極的に犯罪にのめり込んで行った様子だったが、怖さを感じないはずはない。いつでも自分が吊し上げられ、殺し屋から狙われる寸前の状態であることは確かだったはず。組織との関係が常に順調で、互いに依存した状態が続くなら安心もできようが、そんな良い状況が一生続くはずはない。知りすぎた人物は消されるはずだし、利用して敵対勢力を葬ろうと考えている連中は、バリーのような人物を逃さないだろう。 

 

もともと彼がCIAににらまれたのは、ちょっとしたバイト感覚で密輸をやったかららしいので、彼はギャンブルやスリルを好む性格が元々あったのかもしれない。スリル依存症の人間は、より強い興奮を得ないといられず、より危険で金の額が大きい仕事に熱中していくものらしい。そんな破滅型性格が、彼の物語を生んだのではないかと、勝手ながら想像してしまう。そういえば主演のトム様も、そんな傾向があるらしい。まさに適役だったのかも。 

 

共演者の奥様役も味のある演技ぶりだった。殺人のシーンも描き方が穏やかで、この作品はちゃんと娯楽作品に仕上がっていた。まとめ方が上手い。 

 

それにしても、イラン・コントラ事件の頃の米国の作戦は、考えが足りないように思えてならない。ことが露見すると考えなかったのだろうか? CIA側は秘密を守るだろうが、相手方は平気で裏切るはず。それが米国民に知れ渡らないはずはない。どうやって機密を守るつもりだったのか、そこが理解できない。 

 

日本の自衛隊や、国土交通省、財務局の文書管理も理解できない。劇場主は公的文書というものは、絶対に捨ててはならないものだと考えていた。今なら電子記録でどんな量の文書だって保存される。破棄する必要はないし、保存するのは国民に対する義務だ。だが、管理を任されるということは、改竄や破棄は当然と、どうやら長いこと考えられていたようだ。昨今だけの問題じゃなく、昔からそうだったようで、本当に信じがたい低レベルの政府機関だったということ。  

 

 

2018年5月16日

ファニー(1962)

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Warner Bros.

 

娘ファニーは若者に恋するが、相手は夢を追って町を去る。残された娘と、彼女を取り巻く町の人達の物語。DVDで鑑賞。最近DVD化されたのだろうか? 

 

有名な舞台劇の映画化らしい。同じ作家が作った三部作を、ひとつの映画にまとめたそうなので、その関係か、かなり話が長い。劇場主の感覚では、後半の三分の一くらいは余計なようにも感じた。 

 

若者の父親や、再婚相手を探す老人の個性が独特だ。物わかりが良く、思いやりも兼ね備えた人物として好意的な描かれ方をしている。普通なら無理解の堅物が出てきそうだが、それがない点で、この作品は独特。時代のせいかもしれないし、お国柄のせいかもしれない。 

 

この作品の場合、ラストをどうするかが問題だが、一般的な傾向としては簡潔にして余韻を残したほうが後味はよいだろう。長すぎると注意を維持するのが大変になる。だから、ヒロインが不幸のまま終わったとしても、それはそれとして別れてそのままでも良かったのではないか? 

 

ストーリーの大筋は古典的なものと感じる。自分の夢を追う若者と、その恋人がすれ違って行く話は多い。現実にも、そんなストーリーは起こっている。リアルで切実な、誰にでもありそうな悲恋物語だが、この作品はそれが自然に展開していて、物語としてまとまっていた。メロドラマに偏りすぎたり、喜劇になりすぎたりしていないのは、センスが良いからだろう。 

 

娘役のレスリー・キャロンは、この作品の当時は30歳くらいだったようだ。彼女のアップの時だけ画面にフィルターがかかって、彼女の肌の様子か何かを隠そうとしているように見える。フィルターがかかったりかからなかったりを繰り返すのは、良い手法とは思えない。多少の肌荒れがあったとしても気にせず、自然のまま写して良かったと思う。

 

「パリのアメリカ人」の時の彼女は、ダンスの上手な田舎娘のような印象を受けたが、この作品の彼女は女性の感情を分かりやすく表現していて、十分に役者としての役割を果たしていたようだ。オーバー過ぎない程度で、娘ごころが表現できていた。 

 

娘ごころ・・・を表現できていたと、劇場主が思うだけかもしれない。なにしろ、娘心は隠されることが多いので、劇場主にはさっぱり分からないから、理解の程度は知れている。本物の娘が観たら、彼女の演技は的外れに過ぎない可能性はある。

 

シャルル・ボワイエやモーリス・シュバリエなど、いにしえの名優が出演しているから、この作品は相当に力が入っている。何度かマルセイユの上空をヘリか飛行機で撮影した画面が出ていて、金をかけてロケしたようだ。ヒットした劇の映画化だから、予算も多かったのだろう。

 

でも個人的には映画用に作り直し、短くして、人々の無理解による悲劇といった内容にして終わらせたほうが心に残ったのではないかと感じた。

 

 

 

2018年5月13日

エルELLE(2016)

Elle

- SBS etc. -

 

主人公は、暴漢にレイプされる。会社では彼女に反感を抱く社員が不穏な言動をとる。犯人は社員か?真犯人を探しつつ、彼女は事業を進めて行くが・・・

 

DVDで鑑賞。サスペンスではあったが、単純な勧善懲悪の物語にはない、独特の怖さを持つヒロイン像が素晴らしい、異様な雰囲気の作品だった。誰が犯人か?という謎解きと、主人公自身が清廉潔白な人間ではなく、闇の部分を抱え、不倫もやらかす問題児、しかも家族に様々な問題があるという設定が実に素晴らしかった。不気味なリアルさを出すことに成功していた。監督は?と見たら、なあんだポール・バーホーベン氏ではないか!後で知って納得がいった次第。確かにバーホーベン監督に向いた作品で、十分に力を発揮していたと感じる。 

 

可哀そうなヒロインが復讐を果たす作品ではない。そこが良い着眼点だったと思うが、見方を変えれば、性虐待に遭った女性たちが、まるで全員鬼のような人間であるかのごとき誤解を招きかねない点もある。被害者は被害者であるから、手放しで喝采を送るには問題も多い。 

 

映画でレイプを扱うのは難しい。一方的に悲劇のヒロインとして扱うと、観客には受けない。それでは別な手法をと狙うと、こんどは激しく残虐な方法でレイプ犯に復讐する恐ろしいヒロイン像が必要になり、それは表現を変えた蔑視か、あるいは怪物のような人物像を描くことになる。怒りを表現すると言動も激しくなるから、自然とそうなっていたのだろう。でも被害者は怪物ではない。 

 

今作では、残虐な事件の後遺症を持つ独特のヒロイン像を考え出した点が優れていた。ヒロインが単純なヒロインにならないで済んだ。 個人的には、もう少し肉感的で若いヒロインのほうが良くなかったか?という印象も受けたが、主役のイザベル・ユペールは素晴らしい演技を見せていた。

 

4月は国会が長く空転していた。その原因のひとつが、財務省の次官だった福田氏が記者にセクハラ言動をとっていた疑惑だった。麻生財務大臣や、財務省の役人の対応も酷く、事態を飲み込めていないのが明らかで、情けない思いをした。彼らが人間性に欠けることは明白で、職務を続ける資格のない人間だとはっきり分かった。

 

ただし、事実の確認は、録音の内容だけでは難しい。録音は参考資料にはなるが、合成ができないわけではない。客観的に証明することが必要だが、それが難しい。 財務省の圧力がかからない機関で、事実かどうかの判断をすることが望ましい。でも残念だが、財務省の影響を受けるであろう捜査司法機関の手を経ないと結審が得られない。 それを考えると、公表するだけ、雑誌に暴露するだけという選択は現実的だったのかもしれない。本当は福田氏に対する完全な濡れぎぬかもしれないという問題はあるが、相手が次官の場合は仕方ないのかも知れない。

 

次官になるような人間は、日頃から自制しておくべきだ。国家機関の重要人物は、普通の人間ではない。強い権力を持つ存在で、同時に外部の人間から狙われる存在でもある。 言動を利用して情報を得ようとする国内外の敵は必ずいると考えなければいけない。 セクハラをネタに強請られたら、どうする積もりだったのか? 

 

外部の人間に対してユーモアは必要ない。常に防御し、戦う必要があり、馴れ合いは許されない。笑いは親しい友人だけに対して許されるものだ。セクハラ気味の言動など、話にならない。気が緩んでいたのか、もともと成績優秀なだけの、心構えのない低レベルの人間だったと言われても仕方がない。  

 

 

 

2018年5月10日

ブルーム・オブ・イエスタデイ(2017)

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- Dor Film-West,etc -

 

ホロコーストを研究する施設に、フランス人の実習生がやってくる。嫌われ者の主人公は、彼女の指導係を命じられるが、彼女の来訪には隠された意図があった・・・DVDで鑑賞。

 

主人公はしょぼくれた乱暴者の雰囲気が出ていて好感を持った。いっぽうのヒロイン嬢は、エキセントリックな感じはあまりせず、ミスキャストかも知れないと感じた。この役は、目つきが怪しい異常者の雰囲気が出たほうが良かったと思う。彼女はノーマルな印象だ。目つきの異常さが必要だった。 

 

この作品は、語り口が斬新だ。ナチスの一員だった家族を持つ者と、虐殺された者の家族を対峙させた作品だが、今までの映画なら、互いに友情や愛情を感じながらも反発したり、ぬぐいようのない恨みや後悔によって不幸な結末に至る、あるいは逆に、最後は寛容の精神が生まれるといった話が多かったと思う。どの作品もギャグめいたシーンは少ない。異常な人間も、あまり登場してこない。真面目路線が基本だった。 

 

この作品は、かなり強烈な個性の人物が中心になっており、自殺未遂を突然起こしたり、犬を放り投げたり、コメディタッチであったことが、まず非常に変わっていた。個人的には、こんな描き方も必要じゃないかな?とは感じていたものの、それを許さない勢力がどこの国にも多いので、なかなか作品を作り上げることが難しいのかな?と、感じていた。だから、よく作れたものだと感心する。

 

しかし、やはり普通ならメロドラマの方向で作られるべきストーリーではなかったかとも思う。そのほうが美しい作品になり、強く印象に残るだろうと予想できる。ちょっとしたユーモアのつもりが、えらく激しい反発ばかり生む、そんな事態も大いに予測されること。ユーモアは危険だと、劇場主は過去に寂しい思いを感じてきた。 

 

日本でユーモアが許されるのは、場所としては狭い居酒屋くらい、しかも相手が仲の良い同僚か気ごころ知れた友人だけに限定される。居酒屋で上司にユーモアをはたらかせたら、一発で激高されることも珍しくない。寛容なヤツは、滅多にいないものだ。友人でも、普通の関係では許されない場合が多い。   

 

ライバル組織をけなす場合は、基本として許される。性善説に立つ博愛精神が根底にあるユーモアは、日本では避けないといけない。場違いと感じる人が多い。きっとドイツでも、この作品の場合は反感を感じた人が多かったはずだ。どのように描いても、描くことをまず許さない連中がかなりいる。ネットにも、そんな連中はうごめいている。

 

財務省の事務次官だった福田氏は、発言を録音されて辞任した。たぶん悪意はなく、マスコミの人間に対してユーモアをはたらかせたつもりだったようだ。でもセクハラだったことは、会話が合成でなく事実なら間違いない。氏は立場をわきまえていなかった。

 

 

 

2018年5月 7日

マザー!(2017)

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- Universal

 

小説家の夫と暮らす若い妻は、夫が招き入れた不審な人物に反感を抱きながらも接待する。しかし、殺人事件が起こってしまう・・・DVDで鑑賞。 

 

前知識なしで、たまたま棚に並んでいたから借りてみたのだが、スリリングで謎の多い作品だった。ヒロインはジェニファー・ローレンス。大変な表現力だ。「世界に一つのプレイバック」の彼女より存在感を感じた。

 

ヒロインが普通の人ではなさそうだと直ぐわかる。建物の壁や柱に頭を近づけると、鼓動のようなものを感じ取る力があると分かる。どうやら彼女は何かを象徴した存在のようだ。いっぽうの亭主も、行動が無茶苦茶で、勝手で支離滅裂な行為をやらかしている。こちらは明らかに神や、強力な力を持つ身勝手な人間、あるいは信仰、信条を象徴しているように思う。

 

かなり宗教的な内容だと感じたのは、兄弟が殺しあう話。「エデンの東」にも使われた、カインとアベルの兄弟殺しが再現されている。弟だけが父の愛を独り占めしているというセリフが、それを意味していることは間違いない。すると、彼らの父親はアダムを意味するのか?でも彼はアダムのような性格ではないから、聖書を忠実に再現した物語ではなく、いろんな行動をとる人類を象徴しているように感じた。子供が亡くなってしまう不幸な親を象徴したのかもしれない。

 

そんな象徴に満ちた物語なので、作品はかなり無茶な展開になる。ラスト近くでは戦場のシーンが急に現れたりする。家の中で戦争が起こるなんて、明らかにおかしい。誰かの夢や妄想を描いた作品なのか?と、理解が難しい作り方である。これは芸術家たちが陥りやすい失敗のパターンではないか?そんな気がした。何のために、こんな展開にしたかったのか?そこが最後まで分からなかった。

 

夫が素晴らしい詩を書くことに成功したとたん、人々が家の中に押し入って勝手な行動をとるのは、宗教や思想、何かの技術、新製品など、魅力的なものを意味しているように思った。神がくれたとしか思えないようなスマホ、車、電化製品、地下資源でも何でも良い。素晴らしいものには、人々が群がって争いになることも多い。求める人達が狂ったようになったら、自然や先住民などの都合は完全に無視されるものだ。ヒロインは、そういったやられる側の存在を象徴しているように思える。

 

だが、映画でそんな内容を象徴的に描くのは、簡単なことではない。技術的に非常に優れた作品である本作も、説得力については不足していたと感じる。もう少し現実路線に近づけて、実際に起こりうる物語にしたほうが絶対に評価は上がっていたと思う。

 

 

 

2018年5月 4日

日の名残り(1989)

- 中央公論 -

 

英国の名家に仕えた執事長が主人公。休暇を利用して旅する彼が、過去の出来事に関して想いをはせる物語。カズオ・イシグロのノーベル賞受賞を契機に、単行本を購読。映画化されているらしいが、まだ観ていない。 

 

同じ作者の「私を離さないで」では分からなかったが、この本は確かにノーベル賞級かも知れないと思った。語り口、雰囲気が高尚で、寂寥感や時代の流れに翻弄された人たちの哀れさなどが自然と読み取れる展開など、構想が素晴らしいと思う。小説らしい小説だ。 

 

英国の執事なら、語り口は自然と丁寧なものになるだろう。その語り口が、小説の語り口にそのままなるのだから、小説も当然高尚なものになる。主人公がドライバーだったら、もっと品位が下がっていただろう。それでは誇り高き世代の感情が表現できない。よく考えてあった。英国の文学賞を受賞しているそうだが、本場でそのような評価を受けるのだから、原文でも表現が的確だったのだろう。 

 

翻訳の仕方も良かったのかも知れない。日常会話と英国貴族たちの会話の違いは、よほどなセンスがないと理解できない。その違いをうまく表現できていたと感じる。もちろん、実際に貴族が話す様子を垣間見たことはないのだが、雰囲気としてそんなものではと想像する通りであるから、そう思う。 

 

英国貴族の話は、テレビシリーズの「ダウントン・アビー」で高い視聴率が得られたということから考えても、一般人の興味をそそるものらしい。どこかに一般的な憧れがあり、その繁栄やスキャンダルには注目が集まるようだ。 

 

日本の場合も、有力政治家は二世、三世の人が多い。一種の貴族階級のようだ。でも、まだ財界や学会の著名人の家族が政治家に転身するといった流動性はある。英国では、歴史や制度の違いもあるのだろう、チャーチルのような貴族が政治家をやって、それで成功していた。ただ、交渉の専門家達が相手となって来ると、貴族の能力だけでは対処できない事態も実際に多いのかもしれない。日本のように国力に限界がある国では、人材は底辺からも拾い上げるべきである。二世議員は、基本的には排除すべきと思う。 

 

もはや誇りや精神力だけでは通用しない、情け容赦のない戦いの時代が来ている、そのような諦観が英国にはあるのかもしれない。ただ日本から見れば、英国は依然として有力企業を有し、独立した軍備を持ち、文化面で世界をリードしているように思える。それでも米国や中国、ロシアなど、規模が違う国とでは、対抗する手段に限界があるというものだ。誇りが通用しないのは、国力の規模によるもので当然であり、貴族階級の能力が失われたことを意味するものではない。 

 

運や能力の問題もあると思う。もしもの話だが、ドイツ軍がソ連に侵攻していなかったら、ドイツはそのまま今も欧州に君臨していたかも知れない。米軍が戦争に参入できる要件を満たしていなかったら、戦いは膠着していたはず。そうなると、チャーチルなんぞは妄想狂と批判され、主人公はと言えば屋敷の主人が活躍してしまって、あおりを喰らって忙しい日々を過ごすことになり、過去を回想することもできなかっただろう。  

2018年5月 1日

僕のワンダフルライフ(2017)

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- Amblin etc -

 

少年に拾われた主人公の犬は幸せな生活を送るが、やがて亡くなり、別の犬に生まれ変わる。それを何度も繰り返し、再び少年に遭うことができるか?という話。DVDで鑑賞。  

 

もちろん映画だから、主人公は少年に再会することができる。どんな形で会えるかかが問題で、途中にほろ苦いエピソードが何度か繰り返されることになる。そのへんは、お約束。即座に再会できたら物語にならない。    

 

途中で他の生物に転生したりするような、他のいろいろなパターンがありえたと思う。他の作品ではそんなものが多い。でも、この物語では主人公は犬以外の生物にならない。それで良かったようだ。種が変わると、主人公のキャラクターも変えざるを得ない。それでは主人公の一途な思いが伝わりにくくなってしまう。だから、この物語は設定で成功が約束されていた。実際にもかなりのヒット作だったらしい。  

 

スピルバーグ系列の会社が制作しており、手慣れた手腕で美しく物語を作り上げていた。逆に言うと、劇的な面では少し足りない部分があったかもしれない。話の筋が早い段階で読めてしまうので、心から涙するほどの意外な幸運、登場人物たちの心に感動るといった物語の深みは、それほどでもなかったかも知れない。定型的過ぎる話、そんな印象も受けた。 

 

でも犬への愛情、ペットと人との関係に感動を覚えざるを得ないような、そんな心温まる作品だった。もし少年がひねくれた人生を過ごし、足を引きずりながら苦しそうに作業を繰り返すだけで、結局は不幸な死に方をしたりしていたら、物語としての深みは増したかもしれない。そこまで行かなくても、ハッピーエンドと言えるか微妙な形になっていたら、雰囲気としてはもっと高尚なものに仕上がらなかったろうか?  

 

例えばデニス・クエイド演じた人物を、もっと悪役にするか、30代くらいの微妙な年齢にするか、あるいは老人ホームに入りそうな人物にしていたらどうだろうか?彼が主人公を殺してしまうなどもありえる。アメリカの観客には受けなくなってしまうだろうけど、描き方次第ではより深く、美しい話になったかもしれない。

2018年4月28日

エブリシング(2017)

Everythingeverything

 

- Warner Bros. - 

 

免疫不全の少女は、18年間自宅にこもって生活してきた。ある日、隣に同世代の若者が引っ越ししてきて、少女は大きく運命が変わることになる・・・・ 

 

DVDで鑑賞。久しぶりに観た純愛系の青春映画だった。原作があるそうで、それを気に入った女性監督、女性プロデューサーが中心となって作った作品のようだ。ヒロインはアマンドラ・ステンバーグ。「コロンビアーナ」で可愛らしい子役を演じていた女優だ。今作の演技が特別上手かったようには感じなかったが、素人くさい雰囲気には好感を持った。妙に派手な演技をするより、ティーンエイジャーらしい初々しい印象を優先したほうが良かったと思うので、悪い演技ではなかったのでは? 

 

いっぽうの相手役は覚えていなかったが、「ジュラシック・ワールド」の少年役らしい。こちらは主人公を食わないように適切な態度で、かつ魅力的な青年を演じきっていた。テレビでは有名な俳優らしい。

 

青春映画は作られ続けているはずだが、最近は記憶に残る作品に出合っていなかった。自分の年齢が上がって興味を失っていることが理由ではないかと思う。純愛系作品に、どんなものがあるのだろうか? 「君の名は」は純愛映画だったかも知れない。愛憎渦巻く話ではなかったし、スペクタクルがあるとしても中心は若い男女ふたりが話の中心だったから。でも設定はSFであり、アニメでもあり、昔よく見た純愛映画とは趣が違っていた。純愛だけでは受けないだろう。 

 

この作品も途中から話が変化し、純愛だけなのか分からなくなっていた。良い展開だったのか、はっきりしない。でも韓流ドラマのような展開では飽きる。純愛以外の、思いもよらない設定が今は要求されるのだろう。

 

ヒロインの病気の診断に関しては、ちょっとした書類上のミス、検査方法の限界か勘違いによって誤診されたという設定のほうが良かったようにも思えた。免疫不全の患者を診たことがあるが、検査結果で何かが足りないと分かるまで、えらく時間がかかってしまった。普通測らない免疫系のタンパクは、検査会社に送って結果が出るのが遅い。その間に患者は死んでしまう。あの結果が誰かと間違っていたら?検査キットに不具合があったら・・・と、考えると怖ろしい。診断は簡単ではなく、臨床診断に頼らざるを得ない場合もありうる。当然ながら、誤診もある。   

その場合は「免疫不全の疑いが濃厚なのよ!それを連れ出すなんて、なんて無責任な!」というセリフが当然になって来る。それを設定に使うべきだったのでは?つまり、主人公と接触を試みた若者は訴訟を起こされそうになり、批判の嵐の中、恋愛が不可能な状況になる。しかしそれでも無理して、結局殺してしまいなした・・・といった流れが自然。普通なら病気と思えるヒロインを連れ出すようなアホウは、刑務所に入れて世間から隔離しておくほうが良いくらいだ。

 

 

 

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