映画評

  •  若い人達の映画評は、「やっほーい、見ちゃった!(^□^)゛にゃはは(^□^)゛(^o^)」(゚ω゚)イイヨゥ! のような具合で、おじさんにはさっぱり理解できません。年寄り向けのサイトがあればと考えました。

劇場主

  • 乙女座 AB型 どの占いでも最悪の運勢 内科クリニックやってます。

2012年5月18日

アラフォー女子のベイビー・プラン(2010)

- 親を登場させるべし -

ヒロインは子供を欲しくなり、未婚のまま精子の提供を受けてシングルマザーになる決意を固める。友人の男は反対していたが、受精決行パーティーに参加する・・・

この手の映画は何度か観たような気がする。テレビだったか、映画だったか解らないのだが、ほとんど同じ話だったような気がする。でも、それが誰の映画で、タイトルが何かは思い出せない。とにかく、いかにもありそうな話だった。

受精決行パーティーが笑える。またヒロインの男友達であるヒーロー氏の様子がおかしい。デートで厭世的な予想をベラベラとしゃべってしまうなど、非モテ男の自分もやってしまいそうな話だった。

今までのパターンだと、自分が父親と勘違いした男が騒動を巻き起こす展開が多かった。本当の父親だったり、実は勘違いだったりしても、結局は結婚するという展開がパターン。腐れ縁の男女が、ドタバタしたあげく結婚という点では、この作品もパターン通りだった。

ラブコメのヒロインは、結構な美人であることが多い。そして、抜けた所がある、または妙な欠点があることが多い。そのせいで付き合いが長続きしないのだが、何かの出来事をきっかけに克服し、幸せにつながるというのがストーリーの常道。今回のヒロインは、性格的に特別な欠点があるとは言えなかったが、考え方は独特だったので、一応はパターン通り。

ただし、カワイコちゃんタイプではなかったように感じた。

ヒーロー氏は、この種の映画の場合は颯爽としていてはおかしい。ドジなお人よしというのがパターン。嫌悪感を抱かせにくいが、際立ってセクシーな感じはない男優でないと向かない。今回の主人公も、それに当たっていたのでは?

この種の映画に共通するのは、妙な友人が必ずいるということ。たいていは主人公に要らぬおせっかいを働き、話を難しくしてしまう張本人であることが多いと思うのだが、今回はマトモな感覚の人間が多かった。ややパターンからは外れていたかも。

そのためか、爆笑シーンは少なかったような気もした。ヒットを狙うなら、多少は下品な路線、もしくはエッチなシーンがあったほうが良かったのでは?個性的な脇役で盛り上げて欲しい。この作品は大人しい路線だった。

子供には向かない映画だが、恋人と観るのは悪くないように思う。雰囲気が悪くないから。テーマが万人に向くとは思えないし、人によっては倫理の面で腹立たしく思うこともありえるので、対象者限定の作品だろう。

ジェニファー・アニストンはテレビドラマでスターになった女優らしいが、ドラマを観ないので映画に出るようになって初めて知った。今までのラブコメ女王達とは少し系統が違うような気もする。たまたま役柄がそうだからかもしれないが。

見ている自分の側の問題かも知れない。若い頃は、ヒロインに必ずのように好意を持っていた。見るだけで好きになりそうな可愛い女優が演じていることが多かったし、役柄も好意を抱かざるを得ない感じ。でも、自分が齢を取ってしまうと、少々可愛いくらいの女優ではハッとしないようだ。

娘世代の女優が出てくるようになると、感情移入は難しい。ヒロインの父親が登場しないとダメだ。そう言えば、この作品ではヒロインの親が登場していなかった。これはマズイ。せっかくドラマを派手にするチャンスを、みすみす逃してしまったわけだ。怒り狂い、嘆く両親を写さない手はないだろう。親の参加は必須の条件だったと思う。

 

2012年5月15日

テロマエ・ロマエ(2012)

- アイディアが素晴らしい -

古代ローマの浴場設計士がタイムスリップして現代の日本に迷い込む。日本のお風呂や温泉などを参考に、ローマに新しい浴場を建設し・・・という、バカバカしいお話。

濃い顔の役者を集めてローマ人を演じさせた中で、上戸彩の平たく簡素な(?)顔は、さながら属州に咲いた花のごとく、美しかった。テレビCMでしか見ない顔だが、アップでみると大変にかわいらしく、さすが選ばれただけのことはあると思った。

この話のアイディアが素晴らしい。誰が考えついたのだろうか?原作者か?それがマンガになるまでは解るのだが、映画化されるというのが不思議。どう考えてもシリーズ化は無理があるような話。次に何が・・・ということは考えにくい。それなのに映画化されるのも、誰かのアイディアだったんだろう。

まとまった内容で、バカバカしいのだが、ちゃんと作品になっていた。子供には向かない内容だと感じたが、ほぼ誰でも観れる映画ではないだろうか?爆笑シーンがやや少ない印象はあった。

阿部寛の演技は見事だった。真剣に演じれば演じるほど、この作品の場合はおかしくなる。生真面目なキャラクターを通した点は素晴らしい。できれば、生真面目過ぎてローマ社会でトラブルを起こす様を詳しく解説し、キャラクターとしての完成度を演出すべきだったようには思えた。

皇帝役の市村正親は、舞台風の演技で確かに皇帝のような迫力があったが、本物のイタリア人を連れて来ても良かったような気がした。もっとイタリアの俳優を増やしたほうがいい。極端な話、阿部以外のローマ人は全てイタリアの俳優のほうが面白味が出た可能性もある。

銭湯やトイレの品々が小道具となる部分が最もおかしい。「ケロリン」のマークが入った洗面器は確かに別な場所にあったら非常に違和感がある。風呂上りの牛乳、特に定番はコーヒー牛乳だと思うが、あれは確かに他の国の人には不思議な趣味だろう。

ウォシュレットは人類の大発明のひとつかもしれない。あれだけで映画を作ってもいいくらいの、素晴らしい機器である。あれを古代人が体験したらどうなるか?期待通りの反応が描かれていた。

この作品は、ひょっとすると海外でも受けるかも知れない。日本の風俗を知っている人が観たら笑えると思う。新幹線や携帯などの機器、アニメの世界の独特さを驚く主人公の様子なども挿入されれば、きっと外人もおかしいと思うのでは?

考えてみると、我々がなじんでいる習慣の多くは、海外の人や昔の人には奇異なものが多いだろう。我々が外国に行っても、そう感じる。

先日の連休にプサンに行ってみたが、お土産を売り込もうとする勢いが凄かった。勝手に買い物かごに物を入れてくるので、用心しないといけない。海苔を買わなきゃ、キムチはどうか?キムチもだめなら、カタツムリクリームはどうか?など、延々とつきまとう。昔の日本の商店街のような活気で、懐かしく感じられる雰囲気だった。

プサンの運転マナーは酷かった。横断歩道に突っ込んでくるのは普通の話らしく、皆も気にせず素通りしていくが、こちらは怖くて止まるから、後ろの人から進むように催促されてしまう。大阪と似たように、幅寄せ、割り込みが激しい。あちらの常識は、こちらには本当に判らない。

おそらく中国に行ったら、さらに激しいだろう。非常識の塊のように、互いに思えるかもしれない。

 

2012年5月13日

ブリッツ(2011)

- キザな色男が欲しかった -

ジェイソン・ステイサム主演の刑事もの。刑事を狙う殺人者に対して、乱暴者の刑事が対決する話。ハリウッド映画ではなく、イギリス映画らしい。

殺人者を演じた俳優はサイコ的な雰囲気が出ていたが、体格の面ではかなり痩せ型で、殴り合いになったら分が悪い印象だった。でも主人公の同僚刑事との格闘は相当にリアルで、芝居がかった印象を受けなかった点が素晴らしい。もしかして、カンフー的な動作をしなかったからか?カンフーの動作は噓くさくなるもと。

でも顔の迫力は足りない印象。映画が終わっても思い出すような悪役ではない。つまり、映画自体も印象に残らないかも。悪役は映画の決め手になる。

主人公のアクションの迫力は、例えばトランスポーター・シリーズのカンフーアクションと比べれば迫力不足。その分だけリアルとも言えるが、映画向きの感じではなかった。どう戦うかは非常に難しい問題だと、改めて思った。

主人公と協力する上司が独特な印象。キャラクターとして、オカマチックな男なのか、もしくは実は気概のあるタフネスなのか、よく判らないままだった。おそらく外見と違って実はタフという設定だったと思うが、それならもっとクールな演じ方もあったのではないか?

クールだが華奢な体型の男が新たな主任としてやってきて、厳しい態度で職員の不興を買う。主人公とも対立し、互いに野蛮人、ホモ野郎とののしりあうが・・・そんな流れの映画は多い。それで良かったのでは?

この作品にはリアルで激しい殺人のシーンがあるので、小さい子供には見せたくない。だから一般に家族で観る映画ではない。恋人と観る作品としては悪くはないと思うが、実にスカッとしたねといった印象は期待できないのでは?何かが中途半端な印象だった。

敵役の描き方に問題があったのでは?

まずサイコキラーは、もっとしぶとく頑張って欲しかった。長く走って逃げるシーンは必要ないと思う。主人公が何度も騙され、裏をかかれ、すんでのところで取り逃がす、それによって主人公がますます窮地に陥るという流れが常道であろう。その手続きみたいなものが足りなかった。

映画の盛り上がりのためには、いかな悪役と言えども、何か共感する点がないといけない。とことんズルくて感心するか、屁理屈だが完成度の高い理屈で議論に負けないなど、嫌悪感を持たれながらも一定の共感めいた印象を受ける必要がある。

協力する警部のキャラクターに関しては先に述べた通り、疑問があった。彼の家に主人公が急に行こうと考えた理由も判らなかった。いっそ、ホモの誘いを受けて訪問したホモ映画にしても良かったかも。とことん特徴のある映画にするなら、そこまで考えてもいいかも。マッチョな主人公はホモだった・・・それも良いのでは?

時あたかも、米国の大統領が同性婚を容認する時代である。ホモの刑事達が、互いの強い絆によって犯人を捕らえる物語もありうる。そして、事件が解決したら激しく愛し合うのである。・・・個人的には観たくないのだが。

冗談はさておき、普通なら主人公と警部は仲違いし、ケンカしながら、最後には協力して犯人を捕らえるというのが流れだろう。イヤラシイほどの潔癖症で主人公にいちいち説教し、何かといえば邪魔し、主人公の恋人とは仲良くやってる宿敵のような人物だったら、もっと面白くなっていたと思う。

とことん嫌われるキザな色男のイメージが欲しかった。

 

 

 

2012年5月11日

ウワサの真相/ワグ・ザ・ドック(1997)

- タイトルはちょっと・・・ -

大統領の淫行スキャンダルの公表が明らかになる。ホワイトハウスのスタッフ達は腕利きの専門家を呼び、戦争の危機を演出する・・・

・・・ダスティン・ホフマン演じた映画プロデューサーや、デ・ニーロ演じた専門家の言動がおかしく、また不気味だった。プロに徹すると言えば聞こえが良いが、事実も犯罪も何も気にせず、目的のために手段を選ばない徹底ぶりが面白い。ブラックユーモアが好きな人には面白い作品。

アン・ヘッシュがクールな女スタッフを演じていれば、もっと面白かったかもしれない。デ・ニーロ達が人道に反した指示を出すと、どんな無茶な話でもクールに実行する実務家、表情も変えずに殺しを命じる、そんなキャラクターなら良かったのに。

Ann_heche

ハードボイルド風の怖い映画にすることも可能だったかもしれない。アルバニアが相手ではなく、架空の国でもいい。実際に戦闘するのもワルノリだが皮肉の意味では良いかも。

キャンペーンの方針に沿ってカントリー調の歌が作られるという話がおかしい。たまに日本でも紹介されているが、あちらの選挙はCMが凄い。いろんなパターンで作られている。だから、歌の製作は実際にやられているかも。コマーシャルのBGMとして、実際にミュージシャンを結集して使われているように思う。

ワグ・ザ・ドックという言葉は知らなかったが、解説されるとタイトルとして面白い。でも、知らない間は、この作品は無視される運命にもあると思う。日本語タイトルも、ちょっといただけない印象。テレビかいかがわしい週刊誌をイメージさせて、安っぽい。

この作品は、どぎついユーモアが嫌いな人にはお勧めできない。それさえOKなら、年齢性別は問わないと思う。ブラック・ジョークの映画だから、生々しい殺人シーンはないとしても、たぶん本来なら子供には向かない映画。恋愛は関係ない話だから、恋人と観るのも勧められない。家族で楽しめるような作りにしないとヒットは難しいと思うので、別な作り方のほうが良かったかもしれない。コメディアン達を多数出演させて、ミュージカルタッチで描くことも可能だったと思う。

危機をでっち上げ、キャンペーンによって世論を誘導し、選挙で勝とうとする。おそらく実際にも近い手段での工作はやられていると思うのだが、敵陣営も同様だろう。それに勝つことが必須なんだろう。汚いとか、倫理とかにこだわっていたら、先手を打たれて何も出来ないうちに負かされてしまう。

大統領選挙は激しいキャンペーン合戦だから、ほとんど戦争と同じ。でも、同じノリで国政も動かされたら怖ろしい。

イラク戦争もそれだったように思える。実際の危険性よりも随分大きく報道され、戦争にまで発展していた。あの作戦の目的は油田だったのか、フセインのような人物を倒すメンツだけだったのか、純粋に選挙のため?未だに解らない。同じような理屈でイランを攻撃することはあるだろうか?ありえると思う。

この映画は当時のクリントン大統領を意識した映画だろう。州知事時代の不正経理疑惑やセクハラスキャンダルが巻き起こっていたのを材料に、この作品は作られたに違いない。

ところが、実際に危機はあったのだ。唐突に攻めたアフガニスタンは当時は何の関係もない国のはずだったのに、実はテロが準備されつつある地域で、完全に制圧する必要があったのだ・・・ということは後で明らかになるのだが、当時はスキャンダル潰しの汚い作戦をやっているようにしか見えなかった。

本当に何かの情報に沿って行動したとしても、利用しようという意図がなかったとは思えない。スキャンダルに関して偽証したことは本人も認めた事実らしいので、きっと注目をそらす意図もあったはず。一石二鳥の狙いだったはず。

・・・・まさかと思うが、テロが演出ってことはないよねえ? いや、真相は解らない。

ホワイトハウスのスタッフの行動は、テレビシリーズでも色々描かれていた。そのものズバリの「ホワイトハウス」もそうだった。実際にも多数の報道官、選挙用スタッフ、広報用のスタッフ、今回描かれたような秘密作戦用のスタッフもたぶんいることだろう。

CIAやFBIとの関係がいまひとつ解らないが、両者は独立して行動しているのだろうか?劇中ではCIAによって仕事の邪魔をされていたが、互いにジャマしあう場面と協力する場面があるのだろうか?日本の場合は独立した捜査機関はたぶんない。政府の悪事が何かあっても、たぶんウヤムヤに終わっているのだろう。

「フェア・ゲーム」ではCIA要員の情報をホワイトハウスのスタッフが漏洩していた。あのような事件は、互いに緊張した関係でないとありえない。常に協力し合う関係もまずいが、敵対しあうのもどうだろうか?CIAの暴走という事態も大いにあると思う。

彼らの戦いの中で、米国民も我々も扇動されている気がする。権力を持つ連中のことだから、抵抗するのは難しい。キャンペーンを張られると、合法的に戦争を仕掛けたり逮捕されたりする。

 

 

 

2012年5月 9日

幸せの始まりは(2010)

- よきラブストーリー -

名選手だったヒロインも、ついに国の代表から外された。失意のヒロインは、ふたりの男と交際していく・・・

・・・実に楽しい映画だった。

特に素晴らしかったのはオーウェン・ウィルソンのおバカな野球選手のキャラクター。いかにも野球バカみたいな単純さと、人の気持ちを気にしていないようで結構気を使っている独特の感性を、完璧に演じていた。下の画像の表情で解るだろう、いいヤツだった。

Columbia_pic

オーウェン・ウイルソンは役柄の幅が広い。必死に逃げる兵士を演じたり、微妙な関係で父親と対面する喜劇、よき家庭人であったり、それなりに絵になるから確かな演技力があるんだろう。齢を取ったらどんな役を演じるのだろうか?バカっぽい爺さん役も務まるとは思うが、そんな役は多くはないかも。

ジャック・ニコルソンが演じた父親役もさすがだった。いつもの彼よりは毒が少なめであったが、コメディなんで当然だろう。きつい性格になりすぎると笑えなくなってしまう。病室を見舞った時に、「良かった、良かった・・・」と独り言のように言いながら出て行く様子は、いかにも企業家にありがちな姿。演出も良かった。

リース・ウィザースプーンがヒロインを演じていたが、この作品の場合は別な女優でも通用したかもしれない。非常に魅力的な個性の、良い役柄だった。努力して良い方向に自分を持っていこうと、いろんな標語をクリップしている、話の途中で思い直して自分の行為を謝るなど、好感を持てる個性の演出が素晴らしかった。

何事にも努力を惜しまない生き方は、極端な場合は笑えるものの好感につながる。ただ才能あふるるスポーツウーマンでは、観客の共感を得るのは難しい。懸命に努力をしていたんだろうなあと一目瞭然、誰にでも理解されないといけない。

バスの使い方も面白かった。都合の悪い時には早く到着するので、ヒーロー氏が嘆いていたが、あんなことは確かにある。停留所にやっと着こうかという時に2台連なって通り過ぎてしまい、後は待てど暮らせどやってこない・・・誰でも経験したことがあるだろう。

ヒーロー役になる役者は、これに対してやや存在感が薄かった。見た目が魅力的とは感じなかった。もしかすると舞台などで上手い演技をしていて抜擢されたのか?大スター達を相手にすると、ちょっと分が悪かったかも。

普通のラブコメでは、友人としてギャグを担当してくれる個性的な脇役が登場することが多いような気がする。今回は、その部分を秘書だった女性が担当していたようだ。普通はヒーロー氏の悪友であることが多いが、さすがにそんなパターン化した共演者ではシラけると考えたのかも。

ただし、この秘書氏はちょっと無理があったようにも思えた。オーバーにせず、ヒーロー氏のよき協力者という設定でよかったのでは?

秘書の出産とプロポーズのシーンがおかしかった。ビデオを使うのは良いアイディアだった。身近にありそうなことをギャグにして、しかも騒ぎ過ぎない穏やかな調子に留めて、暖かい盛り上がりにつなげることに成功していた印象。登場人物に好感を持てるような細かい演出。派手なギャグを乱発していたら、ああは上手くいかなかっただろうし、静か過ぎると受けないし、微妙なラインをちゃんと心得ていた様子。

 

2012年5月 7日

ツリー・オブ・ライフ(2011)

- 映画詩 -

大都会で働く男は、かって自分が育った家庭、両親を思い出して自分の人生や、両親の生き方、神の存在に想いをはせる・・・・

何か物語が進展する話ではなかった。主人公に相当する男はビジネスマンらしいが、仕事しているような風には全く見えず、ブラブラと社内をうろつくだけ。苦みばしった顔をしながら、何が不満で何を気にしているのか、とうとう解らないまま。

生き方を模索している様子には見えた。信仰が深く心に刻まれて、神を意識しながら生きていることが繰り返し表現されていたし、子供の頃の母親に対する憧れ、多少は性的な面も含むほど無条件の好意を、ゆっくりとしたMTV風の画像で表現していた。

監督自身を題材にしてるのだろうか?愛憎こもった親への感情、過去の一般的な考え方が役に立たないことへの怒りにもにた感情、迷い、神や自然への畏敬の念、それらを表現することに徹したような作品。

脚本と監督は、テレンス・マリック。随分と凝った作品。最初のほうでは恐竜までが登場してきた。でも一瞬にすぎない。ちょっとしたイメージだけを与えて、すぐまた別のシーンに移るという手法で、さながら映画の印象派のような感じ。とにかく、非常に個性的な作品だった。

監督自身の幼児のころの体験か、何か原作があるのか解らないが、敬虔な母親と、厳しい父親という、どこにでもいそうな夫婦と、仲の良い兄弟、ただし多少の仲違いやいじめはある、そんな普通の家庭が経験する物語が、非常に強烈な印象を与えるべく、詩のイメージで描かれていた。

映画詩・・・それが、この作品にふさわしい評価かも。あんまり好きになれない表現法。私は詩を理解できない。コマーシャルやミュージックビデオには向く手法だろうが、長い時間の上映には向かないというのが一般的な感覚だと思う。

くだらない作品ではないが、少なくともこれは絶対に子供には受けない。恋人と観ても、よく解らないまま終わっていたという結果になるかも。強い印象は受けるのだが、何と説明してよいか解らない、そのような感想に終わるかもしれない。大ヒットが望める作品ではないし、よく製作許可が出たもんだと感心する。

ブラッド・ピットが口を尖らせながら厳しい父親を演じていたが、もともとの顔つきから考えると、この役には向いていなかったような気がした。彼はタフ男のキャラクターだったろうか?別な役者のほうが良かったと思う。見るからにタフな、かっての強いアメリカを体現できそうな役者が望まれた。

ショーン・ペンも苦渋の表情を浮かべるばかりでなく、仕事に疲れ、人生の目標を失い、どう生きたら良いのか解らないという苦悩を、おそらく自分の家族に対して吐露するような簡単な表現方法もあったほうが、観客の印象は良くなったと思う。

解りやすい部分がないと、我々としてはとっつきにくい。理解の手順が解らないといった状況になる。

神が時には厳し過ぎると感じることは誰にでもあるだろう。9・11テロなどを目にしたら、神への信頼も揺らぎそうだ。アメリカ人の多くは常にキリスト教の神をイメージしながら生きているはずだから、この作品のビジネスマンは標準に近い存在かも。

何事も神の思し召しのままに・・・そんな境地にはなかなか達することができない。そんな風に考えていたら、社会の発展が阻害されるという恐怖感めいた感覚がある。ひたすら負けまいと努力して、やっと生きていけるのが現状だから、悟りに達することはできない。

私にとって不思議なのは、ビジネスはビジネスと割り切って、競合相手を破滅させる人物が、キリスト教精神とどう折り合いをつけているかという問題。ほとんど殺人に近い行為をはたらいても、明らかに不正な極悪非道のマネーゲームをやっても、ちゃんとキリスト教徒でいれるのが理解できない。

キリスト教に限らない。殺人を正当化する神は滅多にいないと思うのだが、最も人を殺しているのが宗教がらみの戦争であるのは間違いない。他の宗教に寛容でないというだけでは説明できないほどの激しさが、どうしても理解できない。

神の戦士・・・よく聞く表現だが、本来の宗教の精神とは相反するほどの強さを賞賛する、あの感覚が解らない。実は単に国や国の利権のために雇われて戦っただけで、その戦士の行為は残虐な殺人のプロそのもの、でも賞賛する、神を持ち出す、あの感覚。宗教だけではない要因が賞賛に関係しているのは明らか。

歴史的に宗教のため敵と戦う場面が多かったのは確かだが、今の時代は違ってもいいような気がする。イスラム国家が核爆弾を開発し、キリスト教国家がそれを非難して経済制裁する現状は、宗教が大きく絡んではいるものの、宗教なしでも成り立つ。単なる国家間、人種、経済、利権の争いに宗教のベールを乗せただけでも解説できる。

結局、宗教は人間に何ももたらしていないのでは?宗教的な分析は、話をややこしくはしていても解決には役立たない、それを思い知らされている、敬虔なクリスチャンの母親に育てられた男・・・そんな主人公のイメージを感じた。

 

 

 

2012年5月 5日

カウボーイ&エイリアン(2010) 

- 意味不明に近い -

スピルバーグ製作のSF西部劇。記憶をなくした男が西部の町にたどり着き、仲間を集めてエイリアン達と戦う物語。

理解不能、意味不明の映画だった。

たまには脳みそを使わないでただただ見る映画も良いかと思う。そんな時には最適の映画ではないか?ただし、見どころはあった。出てくるエイリアン達との荒野の戦いの迫力は、マカロニウエスタンなどが及ぶようなものではなかった。やたら強いエイリアン達が次々と登場し、人類を残忍な方法で殺していた。

主演のダニエル・クレイグは、なかなかニヒルな演技だった。マカロニウエスタンのヒーロー達にも負けないくらいクールだった。全くといって良いほど笑わなかったのでは?同じようにニヒルなボスのハリソン・フォードも、さすがに体力的な面で負けていたように思う。

面白さを狙うなら、この主人公はとことん悪人で、残虐非道、人間らしいところは恋人を愛していることだけという設定のほうが良かった。もっと人を殺し、物を盗み、殴る蹴る、やりたい放題の悪党が、意外なヒーローとなる逆説が面白いはず。

さすらいのガンマンが、無法者の集まる街に現れ、タフな戦いを経ていく流れと、それに加えて失った記憶をたどる謎解きの物語、さらにラブストーリー、そしてSFの部分、それらを組み合わせれば面白い企画になる、それは確か。問題は、演出の方法だろうが・・・

ハリソン・フォードが、この作品に出演した理由がよく判らない。これは脇役だと思う。キャラクターとしては、子分を大事にするなかなかのボスとも言えるが、厳しさは言葉だけで目立つといった印象。本物のタフな男なのか、そのへんの演出が足りなかったように感じた。

敵のエイリアンのキャラクターもよく判らない。そもそも相当にでかいはずのエイリアンが、小さめの飛行艇にどうやって乗っているのだろうか?最後まで判らなかった。また、人間達と戦う時に腕力を使わないで光線銃などでやれば、あっさり勝っていたのではないかと思えた。宇宙船の外に見張りを出さないのも危険で、そんな基本的な注意がなくて、あんな科学技術を持てるのだろうか?あんな太い指で、細かい運転操作、工作などをできるのだろうか?

ラスト近くで、ヒロインに相当する女が宇宙船の心臓部に進む場面。いかにも安めの作り物の中を進んでいる印象を受けたが、どうだろうか?あんな細い道を、大柄のエイリアンが進めるものかも疑問。

この作品の観客として望ましい対象は、いったいどんな人たちだろうか?おそらく子供だけか?家族で観る意味はないように思えるし、恋人といっしょに観るのが悪いとは言えないが、格別に好ましいとも思えない。

 

2012年5月 3日

はやぶさ/HAYABUSA(2011)

- 大変よくできました -

小惑星探査機のはやぶさの準備から帰還までの経緯と、その開発スタッフの活動を描いた作品。この作品を、20世紀フォックスが製作していたとは知らなんだ。

フォックス製作と言っても、役者も監督も完全に日本人ばかりで、日本映画と違う演出はいっさいなかったようだ。フォックスも日本側に敬意を表してくれたのか?この作品は家族で観ても、子供だけでも楽しめるし、恋人といっしょに観ても、少なくとも悪い印象は受けないと思う。その点では珍しいほどの、八方美人型作品。

主役は竹内結子。とぼけた表情が目立ち、本来のキャラクターとは多少違っていたような気もした。観客受けを狙って、素人くさい人物が成長する過程を描こうとしていたように思えたが、元々の題材が素晴らしいので、個人的には感涙を狙う路線でやって欲しかった。

つまり、とぼけた表情はいっさいなし。懸命に仕事にうちこむのだが、どんくさくて失敗に次ぐ失敗、挫折の連続。自分への自信も、企画への熱意も失せかける。泣いてばかり。それが徐々に成功へとつながるストーリーでも良くはなかったか?暗い映画になってしまうかも知れないが。

狂言回しの役割を西田らにやってもらって、大真面目のドジの活躍に拍手を期待する、そんな路線ではクサ過ぎるのか?

企画の中心となった人物を、西田敏行や佐野史郎が演じていた。実在の人物をモデルにしているからか、自由に演じているようには見えなかった。普通なら、二枚目俳優がメーキャップして渋く演じる役柄ではなかったかと思う。そのほうが観客は満足する。人は見た目で評価するからだ。だから、この二人のキャスティングは失敗ではなかったか?

ただし両人とも、存在感は充分にあった。

一般の天体ファンを写す時のカメラが、各人物とも同じ位置から撮影されていたのが気になった。予算を節約するために、一回の撮影で時期を変えた設定にして演じてもらったのか?細かく位置や照明を変えて、時間が経過し、見ているファンも変わって行った様子を表現したほうが良くなかったか?

主役から離れた関係なさそうな人物の言動が意外に心に残ることもあるので、手を抜いたわけではないだろうが、工夫を感じさせて欲しかった。漫画家の蛭子さんなどは登場する必要性を感じない。本物の役者が欲しかった。

はやぶさに関しては、三つの劇場公開作品が作られたらしいが、まだこれしか観ていない。いずれも架空の人間や本物も含めて話が進むらしい。プラネタリウムではCG版が上映されているらしいのだが、未だに鑑賞できていない。子供の時間と合わないからだ。そんなに多くの作品が作られたのは、近年まれに見る成功だったからだろう。

次々と故障するトラブルを乗り越える工夫とねばりには、敬意を評したい。回転運動をしているうちに、回転軸が安定するように設計していたとは知らなかった。確かに、そうでないと宇宙船を安定させるのは難しい。JAXAオリジナルのアイディアではなかろうが、素人には思いつかない知恵。

どの方向からも光を確保して、最低限は発電する機能などは必要ないのだろうか?映画で観た限りでは、光パネルは一方向にしか向いていなかった。内部に方向を一定化させるコマを作ったりすると重くなってダメだろうか?小さくて軽いコマでもいいと思うのだが。修正に時間がかかっていたようだったから、衛星の回転軸の調整だけでは、もっと難しいミッションはこなせないと思う。まだ工夫すべき点は多いのでは?

エンジンのトラブル、電気系統や燃料に関する故障も当然ありえるが、様々なシミュレーションをやっていたはずなのに、直ぐ簡単には対処できていなかったようだ。着陸後にしばらく制御不能になった時点で、私はプロジェクトは失敗したものと思ってしまった。それまで繰り返し失敗していたから。

アイディアと工夫はNASAの専売特許と思っていた。勘違いだった。

そもそもイオンエンジンのことを、はやぶさの成功まで知らなかった。マンガの世界の話と思っていた。驚いたことに、既にNASAでは1960年代には実験されていたそうだ。予算を得るのに必死だからか、JAXAも協力して解説されていて、よく解った。

 

2012年5月 1日

素晴らしき戦争(1969)

- 映画的ではない -

第一次世界大戦の、主に英国が置かれた状況を、ミュージカル仕立で描いた映画。監督は初監督となったそうだが、リチャード・アッテンボロー。

何か前衛的というか芸術的な印象を受けたが、面白い作品とは感じなかった。舞台劇が好きな通の方なら非常に楽しめるかもしれないが、例えば子供が観ても退屈するだけだろう。家族でみる映画ではない。

ひょっとして、映画向きの作り方に失敗していたのかもしれない。狂言回しの役割をするのが冒頭では写真家だったが、途中で解らなくなったりして、それが意味があったのかなかったのか、その辺からして解らなかった。

アイディアは良かったと思う。舞台で各国の首脳達が無表情に会議するシーンは、ばかばかしい駆け引きを皮肉るのには最適。彼らの愚かな判断で、いかに戦況が膠着し、兵士達が酷い目にあったかを理解できる。

踊り手や歌い手が見事に歌えば、逆に政治家や将軍達の勘違いが目立つという仕組み。色仕掛けで兵士を集めるショーも笑える。ただし、実写の戦場シーンを織り交ぜると、かえって滑稽さが失われる傾向を感じた。リアルになり過ぎる。途中から笑えなくなった映画は、あと味が悪い。

劇中で使われた歌は、有名な曲の替え歌がほとんどだったようだが、聖歌まで使われていたのには驚いた。文句が出なかったのだろうか?

イギリス軍が大陸の戦争に本当に介入しないといけなかったのか、素人の私には全く解らない。第二次大戦の時代なら、航空機や潜水艦の発達のせいで、本土の防衛のためにナチスと対抗する必要があった。でも第一次大戦の頃は、もしかすると恐れが先にたって、余計に火の粉をあびてしまったのでは?

世界におけるイギリスの指導的な地位を維持し、覇権を保つためにはドイツを破滅させる必要がぜひともあると思っていたのだろうか?ひょっとすると、王室の意図が重要な役割を果たしていたのかもしれない。王室の意志に忠実に従うために、司令官達は無茶な突撃を命じていたのかも。

戦い方も理解できない。塹壕戦の場合は、何か圧倒的な戦略がないと一気に勝負をつけるのは難しいはず。普通に考えるなら上空からの絨毯爆撃、大砲の数や精度、破壊力に差をつけるくらいしかないと思う。機関銃相手の肉弾攻撃で何とかなるとは、とても思えない。

もっと昔、日露戦争の頃なら機関銃は少なかったはずだから、突撃も意味があったろう。双方が多数の機関銃でしっかり守っている場所に、しかも鉄条網をゆっくり壊しながら進むなど、考えられない方法。

兵器を作って補充し続けるには予算がかかる。でも人が何十万人死のうと年金しかかからない、だから肉弾戦だ!といった考えがなかったのか?怖ろしい話だが、戦争には金がかかるので、ひょっとして算術もあったのかも知れない。年金の額など知らないが。

誤った戦略をとるのは日本軍だけの話ではなかったようだ。この当時から、イギリスの衰退は明白に、特に指導者の中に起こっていたのかも知れない。暴動が起こらなかったのも不思議。この後、第二次大戦前にヒトラーとの対決を遅らせた理由は、おそらく第一次大戦の被害があまりにひどく、戦いを避けたいという考えがあったからではないかと思う。

 

 

2012年4月28日

私がクマにキレた理由(わけ)(2007)

- 将来への備え -

大学を卒業したものの、厳しいビジネスへの挑戦を前にして気が引けてしまったヒロイン。ベビーシッターになって、ある家族と向き合いつつ成長する話。

助演のローラ・リニーとポール・ジアマッティが素晴らしかった。この作品、宣伝は度々観ていたものの、清く正しすぎる映画で期待しにくい印象を持ってしまい、鑑賞していなかった。BSで放送されていたので見ることになったが、なかなかまとまったよい作品だった。

ローラ・リニーは女優が天職としか思えない女優。「トゥルーマン・ショー」での主人公の妻役の激しい表情が印象的だが、この作品でもオーバー気味の演技で、作品の質に合致していた。キャスティングが成功していた。どんな役柄でも合うようには思えないが、舞台などで演じると非常に映えるだろう。体格も良いし、スタイルもモデル並み。

主演は可愛らしく、演技力もあるスカーレット・ヨハンソン嬢で、微笑み方が上品。ニヤッと豪快に笑う女優達よりも好感を持てる。日本人の女性がはにかむのに似ている。実際には、あちらの女の子は微笑みながら平気で私を押しのけて列に入ったり、顔と考え方が合致していないので決して信用してはいけないのだが、ヨハンソン嬢なら何でも許せる私である。

Smile

ストーリーは最初から解ってしまうような流れだった。変な展開はないほうがいいかも。ドロドロした愛憎劇は、迫力にはなっても、後味まで悪影響があることも多い。本来の主題のほうが、愛憎の激しさに霞んでしまう傾向がある。それはマズイ。歯の浮くような理想主義的な希望に満ちたラストになったほうが、むしろ良いと思う。

ヨハンソン様なら、それが許される。ブリッ子して手を組んで怒った表情をしても、彼女なら許せるのだ。〇田聖子なら許せないが。

この作品は子供にはマズイかもしれない。恋人と観るのも、とても勧められるとは思えない。歯の浮く結果にガッカリするパートナーがいるかも知れない。希望に満ちて頑張っている人には、お勧め。

先月のニュースで言っていたが、大学や専門学校の卒業生の半数は、一年以内に転職や退職をしているそうだ。就職の条件が厳しくなって、給与や働き甲斐の点で非常に厳しい時代になっているからだろう。とりあえず就職したけれど、希望とかけ離れた現実に失望し、転職を考えざるを得ないのだろうが・・・

身の回りにも、30歳くらいになって学校に行きなおす、介護関係の職場を点々と替わる、良さそうな会社をあっさり辞める、そんな例が多い。自分は就職に関しては困らなかったので、なかなか理解できない。

医者の場合は本来が営利目的の仕事ではないから、一部を除けば金にルーズというか、甘い点が多い。でも営利企業では、よほどな会社でないかぎりは、儲けるだけ儲けないといけない。客を騙していいとは言えなくてもギリギリの線までは売り込み、利益をあげつづける非情さが求められる。人件費も、限界まで絞る必要がある。

以前なら、それに耐えて能力と経験を積めば、将来の発展が期待できた。今は、一流企業自身が厳しい状態。発展は滅多にないと感じるのが普通。将来の利益を期待できずに、非情さに徹することができるか?安い人件費に我慢できるか?

豊かで成長を続ける社会の中で育った今の20~30代の人には、急にしぼみ始めた社会の雰囲気、状況の変化は想定外だったのでは?なんでマズイ時に状況が厳しくなったんだよ!親達の理屈は通用しない、親達は結構楽してたのに不公平だよ~、と思うのか?厳しい職場に耐えて、良いことが待っているなら耐えられる。そうでないなら、耐えられないだろう。

こんな社会は、でも予想できた。厳しいけど、結局は自己責任で何とかするしかない。政府日銀が一体となってインフレ傾向でも演出しない限り景気が上向く可能性は低いような気がするが、政府に期待はできないので、文句を言っても仕方ない。報われないかも知れないが、自分で手を打っていくしかない。

 

 

 

«ハーバード白熱教室講義録(2012早川書房)