映画評

  •  若い人達の映画評は、「やっほーい、見ちゃった!(^□^)゛にゃはは(^□^)゛(^o^)」(゚ω゚)イイヨゥ! のような具合で、おじさんにはさっぱり理解できません。年寄り向けのサイトがあればと考えました。

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  • 乙女座 AB型 どの占いでも最悪の運勢 内科クリニックやってます。

2012年1月30日

モンスターズ/地球外生命体(2010)

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- 子供用ではない -

メキシコに地球外からのモンスターが出現し、危険地帯が軍によって設定される。社長令嬢と、彼女を護送する役目を担ったカメラマンの旅を描いた作品。

間違いなく相当な傑作。予算が非常に安かったらしいが、そんな印象はほとんど受けないほどの演出の腕を感じた。

戦闘機が飛ぶシーンは、たぶんニカラグアなど南米で実際に町の上を戦闘機が飛び交っている場所を背景にしただけだろう。映画のために戦闘ヘリをチャーターするのが普通のハリウッドスタイルとは全く違った方法が採られたに違いない。きっと少年時代から映画を作ってきたような人物が、この作品を作ったんだろう。

それにしても、日常であのように街が破壊され、戦車がそこらに破棄されたまま、戦闘機は頭上を飛び交っている国とは、今の日本では考えられない、あきれた状態である。本物の凄さがあった。

監督はギャレス・エドワースという人らしい。本人が脚本も書いたようだが、日本語のセリフはやや表現内容に何かが足りないような印象を受けたものの、間がゆっくりした点や、ドキュメンタリー風の編集が緊迫感につながって、なかなか味のある雰囲気を出していた。とにかくセンスが良い。

親子の感情、恋人との仲違い、ラブ・ストーリーなどの要素がうまく盛り込まれていて感心する。

ロードムービーとしても王道に近い。色んなエピソードが主人公達の心の結びつきに影響していくことが丹念に描かれていたと思う。やみ雲に怪物が襲ってくるだけでは飽きてしまう。

怪物の出し方も良かった。あんなでかい怪物がいたら、昼間にさっさと爆撃されてたちまち退治されそうなものだから、荒唐無稽な話だと解ってはいるが、暗い場面でのっそり動くモンスターがかすかに見えると、何か神秘的な感じさえ受けてしまう。

モンスターは、だからもっと小さくて良かったかも知れない。動きが素早く、簡単に銃撃できないので、はびこってしまう。隠れるのが上手い。繁殖力がある。そのようなキャラクターの面での検討は足りなかったかもしれない。

現地の人として登場する人達は、驚いたことにほとんどが素人だったらしい。とてもそうとは思えないほどの芸達者ぶり。エイリアン達を壁画に描いている点は、ちょうど「第9地区」などでリアルさを演出していた手法だったようだが、ここでも有効。

しかし、この作品はたぶん子供にはそれほど受けないだろう。やはり子供は解りやすい怪物の実際の映像や、激しい爆撃、空中戦などを欲する。通好みといえる地味な映画は、たぶん喝采をあびるのは難しい。興行的に成功するためには、少し予算をかけてCGを使うべき原案だったのかもしれない。

その代わり、大人の観客には受けるはず。

この作品の監督の今後に期待したいが、このセンスはしかし、応用が可能だろうか?この作品で使ったアイディアは、作品を量産する場合には使えない。スピルバーグのような立場になるためには、別なアイディアと、やはりCGスタジオの助けが必要ではないかと思う。

2012年1月27日

トランスフォーマー・ダークサイド・ムーン(2011)

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- 求むミーガンさま -

ロボット生命体の戦いが地球に持ち込まれた。人類は邪悪なロボット達の下僕となるのか、頼みの自由主義ロボット軍団は、敵の策略にかかって宇宙に放り出されることになった・・・

・・・邪悪なロボット生命体達とのかけひきが良くできていた。昔も感心するほどのSFマンガがあったが、この作品の展開はマトモだった。ただし、納得がいかなかったのは、前作までのヒロインが登場しなかったことだ。ヒロインはミーガン・フォックスからロージー・ハンティントンという方に代わっていた。

ミーガン・フォックスは明らかに場違いなお色気ネエちゃんだった。子供のようなシャイヤ・ラブーフとでは釣り合いが取れていなかったことは間違いない。しかし、我々にとってラブーフなんぞはどうでもよい存在だが、ミーガン嬢は極めて重要な存在であらせられる。彼女を出さなかったなら、絶対に劇場には行ってやんないぞ、という理由もあってDVDで鑑賞。

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新しい彼女はついに機械化されたのか?いやいや、これはファッションショーの写真らしい。新しいロージー嬢は本来はトップモデルのはずだが、少し肉がついたような、健康的な女性だった。映画用に太ったのかも知れない。非常に美しい顔とは思わなかったが、全身のバランスが美しいし、走ったり飛んだりする姿も絵になる美しさだった。色気がありすぎて動きで肉がブヨンブヨンしてはいけないという判断があったのか?

お色気の勝負では完全に最初から結果は出ていた。健康な青少年のためには、色気は多少下品なくらい必要だった。単にミーガン嬢がギャラで折り合いがつかなかったのか?噂の通りにスタッフと何かもめたのか?残念ながらミーガン嬢は、このまま我々の前から消え去っていくのか?

映像は素晴らしかった。どこか複数のCGスタジオグループが担当したと思うが、立体的な構図、特に壊れるビルと、そこから脱出しようとする人間達の動きが素晴らしかった。この作品のハイライトだったと思う。意外にも、ロボット達の戦いはメインではなかった。人間に重点が移っていた。

この判断は正解だったと思う。前作まではロボット同士が高速で戦うシーンがメインだったが、スピードが速すぎると眼がついていかないので限界がある。人間が必死に逃げる、攻める場合は、やはり人の感情が動く。共感を得るためには、比重を人の側に向ける必要があると判断したんだろう。

無駄な点もあったと思う。元諜報員役と政府高官の女との情事、邪悪なロボット側についた人間達の数の多さ、”ダッチ”という仇名の工作員など、やや軽さを感じてしまった。ストーリーから考えると、間違いだったかも知れない。

この作品の対象年齢が解らない。人間が簡単に消し去られるシーンが何度かある。小さい子供にはどうかと思う。中学生から若いカップルくらいにはよろしいかと思う。無駄な色気は排除してある。したがって、エロおやじにもどうかと思う。

2012年1月24日

メカニック(2011)

- 新しいシリーズ?-

ジェイソン・ステイサム主演のアクション映画。いつものようにカンフーアクション中心の活劇かと思いきや、毒殺なども併用する結構リアルな暗殺者で、趣きが多少違っていた。これは、作品にとっては良いことだった。殴り合いで常に勝つ主人公では、リアルさが失われるから。

本当に殴り合ったら、おそらく勝ったとしても何かの後遺症が残りそうなものだ。K-1ファイトを休憩なしで数十分続けたら、フラフラ状態になって次の弱い相手にも倒されそうな気がする。脳震盪みたいな症状が出ないほうがおかしい。

銃やナイフ、毒薬などをまじえて、とにかく殺しを成就させることを優先するほうが理にかなっている。殴り合ってばかりじゃ、おかしい。

ストーリーの展開は予想通りで、意外性で受けを狙う構図にはなっていなかった。でも、殺し方が納得いったことと、ステイサム独特の目線、二級品のハードボイルド的カッコづけの演出がマッチしていて、痛快な活劇になっていたと思う。相棒役の雰囲気も、不良の坊ちゃんという感じがよく出ていた。

ステイサムが有名になったのは「トランスポーター」のスーパードライバー役だと思う。ドライバーだったら、よほど自分を管理しない限り、運動不足になって殴りあいなど苦手なはずだが、カンフーのキレが素晴らしく、無骨な顔つきもなかなか良かった。

別な映画で暗殺者を演じていたジョージ・クルーニーは、どうもイメージと合致しない感じを受けたが、ジェイソン君は運転手も殺し屋も演じ切れている。その点では上ということだ。

この作品は、ややバージョンを変えた新しいキャラクターと言える。リメイク作品らしいが、またシリーズ化してもおかしくない。ドライバー役よりもリアルだと個人的には感じた。奇想天外な殺し方で敵をなんとかしのぐという流れなら、シリーズ化できるのでは?

内容が深いはずはない。あくまで活劇。暇な時に観るのは最高。アクション映画がそもそも暇つぶしには最適だが、この作品は特にそう。恋人と観るのも勧められる。子供にはどうだか解らないが、たぶん結構楽しめるのでは?ただし教育上は最低だと思うが。

ドナルド・サザーランドが出演していた。随分と老けたもんだ。今後も老けた悪役などに向いていると思う。この作品でもキャラクターとしての魅力と、本人の表情個性がマッチしていた。充分過ぎるほどの存在感。映画全体の味にも関わっていた。彼のセリフも良かった。

役者の個性と、役のキャラクターが一致し、作品としての完成度の高い、しかしあくまでハードボイルドアクション二級作品、ってな印象。

2012年1月22日

SUPER8(2011)

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- ETに至らず -

スピルバーグが製作、エイブラハムスが監督したSF。地球外生命体をめぐって、軍と少年達が互いに探りあい、騙しあい、スリル、友情、愛情が交錯する。

ヒロインのエル・ファニングが非常に魅力的。たいていの男の子なら彼女のファンにならざるをえない・・・そんな描き方だった。かわいらしいが際立つ美人ではないと思うのだが、演技をさせると実に表現力があって色気にハッとする、なにか香りまで漂ってきそうなほど女学生の魅力を引き出していた。

思春期の子なら、かなり共感できる映画ではないかと思う。若いカップルでも同様。小さい子供にとっては気味の悪そうなシーンもあったが、おおむね家族で観れる作品。

かってのETのような宇宙人ではなく、気味の悪いクリーチャーが登場していたので、これは地球人と宇宙人の心の交流をテーマにした作品ではないと判る。中心は主人公の少年と、美少女、父親との関係になる。そんなテーマで良かったのか?

この作品は「ET」ほどのヒットではなかったはずである。前評判は凄かったが、知らない人も聞きつけて見に行くという、メガヒット型の作品になっていない。

怪物なら徹底的に怖く、かわいい宇宙人ならとことんかわいく、中途半端は避けるべきだったかもしれない。宇宙人の気の毒な境遇に共感を得たいなら、姿を変えて共感を得やすい格好に変身することも考えてみるべきではなかったか?

もし可能だったら、ヒロインか主人公は死んでしまうべきではなかったか?悲劇的な結果だったら、話の美しさは比較にならないレベルになる。ハッピーエンドが好きなアメリカの観客でも、美しい犠牲の話だったら満足してくれたのではなかろうか?せめて、父親は犠牲になるべきだった。

主人公と親友が仲違いしていたが、親友役のキャラクターには疑問あり。主人公より体格が良くてハンサム、常に主人公を助ける人物、替えがたい友情をイメージさせる人物がどうしても必要だった。そんなよき友人を裏切ってでも助けたいヒロイン、そして友人も最後には協力してくれる・・・そんな話が欲しかった。

でも良い話だった。

列車から何かが逃げ出したようだという展開、親と子の感情的な反発、ヒロインの家族と自分の家族との過去の経緯、友人との関係などがよく配置されていた。

CGも悪くなかった。最近のCGはどの映画でも非常にレベルが高いので、ハッとするほど印象的だったとは行かなかったかもしれないが、高いレベルには違いない。

悲劇的な犠牲が、ぜひとも必要だったのだ。きっと。

スーパー8というタイトルの意味は解説部分を観てようやく理解できたが、映画のためには意味のないタイトルだったかも。一種の楽屋受けというか、映画好きな人達以外には理解が難しい思い入れが感じられる。

私達にとって個人的な映像と言えば、すなわち8ミリフィルムの映画のことで、スーパー8と言われても何のことか判らない。それに今はビデオの時代である。今の時代を舞台にすることが絶対に必要だったと思う。その最初の設定が、意外にヒット状況に影響したに違いない。

今と過去では随分と違う。作っている自分達と、観客達との感覚の違いがある。懐かしいと思うかどうか、甘酸っぱい初恋や、苦い対立の状況が実感として表現できるか、この点を認識すべきだった。

 

 

2012年1月19日

ファンタスティックMr.FOX(2009)

- ウェス・アンダーソン監督に注目 -

キツネ達動物と、農園主達の戦いをコミカル、リズミカル、かつ童話調に描いた人形劇。

まず登場する主人公達のキャラクター設定が素晴らしかった。それを、さらにストーリーの中で自然に活動させるセンス、リズムが良かった。冒頭で、忍び込もうとする二匹のキツネの動き、木の傍でたたずむシルエット、絵になる構図もよく検討されていた。

監督たちはもともとアニメか何かで活動していたのだろうか?テレビの幼児番組でよくレベルの高いストップモーションの小作品を観るが、あのような工房で活動している人達を使ったのか?

紳士的な態度で話していても、食べるときだけは野生のままでガツガツというのもおかしい。

ストップモーション・アニメは懐かしさ、幼稚さ、親しみやすさを演出するのに最適。CGでストップモーション様の演出をすることも可能なはずなんで、実はこの作品もCGで作っているのかも知れない。画面を見るだけでは区別がつかなかった。

CGで動物達が激しくダンスを踊る作品がしばらく続いていた。だから、同じような路線を狙っても、評価されることは期待できない。懐かしいアニメの手法を選んだのは正解だった。

ワナにはまって、さあどうする?というところで話がいったん中断する展開も優れている。基本的なことだが、観客にあの場はどうなったのか予想させ、実際によく予想される通りの展開を後で映し出すのは安心感、満足感をかもし出すのに最適。

農園主達のキャラクターが歌になっているという設定は、たぶんもともとの原作のアイディアではないかと思うが、それを話の冒頭に提示するのも基本的な手法。さも伝説であるかのようなイメージにできる。

いろいろ考えてみると、この作品は奇をてらったところがない、しごく当然の考え方で作られた、基本に忠実な作品のようだ。それをできるところが素晴らしい。

この作品は家族で観ることができる作品だと思う。ところが、我が家の子供達には全く受けなかった。やはり激しいダンスがないと、一般うけはしないのが時代の流れなのか?高校生以上くらいの年代になると、恋人といっしょに観た場合などは、懐かしい子供時代のアニメを思い出して好感を得るかも。

 

 

2012年1月16日

もののけ島のナキ(2011)

鬼達は人間に追われて異次元の海に住んでいた。そこに人間の子供が侵入したことから起こる騒動を描いた作品。3Dではなかったようだが、立体感が抜群の映像。童話の「泣いた赤鬼」をモチーフにした物語。

長いこと劇場で宣伝はしていたが、公開が随分と遅れた印象。おそらく映画の企画から製作に至るまで、何かトラブルがあったのでは?もしくは、スタッフが主に日本人だったようなので、ドラエモンのように海外のスタジオで一気に作り上げるようなシステムがなかったということか?とにかく、宣伝を見出してから実物を見るまで、1年近くは過ぎていた。

費用のことを考えると、海外のスタジオに頼んだほうが圧倒的に安いに違いない。でも、国産の技術の維持、育成も大事。山崎貴監督達に限らず、こだわりをもつ映画人は多いのでは?

CG関係の技術にも、おそらく多くの特許が絡んでいるに違いない。CGは、いったん作ってしまうとコピーの要領でいくらでも似たような画像を作れる。人物の顔や姿を微妙に変えて、動きのバージョンはモーションキャプチャーで得た情報にインプット・・・といった具合で、ペンギンもライオンも同じ動作のダンスが踊れる、当然鬼も人間も同様に動き、泣ける、そんな情報がストックされれば、将来はパソコン上で多数の映画ができるし、”誰々編集バージョン”も可能になる。

「いやあ、スターウォーズの”白組”版は、本家のスターウォーズよりも自然だったね、感動したよ。」ってな時代も、権利が切れる頃(50年後?)には期待できるかも知れない。

よく出来ていた。人間達の造形はマンガチックに過ぎたかも知れないが、もっとリアルにすると動きが気になってくる。マンガに近いほうが、動きも自由にできると思う。立体感や、絵の細やかさが素晴らしい。森の上を鬼が飛ぶシーンの美しさは、海外のCG映画に近いレベル。

ただし、「アバター」のCGのような自然な動きには至っていない。

今では普通になってしまったが、波の動き、涙の流れ方から衣服に落ちた時の染込み方に至るまで、手を抜かずにやっている。3D映画だと眼が疲れてしまうが、この作品は専用のめがねが要らないから楽。それでも充分な立体感があったから、今後もこの方式がメジャーになってくれたほうが、自分には有り難い。

この作品は当然だが子供に向く。大人でも楽しめると思う。恋人と見に行く映画ではないと思うが、SMAPの香取君ファンの女子なら許してくれるかも。

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キャラクター設定が少し気になった。原作の青鬼は、比較的物静かな、”黙って仕事をこなす”クールなタイプではなかったかと、これは個人の記憶なんだが思う。原作には、いくつかのバージョンがあるようだし、二人の鬼のキャラクターも本によって様々なようだが、少なくとも火をつけられて暴れるキャラクターではなかった。

そんな役割は、赤鬼と他の小さな物の怪達が演じれば良いはずである。青鬼は徹底してクールで、物静か。赤鬼を完全に騙し、本気で戦わせる仕事を見事にやってのける、そんな仕事人にして得がたい友人、そのキャラクターであって欲しかった。

もしくは赤鬼の危機を助ける、鬼達からも嫌われる赤鬼をかばう明確なエピソードをひとつだけでも挟んでおくべきだった。笑いなしに。そうなると、後半の二人の戦いは非情なものになる。

笑いの部分は、せっかくだから個性的な他の住民達に演じてもらえば良い。普通の考え方ならでは、役割を明確に分担すべきだった。現代ではクールな怪物は受け入れられない、全員がギャグに走らないといけないという確かな判断があったのか? たぶん、深い考えなしでやっちまったのでは?

さらにピクサー~ディズニー的な流れにするなら、鬼の中にも悪玉がいて、人間の子供を利用して何かを企もうとする、まんまと赤鬼達はワナにはまる、そして赤鬼青鬼の連係プレーで危機を逃れるってな調子の物語が好まれる。そうなると、もう長時間にわたる大河ドラマ・サーガの誕生だ。そんな物語はさすがに誰も期待しないと思うが・・・

 

 

2012年1月13日

ラスト・ターゲット(2010)

- 素晴らしい舞台 -

暗黒街で仕事人として生きてきた主人公だったが、突然に生命の危機に陥る。逃避行を続けながら、新しい仕事を最後に、主人公は引退を希望する。しかし、敵は再び襲ってきた・・・

・・・主人公が住む町の坂が印象的。あんな急坂の町に、なんで好んで住む人がいるのか理解に苦しむ。長崎のような港町なら土地がないから解るのだが、ロケ地は海からは離れていた様子。城壁で囲まれた都市の生き残りか?

フィレンツェなどが確か丘陵を利用した城塞から発生したと書いてあったが、同じようにできた古い町なのかも知れない。イタリヤの丘陵部では、あんな都市もありうる。

写真家であるアントン・コルベイン氏が監督したそうだが、確かにロケ地の選択は正解だったようだ。ひとつひとつの場面が,、さながら絵のような美しい構図に満ちていた。雪の中の散歩も、ドライブも、川べりも、街もそう。

原作があるそうで、「暗闇の蝶」というタイトルらしい。アメリカでの映画のタイトルは「アメリカ人」。主人公がイタリヤの町に潜んでアメリカ人と呼ばれるからだが、蝶がついたほうがカッコいいと思う。

ヒロインに蝶がとまるシーンがあった。主人公には蝶の形の刺青もあった。はかない運命の蝶が主人公を象徴していることは間違いない。

主人公が自分も暗殺者なのか、暗殺専用の銃を作る職人なのかは解らなかったが、殺しの腕も持ちながら銃を製作するのが今回の仕事という設定だが、やや解りにくかった。製作が専門か、暗殺が専門か、はっきり示してたように見えなかった

共演した女優さん二人とも、非常に印象的だったが、ジョージ・クルーニーは役にキャラクターが合致していたかわからない。一般的な感覚で、 彼は渋い俳優なんだろうか?

私の感覚でだが、彼は仕事人のはずなのにアバンチュールに精を出しすぎて失敗しそうな人物、ちょうどERの看護師との恋愛のもつれで自殺騒ぎを起こしてしまいそうな、そんな過去のキャラクターがあってる印象がある。

ERで有名になった俳優。変にうけを狙う感じはないのだが、彼が仕事人という印象は日本人には理解できない。日本人だと、藤田まことのように、外見が冴えなくて仕事だけ一流の人物をイメージしてしまう。

彼を日本的な“仕事人”に仕立てたかったなら、ヒゲを伸ばし、服などを乱雑に放って置いているだらしない人物として描いておくべきだった。つまり、演出が不足していた疑いが濃厚。

こういったイメージは、どうやら昨今は国際間の差が少なくなっているようだ。日本のアニメが海外で受けるし、ハリウッド映画の作品毎の評価も、昔ほど国毎の反応の差が明確でなくなりつつある印象を受ける。だから、日本人の私の感覚は意外に海外の人も感じているかも。

歌手の由紀さおりが最近海外で評判になっているらしい。でも、私の世代では、もともと群を抜く個性が明らかな歌手だった。子供の頃、「夜明けのスキャット」にシビレてしまったのを思い出す。アイディア、宣伝方法、曲の構成、どれも斬新だった。CDも購入した。彼女の斬新さに、今頃気がついたのかよと、改めて思う。国の間で感覚の差がなくなるのは悪いことではない。

熊本のラジオ局に呼ばれた時に、リクエストで彼女の「手紙」を依頼したことがある。斬新なアイディアは、日本の国内でも正当に評価されていない。並ぶものがないほど凄いのに。でもラジオのパーソナリティは、「由紀さおり?ですかあ?」と、やはり意外そうな反応だった。

正当な評価を続けるというのは、専門家とも言える業界の人間でも難しいようだ。海外の評価のほうが正確なのかも知れない。ただし、その海外だって数十年も評価しきれていなかったのは、宣伝などの印象付けの不足、リサーチ不足もしくは海外側の意識の変化があったということか?

もしそうなら、日本の芸術芸能は、もっと認知度が高くなるかもしれない。落語などは伝えきれれば最高レベルの芸能だと思うんだが。

同業の女スパイナー役は、最初はママかキャリアウーマン風の女性に思えたが、美しくてクールな印象で、ラストにかけては適役だと思った。

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ヒロインは脱ぎっぷりの良いグラマー系女優でもあり、庶民的な美人で演技力にも相当なものがありそうな、根性のありそうな、作り手に便利な女優という感じ。よく探してきたと感心。

 

2012年1月10日

ファール・プレイ(1978)

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- 絡み合っている -

図書館に勤めるバツイチの女性が主人公。偶然ひろったヒッチハイカーが何かの秘密を持って死ぬ。犯罪組織が彼女を追ってくるが、警察は彼女を信じてくれない・・・

・・・ファール・プレイ、直訳すれば犯罪行為、違法行為の意味で、直訳すると味気ないタイトルのような気がする。日本人だと野球のファールをイメージするから、当時は常識を外れた行為という意味があるのかなと思った。

大作ではなく、宣伝も見ないうちに、たまたま学校をサボって観た映画だったような気がするのだが、気に入ってしまって確か4~5回観た。1回に留めて学校に行けばよかったと、今はとっても反省している。

レコードの音といっしょに人が倒れる、劇場の中で暗殺計画が進行する、小さな教会の中に人質がいる、そこに忍び込む刑事、そういったパロディはニヤニヤしながら観れるのだが、爆笑ものの作品とは言えない。わりに静かな、ロマンティックな路線。主にヒロインの魅力がひきたつような作り方、そしてヒロインの魅力自体も素晴らしい、そんな作品だった。

今もそうだが、当時もやや古めかしい、テンポの遅い印象を受けた。ヒチコック映画と同じようなテンポだから、当然そうだろう。中心となるBGMが当時人気だったバリー・マニロウのスローバラードで、これがテンポに合っていた。ディスコブームの頃で、ビートの効いた音楽が主流だったはずだから、マニロウの音楽は当時でも古めだったが、オシャレではあった。

当時、この映画はどんな人達が観たのだろうか?学校をサボるアホ学生だけではないはず。たぶん、行き遅れのOLが好んだのでは?そんな気がする。今でもそう言える。OL向き、バツイチ向きの作品。若い人には多少は退屈に写るかも。

海岸をヒロインのワーゲンが走る時のBGMとして、「もういちど(恋愛の)チャンスを・・・」といった意味の歌詞は、ロマンティックで何か夢見たいなことが起こりそうな気がするとともに、ヒロインを応援したくなるような雰囲気作りに役立っていた。

ゴールディ・ホーンは、当時30歳くらい。若者だった私にはオバサン、最盛期を過ぎた女優のように感じられたが、充分にかわいらしい。冒頭のパーティーのシーンで、眼が合って、はにかんだように笑う姿が絵になっている。独特の口元の形は、たぶん意識しながら作っているようだが、アメリカの女優達には似たような表情を見ることがある。

ファラ・フォーセット・メジャースも、下唇を横に大きく開く笑い方をしてポスターに写っていた。他のタレント達もそうだった。モデル学校でこう笑えと教えていたのかも。そういえば、当時の男性モデルもニカッと同じような笑い方をしていた。あれはケネディの影響か?昔からのヤンキーの伝統か?

チェビー・チェイスは中途半端な役柄だったと思う。失敗ばかりやらかす相手役を選ぶのが普通のパターンだが、この作品は笑いよりもロマンティックな方向にバランスを持っていっているようで、多少ドジを働くものの、後半はほとんどまともな刑事として仕事をこなしていた。喜劇役者としての存在感は損なわれたように思う。

でも、作品としては良い出来になった。もしチェビー氏が自分も目立つように脚本をいじらせていたら、ヒロインが中心から外れてしまい、喜劇のほうに重点が移る。そうなるとロマンティックな部分に満足していた観客からはソッポを向かれる。あんまりトンチキなヒーローでは、ヒロインが可哀相なままになる。それではいけない。

変態役を演じたダドリー・ムーアは、この作品で知った。

双眼鏡をかけたまま風呂に入っているシーンは笑えた。当時の劇場でもドッと笑いがあったことを記憶している。彼がこの作品で狂言回しの役割を担い、チェイス氏は本来の相手役を勤めるという仕組みだったようだ。ダッドリー氏がいなければ、印象に残らない普通のラブ・サスペンスに終わったかも。

低予算の軽い作品のような気がするのだが、適切な配役、プロットがなされているので雰囲気が良い。全てがうまく絡み合った印象を受ける。作り手のセンスが良いのでは?

2012年1月 7日

スカイライン・征服(2010)

- 奇妙だがリアル -

ロスアンジェルスに遊びに来ていたカップルは、友人とともに不思議な宇宙船に襲われる。地球外生物が人間達を襲って、宇宙船に吸い上げているのだ。ビルからの逃避行が計画されるが・・・

・・・CGが実に見事な作品。襲ってくる地球外生命体は非常に個性的。機械のような、クラゲのような体?に、なにやら人の脳を移植しているようである。わざわざ脳を移植して何をするのかは不明。人の体は不要らしい。車を踏み潰す巨大な怪物は生命体か、それともロボットかも解らない。解らなくて良いということか。

宇宙船は見たことがあるような形状。「トランスフォーマー」でもビルの間を飛行して、触手のようなものを伸ばして人を殺したりしていた。 「宇宙戦争」でも、長い触手かケーブルのようなものが人間を探索していた。あんな感じ。

光が人に反応を起こすシーンは、何かの映画で観たことがあったような気もするが、メーキャップ技術が上がっていることと、テレビが大型化されて画像が明瞭なことから、実に気味が悪かった。

人を襲うシーンも気味が悪い。リアルだが悪趣味と思う。

脳を脊髄とくっついた状態で引き抜くことは可能だろうか?交通事故などで救急外来にやってくる患者さんは、CTでは小さな出血が散らばっているだけのように見えて、全く意識をなくし、回復もできない場合がある。挫傷というか、衝撃で脊髄から出ている神経の枝と脳の中枢との連絡が途絶えたような症状になるらしい。

神経組織は非常に脆弱なんだろう。脊髄液につかって浮かんだような状態でないと、衝撃に耐えて活動を維持することはできないはず。だから引き抜いてスポッとはめ込んでも、しばらくは意識もない状態にしかならないはず。

出演していた俳優達は知らない人ばかり。テレビ俳優ではないか?味のある演技というわけにはいかない話の流れではあったが、それにしてもオーバーすぎたかも知れない。

そのせいか、“軽い”印象を受けた。重厚感を出すために何かの工夫をしても良くなかったろうか?煙幕、暗い色彩のフィルター、動きの重厚さなど。テレビ映画で昔観ていたような、実験的な作品~二級品のイメージは、できれば避けたいと思うが。

やはり、この作品の中心はCGにあったと思う。いかにショッキングな映像を見せるかがテーマであり、そのためのストーリー展開だったように感じる。見事な映像で、迫力や精緻さに関しては高度なレベル。でも繰り返し見たいとは思えなかった。恋人とみる映画に選びたいとも思えない。ゲテモノ趣味と思われそうだから。子供には絶対に見せたくない。

ラストが尻切れトンボのような気がしたが、次回作が企画されているのだろうか?長くなり過ぎて途中でカットされたのか?

製作したのはCGを映画会社の委託で作る会社らしいが、この作品は自分達で企画したらしい。技術的には非常に優れているので、おそらく今後は全体のレベルも高い、物語性のある作品を作ってくるだろう。技術は大事だから、今後に期待できる。

2012年1月 4日

ロード・トゥ・パーディジョン(2002)

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アイルランド系?マフィアの一家があった。主人公はボスの片腕、実の子のように育てられてきた。しかし、彼の仕事を彼の息子に目撃されてしまう・・・

・・・トム・ハンクスが、随分と太った男を演じていた。メーキャップや、実際の食事などで調整したんだろう、太ってないと迫力がないということだろうか?とにかく、中年のマフィアのイメージに近い体型だった。

動きの軽さを封印し、重々しく、しかも殺しの場面では素早い反射神経を見せる、そんな凄腕ギャングの演技は見事だった。

しかし、トム・ハンクスのキャラクターを考えると、はっきり言ってギャング向きではないと思う。人を殺しそうな印象を受けない。このキャスティングは失敗ではないか?

迫力のある役者のほうが良かった。殺意を眼に漂わせる役者。日本だったら、こんな役は高倉健さまが適役か?組織と戦う一匹狼的な役者が望ましい。あちらだと、トム・クルーズ?トミー・リー・ジョーンズ?アウトローの迫力が欲しい。

ストーリーは良くできていた。共演者達も超のつく一流ぞろい。子供が見るような作品ではない。フィルム・ノワールの好きな若者が最も観客として向く。恋人と観る作品としては、あんまりお勧めできないような気がする。恋の話はない。

ボンド役をやっているダニエル・クレイグが気性の激しい幹部役を、ジュード・ロウが変態的な殺し屋を、それぞれ演じていた。たぶん、意外性を狙ったものだろうが、特に写真を趣味に偏執狂的な追跡をしてのける殺し屋は、ハンサムなジュード・ロウには本当に意外な役だった。

老人のボス役が、なんとポール・ニューマンとは!彼もキャリア的にはアウトロー側の役者だったはずなんだが、ついにボスに登りつめたのか!冷静に考えると、あんまりマフィア的な雰囲気が感じられたとは言えない気がする。

そう考えてみると、マーロン・ブランドは得がたい個性の役者だった。タフなボクサー役が最も素晴らしかったとは思うが、マフィアのボスとしても存在感があり、独特の個性を持ついかにも実際いそうな、しかも理想的ボスという難しい役をちゃんと演じていた。

今回のニューマン翁には、そこまでの味が感じられなかった。ニューマンには、マトモな人間というイメージがある。

ブランドは時々だが、極めて印象的な、それこそ一世一代の名演技を見せるかと思いきや、ワケのわからない映画に出ていたり、人生も無茶苦茶な感じで、まともな人間ではないように思える。個性だけが売りという感じ。俳優は、本来がそんなものかも。

 

 

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