映画評

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2017年7月22日

WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ(2015)

We_are_your_friends

- Warner Bros.etc. -

ザック・エフロン主演の青春映画。DJを中心として様々な業種に手を出し、成功を目指す主人公の話。DVDで鑑賞。

センスが新しい作品だった。監督はマックス・ジョセフ、原案はリチャード・シルバーマンという方々だったが、いずれも知らない人達。もしかすると、DJ業界~MTV業界の出身かも知れない。音楽的なセンスを感じた。

主人公は主にDJとしての成功を目指している。そこに恋の出会い、仲間とのつるみ、妖しい業界の会社員としての仕事、麻薬取引、そしてパーティー三昧の夜などがからんで、かなりハードな日常を過ごしている。普通の若者というより、犯罪者に近い底辺の存在。日本でなら、完全に半グレだ。

ただ、この作品では、そんな彼らに対して好意的なとらえ方をしている。それは金銭的な成功を夢見ているから、という理由のように見受ける。たとえ犯罪であっても、成功することを夢見るのは悪いことではない、それに近い描き方だった。劇場主の感覚とは合わないが、米国人の普通の感覚はそんなものかも知れない。

この作品を、子供に見せて良いとは思えない。犯罪者を讃えるに近い描き方をしているし、あくまで映画的に面白い人物として極端な描き方をしているだけだが、それに子供が妙な影響を受けて、半グレを気取ったりしたら大変だ。でも、恋人とみる作品としてはかなり良いセン、行っていると思う。恋愛に関しては純愛に近い態度を主人公はとっていたから。ふたりの仲に関して、悪い影響があるようには感じなかった。

主人公の仲間を演じていた俳優達が、非常に良い味を出していた。目立ちすぎず、脇役としての立場を保ちつつ、妙に演技くさい仕草をとらず、カメラを気にしないかのように自然に動いている点が素晴らしかった。

この作品は、興業的には成功していないようだ。成功を描いた作品なのに、金銭面で失敗とは残念だ。もともとメジャー作品ではないようだし、物語として大きなエポックがあるわけではないから、当然の結果かも知れない。描き方も、ラリッたことを表現した妙なシーンや、文字を大きく出したり、少し統一性に欠けていた。

ストーリーは、改善の余地があったと思う。亡くなってしまう仲間は、仲間の中でも無二の親友である必要があったと感じた。あるいは、明らかに主人公が責任を感じざるを得ないような要素が必要。主人公が悩みを相談されて、自分の都合で無視したなど。そんな設定なら、ドラマ性が高まると思う。過去のドラマではたいていそんな流れだった。仲間の死で、主人公がどん底の心理状態に陥るのが通常の流れ。

それに、無理して大金を得て、急転直下の大失敗を犯すといったスリルはなかった。物語として大人しすぎたと思う。大成功の後の大失敗、あるいは逆の急展開は、観ている側には面白いはず。原則に従って、大きな展開の変化があれば単純に面白くなったのではないか?

DJ・・・・かってのラジオDJのイメージと、昨今の人気DJは全く違う。世界を股にかけ、億単位の報酬を得るDJスターもいるらしい。ダンスミュージックのあり方が変わって、昔のように歌詞が優れているかより、チューニングなどの技術が重要視されるように、いつのまにかなっている。

試しに有名DJのCDを聴いてみても、劇場主にはさっぱり魅力が分からない。固定観念のせいかも知れないが、歌手のオリジナルの楽曲とは、訴えかける力が違う。おそらく実際のクラブなどで、音響と視覚、それに踊りが揃わないと、本来の意味が出てこないタイプのものだろう。基本は単調な音楽なんだから。

それに健康的な印象を受けない。空気悪そうな場所で、低所得者が憂さを晴らし、一部の人間が不当な利益を得る・・・・そんなグローバリズムの吹きだまりをイメージしてしまう。「這い上がれるかな?」という主人公の訴えかけは、吹きだまり状況を的確に表していないだろうか?

フェス・・・その意味もかなり変化している。30年前だと、ジャズやフォークを中心としたバンドの音楽を聴くのが主流で、ノリが良い曲なら踊ったりする、そんなスタイルだったが、今はパソコンで作った曲で踊るのが主流。舞台で場を仕切るアーチストは、センスは良いかも知れないがオタク化しており、芸の面で言えば退化したと感じる。このスタイルは飽きられて、今後また変化していくと予想する。

 

 

2017年7月19日

ウルヴァリン:SAMURAI(2013)

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- 20th Century Fox -

X-MENシリーズの中で、日本を舞台にした珍しい趣向のスピンオフ作品。平成29年6月、テレビで鑑賞。原作のアメコミもあるらしいので、映画限定の企画ではないようだ。劇場公開されていたのかどうか、記憶にない。

日本映画の影響が強く感じられた。忍者達も登場するし、雪の中で戦いが繰り広げられるのは、わざわざ忍者の活動の舞台にふさわしい設定だったのだろう。野獣のような怪物との戦いは荒野が似合う。超能力ミュータントとの戦いは建造物がないと物を飛ばせないので盛り上がらない。舞台設定は、基本に則っていた。

でも、内容はほとんどなかったと思う。日本が舞台になって、忍者やヤクザ達が敵となり、鎧が登場してくることが大事で、ドラマ部門、原爆の被害や友情、愛情に関しては二の次ではなかったか?設定が安易な二級品の臭いがした。

末っ子といっしょに鑑賞したのだが、子供もそれほど熱中して観ていなかったようだ。新幹線の上で戦うアクションシーンには興味がわいたらしいが、ドラマの部分は他のことをして観ていなかった。全体として、シーンの半分以下しか観ていなかったのでは?そんな映画だと、劇場主も思う。

日本を舞台にしたハリウッド作品のほとんどは、荒唐無稽なものだ。もはや今日の日本の状況は、欧米の多くの人が知っているだろうから、わざわざエキゾチックな描き方をする必要はないような気がするのだが、普通に描いては能がないと思っているのだろうか?

ウルヴァリンの個性は素晴らしい。強すぎない点が良い。シリーズ第一作では、巨漢の怪人から投げ飛ばされ殴られ、ほとんどやられっぱなしだった。あれが例えば圧倒的に強かったりしたら、苦しそうな表情を浮かべても嘘くさく感じられただろう。弱々しさが共感につながり、主人公としての存在感に役立っていた。

その点は、この作品でも生かされていて、ウルヴァリン君はたびたび攻撃され、自慢の治癒能力も損なわれ、何度も危機に陥っていた。不死身のまま、ただ勝ち続けていたら、キャラクターの底が浅くなりすぎて、つまらなくなるばかりだったろう。

ヒロインは二人いたことになるかも知れない。財閥の後継者となる娘と、その義理の妹。恋愛感情が漂うのは財閥後継者のほうだが、モデルのTAO嬢は、日本人の感覚では令嬢の雰囲気がしないし、体型は素晴らしいが演技力は疑問の方で、この作品の相手役として相応しかったか分からない。義理の妹の存在も、そもそも必要だったかすら分からない。

海外の人達には違って見えるのかも知れない。ぜひともモデル体型の美女がヒロインにならないと、主人公が助けようという感情が生まれないと感じるのか?

劇場主が、この作品のストーリーから考えるヒロイン像は、意志が強そうで声に迫力があり、いかにも周囲の人達をリードしていけそうな凜々しい印象を持つことが望ましいと思う。声量が大事だし、目の力も必要。体型は準日本風でも構わないと思う。和服で隠せば良い。そのうえで英語力があれば良い。きっといたと思うのだが・・・・

結局、ウルヴァリン君は壮大なワナにはまってしまっていた。その仕掛けが明かされるシーンには、妙なドリルが登場して面白かったのだが、あれで能力を奪われそうだと観客も納得できる方法ではなかった。あんな面倒くさいことをしないで、捕らえた時点で力を奪ったほうが早いはず。漫画的すぎる一連の流れは、映画的にはいかがなものかと思えた。

 

 

2017年7月16日

アメリカン・レポーター(2016)

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- Universal -

アフガニスタンで現地取材をする女性レポーターの行動を、原作者の実体験を元に描いた物語。いちおう、コメディ仕立てになっているが、かなりシリアスなドラマタッチ。DVDで鑑賞。日本では劇場公開されなかったかも知れないが、優れた作品と思う。

原題は「ウイスキー・タンゴ・フォックストロット」。意味はいろいろ考えられるが、要するに酩酊状態に陥ることが多い主人公の生活を表したタイトルだろうか?タンゴを踊っていたようには見えなかったのだけれど・・・

ヒロインを演じた女優ティナ・フェイは主にテレビ界のスターらしく、多才な方らしい。映画の出演は多くはない。でも今回の演技は、役柄も良かったのだろうが、非常に味があって好感を持った。ヒロインに共感できた。

ヒロインの特徴は、多少の色気、品が良すぎない、感覚は鋭く、仕事はちゃんとこなす、生活は破綻寸前、そんなところだろうか?一歩間違えればアル中のだらしない女、行かず後家のしようもないアバズレに陥りかねない、そのギリギリで粘っている、そんな感じ。そこを上手く描いていた。

表現の問題もあるから、この作品は家族で一緒に鑑賞できるようなものではないだろう。基本は大人限定の作品。ただ、この作品は同性、異性関係なく、大勢で鑑賞しても気まずくなりにくい印象を受ける。品がないけど、許せるのは、展開が良かったからか?

この作品は、驚いたことにアフガニスタン周辺で撮影されたのではなく、米国の基地などを利用し、大がかりなセットを作って撮影したのだそうだ。そこまでやる必要があったのか、ちょっと理解に苦しむのだが、その甲斐はあって実にリアルな町並みが再現されており、予算の凄さに感じ入る。

さて戦地に関して最近思うのだが、今日の技術をもってすれば、戦地のレポーターという仕事は、もうすぐ無理になるのではないだろうか?

たとえば、今のカメラには人の顔を自動認識し、焦点を合わせる機能が標準装備だ。少し進化させれば、髭を生やしたイスラム戦士のみを認識することも可能だろう。あるいは戦車に限定して反応することや、エンジン音を識別する機能を併用できれば、敵の兵器ばかりを特定できる。目の色、肌の色など、条件を変えることも可能かも知れない。礼拝の動作を認識されたら、きっと殺人の効率は非常に良くなる。

敵と認識できる人間が一人なら、費用を最小限にするため小型の毒針を射出。サリンなどを使えば、一台のドローンで数百人の敵を殺せる。多数の敵なら誘導ミサイル攻撃など、機械に自動で判断させたら、さらに効率よく殺害できる。人間の判断と違い、まよいなく瞬時に対応できるだろう。怖ろしいシステムが出来上がる。

自動運転の技術は、自動攻撃の技術に進化できるだろう。車は衝突回避が目標だが、戦場なら逆で良い。逃げ惑う敵を効率よく探して、切り刻むことだってできると思う。どの順番で殺したら、より効率的か的確に判断し、敵味方が入り乱れる戦場で、敵を正確に識別して殺しまくる機械も生まれそうに思う。

ドローンは、購入整備に戦闘機ほどの予算を要しない。テロリスト側だって多数そろえることは可能だろう。数十万個のドローンを飛ばし、上手く設定して上空から侵入者を狙ったら、相手の対応はかなり難しくなるかも知れない。

制空権という言葉の意味も、変わってくるかも知れない。敵の戦闘機を認識し、自爆して破壊する機能が開発されたら、もう上空を飛ぶのは難しくなる。ヘリの攻撃は、今の段階でもかなり排除できると思う。ミサイルを発射した途端、多数のドローンが集合して破壊するようなら、自国内で爆破されてしまう。よって核ミサイルは発射することが危険となり、核抑止ができるかも。

そんな戦場では、生身の人間は動くことも顔を上げることもできない。顔を隠し、認証を隠し、言葉は小声に限定しないといけない。「アラーの神よ・・・・」などと発言できない。レポートなんてとんでもない行為。大きな声でレポートしていたら、どこかからドローン攻撃されてしまう。付けひげや、現地人ふうの所作を真似る演技力が大事になる。

 

 

2017年7月13日

ビッグ・トレイル(1965)

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- UN -

バート・ランカスター主演の痛快西部劇。 ランカスター率いる砦に、禁酒運動をする女性運動家が舞い込み、酒を求める住民、横取りを目指すインディアンなどが複雑にからむ騒動を描いている。DVDで鑑賞。

愉快で脳天気な作品だった。ハレルヤ・トレイルというのが原題らしい。と言っても、作品は神様を称える内容ではない。どちらかと言えば、神様なんぞ気にもしないような連中の話で、そこにハレルヤとタイトルをつけたことも、笑いのネタかも知れない。沼に沈んだ酒樽の行方については、ちょっと神がかったものがあったが、それも神聖なものではなく、お笑いだった。

銃を撃ち合っているのに、痛快な喜劇と言えるのか?また、インディアン達が騙されて酷い目に遭っているのに、それをゲラゲラ笑っていただろう当時の観客は、どんな精神構造だったのか、疑問点もある。ドタバタがおかしいと言えばそうだが、センスは今日と違っている・・・

主役のバート・ランカスターは、タフで思慮深い人物を演じることが多い。大作映画で、そんなヒーローを何度も演じていた。体格が良くて、線の太い印象が直ぐに伝わってくる。でも、この作品では、たぶん逆説的にだろう、彼のキャラクターが空回りするように設定されていた。そして、それが効果的だったようだ。

今の時代には、バート・ランカスターなど知らない若者も多かろうから、意外性を狙ったキャスティングも、もはや意味はなくなってしまった。もっとドジそうなコメディアンが主役を演じていたほうが、より長い時代に通用し、笑いを狙えたかも知れない。でも映画は基本、公開当時の売り上げが勝負だから、大スターが演じたほうが良かった。当時はビデオ化されることなど、思いもよらなかったに違いない。

本当に当時、禁酒運動があったのだろうか?禁酒法の成立よりずいぶん前の時代で、女性が単身で荒野を旅して運動するのは、あまり現実的じゃないような気もする。ある歴史書によれば、南北戦争以前から、宗教界を中心に全国的な組織はあったようだし、勇敢な女性活動家だっていたのかも知れない。

活動家を演じていた女優が、「酒とバラの日々」のヒロインとは・・・・そこは偶然じゃないはずだ。

広大な西部で、多量の酒を輸送していたのかと、少し疑問に思えた。酒類は各地で作られていたのではなかろうか?それともケンタッキー以外は特許の関係で作れなかったのか?デンバー周辺にも、たとえばメキシコ人達が飲んでいた蒸留酒ならありそうに思う。高級な酒だけは輸送したかも知れないが、それでも破損による損失が大きかろうから、そんなに輸送されなかったのでは?

 

 

 

2017年7月10日

ジャック・リーチャー NEVER GO BACK(2016)

Jack_reacher_never_go_back

- Paramount,Skydance -

米軍少佐に会いに来たジャック・リーチャーは、軍需産業が絡んだ陰謀に巻き込まれ、逮捕されてしまう。そこから脱出し、敵の正体をつかもうと奮闘する主人公だったが、思わぬ弱点をつかれることになる・・・・

・・・DVDで鑑賞。「アウトロー」に続くシリーズだという。主人公はトム・クルーズが引き続いて演じていたが、さすがに彼も歳を取りすぎた。目が細くなって、アクションスターを演じるには目力が不足した印象を受ける。体格が圧倒的に凄いなら問題ないかも知れないが、もはや彼はアクション映画には向かないと思う。

おそらく彼のせいで、この作品を劇場で観ようとは思えない。上映されていたのかも分からない。アクションスターには賞味期限がある。もっと若くないとダメだ。これは家族の皆も同じ感覚ではないか?この作品は子供や、今の若いカップルには違和感が感じられると思う。

それでも演技力や演出のせいか、かろうじて作品として成立していた。トレーニングも相当頑張っているのだろう。努力と能力、そして優秀なスタッフを揃える能力で、充分に役を演じきっているから凄い。

落ち目といえばそうだが、キャリアを重ね、第一線に近いところで踏ん張っている。30年以上も出演作が途絶えないのは、運だけじゃないだろう。でも今後どうだろうか?メジャー映画に出るだろうか?ミッション・インポッシブルの主役も、容姿的に厳しくなっていると思うのだが・・・・

共演者のうち、娘役の女優さんが非常に上手かった。きっと舞台などで充分な経験があるのだろう。ダニカ・ヤロシュという方で、悪女役などに向いてそうな顔だった。ヒロイン向きの大女優タイプより、スレた悪女を中心に大事な役割を演じると味が出そうな印象。

アクションが素晴らしかった。カーチェイスに関しては、今はCGを使って非現実的な状況を描くのが主流になっているが、現実の路線を守りつつ、派手さを保った技術が素晴らしい。格闘シーンも及第点を与えるべきではないかと思う。「ワイルド・スピード」などのほうがおかしい。現実的な演出で良かったと思う。

 

 

2017年7月 7日

プレタポルテ(1994)

Prtporter

- Miramax -

パリコレ開催に沸くパリ市内。ファッション関係者が集まって騒動を起こす物語。ロバート・アルトマン監督作品。DVDで鑑賞。

作品名だけは知っていたが、興味がわかなくてスルーしていた作品。偶然目に入ったので鑑賞してみた。いちおうはコメディで、有名俳優達が大勢登場し、グランドホテル形式でドタバタ劇を繰り広げる趣向。

アルトマン監督の作品は、同じような形式が多い。「M★A★S★H」や「ナッシュビル」も場面や人物の移り変わりが多かった。あまり大物じゃなく小さな役でも良いから主役をひとり設けると、もっと分かりやすくなり、観客の共感も得やすくならないだろうか?この映画の形式には、必ずしも賛同できない。

ファッション業界は独特な伝統があり、素人から観ると妙な習慣が多く、笑えてしまう。そもそも、モデル達のあの歩き方は何なんだ!ホモセクシャルな感覚のモデル、デザイナーも多く、一般の仕事をさせたら勤まりそうにない印象の人間が、大手をふるって活躍している世界、そんな面を感じる。

映画の題材としては、その妙な点は使える。また描き方も、ショーと同じく、この作品のように妙な人物が多数入り乱れる形式が適しているとは思われる。ただ、劇場主は個人的にはもっと過激な路線に走るか、ショーを主体にしたミュージカルタッチに傾けるほうが、魅力は増したのではないかと思った。

犬のフンがそこらじゅうに落ちているのは、実際のパリ市内でもそうだったそうで、パリ在住の日本人が「フンを避けて歩けたら一流のパリジャン」と書いていたくらいらしい。ただし、それを映画で取り扱うのは、やや古めの笑いだと思う。

この作品は、やはり古くなってしまった。俳優達も昔のスターだし、笑いのセンスも古いし、そもそも話が際立って面白いか疑問に思う。子供や家族といっしょに観れる内容、表現方法ではないように感じた。

映像の画質は、あまり良くないように思えた。DVDの限界だろうか?

2017年7月 4日

君の膵臓を食べたい(書籍・2016)

- 双葉文庫 -

食人趣味を持つ主人公が闇を徘徊する物語・・・・のようなタイトル。でも、内容は純愛物語。高校生の主人公と、同級生の恋の話。タイトルは強烈な印象を残すから、印象づけとして最高の選択だった。

この作品は平成29年夏には映画化されて公開予定だ。まだ書籍しか読んでいない。映画の予告編を観たのだが、今のところは様子を見て、人気がありそうなら観てみようかと考えている。無駄に劇場で時間を使いたくないので。

もしかして、この作品は実写版ではなく、アニメにしたほうが魅力が出ないだろうかと感じた。若い俳優の演技力では、多数の観客を満足させるのは非常に難しい。俳優の図抜けた魅力と、素晴らしい演出があれば可能だろうが、滅多にないことでもある。アニメのほうが成功率は高いのではないか?

この作品は、会話に現れる感性が若い。著者の住野よる氏の年齢は分からないのだが、昔なら成り立たなかったような関係が自然に描かれていたから年配者ではないだろう。明治の文豪には無理そうな展開。昭和初期、戦後直ぐでも全く考えられない。今風の会話が文章化されている。

文章は、劇場主のようなテニオハがおかしい文ではなく、充分に拝読に耐えられる優れたものだった。でも、村上春樹氏ほどの完成度はないような印象で、使われていた会話の特徴もあってか、軽い恋愛小説の読み物に最適。逆に完成度が高すぎると、恋愛小説にはもったいないような印象を受け、違和感が生まれるかも知れない。

アイディアと流れが非常に良かった。文通のような互いの文章の行き来ではなく、一人のほうの日記が最後に涙を誘う展開は、日記の内容に注意が一気に集まるから、読者の感動を呼びやすい。一定の方向に読者を誘導しないと、最後の盛り上がり、善き読後感を得ることはできない。誘導に成功していた。

意外だったのは、その日記帳の最初のほうに、「膵臓を食べたい」という文章が書かれていたこと。ヒロインのほうに、そんな言葉が生まれていても不思議ではないのだが、せっかくの言葉だから最後まで使わず、主人公の頭に言葉が生まれる設定にしたほうが良かったと思う。そのほうが、言葉が惹き立つ。何か考えあって、ああしたのか?

クラスメートの関わり方にも、少し不自然な印象を受けた。年代によって、その人によって周囲の反響は違って当然だろうが、目立たない人間に恋の噂が出たら、チョッカイを出してくる連中は多いと思う。小柄で目立たない人間には、からかってやろうという感情が生まれるはずだ。からかい方が足りなかった。クラスの男子の反応は、もっと陰湿であるはずだ。

そこも描けていたら、作品のレベルは上がる。何かに耐える主人公には、共感が生まれてくる。からかわれ、陰湿な嫌がらせを受け、無視しても諦めずに付きまとわれるほうが自然だろう。この作品の主人公は悲劇を体験したが、もっとリアルな感情の動きがあるのが普通だ。

ちょっかい・・・自分自身も弱者にチョッカイを出していたし、悪童連中からやられてもいたので、その独特の意味合いには敏感だ。ちょっかいから発生した諍いが、本当の喧嘩になったり、陰湿なイジメと化して自殺を生むこともあるので、軽視するのは良くない。

先日、ある大学の研究がNHKで紹介されていたが、LINEでチャットをやっていた中学生グループが、いつの間にか険悪な言葉を応酬する関係になった事例が紹介されていた。応酬していく中で、自分の弱みを見せたくない感情がからんで、言葉をきつくする方向に走らせていたようだった。LINEに限らず、対人関係にはツッパリめいた強がりがついて回る傾向がある。そこを再現することもできたと思う。

 

2017年7月 1日

別離(2011)

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- Asghar farhadi -

教師の妻と公務員の夫が離婚を申請し、別居する。夫側は親の介護のためにヘルパーを雇ったが、トラブルが発生し、訴訟沙汰になる・・・・

・・・・きわめて現代的な問題、普遍的とも言える現象を扱った作品。大変に説得力のある、優れた映画と思う。

イスラム社会の話のはずなのに、欧米とちっとも変わらない別居、離婚話、そして介護トラブル、訴訟に関する話が展開され、おそらく世界中のほとんどの地域、東アジアでも同じ感覚で鑑賞できる話だと思う。その表現が実に的確にして自然で、高い完成度の作品だった。

認知症の父を演じた俳優は、本物としか思えなかった。よほどな個性派俳優でないと、ああは演じられない。妙にオーバーアクションで演じていない点が素晴らしい。悲しむ少女が、はっきりモノを言わずにただ涙を流す演出も秀逸。基本としてオーバーに演じていないのが素晴らしい。

イラン製の映画だと言う。旧来の発想だと、田舎の集落におけるイラン独特の問題点を描く路線が思い浮かぶだろうが、そこを都会の話にした点が独特。監督の体験とアイディアから作られた作品らしい。この監督、アスガル・ファルハーディー氏の能力は相当なものと思う。ハリウッドの監督より、一段上ではないかとさえ感じる。少なくとも、質が異なる。

離婚や別居を扱った作品で印象深いのは、劇場主の年代では「クレイマー・クレイマー」である。子供とダスティン・ホフマンのやりとりがおかしく、子役が非常にかわいらしかった。訴訟のシーンも、この作品とは異質の雰囲気だったが、緊迫したもので、よくできた作品だった。だが、話としては、この作品のほうがドラマティックかも知れない。

イランはパーレビの時代までは欧米化していたはずで、作品の中でも車が道にあふれ、建物も欧米の都市とあまり変わりない。物語は都会の中に限定された物語である。電化製品などが少し古めに見えるから、多少の流行の違いはあるようだが、古い社会でみられるような大家族で、介護を引き受けるといった社会構造ばかりではないようだ。田舎は違った構造かも知れないが。

介護を引き受ける人間は、経済的に何かの問題を抱えていることが多いのも自然に理解できる。この作品では夫が失業中で、借金問題を抱え、身重なのに仕事をせざるをえないという設定だったが、これは日本でもありうる話のように思う。今は共働きが非常に多いから。

訴訟の形式が面白かった。日本では、狭い部屋に対立する双方の人間が入って、直接申し立てをすることは少ないと思う。刑事か検察官が片方ずつ話を聞いて静かに調査し、互いの食い違いを検証していくといったスタイルだろう。おそらく、イランでは時間的にも予算的にも、そこまで余裕がないということだろうか?

宗教の関わり方については、日本と大きく違っていた。コーランに手を置くという行為の重みが、全く違うようだ。日本でも偽証は嫌悪され、おそらく世界の中でも、その傾向がかなり強い部類と言えるだろうが、それは宗教とは関係なく良心からくるものだ。日本では、宗教や主義がらみの弊害のほうが、より重視されて来たと思う。

そんな違いがあっても同じように偽証はあるものだし、偽証の理由も人情のためだったり家族を守るためであり、思いやりが嘘につながるというドラマ的構図も同じのようだ。実際、転ぶ時に押されて転んだか、メマイで転んだか曖昧なことは多いと思う。自分がどうして転んだのか分からなくなる、そんな場合は、自分の証言に自信を持つことはできない。それが争点になると、悩ましい問題であろう。

また、この作品で気になったのは、祈りのシーンが少なかった点。イスラム圏であり、しかも宗教革命を経た国のはずなのに、敬虔でない人間も多いということだろうか?あるいは監督独自の考え方による表現だろうか?

イランは制裁の解除で、今後は訪れることも可能な国になるかも知れないが、米国の大統領が代わって、どうなるか分からない。今までほとんど情報がなかった。少なくとも、こんな作品を作れる国は、文化的には非常に高いレベルにあるはず。 

 

 

2017年6月28日

シン・ゴジラ(2016)

Shin_godzilla

- toho -

東京湾に現れた怪物と、それに対して日本政府がとる対応を、シミューレーション劇のように描いた作品。DVDで鑑賞。

・・・・劇場では観なかった。さすがに怪獣映画を劇場で鑑賞する暇はない。子供が興味を持ったなら話は別だったろうが、SFやCGに慣れっこになっている我が子は、もはやゴジラ程度に浮かれたりはしないらしい。独りで行くのもバカらしいので、最初から興味の対象外。人気があったらしいと後で知って、それでもDVDで充分さと判断し、今回の鑑賞と相成った。

およそはDVDで充分と感じた。ただし、怪獣映画の場合、迫力は劇場のほうが断然あるだろう。残念ながらハリウッド映画ほど迫力のないシン・ゴジラでは、劇場鑑賞のほうが本来の鑑賞方法かも知れない。

役人や議員たちが右往左往し、要領を得ない対処をする様子が非常に的確に描かれており、それでもちゃんと娯楽性を維持している手際の良さには感服した。普通なら、人間たちがバカな対応をやらかして失敗ばかり繰り返したら、なんだか悲しくなるし、退屈してしまうだろう。いかにもありそうな失敗の連続が、実に上手く描かれていた。

主人公たちの懸命な姿勢が感じられたので、彼らの努力に共感できた。主人公を演じていたのは長谷川博己という俳優で、劇場主はこの作品で初めて知った。真面目そうな雰囲気で野心を秘めていそうで、ジャニーズタレントのように整いすぎた二枚目ではないので、こんな作品には向いていた。もしキムタクが演じていたら、嫌悪感を感じたかも知れない。

政治家や学者達が会議をやってるが、「こんな会議なんかやってていいのかねえ?」と口にする人間がいる。緊急事態と、慎重な判断が必要な時と、その区別を速やかにやって、法的な面でも問題なく対処するというのは、現実の世界では難しい。政府や役所の対応は、ほとんどの場合は遅れてしまうものだ。そこを的確に描いていた。

法で規定された事態なら、法で対処すべきである。何も規定していなかったら、事前の準備が足りなかったのさと諦め、臨機応変の対応を取るしかない。原発事故は、ゴジラ襲来とは違って、想定されたものなんだから、事前に何でも決めておかなければならなかった。あれは酷い失策、無策だった。東日本震災の時、物資を送りたいと県庁に相談したら、「何も決まってないので無理です。」と、丁寧なお返事をいただいた。アホか!日本に震災は必ず来るんだ!準備しておけ!

「首相・・・想定外で何もきまってませんでしたあ・・・」は、許されない。でもゴジラは、さすがに想定外でも仕方ない。

最初の段階でゴジラがまだ幼弱な時期に、川に沿って移動するシーンがあったが、あれは津波の映像を彷彿させた。数年前なら、震災被災者の感情を慮ってボツにされそうな映像だ。我々はやっと、あのトラウマ映像の呪縛から、解放されつつあるのかも知れない。でも、被災した人達にどう写ったのか?我々とは感覚が違うだろう。気になる。

ゴジラの退治の方法は、あれで良かったのだろうか?爆撃でも平気な怪獣が、大人しくビルの下敷きになったくらいで液体をゴクゴク飲むものだろうか?さすがに笑ってしまうが、怪獣映画だから仕方ないか・・・・そうそう、この作品は政府の無策を描いた作品じゃなく、怪獣映画だったんだ。

また、フランスを良く扱い、米国を繰り返し批判して良かったのか?娯楽映画だからと許されるなら良いが、もしかして今後、監督やスタッフのスキャンダルが突然公表されたりすると、それは某国諜報部の仕業ということになる・・・・・

 

 

2017年6月25日

ナチュラル・ボーン・キラーズ(1994)

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- Regency,Warner -

・・・・殺人者カップルの行動を描いた作品。原案はタランティーノ監督で、実際の監督はオリバー・ストーンがやったらしい。その経緯は分からない。社会派のイメージが強いストーン監督が、なぜ関わったのかもよく分からない。DVDで鑑賞。

この作品の存在は知っていたが、どんな作品なのかは知らなかった。また、ジュリエット・ルイスがヒロインだとも知らなかった。この作品には「ギルバート・グレイプ」と同じ頃に出演していたようだが、役柄がかなり違う。俳優の家庭に育って、演技に関して早熟で上手かったのかも知れないが、本物の殺人者の雰囲気が強く感じられたとは思えない。

本物の雰囲気が強くなると、見るに堪えない作品になるから、あえて演技が見えるようにしていたのだろうか?

テーマは、おそらくだが我々の中に潜む野獣性、凶暴性ではないかと思う。テレビキャスターが人質になりながら積極的に脱獄の手助けをする様子や、刑務所の所長自らが凶暴な行動で収監者を取り押さえる様子、さらには彼らを逮捕する刑事が実は殺人者であることは、裏に潜んだ衝動、凶暴性を表しているのではないか?

監督の解説を観てみたら、編集の途中でかなりのカットをやっているようだ。つまり、撮影しながら方針を変えて、表現のやり方を検討していたのだろう。映画では、そんなことが多いという。行き当たりばったりの演出の中で、表現法としてマズイ部分もあったのかも知れない。「俺たちに明日はない」とは少し違った路線だったようで、評価としてもそれなりになってしまったと思う。

両作品とも似たような主人公であったのだが、鑑賞後の印象は全く違う。作品として完成するうえでは抱えたトラウマを上手く表現し、観客の同情を買う必要はある。その演出に、少し足りないものがあったように思う。

作品のためには、殺人者の人格が理解できることが望ましい。普通には理解しがたい凶悪犯でも、その生い立ちや思考パターン、彼らなりの道理があるのかどうか?そこが作品のテーマにつながるし、観客の納得にも結びつくだろう。この作品、充分に納得させる力があったとは思えない。

この作品は恋人と観るべき代物ではない。こんな作品で喜ぶような人物とは、とっとと別れたほうが安全だ。いつ殺されても不思議じゃない。もちろん、子供には絶対に見せたくないタイプの映画。バイオレンス映画の中でも、最悪の方向性にあると思う。

ただし、人に潜んだ邪悪な業は否定できない。現実に裏社会は歴然と存在するし、身近にも怖ろしく凶暴な酔っぱらいがいる。そして、サイコパスのような冷たい凶暴性、過剰な競争意識に満ちた人物も多い。暴力に訴えなくても、経済的な暴力によって富を独占しようとする人は珍しくはない。そんな人物でも成功したら賞賛されているのが現実。ほんのちょっとした違いしかないのに、成功者と生来の殺し屋に分かれる、そんな印象もないわけではない。

劇場主は、生来人が良い。ナチュラル・ボーン・グッドマンと言える。運転の際には譲ってばかりいる。早くから脇に寄せて、高齢者や若い女性の車を優先させ、自分は後回しだ。ただし、その善意は相手からの感謝を期待しての面がある。譲ったら、にっこり会釈でもして欲しい。ときどきは酷い車もあり、譲ったこちらを怒鳴っていくような信じられないクソ車には、殺意さえ覚える。「ナニ考えてんだ、テメエ!」・・・そんな時、自分に潜んだ衝動性に気付く。

 

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