映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主

  • 乙女座 AB型 どの占いでも最悪の運勢 内科クリニックやってます。

Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

2017年10月23日

人口と日本経済(2016吉川洋著)

Photo_2

 

- 中公新書 - 

 

人口減少は日本経済にとって致命的な害をもたらすと、一般的には考えられ始めている。しかし、イノベーションに成功すれば、それを逃れられると説く本。人口問題が広く認知されるようになり、様々な書物が出る中で、少しスタンスが異なる本。 

 

この本は、昨今増えてきた後ろ向きの結論の本(未来の年表など)よりは本格的な学者らしい内容と思った。著者の学歴や職歴からもそんな気がするが、内容の文章を読んでも、知識の幅広さ、教養の違いを感じさせる。要するにガクが違う。そして文章も美しい。読みやすい書き方で、学者独特のとげとげしさ、冷たい感じがしない。  

 

だが、数は減っても発明や技術開発でしのげるという内容には、斬新さが全くない。劇場主だって子供のころからそう考えていた。どのように、そうするかが問題で、努力と工夫なしには達成できないことだ。本には実現に向けて期待させる根拠が乏しい。アイディアの方向性に関して何も書かれていないに等しいから、子供の期待とレベル的に大きく変わらない。

 

アイディアが次々と浮かぶなら、そりゃあ将来は楽しいだろうが、全部インドあたりから出てくるアイディアかもしれない。我々は金を払って、それを頂くだけの存在かもしれないのだ。そして、インドからもアイディアが枯渇する日が来るかも知れない。そうなると、人口規模や年齢構成が、いかんともしがたい力で、社会の活力を損なわせるかも知れない。少なくとも、将来のことは分からないので、希望だけ持ってれば良いとは思えない。少し御目出度すぎる内容ではないか。   

 

人口の問題は、広く認識するのが遅すぎたと思う。もう引退したであろう学者たちや、官僚、政治家たちには責任がある。人口の問題は、事態が明らかになってから対処しても遅いという性格がある。人が育ち、家庭を持って次の世代を作れるようになるには2030年かかる。したがって常に20~30年早く対処する必要があるはずだ。のんびりしすぎている。対処すべき点は丁寧に対処すべきで、真摯に考えないといけない。選挙目当てで、突然問題を取り上げるのは態度として褒められない。   

 

日本の対処が遅れた理由は、フランスなどと比べ、人口の集約が急激すぎた点があるかも知れない。都会に住む人たちにとって、人口減少は実感のない問題のはずだ。むしろ人口集中のほうが一番の問題だった。田舎人の劇場主は、自分の故郷が著しく衰退する様子を肌で感じてきたから、早く事態を飲み込めた。田舎のほうが、日本の状態をより正確に認識できるようだ。東京に住んでいると、おそらく国の問題を把握するセンスが失われる。その意見が国の方針を引っ張ってしまうと、安易な方向に進む。やがて不平等で不景気な衰退社会が待っているだろう。 

  

グローバリズムと人口問題には大きな関係があるはずだ。農村を破壊して産業構造を変え、国として経済戦争を生き残ろうとしたため、人口のアンバランス、食糧自給割合の低下、出産育児に関する不都合を生んだ面はある。優先順位を間違ったわけだ。家族の協力体制に代わる、出産育児支援制度と施設を作りながら、バランスよく産業構造を変える必要があった。そうしないと、若者は支援なしでの出産なんて非現実的と感じるだろう。ばーちゃん達が傍にいないと3人目は考えられないというのが自然な成り行きだ。人口問題を、もっと真剣に考えるべきだった。 目先の景気に熱中しすぎたのだろう。 

活気ある生産の場は、どうやら東南アジア方面になりそうだ。国の相対的な地位、市場として価値、重要度に関しては期待薄の状況が続く。そうすると資金は舞い込まない。安全保障の面で言えば、地位の低下は危険度の上昇につながる。 武力のことだけじゃない、経済力や管理能力、対処能力を維持するためには、今の政府が公約しているような内容ではなく、根本の理念からして正しい抜本的な対策が望まれる。  それが抜けていては、せっかくの公約も期待薄となり、子供を増やす気が起きない。本書も、買ってもらうためだけの奇をてらった本に過ぎなくなる。

   

しかし劇場主だって、イノベーションが当面は続くと信じている。技術の進歩は日進月歩だ。近未来には、おそらく自動運転やドローン技術によって「ああ、便利になったもんだ。予想すらしてなかったね。」と言えるような技術革新がきっと来るだろう。ただし、高性能のスマホや完ぺきなドローンが誕生しても、幸せに直結するわけじゃない。技術の質、性格によっては危険性を増し、健康を害し、中毒を生むばかりで生産的とは言えないものもある。スマホにしがみついても、幸せになれるはずはない。

ひょっとして、婚姻や出産に関する法律が、最も効果的で有意義なイノベーション技術なのかもしれない。子供を産みやすくなる体制さえ整えば、その他の問題は乗り越えられる可能性がある。 人口が維持できれば一定の市場、予算規模、生産、景気がついてくる。人口を維持しないで、それを達成し続けるのは、古来から一般的には難しかったようだ。この本の結論は、過去に証明されたものとは言えない。広大な植民地、後進地域を抱えた欧州が偶然成しえた成功を、過度に評価したに過ぎないのかもしれない。

 

 

 

 

 

2017年10月20日

ムーンライト(2016)

Moonlight

 

- A24,PlanB etc. -

 

2016年のアカデミー作品賞は・・・・ラ・ラ・ランド!じゃなくって、ムーンライト!という、ギャグのようなやりとりがあった作品。あのミスはスタッフのせいだったらしいが、よりによって大事な場所で、あんな大きなミスが起こったのには驚いた。DVDで鑑賞。

 

この作品、DVDの棚では、あまり高い評価を受けていないようだ。たくさんの品が残っていたし、入荷直後に一週間レンタルが可能になっている。作品賞を取っても、日本では無視されるに近い扱いを受けているのが現状。仕方ないかも知れない。

 

テーマがそもそも日本向きではない。黒人の底辺層の、それも性的マイノリティーの物語。とことんマイナーで、日本人には滅多にかかわりがない世界。そして殺し合い、カーチェイス、カンフーアクションもない。さすがに、興味を惹きやすいとは言えないだろう。だが、賞を取りやすいことも確か。テーマを絞るのは、戦略としては間違っていない。

 

何かに焦点をあて、問題を洗い、事実を明らかにする、あるいは解決の必要性を訴える、それが映画やルポに求められる意義。この作品は珍しい分野にスポットを当てたから、何か訴えているはずだ。でも、劇場主にはあまり理解できなかった。性的社会的マイノリティに温かい目を向けろということか?まさか犯罪者に?

 

性的な部分が、特に理解しがたかった。あのような関係は、実社会でありうるものだろうか?高校生くらいでは、自分の立場を悪くすることが怖くて、たとえ親しい友人の前でも、自分の性的特徴を隠すのではないかと思う。偶然、同じ感覚の人間が友人だったら、早く確認できることがあるかもしれないが、確認は非常に怖いことではないか?しかも浜辺でとは!誰か見ていたら、命の危険さえあるはず。

 

それに実際に性的マイノリティーの人物が、ギャングの世界でのし上がっていけるものなんだろうか?ホモセクシャルな人間は、芸術、芸能関係者には多そうだが、切った張ったの世界では弱みにこそなれ、強味にはならないと思う。だが、男の中の男という雰囲気の豪傑は、現代の裏社会では生き残りにくいだろう。むしろ繊細で用心深く、大人しい人物こそ残るかもしれない。

 

はたしてアカデミー賞に相応しい作品だったのだろうかと、最後まで感じてしまった。ラ・ラ・ランドを押しのけて?「フェンス」も素晴らしい作品だったが・・・途中で非常に美しいシーンはあり、子供時代の心細い心情の表現方法には感心もしたが、優れたストーリー展開だったか、誰にでも強い感動を残すような作品なのかは疑問に感じながら観ていた。

 

ヤクの売人を演じていた俳優は雰囲気が出ていた。助演男優賞を取ったそうだ。目つきや所作が、日本の怪しい連中と共通している。洋の東西を問わず、怪しい連中はグローバルに目つきや動作を共有しているのかもしれない。作品のストーリーを参考にすれば、彼らは幼少時は体が小さく、虐げられ、劣悪な環境で育って、それを克服していく中で、なぜかグレる結果に陥るのかもしれない。   

 

少年時代を演じた子供は非常に可愛らしかった。彼が浜辺で振り返るシーンがラストで見れたが、作中で言われていたように確かに青っぽい色彩に染まって見えた。彼が可愛らしかったので、主人公に同情したい気持ちになったが、青年期以降の描き方に何か足りない印象も受けた。例えば女子と親しくなり、やがて拒絶されるなどのエピソードはありそうなものだが・・・?

 

 

 

 

 

 

2017年10月17日

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること(2017)

Photo_2

- 河合雅司・著 ・講談社現代新書 -

人口減少問題を扱った本。劇場主は同問題について長いこと考えすぎ、脳味噌の回路がショートして思考不能状態に陥り、もはや諦めていた。いちばん気にしていたのは30年以上前だから、悩む時期を間違えていたようだ。この問題を放置するに近い形で、枝葉の問題に奔走している世論の大勢が腹立たしく、また情けなくも思えて、常時不安な気分を感じざるを得ないわけだから、精神衛生上良くなかった。 

人口問題に目途が立たないまま、小選挙区制を導入?郵政民営化?消費税をいじる?金融緩和に景気対策?・・・きっと間違って間違って、間違いまくって予算を無駄にしたに違いない。

この十年くらいは保育所整備を求める声が高まっていたが、それで問題が解決するかのような論理に呆れる。保育所は確かに足りないだろうが、整備は問題の本質からは大きく外れた、末節の課題である。あの声は、どんな風にして盛り上がったのだろう?建設業者や政治家の利害が一致したのかと疑ってしまう。分かりやすいから政策にしやすく、業者に利益を生むから選挙に有利、それだけという仕組みだろうか。

誰もが感じることだろうが、国家のことより自分の収入、差し迫った保育園建設などのことを考えた連中のほうが、ずっと良い人生を歩める。皆、余裕がないし、遠い将来のことはよく理解できない。誰かが良い事を考えても、人は身の回りの切実な事しか気にしないから、確実に無視される。その現実を思い知った。予言者は不当に評価され、損するばかり。ヨハネの時代からそうだった。

人口減少に対処するのは、本当は30~40年前が良かったのだろうが、研究者でも政治家でもない個人が、具体的に何かできる問題ではない。だから、焦ったり怒ったりせず、もっと事態が進み、緊迫し、皆が意味を分かるのを待つべきだった。義憤にかられてしまって、それでは遅いと焦ってはいけない。周囲の人に腹を立ててもいけない。時期は大事。そこを反省する。

個人でできることは、なるべく多くの子供を作ることくらいだ。でも、そう簡単にはいかない。家内は出産育児を非常に嫌がっていたから、なだめすかし、拝み倒してやっと生んでもらった。比較的条件が良かった我が家でもそんな具合だったから、通常なら夫婦の意見が合わなければ、もう仕方ないさと諦めるしかないだろう。

子の世話の負担は大きい。子供達が小さい頃、劇場主は掃除、洗濯、買い物、遊びなど、フルに協力し・・・・協力と言うよりむしろ劇場主が中心になって切り抜けたのだが、忙しい人間では限界もあるだろう。昔のように祖父母が面倒を見てくれる家庭は少ないから、たくさん子供を作るのは難しい。

収入も、おそらく不足している。自分が派遣社員だったら、家庭を持つ気になれたかどうか分からない。年収500万を軽く超えたら、複数の子供を作ろうかとも考えられるが、それ以下だと、かなりの無理を覚悟しないといけない。特に学費の問題は大きい。

そこで大学までの学費を無料化しようという意見がある。職を得るのに学歴は必要、格差是正につながるなど理屈は立派だが、単純すぎる考え方で即効性もなく、効果の実証もできていない。選挙目的の大盤振る舞いの公約としか思えない。全員が高学歴だと、結局は大学間の格差が大きくなるだけだ。よって有効性には乏しいし、無駄遣いに終わると予測すべきだ。この種の安易な考え方が、問題の是正を妨げてきたと思う。たとえば、大学が倍に増えたら子供が増えるか?普通に考えるとおかしいだろう。

人口減少を解決することは難しい。解決策のひとつは、やはり金で釣ることだと思う。著者も劇場主と同じ考えのようだ。3人目の子供に1000万提供することは、おそらく効率から考えて一番良い。問題も多いだろうが、生む能力と意志がある夫婦は、きっと答えてくれる。平等さの観点では問題があり、子を簡単に生めない夫婦に不平等を強いるが、効果が出ないと話にならない。

このような意見は過激と思われてきた。財源の問題もあるので反対されても仕方ない。だが反対すれば、問題を悪化させるだけだ。その他の政策では、効果を期待できない。学費を無料化しても保育所を整備しても、それだけでは意味がない。著者の意見は必須の方法で反対してはいけない、反対は全てをぶちこわす・・・この意見の、そういった意味を理解していただいて、実行に移して欲しい。

もう既に時期を逸しているのだから、方針の基礎となるべき「金釣り作戦」は、早急に開始したほうが良い。

 

 

 

 

 

2017年10月14日

怒り(2016)

Ikari

- 東宝 -

吉田修一氏原作小説の映画化。監督は李相日氏。夫婦惨殺事件の容疑者と疑われる3人の男達。誰が犯人なのか?それぞれ、どんな謎を持っているのか、徐々に明らかになるストーリー。DVDで鑑賞。

劇場では鑑賞しなかった。映画館が閉まっていたせいもあるし、あまり興味を持てなかったからだ。犯罪を扱った映画が面白いとは、あまり感じない。でも、この作品は犯罪よりも犯罪者を疑った時の人間の反応のほうを中心に描いているので、人間ドラマに比重があり、まったくの犯罪映画ではなかった。

同じ監督の作品「悪名」と同様、楽しい作品ではなかった。社会の底辺にうごめく人達が悲しい思いをするのを執拗に描くような、笑いがかけらもないような作り方。もう少し楽しいシーンがあったほうが悲しさが引き立つと思うのだが、暗いばっかりの話だった。テンポや気分を変える工夫に、前作と同じような問題があった。

真面目な作品だが、これは家族で鑑賞できる内容ではないと思う。友人といっしょに観ても辛くなるだけ、恋人と観て何か良い気分になれそうな気もしない、そんな作品。たぶん、独りで観るしかない映画だろう。

宮崎あおいが障害者を演じていて、非常に上手かった。邪気のない笑顔が、障害を感じさせる。逆に、暗く表情に乏しい人物を演じた俳優たちは、少しオーバー過ぎたかも知れない。渡辺謙などは、もっと笑顔を見せて無理している様子が垣間見れたほうが自然だったろう。普通の人間は無理して笑うはずだ。高畑充希が少しピントのずれた娘を演じていたが、こちらは良い味が出ていた。

いろんな怒りが登場していた。

派遣社員の虐げられた境遇、自分や社会の体制に対する怒り。沖縄がおかれた米軍に支配された仕組み、米兵に虐げられ、対等な地位を確保できない怒り。借金に追われる自分の境遇に関する怒り。知的障害を抱えて生きて行かざるを得ない怒り、その障害者の家族が抱える怒り。どれも深刻で、しかも解決が難しい問題。そこに焦点を当てた点が、優れた点ではなかろうか?

景気回復、地震からの復興、忖度問題、芸能界のスキャンダルなどが延々と報じられ、興味がそちらに向かってしまう傾向があるが、底辺での深刻な問題も多いのだから、対処、改善は常に必要なはず。さまざまな視点を持つべきだ。「あんな人達」などと、冷たい態度をとるべきではない。

昔も様々な、激しい怒りがあったと思う。でも希望が大きければ、暴発はしないで済むかも知れない。たとえば経済的に豊かになれるとか、家族が次々誕生し、一家が繁栄しうるなど、怒りより希望が勝れば良い。今の日本は縮小社会であり、そこが一番のネックになって、怒りの発散が難しい気がする。

怒りは本当に様々だ。

北朝鮮内部にも、おそらく怒りが渦巻いている。米国が代表している勢力が、北のような狭い地域にまで圧力をかけるのが憤りの根本原因だろう。いっぽうで、北朝鮮の国内にも豊かで自由な暮らしがしたいと願う人は多いはずだ。国内に怒りは渦巻いているに違いない。日本側にも、同国に対する怒りが充満している。暴発が非常に怖い現状。

もし武力衝突が起こったら、もしミサイルを本当に攻撃に使ったら、怒りはさらに増すだろう。戦闘が一段落した後にも、後遺症を残すに違いない。怒りを諦めが勝るくらいまでの激しい戦い、理不尽な殺戮が行われて、またさらなる怒りを残したまま終わることになるのだろうか?

理想としては、北朝鮮内部で鮮やかに政権が変わり、軍部の集団指導体制になることだろうか?平和的に安定した政権が誕生し、対外的戦争にならないことだが、よほどなウルトラCが起こらないかぎり、難しそう。おそらく米国は、軍の幹部と打ち合わせをしていると思う。北朝鮮では、そんな動きを徹底的に洗っているだろう。

軍事クーデターが、軍の支配的な立場の人達によって起こらないかぎり、政権転覆は難しい。軍部が決め手になる。あるいは現指導部が事故に遭うなどして、全く動きがとれなくなり、誰の目にも明らかに集団指導体制に移行しないと仕方ない事態が生じるなどだが、それでも国内の混乱は酷いだろう。

どうか暴発が起こらないように、祈っている。

 

 

 

2017年10月11日

タンゴ・レッスン(1997)

Adventure_pic

- Tango,Sally Potter -

次回作の構想を練る監督は、タンゴのダンサーに弟子入りし、ダンスを扱った映画作りを目指すが、互いの関係は・・・・という流れの話。

この作品は私小説的な作り方をしたらしく、監督自身の体験と、創作された部分と、実際のダンス、本物のダンサーが演技もするし、演出もするという、実験的かつ芸術的な方向性のようだ。

監督自身のダンスは確かに上手かった。完全な素人の動きではなく、ちゃんとバレーなどの素養がありそうな美しい動きをしていた。でも、本職のダンサーほどの体力、動きの切れ、優雅さは感じられなかった。ダンスは、やはり本職に任せるべきではなかったろうか?ダンス映画は、基本としてはダンスを見るために客は来るので、圧倒的な踊りが必要と思う。

監督の演技も悪くなかった。悩みや怒りを上手く表現し、気持ちを分かりやすい。でも若々しくないし、見た目だけで観客を惹き付けるような魅力は感じられなかった。仮に踊りが下手でも、スタイルだけ素晴らしければ、男性客は怒らない。監督は、見た目で損をしていた。

相手役は本物のダンサーだそうだが、テレビで見る本職のダンサーは、もっと動きが速いように感じた。世界大会の映像を見ると、もっと体の細いダンサーが、目にも止まらぬステップを披露している。今回の相手役は優雅に踊っていたが、体格や素早さをウリにしたダンサーではないようだ。その点、ちょっと不満に思えた。

ラスト近くで、ヒロインを交えて4人のダンサーが踊るシーンは、非常に優雅で味があった。二人で川べりを踊るシーンも美しい。踊りを美しく撮影するセンスが素晴らしかった。そのいっぽうで、突然主人公が歌い出すシーンは、中途半端なミュージカルのようでチグハグな印象を受けた。途中で調子が変わるのは、学生映画のようなノリに思える。

この作品は、女性用の映画だろうと思う。芸術映画を好む男性でも、おそらくヒロインが替わらないなら作品に対する評価は低めになる。ヒロインが本職のダンサーか、本職の女優なら男性からも評価される。ストーリーも、あえてヒロインを映画監督に設定する必要などない。

基本として、私小説は小説だから許されると思う。映画では好ましくない。チャップリンやウディ・アレンはよく自作自演しているが、ダンスをウリにしたりはしていない。ダンスを見せる際は、多少上手い程度ではダメなんだ。圧倒的な巧さが必要なのだ。

 

 

2017年10月 8日

アラビアの女王 愛と宿命の日々(2015)

Queen_of_the_desert

- Atlas Distribution,  GAGA.etc -

イギリスの学者にして諜報員的役割だったガートルード・ベル女史の伝記物語。DVDで鑑賞。

「アラビアのロレンス」を意識したのか、高尚で叙事詩的な作り方の作品。誇り高い雰囲気を随所に漂わせ、古い名作映画のような高級な感じがする。その分、現代風の軽いノリのようなものはない。若い観客は、きっとソッポを向いたのではなかろうか?

ニコール・キッドマンは50才近いはずで、ヒロインを演じるには無理があったと思う。でも照明や化粧などを工夫したのか、充分に美しく、気品の漂う女優ぶりだった。古い時代の名女優、大スターの雰囲気が感じられ、名演だったと思う。彼女は、古いタイプの女優のようだ。

演出が、少しテンポに欠けるような気がした。特にヒロインと、ジェームズ・フランコ演じる外交武官?とのデートシーンは、冗長ではなかったろうか?会話が多すぎ、濡れ場になっていない印象を受けた。印象をよくするためには、ロマンチックだが時間は短めにすべきだったと思う。

領事を演じたダミアン・ルイスがまた良い味を出していた。この人は役人を演じさせると抜群に雰囲気が良いようだ。恋愛専門の役者やアクションスターなどにはならないと思うが、この役には向いていた。

しかし、ベル女史がいかに優れた学者、官僚だったとしても、今日の中東の混乱を招いた英国政府の一員だったとして考えたら、やはり罪はあると思う。ベル女史の意見が通らなかった点も多かったろうが、責任は免れ得ない。

英国が、どのように考えるべきだったのか分からない。どう対処しても、アラビア半島は常に部族対立、宗派対立を繰り返し、殺し合っていたのかも知れない。関与しようとしまいと、何も大きくは変わらなかった可能性はある。

シリア、ヨルダン、イラクなどに分割したことや、その国境線の決め方などは、展望を開きにくい悪いタネをまいてしまったように思う。ISの誕生にも、英国の政策は関わっている。呪われて然るべきかも知れない。

そんな政策に関与した女史を描く場合は、違った描き方もあったのではないか?恋愛に重点を置いたのは、正しかったのかどうか?

 

 

2017年10月 5日

インターンシップ(2013)

The_internship

- 20C.Fox -

ヴィンス・ヴォーン氏の原案によるらしきコメディ。 共演はオーウェン・ウィルソン。DVDで鑑賞。

真面目な内容の、大人しいコメディだった。懐かしいハリウッド製の喜劇映画の伝統に則り、シチュエーション、職場が今風なだけで、つまらないと言えばそうだが、安心して観れるとも思えた。おそらく家族で鑑賞しても、ほとんど問題にならないだろう。

テーマは非常に健全だった。健全すぎたと思う。主人公の二人がちゃんとしたセールスマンだったという点が、そんな流れになったのだろうが、もう少しヒネたあくどい職業の二人であったほうが、話は面白くなったと思う。どうしてそうしなかったのか?グーグルか、あるいは出資者の意向だろうか?

グーグルにとっては、自社が舞台になったコメディは、良い宣伝になる。この作品には出資するだけの価値があったと思う。ただし、企画が面白くないとわざわざ資金を投入する意義は低くなるから、実際にどうしたのかは分からない。

ヴィンス・ヴォーンは、過去にいろんな映画で見ているはずだが、あまり印象に残っていなかった。悪役のような顔をしているし、主役を演じるには少々魅力に欠けるように思える。おそらく企画、脚本だけに留めて、この役はベン・スティラーあたりに譲ったほうが、絶対にヒットしたろう。

オーウェン・ウィルソンのほうは、役柄と個性が合っていたように思う。でも、過去の出演作と比べて、今回が特に魅力的に感じたかと言えば、そうでもない。そつなく演じていたに過ぎないと思う。もう少しドジで、酷い目に遭遇したほうがおかしくなれたろう。

敵役はいやらしい個性ではあったが、わざとらしかった。普通はもっと陰険で、表立って敵対したりせず、裏から足を引っ張ろうとしたり、それとなくバカにしたり、上流ぶった慇懃無礼な態度をとるものだ。口調があからさま過ぎて、不自然だった。彼の魅力が大事だったと思う。悪さが不足していた。

劇場主がこの作品に興味を持ったのは、自分の今後について考えることがあったからだ。そろそろ人生の終わりのほうについても考えないといけない年齢になってきた。幸い職にあぶれることのないまま終わりそうだが、資金的な余力がないので、老後は非常に心配だ。でも、まだ良いほうだろう。

30代ならともかく、40~50代で転職するのは勇気が要る。給料も下がることが多い。よほど恵まれた職場以外は、年金がなかなか降りないのだから、この作品のように面接を受け、試験採用される側の立場に立つこともあるだろう。採用されなかったら・・・考えただけでも怖ろしい。そんなことが気になって、鑑賞した。勇気づけられそうな内容だった。

 

 

2017年10月 2日

クリミナル 2人の記憶を持つ男(2016)

Criminal

- Millennium、 Summit -

ケヴィン・コスナー、ゲイリー・オールドマン、トミー・リー・ジョーンズ、ライアン・レイノルズ、ガル・ガドットなど、多数のスターが共演したSFスパイ映画。DVDで鑑賞。棚の残り具合から判断するに、あまり人気のない作品のようだ。

脳科学の進展により、記憶を移植する技術が開発されたということがアイディアになっている。そうなったら、当然だが記憶が混在した人間が誕生するから、その人物は苦悩するだろうと予想される。その姿に、スパイもののストーリーを加味させようと考えたのだろうが、やや安易ではなかったか?

おそらく、他人の記憶が再生されるSFはもう珍しくないのだから、何かの画期的な話を追加するか、あるいは描き方が画期的である必要があった。ただの演技ではなく、CGなどを使った表現方法がカギだったはずだ。

主役がケヴィン・コスナーでは、少し歳が行き過ぎているのではないかと感じた。かっての人気俳優も、近年は主役としての価値を失いつつある。それに殴り合いで実際に勝てそうな年齢ではなくなっているはず。もう少し若い俳優ではどうだったろうか?

おそらく、この役には意外性が必要だったろうと思う。この作品のようにハンサムな主役俳優のイメージのある人間が凶暴性を示したり、逆でも良い。二面性が描かれて、観客が意外に感じるようにしないと、主人公に魅力を感じないだろう。問題は、それをどう劇的に表現するかだ。

ケヴィン・コスナーの演技は大変に上手かったが、演技くさい印象も受けた。名優が演技力で二面性を表すのではなく。もっと観客が驚くような、完全に異常者としか思えないほどの凶悪犯の雰囲気、冷徹そうな凄腕スパイの雰囲気が、普通でない演技によって描かれるべきだった。

たぶん、悪役専門の俳優が彼の役には望ましかった。主人公はもともと凶悪そうな顔をしていたほうが良い。サイコ的な、普通はあまり好まれないようなタイプの俳優でも良い。そんな彼が、急に正義派として活躍したら、そのほうが意外性を生むはず。

もしも非常に斬新で、凶暴そうな人物が主役を演じていたら、興行面では決め手になったのかも知れない。

 

2017年9月29日

大西部への道(1967)

The_way_west

- MGM -

カーク・ダグラス主演の西部劇。DVDで鑑賞。西部を目指して旅する集団の物語。3人のヒーローが登場し、それぞれが個性豊かに、各々の役割を持って演じていた。

主人公は結局死んでしまう。しかも、わりとあっさりした死に方だった。大活躍するとは言えない活躍ぶりで、ヒーロー的に描かれていない。そこが狙いだったのかも知れない。ただ活躍するだけの底の浅いヒーローでは、話が軽くなってしまう傾向があるから。

リチャード・ウィドマークは、劇場主の感覚では悪役のほうが向いているように思う。この作品なら、主人公のほうを演じると良かったかも知れない。ヒネた役を好むカーク・ダグラスが、役を取ったのだろうか?

ロバート・ミッチャムはタフネスと、病気による弱さが混在した人物を演じていた。こちらは彼のキャラクターに合致していたように思えた。本当のヒーローのように、アクション面で活躍していたのは彼だった。その彼も、過去の経緯のせいで暗い部分がある。奥の深さを狙ったキャラクターのようだ。

サリー・フィールドが目立つキャラクターを演じていた。この作品でデビューしたそうだが、お色気や幼さ、たくましさなどが混在した娘を上手く演じていて感心した。良い人物とは言えないのだが、共感してしまう。よく彼女のような魅力的なタレントを探してきたものだ。

各々のキャラクターが、かなり問題を抱えており、リアルで複雑な話になっていた。よく考えられた物語。原作が、深く考えて作られていたのだろう。ただ、鑑賞を終えた後に、奥の深い感動が残ったかと言えば、そうでもなかった。主人公が死ぬタイミングはもっと後のほうが良いし、死に方も皆の犠牲になってといった、味わいに通じるものが欲しい。盛り上げ方に、何か問題があったと思う。

クライマックスと言えるのは、断崖絶壁を降りるシーン。実際に映画のような道具をその場で作ったりしたのだろうか?装置を作るには数日かかりそうな気がする。遠回りすれば、危険度は段違いに下がる。物語用の設定ではなかったのか?大河が作った巨大な断崖は、米国の場合は少なくはないと思う。でも崖に出会う度に装置を作るのでは、日数を短縮することにならないのでは?

カーク・ダグラス演じた男のキャラクターは、ずるいし、嘘つきでもあり、完全無欠にはほど遠い。でも目的のために手段を選ばないから、行動力、指導力があるとも言える。無茶な旅を企画する人間は、こんな個性でないと無理かも知れない。成長、発展を狙う時の指導者像であろうか。

逆に安定成長を狙うべき時期には、無茶なキャラクターは危険。さて日本の現首脳はどうだろうか?

 

 

2017年9月26日

疑わしき戦い(2016)

In_dubious_battle

- AMBI -

大恐慌後のカリフォルニアを舞台に、季節労働者と地主達の戦いを描いた作品。DVDで鑑賞。

スタインベックの原作は1936年に発行されたらしい。この作品は怒りの葡萄と似たようなテーマを扱っていて、その先駆けになっているかも知れない。怒りの葡萄よりも、共産主義の扱いが大きく、もしかするとスタインベック自身も、共産主義シンパだったのかも知れないが、なんとなくそんなシンパシーの存在を感じる内容。

’疑わしき’という意味がよく分からない。鮮やかでない、いかがわしく際どく、眉をひそめたくなるいという意味のほうが近いのかも知れない。何かを否定的に捉えているはずだが、それが共産主義者なのか、戦っている双方なのか、はっきりしない。

ジェームズ・フランコ演じた運動家は、仲間であるエド・ハリスらを利用してでも、大義のための戦いを有利に進めようとしていた。完全無欠の理想主義者ではなかったから、彼の戦い方はいかがわしい。日本の過激派ほどではないと思うが、政治運動家には、冷酷な人間も多かったようだ。劇中でセレーナ・ゴメス演じる娘が、彼をそのように評価していた。

ロバート・デュバル演じた地主側の戦い方も酷かった。暴力、政治力を駆使して、目的を達しようとする戦いぶりは、明らかに非人道的で、まさにいかがわしい戦いぶりだった。おそらく、地主側が最もいかがわしかったが、彼ら双方の戦いそのものが、激しさ故に、眉をひそめたくなるものになったのではないか?

「怒りの葡萄」は、家族愛が大きなテーマになっていて、その分だけ物語は叙情的で印象深い。家族と別れざるをえない主人公の境遇は、彼が殺人者であっても同情を得るに足りるものだった。この映画の戦いは、リアルな分だけ救いようがない。

当時、巨大農園を運営していた連中は、おそらく事業を多角的に展開し、今も形を変えて生き残っているはずだ。法律が変わるまでには、資産家側の権利を主張するのが当然である。権利保護の観点からは、資産家側は支持されるべきで、そこを強調することで強硬手段を使って戦えたのだろう。

おそらく当時だって季節労働者側に立つ新聞もあったのではないかと思うが、政治力を使って内容を変えさせたり、記者に圧力をかけるなど、きっとやっていたのではないか?今ならネットの力を使って、あっという間に抑圧事例は証拠をつかまれ、社会問題化される。当時、弱者側が権利を主張するのは難しかったろう。

ましてや、黒人やインディアン達の権利となると、いまだに酷いものらしいから、想像がつく。現職大統領が人種差別を容認するかのような態度をとるなんて信じがたいが、選んだ国民も明らかにそんな心情を持つ連中が多く、あまりに酷いと思う。

さて、現代で最も大きな対立は、北朝鮮と米国の間の対立よりも、おそらくグローバリズムと民主主義だろうと思う。もちろん北朝鮮問題を無視して良いとは言わないし、実際に日本が戦場になる可能性だってあるから、大きな問題ではあるのだが、資産偏在のほうがより奥深く、重篤だと思う。おそらく、この作品の隠れたテーマには、それがあると思う。

資産の偏在は貧困問題、失業問題、そして税収不足の問題を生んでいる。資本がグローバルに動くこと自体は悪くはないと思うが、税金問題が絡むと、完全にモラルの問題になる。手にした金を持って、金持ちだけ豊かな場所に移られたら、残った者が貧困から抜け出せない。資産家の自由だと言ってられない。そこが問題と分かっているのに、協調して対応できていない。この作品と同じような、不平等でモラルに欠ける状態が起こっている。

うまく法律を作るべきである。暴力、実力で争うのは‘dubius’だ。法律の成立だけで事態は快方にむかうから、当面はそれで良い。醜い争いに熱中しても、それだけでは意味はない。それが、隠されたテーマのような気がする。

 

 

«ズーランダー(2001)