映画評

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2017年4月29日

宝島(1950)

Treasure_island

- Disney -

少年が瀕死の老人から預かった地図には、海賊の宝物の場所が記されていた。宝を探しに、少年と町の有力者が旅に出るが・・・

・・・DVDで鑑賞。ディズニー最初の長編実写版作品らしい。印象としては、戦前の冒険映画のような古い作り方で、明らかにスタジオでの撮影と分かるシーンも多く、技術的に優れている印象はなかった。でも、クセのない演出で家族が楽しめるように作られていて、今でも子供が鑑賞可能な作品かも知れないと感じる。非常に受けるだろうとは言えないが・・・

主人公を演じていたのはボビー・ドリスコールという少年で、特別利口そうな顔つきとは感じなかったが、笑顔がかわいらしかった。当時の有名子役だそうだ。早世したらしいのも、当時の子役らしい。

悪役のジョン・シルバーを演じた俳優は、目つきを思い切り怪しく演じていて、なかなか良い表情だったと思う。今なら、おそらくもっと怖い顔をした俳優が演じて、もう少しリアルな方向で演じるのではないかと思うが、この作品の当時だとオーバーな表情が要求されたんだろう。

この悪役の個性が大事だった。単純な殺し屋では面白くない。利己的な面と友情にあつい部分、少年との独特な関係、頭の回転の良さ、度胸、度量。それらが独特な魅力になるよう、作者が意図して作り上げた個性だと思う。後年の「トレジャー・プラネット」などでも、その点は守られていたようだ。つまり、キャラクターが愛されていたということだろう。

映画についてよく思うのだが、悪役の出来は作品の出来映えに直結するようだ。主役の魅力ももちろん大事だが、悪役にクセがあって、悪いやつだが愛すべき点もある場合、作品の魅力はかなり増す。このジョン・シルバーこそ、その点で代表選手と言えるだろう。

魅力的なジョン・シルバーに対し、先日辞任した今村雅弘・前復興相は、魅力に欠ける印象を受けた。

政治家には悪役の顔をした人が多いが、魅力ある悪役顔の人もいる。今村氏は、そういったタイプではなくて真面目で、腹黒くない人物ではないか?東北地方の人々に対して、深い同情を持っていたのかどうか?そこは簡単には分からないが、テレビで表情を見る限りは、あまりなかったようだ。それを、そのまま吐露したに過ぎないのかも知れない。

氏が東北を目の敵にしよう、復興させまいといった本物の悪い意図で行動していたはずはない。自分に課せられた仕事はちゃんとこなそう、復興支援しようと考えていたはず。ただ、心から同情して献身したいような素振りはなく、淡々と職務をこなそうという程度の姿勢だったのでは?それだけなら、他の政治家も役人もおそらくそうで、際だって酷い人物とは言えない。

氏はJRの管理職だったそうで、日本会議に賛同(所属?)しているせいか、出世が非常に早い。勝手に想像すると、管理する側のイメージが思考の中心にある人物かも知れない。管理させたら優秀。役人タイプで権益を小出しにして大盤振る舞いはしない、情にほだされない、そんな個性を期待されて就任した面もあったのかも知れない。

しかし、復興は情をともなう分野だ。悲しみや怒り、絶望、そして復興にかこつけた欲が渦巻く怖い世界だから、情に対する配慮も必要。無茶な要求も多いと思うけど、それを端的に無茶だと指摘してはいけない。お茶をにごさざるを得ない場合もあるだろう。

要は、嘘が下手だったのでは?・・・もう遅いかも知れないが、悪役ジョン・シルバーの演技を観て、参考にして欲しい。魅力ある悪役、それが目指すべき(?)道かも。

 

2017年4月26日

エンド・オブ・キングダム(2016)

London_has_fallen

Milleniumm Films G-BASE etc

- トランプ時代のヒーローか? -

前作で米国大統領を救った主人公は、随行したロンドンで、またしてもテロリストに襲われる。ロンドンの街中を逃走するが、内通者によって大統領の情報が漏れてしまう・・・・

・・・・DVDで鑑賞。奇想天外なアクション映画の類に属する作品で、二級品だからと、あんまり期待しないで鑑賞を始めたのだが、意外に高度な映像表現でスピーディーな流れを維持しており、よく出来ていたと感じた。

主演のジェラルド・バトラーは制作者も兼ねていたそうで、この作品のウリを的確に判断し、商品としての価値を高めるべく、演出に必要なことはこなし、演技も見事だった。彼の大車輪の活躍が、この作品の成功の理由のひとつだろう。

トム・クルーズも自分の映画をプロデュースする能力があるらしい。彼と似たような立場で、バトラーも自らを演出し、企画に参画し、仕上げているようだ。かってチャップリンがそうだったように、全てを取り仕切るだけの才能があり、監督業もこなせるのではと思った。

この作品は、道義的に問題のあるシーンも多い。主人公はアンチヒーロー的な性格を有すると、バトラー自身も述べていた。おおむね正義のヒーローと言えるとは思うのだが、米国流のヒーローであって、万国共通のヒーローではない。興業面から言えばアメリカファーストでやるべきで、キャラクター設定としては、そうすべきだったと思う。

人権意識などない敵を相手にしていることは確かである。欧米同士が戦っていた時代とは、戦場のルールからして違う。ヒーロー像も、時代に応じて変わらざるをえないということではないか?

万国型ヒーローは、リンチめいたことをしない。でもそれでは、米国民の相当数の人達には、生ぬるく嘘っぽい印象を与えてしまうのではと考える。たとえば中西部でライフル片手に生活している人達は、「なぜ敵を殴って情報を聞き出さないんだ!」と、怒るのだろうと想像(勝手な想像だが)する。ヤワな印象が少しでもあれば、トランプ時代の今日、もはや批判の対象にしかならない。

問答無用であること、基本として力任せであること、手段を選ばないこと、タフでハードボイルドタッチの行動。そんな個性が、今は望まれているということだろう。上空から誘導ミサイルで攻撃することに、何もためらってはいけない。検討しすぎると、オバマ政権時代のように、急に作戦を中止したりしてロシアにつけ込まれる。この作品は、そこを正々堂々と訴えている。

でも巻き添えになる人には、たまったものじゃない。ラスト近くで、「建物内に民間人はいません!」と報告されていたが、あの程度の確認で大丈夫だろうか?「すんません、よく調べたら一般人の掃除夫がいました!」ってなことは、ありうることだと思うが・・・

 

2017年4月23日

アルジェの戦い(1966)

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- Casbah  Films - 

レストランで優雅に食事を楽しむ市民・・・・しかし、突然の爆発で多数の犠牲者が出る。無差別テロだ。犯人は現地のテロ組織。組織に対抗するため、フランスから空挺部隊が派遣される・・・

・・・・アルジェリア独立前のフランス軍とテロ組織の戦いを中心に描いた作品。カンヌ映画祭や、日本のキネマ旬報などの映画賞を独占した作品。強烈な映画だ。「シェルブールの雨傘」を観ていて、そういえばギィ君はアルジェリアに行ったのだと思いだしたのでDVDで鑑賞。

臨場感にあふれている。ドキュメンタリー映像のようだが、記録映像を使わないで、全て映画のために再現したそうだ。でも、実際の事件を写しているとしか思えないリアルな映像。おそらく、アルジェリア政府の援助、市民の無償の協力があって初めて成功した企画だろう。

大勢の人達が映像の中で真剣な表情を保ち、エキストラと思しき人達も演技臭くない表情を見せ、ちゃんとリアルな映像を作ることに参画している。俳優達ばかりでは、街の雰囲気の再現は難しい。エキストラこそが、この作品で最も重要な出演者だったと思う。

独立運動の記憶がないと、こういった企画は成立しにくい。いわば、この映画も独立運動のひとつだったと言える。

フランス軍の大佐も、テロ組織側も、使命に忠実な存在として描かれており、視点が素晴らしい。素晴らしい・・・・ということは、反発されやすいということも意味する。公平な見方をすると、その理想主義が鼻について、激しい攻撃を受けるのが必定だ。昨今の炎上騒ぎをみると想像がつく。この作品も、フランス側からは批判されたらしい。

独立が善なのか?考え方はいろいろある。欧州の支配から脱出しても、ただ封建政治や貧困を生む国が多い。それに政治的に独立しても、輸出しなきゃ金は得られない。貿易にともなって、経済面では支配を受ける。アラブの春の経過をみてみると、革命は混乱を生んだだけのような気もする。でも、だから支配下にいるままで良いはずもない。民衆の意志に従うべきとしても、結果は単純な成功につながらない。

独立後が一番難しいのだ・・・・と、映画の中でも指導者が言っていた。その通りだろう。経済をどう運営するか、その結果次第では大失敗に終わることもある。

アフリカ側とヨーロッパ側の関係がそもそも複雑で、互いに侵攻を繰り返してきた歴史があり、どちらが正義、どちらが悪者と決めつけるのも難しい。今は主にシリア難民とイスラム過激派のテロが問題だが、60年前までは一方的な欧州側の支配こそ最悪の権利侵害。数百年前はイスラム海賊こそ最悪。二千年前はローマ軍が最悪だったろうか?

描かれていたフランス軍も勇敢で優秀だった。彼らなりの価値観に基づき、任務を遂行していた。しかし、残酷な拷問もやったようだし、結果的には敗北し、徒労に終わり、意義の低い行為だったのかも知れない。劇場主がフランス軍の兵士だったとして、進んで命を賭けられるだろうか?強制されないと、普通の人なら無理だろう。愛国心だけでは嫌になる。

テロ組織側も、命を賭けた意味がどの程度あったのか疑問。第一に、無差別テロが許容されるべきとは思えない。そして、独立後の治安を守るためには、おそらく欧米の手先を排除するために、強権的な政権が必要になる。実際に多くの発展途上国がそうなっていた。そうなると、勇敢な行為も優れた政治的判断も、実質ただの権力闘争の様相を呈してくる。

昔からそうだったのだろう。解放や政権交代の後にも、圧政と貧困が待っているのだ。

 

 

2017年4月20日

スーサイド・スクワット(2016)

Suicide_squad

- Warner, etc -

犯罪者達を集めて秘密部隊が結成され、魔女を相手の戦いに投入される話。アメコミを題材にした作品らしい。DVDで鑑賞。

ウィル・スミスが一応の主役だったようだ。ゲテモノ映画、悪趣味な二級品と言えるが、単純に面白かった。狂った悪女役は可愛らしくて色気があり、集団のトップは悪人達より非人道的で、一種のダークヒーロー物語として、設定が良く出来ていた。

生真面目な人物が悪者と戦う場合、真面目すぎて興味を持てない場合がある。お子様映画の鑑賞者になってしまうことを、自分自身が恥じるのか分からないが、集中して観ているのを、ちょっと遠慮したいような感覚に襲われる。その点、主人公らがヒネていると都合が良いのかも知れない。

米国に限らず、キモ系のヒーロー、悪者が活躍する物語は多い。そこらの理由があって、必ず新しいダークヒーローが登場してくるのだろう。

目立たない人物もいた。ブーメランを使う犯罪者は、それだけでは魅力に欠ける。戦闘能力が劣る場合は、性格のずるさを強調すべきではないか?常に下品な悪態を吐くとか、裏切りや騙ししか考えていないなど、他の要素でもって存在感を出して欲しかった。雑誌の人気投票で下位にランクしていて、扱いが軽かったのか?

底の浅い物語ではなく、逆転につぐ逆転の展開のほうがが望ましかったと思う。敵も仲間も互いに嘘をつき、互いに誰も信用できないような展開が面白い。そして形勢が常に逆転するような展開が欲しい。したがって、敵側にも愛嬌のようなものが欲しかった。

魔女役はモデル出身だろうか?顔が可愛らしすぎて、魔女のイメージは浮かばなかった。もっと顔の長い、魔女的な顔の女優ではいけなかったのだろうか?色気満点のグラマー女優でも良かった気がする。

この作品は結構売れたらしいので、もしかすると続編が作られるかも知れない。悪趣味ならではの固定客がいそうだ。ネタがなくても心配ない。キモさはどんどん酷くできるし、残虐さも、どんどんエスカレートできる。際限はない。

 

 

2017年4月17日

シェルブールの雨傘(1964)

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- Cine Tamaris etc -

17才のジュヌビエーヴは、自動車修理工のギィと恋仲。しかしギィはアルジェリア戦争に出征。ふたりは離ればなれになる・・・・

・・・・ラ・ラ・ランドを観ていて、急に思い出して鑑賞。ラ・ラ・ランドの場合は、戦争が二人を分かつわけではない。でも両方ともミュージカル映画で、恋愛の経緯に似ている部分もある。あらためてDVDで鑑賞してみた。

セリフを全て歌にしている点が、この作品の特徴。しかも、曲にパターンがたくさんあるわけではなく、ほぼ主題曲だけに限定されているから、本当に独特な作り方だった。独特な作り方が魅力になっている面があれば、魅力を損なっている面もあると思う。やはり無理はしている印象。

アメリカ流のミュージカルでは、人物が急に派手に歌い、踊り出す。陽気に跳んだりはねたりするのが通常で、多くの作品が明るい雰囲気になる。派手なのが基本。いっぽうで、現実からは完全に遊離してしまう。暗い話の場合は、違和感が生じやすい。メロドラマは、フランス流のほうが向いているかも。

この作品は役者が口だけ動かし、本職の歌手が歌を担当しているそうだ。したがって、ささやき声もちゃんと聞き取れる。そうでないと、オペラみたいな大仰な動作、腹から出す声が必要になって、現代の物語を描くことはできない。口パクは正解だったと思う。

細かいアイディアや基本に忠実な演出に気づく。列車で出征する恋人を送ったヒロイン、画像のすぐ後でプイッと去って行く。普通は列車が見えなくなるまで見送るだろう。つまり既にヒロインの心は堅実な判断に傾いていたのか?と、想像できる。ちゃんとオーソドックスな演出をこなしている。

曲が素晴らしかった。ミシェル・ルグランはたくさんの映画音楽を作ったが、この映画の曲が一番素晴らしいと思う。悲劇的なストーリーと相まって、印象深く残った。でも制作当時、監督はそれほど有名ではなかったと思う。しかも、この企画はかなり斬新だ。よく参画したものだ。作品がコケると思わなかったのだろうか?

娘が妊娠して、母親が困ったと言いながら、嬉しそうに孫の洋服を準備するシーンが笑えた。娘の将来を考えて策を練りながら、孫のことは別と認識し、楽しみにするのは、たくましくて、しかも人間的と思う。母親のキャラクター表現として、最高だったと思う。

カトリーヌ・ドヌーヴが非常に痩せていて、メイクのせいか頬もこけていた。役のためにダイエットをやっていたのかも知れない。ラ・ラ・ランドのヒロインは悲劇的な印象が全く感じられなかったが、ドヌーヴは完全に作品のイメージに合致している。メロドラマなんだから、ドヌーヴのような女優のほうが役柄に合っている。

フランスは未婚女性に手厚い保護があるという。でも、当時は女性が独立して生きていくのは難しかったのかも知れない。豊かな生活は、豊かな人と結婚することが今でも大きな条件。米国で映画スターを目指す野心家の娘とは、キャラクターが違う。したがって、キャスティングも違って然るべきではある。でも、一般的な傾向として、恋愛映画では悲劇女優のほうが印象に残ると思う。

ギィ君のほうは、あんまり冴えない役者のように感じた。眉毛を寄せる表情が情けなさ過ぎる。この作品では、ドヌーヴの添え物としてしか扱われていなかったのかも知れない。凄い二枚目、マッチョマン、男っぽい役者だったらどうだったろうかと思った。たぶんスター俳優のほうが女性の観客に訴えるものがあったのでは?

 

2017年4月14日

ターザン:REBORN (2016)

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- Villageroadshow, Warner, etc -

コンゴの支配をもくろむベルギー王室は、ターザンを取り引き材料に、ダイヤの入手を狙う。ワナにはまったターザンは、妻を誘拐されてしまう・・・

・・・・DVDで鑑賞。この作品はハリー・ポッター・シリーズのデビッド・イェーツが監督していて、それをウリにしていた。・・・ということは、あんまり期待しないほうが良い、他にウリがないのだろうねと考えて鑑賞を遅らせていたわけだが、概ねその期待通りの出来映えだった。同じジャングルを舞台にしても、「ジャングル・ブック」と比べ、明らかに暗い話。

3D作品も作られていたらしい。おそらく意図は、ジャングルの中をツタを使って行き来する様子を立体的に表現することにあったと思うが、2Dでも充分に迫力を感じた。映像の技術に関しては本当に素晴らしい。動物も景色も、迫力、美しさともに満点だ。

敵役のクリストフ・ヴァルツが、なかなか素晴らしい役割を果たしていた。セリフの中で、自身が何に価値を見いだしているのかをはっきり語り、単純な悪役ではなく、いかにも考えそうなことと納得できる悪役だった。

ターザンは、この作品の中ではあまり重要ではなかったようだ。セリフも少なめだし、元々のキャラクターが寡黙な人のイメージがあるので、ハンサムで体格が良く、動きに無駄がないことのほうが優先される役柄。モデルかスポーツ選手が演じれば良い。脇役が大事だった。

奥さん役は、マーゴット・ロビー嬢で、「スーサイド・スクワット」の悪人ヒロインと真逆の個性だったのだが、充分に品格のある女性を演じていて、非常に存在感を感じた。既にスターになったようだが若いし、今後もっと大作に出てきそうな予感がした。凄い名作を残しそうな気配がする。大スターの予感が。

この作品は、たぶん家族で鑑賞できる内容と思う。暴力シーンもあるが、血みどろの表現はかなりカットされていたようだ。恋人と観ても悪い内容ではないと思う。でも大ヒットはしていない。作り方に、何か問題があったのかも知れないと感じた。

悪名高いレオポルド2世のコンゴ支配を扱った点は、物語の重みを考えると良いアイディアだったと思う。しかし、見ていて辛くなる弊害もある。当時のアフリカ支配は、欧米諸国共通の原罪である。そして、今日もグローバリズムの中心地のひとつがベルギーである。欲に目がくらんだ連中が、今も現実に徘徊している世の中で、その先輩にあたる奴等の話をすると、なんだか辛くなる。

「コンゴ人の次のターゲットは、俺たち一般国民だったのかなあ・・・。」「俺たちの祖先も、この暴虐に荷担していたんだよなあ・・・。」そんなことも、気になるかも知れない。もちろん、気にしない人も多いだろうが。

経済活動には、一定の傾向がある。利益を追求しないといけない。安価な労働力が眠っていれば、それを使って安価な製品を大量に作る。支配力の空白を狙って資源を確保する。マーケットを増やし、もし国外市場が減れば、購買しやすい政策を作ってでも国内市場を再開拓。国民を愛国の兵士、ある時は購買者、または安価な労働力として使う。それらが、共通した手法だった。今もそうだ。

そこを連想させず、自然賛歌、愛と融和の精神に徹して作品を描けば、たぶん観た後の印象が良く、満足感を与えてヒットもしたのではないだろうか?問題からの逃避である。だから、敵は密猟者のほうが良かったと思う。

 

2017年4月11日

博士の異常な愛情(1963)

Columbia

- Dr.Strangelove or..... -

空軍基地の司令官が発狂し、核攻撃を命令した。政府や部下が命令撤回を画策するが、事態はどんどん進む・・・・

・・・核兵器の恐怖を扱ったブラック・コメディ。原作本があるそうだが、キューブリック監督が大胆に作風を変えて喜劇仕立てにしたという。ピーター・セラーズやジョージ・C・スコットが大まじめに演じていて、それでかえって喜劇的になっている。演じられたのは古いタイプのギャグだが、アイディアにあふれる作品。

邦題は博士の名前から採られているが、その博士は脇役に過ぎず、ドイツ名を英語に直訳した際に名前がおかしくなり、笑われながらも嫌われるキャラクターを、そのままタイトルに使ったようだ。皮肉の意味だろう。軍事技術の専門家を象徴し、茶化したといったところらしい。でも、いかに茶化しても、この人物のような専門家は、必ず会議に呼ばれて意見を聞かれるだろう。

冒頭のクレジットが非常に読みづらい。適当に殴り書きしたような文字で、しかも構図がおかしいので、クレジットの意味を成していない。作品がいちおうコメディなんで、クレジットの部分は重厚に、真面目くさって表示しても良かったのではないかと感じた。斬新と言えば斬新だが・・・

映像の技術に関しては、さすがに古い。テレビのSFのレベルと、あんまり変わらないような気がする。当時の技術では、あれが限界だったのかも知れない。1980年ころから急速にCGが進化したのだから、技術面に関しては旧時代のもの。アイディアだけで勝負していたと言える。

アイディアは素晴らしい。その後のSF映画に、この作品に影響された作品は多いと思う。ちょっとした偶然や、ひとりの人間の狂信的な信条が、破滅の原因になる可能性は確かにあると思う。あるいは、様々な検討を重ねて作戦に落ち度がないようにしたはずなのに、想定外の事態によって最悪の結果が出る、それもありうることである。

米国の戦略会議の様子がおかしい。好戦的な将軍が、先制攻撃をしたがる。その理屈には一定の道理があり、説得力が感じられる。まるで戦前の日本軍の参謀のような理屈。でも、肝心な部分の配慮、深謀遠慮に欠けると、この映画のような結果が待っている。将軍になるような人物は野心があって、サイコパス的な性格を持つ人が多いはず。理路整然と間違う人物も多いだろう。将軍は自分の戦績が大事だし、技術の専門家は最新の武器を使って、その威力を誇りたいはず。

先日、米軍はシリアの基地を攻撃した。シリア軍が毒ガスを使ったらしいことに反発したようだ。まさか本格的に参戦する意図はないと思うが、もしロシア軍が基地にいた場合は、かなり怖ろしい事態に進展するかも知れない。あっさり手を引くとメンツがつぶれるから、より厳しく攻撃して優位のうちに撤退したいと双方が考えているとすると、どんどんエスカレートするかも知れない。破滅、破綻が来ないという保証はない。

破綻で思い出した・・・・東芝が危機的な状況らしい。

事業を分社化し、売却などによって乗り越えようと努力はしているそうだが、超優良企業だったはずの東芝が、こんな急展開で破滅の危機に瀕するとは、まさしく想定外のこと。劇場主は、まったく予測していなかった。経営会議では、いったいどんなことを話していたのだろうか?興味がある。各々の役員達の業績争いや、忖度合戦に終始し、大事な判断を間違っていなかったろうか?

原発事業には大きな危険が潜んでいる。それくらいは素人でも分かるが、それにしても急な話。劇場主の感覚で思うのは、自然エネルギーに賭けるなら許せるが、原発に賭けて失敗したのなら当然の結果なのかも知れない。判断の失敗には違いないのだが、金銭面以外を含めた総合的な面では違う。会計操作の問題もありそうで、企業倫理の観点からも自業自得ではという印象も浮かぶ。

でも、東芝で働いている人達にとっては大変なこと。会社の首脳部が、おそらくは運も悪かったのではあるが、結果的に無茶な事業に投資し、保身目的の粉飾をやって、それで逃げ切れると判断したツケが、部下達に回ってくる。社員達はちゃんと仕事していても、運によって今後、酷い目に遭うかも知れない。

営利企業だから当然のこと、大発展もあれば惨めな破綻も当然と言えばそれまでではあるが、東芝の製品や、スポンサーだった日曜劇場、サザエさんになじんできた者としては、感傷的にならざるをえないものがある。願わくば、惨めな破綻が来ないよう、祈るばかり。

 

 

2017年4月 8日

ハドソン川の奇跡(2016)

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- Warner  etc -

エンジントラブルにもかかわらず、奇跡の不時着に成功した機長。しかし本当は判断ミスがあったのではという疑惑が起こり、一転して彼は窮地に立たされる・・・・

・・・・DVDで鑑賞。この作品が劇場で公開されていたのかは分からなかった。2016年は地震で大江のグランパレッタが閉まっていたので、劇場公開作品はほとんど観れなかった。ただし、この作品が仮に上映されていても、観なかったように思う。マイナーな路線だったから。

完成度の高い作品で、話としてまとまっていた。極めて重大な事故ではあったが、実際の事故の緊迫した時間は十数分間程度に過ぎないから、サスペンスだけで盛り上がりを続けることはできない。演出でもって120分に延ばすしかないから、ほとんどの時間帯は静かなドラマタイムになる。そこで退屈させないのは、非常に難しいことだ。

この作品は、家族で鑑賞できる内容と思う。ただし、おそらく小さい子には、もうちょっと派手なアクションがないと受けない。でも恋人と観るのなら、かなり高級で後味も良い作品になると思うので、悪くはない選択。ただし、ちょっと退屈する人がいるかも知れない。

実際の事故後の公聴会はどんなものだったろう。映画の通りだろうか?それとも、英雄視されている機長に対して、検証委員が最初から好意的な態度で検証してくれたのではないか?・・・・そんな気はした。もし彼を排斥でもしようものなら、国民の多くから集中攻撃をくらいそうだ。

日本の事故調査がどのようなものかも、気になった。日本の航空機事故で、公聴会は開かれるのだろうか?日航機の墜落事件の時、どこで検討会が開かれたのかも知らない。圧力隔壁に問題があったとの報道は読んだが、もしかすると密室で、会社や役人だけで検討したのではないか?それに当時は、たまたま製造会社が直ぐに過失を認めたから結論に至ったような印象を受けた。正しい方法で検討されたのか?

繰り返し述べることになるが、日本的な悪例として思い浮かぶのは、原発事故の事後評価だ。検討会の人選の根拠が、そもそも不明朗だった。国会事故調のHPを見る限り、委員が過去に事故を予測していたとは書かれていないようだ。原発推進派の人間を集めた可能性も否定できない。検討会では、菅総理を始めとする当時のスタッフの対処を延々と批評しているが、焦点がずれている。総括されていない。あんな検討で、次の事故を防ぐのは無理だろう。

総理がどんなにバカでも、自動的に対処法が提示され、総理は「うん、分かった。仕方ないねえ、実行しろ。」と言えるようにしないといけない。政治家に原発のことが分かるはずがないからだ。事故対策は、政治家の出番がないところまで目指して、事前にマニュアルを作り上げることが一番大事。おそらく、もう一度同じ事故が起これば、さほど変わらない結果が待っているだろう。

確かに官邸もおかしかったと思う。官邸の正しい対応は、素早く専門家を集め、その指示に全面的に従うこと!と号令を出すことにあった。自分達の能力を超える事件に対して、自分達で対応しようとしたのは間違いである。実際には専門家達も為す術がなかったようだが、官邸は専門家会議の答申を代弁し、命じるだけに徹するべきだった。

そもそも事故は、起こってはならない。電源が失われる可能性を、ほぼゼロにしないといけない。大海に面するということは、20メートルくらいの津波を覚悟するということである。その程度なら何の被害もなく、M6強程度の地震も瞬時に対応できないといけない。福島第一原発は、明らかに立地が悪く、建て方も言語道断、計画の段階から事故は約束されていた。作ったこと、作り方が事故の主因である。さらに検討するなら、地震国に原発を作って良いかの問題であり、これ以外の結論を出してはならない。

第一原発で事故が起こったら、菅総理だろうと安倍総理だろうと、誰か原発の専門家だろうと、何も出来なかった。炉心が融解を始めた時点で、もはや勝負は決まる。それ以外の結論を出すようでは、検討会議そのものが失敗だ。将来の役に立とうと考えていない人間が検証したと断言して良い。今後の国家のことより、何か他の事を考えたのだろう。得意の忖度をしたのだろうか?

忖度する人、させる人、忖度を容認する人を選んではならない。大失敗を生む。サリー機長のように使命に忠実に行動し続けないと、必ず大失敗を繰り返すはずだ。

 

2017年4月 5日

ソフィーの選択(1982)

Sophies_choice

- Universal -

ポーランド移民のソフィーと知り合った主人公は、ソフィーの恋人と3人で友情を育む。しかし、ソフィー達は深刻な秘密を持っていた・・・

・・・DVDで鑑賞。題名や、メリル・ストリープが主演女優賞を取ったことを知っていたが、作品は観ていなかった。82年当時の劇場主は暇だったはずだから、この作品はあまり興行成績が良くなくて、地方では上映期間が短かったか、ほとんど上映されずに観れなかった可能性が高い。

全くもって楽しくない作品。情操教育目的に子供に見せるのも、お勧めはできない。子供にとっては辛いだけの鑑賞になりそうに思う。ユダヤ系かポーランド系の人以外では、この作品は興味の対象外かも知れない。恋人といっしょに、こんな作品を観ていたら、恋愛に関するセンスを疑いたくなるだろう。

2時間半の映画だが、もっと短くできそうな印象を受けた。メリル・ストリープが微妙に表情を変えるシーンは、彼女の心情をよく表現してはいたものの、さすがに冗長な印象も受けた。一瞬の変化などを写して、印象的になるように工夫し、時間を短くすることもできたように思う。

ストーリーも小説向きで、映画としては複雑すぎたかも知れない。小説の場合は、主人公、ヒロイン、その恋人の3人がそれぞれ問題を抱え、互いに干渉し合って何かの事件が起こることは必要だが、映画の場合はセリフの量に限界があるから、雰囲気だけ表現して曖昧にせざるをえないと思う。たとえばヒロインの恋人がナチの資料を集める部分は、おそらく必要ない話ではなかったか?

メリル・ストリープもそうだが、ケビン・クラインも、ピーター・マクニコルも素晴らしい演技を見せていた。舞台などで活躍していた彼らは、この種の役柄には向いている。少し大げさな演技をする傾向があるからだ。精神を患った人間は、大仰な動作で感情を表現する時がある。その際に、舞台俳優のような動きは、ちょうど役柄に合う。

ケビン・クラインは特に雰囲気が良い。才能と狂気が同時に感じられた。でも、ひょっとしてだが、急に泣き出したりしたら、もっと彼の心情が分かりやすかったのではないだろうか?才能にあふれた幼少期を経た精神病患者は、周囲の人々に怒るとともに、きっと運命を悲しいと感じるはずだ。病気や障害は、基本的に悲しい感情を生むものだから。

ソフィーの選択が語られるシーンは、少し唐突な印象を受けた。おそらく文章の段階では問題なかった設定が、映画にする際に時間の都合上、不自然さを生んでしまったのでは?映画化の際には時間などを入念に検討して、無理がないようにすべきだったと思う。どの作品も、きっとそうしている。焦点を際立たせるためには、他のことは省略したほうが良い。最大の悲劇を隠して、最後に明らかになるほうが、映画としての流れは良くなったはず。

ポーランド人がアウシュビッツに送られたとは知らなかった。大量虐殺されたくらいだから、収容された者もいたかも知れないが、収容所はユダヤ人専用と思っていた。ドイツ側に収容で何か得るものがあったのだろうか?無駄な収容は、敵意を育てるし予算も必要。レジスタンスや政治犯以外は、放っておいた方が良いとは考えなかったのだろうか?

彼らがどんな思考によって周辺の民族を迫害したのか、その当時の人々の感覚が分からない。もしかすると人種差別、ユダヤ人排斥は、一種の‘産業’の側面があったのかも知れない。ユダヤ人の資産を没収できれば、金の流れを生む。排斥という事業に予算を投入すれば、そのための人員に給与を払えるから、雇用対策にもなる。軍事行動も、同じような理屈で投資~雇用対策の面はあったと思う。当時は事業を作ることが必要だった。事業は、税収を上げる効果もある。

もちろん、そんなことを堂々と言うバカはいない。だからこそ、そうだった可能性がある。恐慌後の経済的低迷から逃れるために、人種や政治体制を題材に新たな攻撃=新事業を立ち上げ、予算を集めて金を動かし、大きな流れを作ろうという意識は、互いの国にあったのでは?政権を維持し、政治の中心にいたいなら、事業の案を出し、金を流れさせないといけない。ドイツ以外の国々も、ドイツや日本が何かやってくれると、流れができて助かる。怖い話だが、その疑いはある。

犠牲者の事を心配していたら金が回らないから、不景気のままである。不景気は耐えがたい。景気が悪い間にライバル国は経済圏を使って発展し、将来の自国の立場が悪くなる。そうなると指導部の人気は落ちて、政権を維持するのが難しくなる。だから何か事業を起こさないといけない。国民の目の色が変わるような事業がぜひとも欲しい。

そういった殖産の意欲、政治行動の果てが、侵略や迫害になっていたのではと、なんとなくだが思う。そして今後も、形は変わっても基本はそうなるのではないか?

 

 

 

2017年4月 2日

コンカッション(2015)

Concussion


- Columbia etc -

監察医の主人公はアメフト選手の解剖に携わり、選手達の脳に独特な後遺症があることを発表する。しかし、業界からの激しい反発が待っていた・・・・

・・・・DVDで鑑賞。実話に基づくという。問題提起した人間に待ち受ける試練を描いていた。極めて娯楽性の少ない作品で、しかもフットボール業界には有難くない映画。よくこんな企画が通ったものだと思う。たくさんの制作会社が参入していたのは、もしかして各事務所がリスクを嫌って、少額の予算に限定した結果ではないかと疑った。

コンカッションというのは脳震盪のことらしい。恥ずかしながら、劇場主は知らなかった。コンツージョンと記憶していたが、よく考えてみればコンツージョンは打撲や脳挫傷の意味だから、脳外科が言うのを間違って覚えていたようだ。

ウィル・スミスが訛りの強い発音と、アフリカ人らしい表情で主人公を演じていた。彼と主人公のキャラクターは合致していなかったように思ったが、他の黒人俳優よりメームバリューがあるし、映画の興業面を考えたら、良いキャスティングだったのかも知れない。できれば、本物のアフリカ人のほうがリアルで印象も強く残ったかも知れないとも思うが・・・・

奥さん役や、同僚、上司役、共同発表者役など、味のある俳優が多数出演していた。静かな戦いを淡々と描いた印象だったが、ドラマとしての盛り上がりを考えたら、酷い仕打ち、白眼視や心ない中傷などをもっと強調して、悲劇として強調しても良かったかも。あるいは、監視や尾行されたりの恐怖をサスペンスタッチで描くと、さらに効果的だったかも。少し演出が足りない印象を受けた。

ナイジェリアから米国に留学し、複数の博士号を持つ主人公は、猛烈に優秀な人だろう。おそらく、病態に気づくのは時間の問題だったろうが、いざ発表となると、その仕方は非常に難しい。洋の東西を問わず、権力を持つ勢力を相手にする時は、反撃を覚悟しないといけない。自分の業績や倫理的な事情と、力関係をバランスにかけないといけない。主人公は敗北したとも言えるから、現実は甘くない。

米国の場合、個人の権利意識が高いから、個人を守る法律は充分にありそうだ。でも、さすがにFBIを介して圧力をかけられると、よほどな人を除いて社会的に葬られる危険はある。ただ、それでも主人公を支援する上司がいたのは有難いことだ。日本では、そうはいかない。権利意識が違う。主人公は狂った学者か、売名や営利目的の人物とキャンペーンを張られる。したがって、日本で同じような問題が発生しても、無視されるかも知れない。

日本では上司も部下も、警察も近隣の住民も、家族も親戚も、皆が敵に回る可能性が高い。町の大事な事業を破綻させてはならない・・・・そんな意識がはたらいて、主人公は直ぐに解雇され、孤立無援の状況になる。同僚の連中が連日押しかけ、問題を起こすなと圧力をかけ、家族もその片棒を担ぐ。社会の和が大事だからなど、色々な理由づけはあるのだろうが・・・

どこでも一般に、問題解決より利害が優先されている。人を動かすのは、言葉の正しさよりも忖度を上手く働かせるかどうか、忖度させることができるかどうかと考えたほうが良い。出世する人は、公的な精神より私的な利害、情動を重視する人が多い。気持ちの問題、人は気持ちで動く・・・と言うと聞こえは良いが、それが習慣化すると、悪しき面もある。友人関係は情の人と付き合ったほうが心地良いが、公的な関係は思考法を変えないといけない。

森友学園や、豊洲市場、各地の原発の問題を見ていると、どれも病態が似ていると感じる。忖度で成り立つ思考習慣が関与していて、明らかに悪影響を及ぼしている。権力者側は忖度して欲しいから、状況の改善は、よほどなことがないと無理。まあ劇場主自身も、上司の顔色をうかがって、忖度をしっかりやってきた。誰でも自然に、強者におもねる感情が起こるものと思う。

忖度する人に忖度し、その人にまた忖度し・・・とやっていたら、もう組織の体を成さない。忖度する人させる人は、排除しないといけない。倫理が残るように努力すべき。これは、国家の生き残りのために必要な策と考える。だが、皆にそのセンスが育たないと、改善は難しい。政府首脳が「忖度は違法じゃない。」などと答弁するなんて、公の精神があれば、考えられない。そんな言葉が出るなんて、公共精神がないよと言うようなものだ。

小学校の道徳では、森友問題を例にとって忖度の害を解説すると良い。公共精神を培う、良き題材になる。公的な精神は、教育勅語では育たない。昨今の報道を見る限り、それは証明されたと思う。それを明らかにするために、彼らは活動しているのか?だとしたら、尊敬に値する。

 

 

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