映画評

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2018年6月18日

ひるね姫~知らないワタシの物語(2017)

Warner_bros


- 神山健治・ Warner Bros. -  


居眠りする女学生が主人公。彼女は夢の中で機械都市の姫様になるが、現実世界の自分の境遇と夢が連動していることに気づく・・・・DVDで鑑賞。  


この作品はDVDの予告編でさかんに宣伝されていたから知ってはいたが、さほど興味を持てないまま、鑑賞を延ばしていた。やはり固定観念としてだろうが、アニメはしょせんアニメであり、子供のためにあるもの。老年にさしかかった人間がわざわざ観るのは、なにか自分が幼くなったような、情けない気がする。時間がもったいないこともあるし、そんなテライめいた感傷が働くのかも知れない。いまさら気取ってもしょうがないんだけど・・・   


それに、夢と現実が交錯する話なんて、掃いて捨てるほどあったし今更ねえ・・・そんな意識もあった。よほど斬新なことを盛り込まないと、まさか満足はできないだろうねえ・・・ 


鑑賞して、素晴らしい出来栄えの、完成度の高い優れた企画だと感じた。レベルの高い仕事だった。この作品が優れている点は、東京オリンピックの頃を時代設定に用いていたこと、スマホやタブレットを駆使する現在と、自動運転技術という今後の問題を扱い、さらには親と子供、田舎と都会、男女の関わりなど、日常の物語も挿入されていることなどだろうか。入念に企画を練った様子が感じられ、感心する。


居眠りを設定に使う話は多い。夢と現実が交錯する話は毎年のように作られている。手塚治虫の漫画「ジェットキング」は面白い小品だった。居眠りの間だけヒーローになる弱い少年が、現実とかぶる登場人物たちと戦ったり、仲良くなったり、夢にあふれる話だった。設定はよく似ている。より多くのものを盛り込んだようだ。 


敵の個性が大事だったかもしれない。あまり憎まれないタイプの重役が悪役だったようだが、もっと怖い存在がいたらどうだったろうか?戦いの興奮度は上がったのではなかろうか? 


アニメの動きに関しても改善の余地があるように思った。特にヒロインが走る仕草には改善が必要だろう。体重を上手く表現できないのは、もはや許されないと思う。ピクサーによるCGアニメは、動きの自然さに関しては数段上を行く。あれを観た人は、あのレベルの動きを要求してくる。この作品の動きに関する表現は、全般にかなり古くなったものを感じる。建物や風景に関しては今の日本のアニメも進歩したが、人物の動きの表現に欠点がある。


微妙なもので、重力や体重、加速度などの感覚が表現できれば良いだけなんだろうが、おそらく人の手でいじるのではなく、コンピューターによって加工すべきものなのだろう。巨額の資金が必要で、まだ入手できていないだけなら、今後バージョン落ちのピクサーソフトを購入できれば、十分に使えそうな気もする。既に市販されたソフトにも、そんなものはないのだろうか?


あるいは中国の違法コピーを購入する手もあると思う・・・・いや、違法だからダメだ。   

 

中国と米国は、知的財産に関する権利を中心としてもめている。両国が互いの関税を上げると発表し、貿易戦争のようになりつつある。違法コピーは中国だけじゃなく、日本も韓国も酷かったが、中国の場合は米国の司法行政の力が及びにくい点で特殊だ。欧米は権利のために平気で戦争をしてきた。中国が少しでも弱みを見せれば、情け容赦なく権利を追求するだろう。もちろん中国だって長いこと欧米や日本に権利を蹂躙されてきたから、簡単には引かないだろう。     

 

ただし思うのは、貿易の交渉は数十年単位で積み上げるべきものと思う。大統領が交代して、急に「俺は許さん!」などと方針が変わるのは、混乱を生むだけだろう。結果に責任を取れるなら良いが、今の大統領には、そんな気もないはずだ。







2018年6月15日

SING/シング(2016)

Sing

- Illumination Entertainment,Universal

 

劇場を運営するバスター・ムーンは、経営不振の打開策として歌のオーディションを発案するが、大失敗が待っていた・・・・DVDで鑑賞。

 

この作品は大ヒットだったらしい。しばらくはビデオ屋でも人気があったようだし、サントラ盤のCDや、ラジオでの曲紹介も何度か聞いたように記憶している。内容も健全だし、ディズニー映画と言われても不思議ではない、家族向けの作品だった。イカ達が躍るシーンは実に美しく、素晴らしいアイディアだった。 

 

この作品は、最初からストーリーが読めてしまう。よほど個性的なキャラクターが登場しない限り、そうそうは受けないように思うのだが、製作者たちの戦略がしっかりしているのか、受けていたようだ。劇場主は各々のキャラクターにそれほどの個性を感じないが、ちゃんと人気を出しているようだから、何かが良かったのだろう。典型的なキャラだったから、幼児たちには非常に受けるのかも知れない。 

 

劇場主の好みとしては、主人公はもう少し辛い目に遭い、根性や友情などによって少しずつ盛り返し、大人も感動できるような真面目路線のほうが好きだが、そんな話で子供たちがシラケてしまっては、興行面で失敗する。子供をターゲットにする選択は正しかったのだろう。

 

極端に意地悪な人物が登場するわけではないので、悪役を倒すことで盛り上がるタイプの話ではない。ぜひ悪役が欲しいと、劇場主は思った。悪役なしで観客に受けるためには、普通の場合は他に代わる大きな魅力が必要だったと思う。子供路線に絞ることで成功したようだが、危ない面もあったかもしれない。  


声優たちが一流だったのは魅力になり、話題の点で成功に貢献したかも知れない。プロモーションビデオには、アリアナ・グランデも登場していた。作中の実際の歌声もかなり素晴らしい出来栄えだったようだ。日本の歌手たちの歌を聴いたが、下手くそはいなかった。そして英語バージョンの歌は本当に素晴らしい。歌や曲の魅力は確実に成功につながっていたはずだ。   

 

さらに思ったのだが、もしかするとオーディション番組のイメージが、作品への期待感につながって成功したのかもしれない。ユーチューブによく出ていた有名なタレント発掘シーンは、ポール・ポッツやスーザン・ボイルなどのスターを生み出して、注目が集まった。あの記憶が、映画の魅力にも関係したのではないだろうか?    


オーディションを使えば注目が集まるだろう、期待感が生まれるに違いないと、製作者たちには分かっていたのかも知れない。ユーチュブがなかったらのアイディアさえ生まれていなかったかも知れないと思うが、どうだろうか?  

 

 

 


 

 

2018年6月13日

米朝首脳会談(2018.06.12)

Ap

- AP? -


2018年の6月12日朝から、シンガポールでトランプ大統領と金正恩氏が対談し、合意文書を交わした。画像は、おそらくAP通信が発信したものではないかと思う。朝からテレビでもネットでもライブ映像が流れていた。   


まるで劇場のようだと思ったので、この劇場で上映することにした。  


歴史的な会談だったと思うのだが、会談内容ははっきりとは公表されていない。トランプ氏は著名した文書を記者団に見せたようで、そこから概要が報道された。文書を見せて良かったのか分からない。相手国も了承しているなら問題ないし、トランプ氏がいつもの癖で記者たちに見せただけなら、北朝鮮国内に反発を生じ、後で問題になるかも知れない。会談後に結構長い時間、トランプ氏は記者会見を開いていたが、北朝鮮側が何かを公表したかどうかは分からない。一方的な会見だけなら、会談の本当の内容は分かりようがない。   


会談の前には、様々な評論家たちが合意内容について予測をしていた。朝鮮戦争の終結に関しては、宣言が出るかもしれないと述べる人もいたが、おそらく宣言してもひっくり返される可能性があり、まだ早すぎるのではと感じていた。今のところ終結宣言は出ていないし、合意内容を見る限りは終結に向けての交渉開始程度のレベルのようだ。それが現実的だし、双方が合意できそうな基本部分だと思う。  


北朝鮮が今後どのような行動をとるのかは分からない。普通に考えるなら、時間をかせいでいる間に作業を進め、核の完全な廃棄が困難な状況に持っていくことが考えられるが、米国の監視をかいくぐって作業を完成させるのは難しいと思う。隠れた行動を指摘された場合、危機は一気にやってくる。今までのようには行動できないのではと予想する。  


そもそも、既に出来上がった武器と技術を完全に排除することができるものなのだろうか?技術者の全員が亡くなり、隠された施設も破壊され、武器もすべて解体されるなど、そう簡単にできそうには思えない。山の中、地下、一般の家屋に分散して保管し、いざとなれば直ぐに合体させて実戦で使うといったことも、ある程度はできそうに思える。民家の一軒一軒を探索するのか?それは現実的じゃない。かなりの状況を把握したが、不安は残る・・・そんな程度しか達成できないと予想する。  


米国の狙い、最終的な落としどころも分からない。実際に戦争になることは望んでいないと思う。戦争で得るものは核兵器の排除による安心だけだろうが、中国やロシアの脅威がなくなるわけじゃない。朝鮮半島の北側を得ても、管理はややこしく、後が面倒になるだけだろう。失うものは多くの兵士、多額の費用、韓国人や日本人の命と、国際的批難。もしかすると米国都市への核攻撃で、国内に甚大な被害が出るかもしれない。それらは誰でも分かることだから、戦争は回避されるだろうと思う。    


でも、当事者達の予想を超えることで会談が無駄に終わる可能性もある。とりあえず第一歩は踏み出せただけという状況だろうか?    


 



2018年6月12日

夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語(2009)

Nocturnes         

 

- 早川書房 カズオ・イシグロ著、土屋政雄 訳 -     

 

ミュージシャン達を中心に、男女の物語と人々の出会いを描いた短編集。いずれも主に夜と音楽が関係しているので、夜想曲集とタイトルがついている。うち一遍はタイトルが夜想曲。 

 

イシグロがノーベル賞を取ったから、彼の作品を購読している。有名な作家ではあったが、賞を取らなかったら読まなかっただろう。おかげでだが、文学体験ができる。劇場主はこれまで、小説を読んで楽しむというより、常識を得ないと遅れるという焦りから読書していた気がする。教養第一という呪縛があった。イシグロ作品は、楽しみを味わえる。 

この短編集は、いずれも味わいのある話ばかりで構成されていて、余韻が残る作品集だ。でも、イシグロが特に短編が得意とは言えないようだ。よくできた良い話ではあっても、際立つ名作とまでは感じない。オー・ヘンリーのほうが、より上手いと思う。尻切れトンボじゃないかと感じる部分もあり、もう少し長めに作っても良かったような気がした。

 

映画に向ているような印象は受けた。音楽が有効に使えそうだし、老いたミュージシャンが主役の、味わいあるオムニバス作品が作れそうな題材と思う。 

 

イシグロは自身も音楽への造詣が深いのだろうか? いろんな作品に音楽がらみの話が出て来て、それらが作品のイメージ作りに貢献しているように思う。音楽は優雅なイメージ、読者それぞれの淡い思い出など、感覚に訴えさせる効果がある。それを上手く使っているようだ。誰でもできるものではない。使い方を間違えたら、「この曲を、この場面で使うかねえ・・・」と、かえって評価を下げることもありうる。センスは必要だろう。

 

日本でなら、たとえばサザンオールスターズの曲は、若者が恋をする場面で使うには便利だと思う。でも、世代を限られる面はある。もう今の若い人達には時代が違うというイメージが浮かぶこともあると思うので、今を舞台にする小説の中では使いにくい。70~90年代くらいに限定された話なら使える。ジャズの名曲の場合は、せいぜい60年代までくらいが限界だろうか? 古き善き時代の恋を語る場合にだけ使えると思う。

 

ヒップポップ系の曲が、今後小説に使われる時代は来るのだろうか? 今の時点ではイメージできない。基本として小説に使われる曲はスローテンポで、優雅さ、あるいは悲しさをイメージさせるものでないと、かえって雰囲気を壊してしまうように思う。アップテンポな曲では、いかに名曲で皆がイメージを作りやすいとしても、小説の質を下げることになるだけではないだろうか?  

 

まさかジャニーズ系、韓流ダンス系の曲が小説に登場して、悲しい別れを思い出す時代が来るとは思えない。バラード調の曲は今でもたくさん作られているから、曲がなくて困るような事態にはならないとは思うが、違う世代の人間が読んでもピンと来ない時期が来る可能性はある。だから、この作品集も100年後には通用しなくなるかもしれない。  

 

 

2018年6月 9日

ある決闘 セントヘレナの掟 (2017)

The_duel

- Mississippix Studio etc. - 

 

テキサスレンジャーに所属する主人公は、メキシコ国境の事件を探る目的で町に到着。しかし怪しげな宗教団体が彼を邪魔することになる・・・DVDで鑑賞。 

 

主役はウッディ・ハレルソン。悪役側の中心人物だったが、「地獄の黙示録」のカーツ大佐をイメージしたらしく、マーロン・ブランドのような口調で怪人物を演じていた。 この悪役のキャラクター設定が素晴らしかった。ただの暴力男であったなら、二級品のアクション映画になる。宗教家としての性格を持ち、有能かつ大胆で戦争では活躍した人物として描かれ、悪の魅力あふれる人物だった。

 

最近のハレルソンの活躍は素晴らしい。大作映画で、主に悪役として第一級の存在感を維持している。気味の悪い表情が狂気を感じさせるので、使いやすい役者なのだろう。今回は妙なメイキャップをして登場していたが、メイクなど必要もないほど役柄に合ったキャスティングだった。はっきり言えば、主人公は誰でも良かった。ある程度の体力が感じられるなら、他の俳優でも充分だったろう。

 

戦いのシーンが非常にリアルだった。銃撃シーンは、かなりリアルだと感じた。リアルでないと、いかに凄いシーンでもしらけてしまう。銃撃の腕がない人たちは、銃を持っていても怖いはずだ。 最近の映画では銃撃戦が過剰に劇画化され、リアルさを損なったと思えるものも多い。過剰な演出はいけない。実際の銃撃戦では、よほど安定した姿勢から狙わないと、敵に当たるものではないはず。数百メートル離れた敵を次々と倒してゆくのは不自然だ。失敗ばかり繰り返すのが正しいと思う。専用の、狙撃用の銃なら最近は高精度で敵を倒すだろうが、西部劇の時代では難しいはず。 

 

いっぽうで、この作品でも無理をしたシーンが色々あったことも間違いない。ラスト近くで主人公がやられそうになるシーンは、安っぽいアクション映画を連想させる。あんな展開の作品は多いので、もう少し万人が納得できる描き方が欲しかった。せっかくの作品が、最後にレベルを下げてはもったいない。 

 

主人公の奥さんが洗脳されていく流れにも、少し無理を感じた。主人公と危険な旅に出るような女性が、いとも簡単に宗教にのめりこむものだろうか?過去に何か宗教的な経験をっしているか、あるいは病気をして悪役側に助けられるなど、自然な流れと認識させる描き方が必要だったと思う。高品質な作り方はしていなかったようだ。   


深いテーマも感じそこなった印象。宗教がかった集団と理性の戦いをテーマにする手もあったと思うのだが、ただ不気味な連中が人道に反した商売をやり、正義の味方がそれを倒すという話では、満足を狙うのも難しくないだろうか?


 

 

2018年6月 6日

不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか(2017)

Koudannsya

 

- 鴻上尚史、講談社現代新書 -  

 

実在の元特攻兵、佐々木友次氏の伝記。著者は鴻上氏。演出を主な仕事とする鴻上氏が、特攻兵に興味を持ったのは、なぜだろうか? 本によれば偶然の成り行きもあったようだが、やはり劇作にならないかと考えたのではなかろうか?    

 

生き残った特攻兵は多いが、9回も出撃したというのは、おそらく他にはいないだろう。生き残るだけの操縦の腕と、無駄死にをよしとしないプライド、洗脳から距離を置くことのできる精神の力など、本人の特性があったと思う。それに加え、どうしても佐々木氏に死んでもらいたいと考える連中以外に、彼を生き残らせる、あるいは戦力として有効に利用したいと考えた人間もいた点で、彼は救われてもいるのだろう。   

 

作品の中では整備兵達が、上官の命令を無視する形で、爆弾を外せるように調整していたと書かれている。これは軍法から考えると、とんでもない命令違反に相当するから、本当は書籍に書くのは問題かもしれない。当時の整備兵たちのメンツは判ってしまうので、関係者がすべて亡くなったことを確認するか、あるいは本人たちの同意をすべて得てからでないと書くことに問題はある。良いことをしたとしても、命令違反ではある。    

 

特攻の命令をした人達が、その後は自衛隊で活動していたという記載に驚く。いかに優秀な人物であっても、特攻作戦は成功したとは言えない作戦であるから、責任はとらないといけない。軍事関係からは足を洗うべきだ。 効果に疑問があり、犠牲はすさまじく、作戦の性格的にも問題が多いことは明らかだから、そんな作戦に参画した上官には厳しい対応が必要だと思う。それが組織を維持するために必要な判断だ。自衛隊の人事に疑問を感じざるを得ない。    

 

何か不公正な理由で自衛隊に復帰し、引き立てられたということは大いに疑われる。自衛隊がそんな組織なら、戦えばまたきっと無残な結果に終わるだろうと、予想がついてしまう。間違った思考をする人物と分かっていて、その人物に判断をゆだねる・・・・それは破滅的。不公正さを排除する必要性に、気づかないようではいけない。    

 

最近の国会は荒れている。財務省の忖度、セクハラ疑惑に加え、PKO活動中の記録の管理が問題になっている。日報は公文書だから、国が続く限り永遠に保存するものと思っていたら、簡単に処理する規則があったのだそうだ。後で事実確認する必要が出た時に、分からないようにしたいという思惑が働いたとしか思えない。検証するのを難しくしようという、ずるい考え方ではないか?  


狡くても、狡賢い考え方ではない。 弱みを作ってしまうからだ。 そして戦略を間違える原因になるかもしれない。正確な記録は、勝つためにある。   

 

劇場主が敵なら、おそらく100年前の行為でも問題にして攻撃する。攻撃のネタになるものは何でも利用するのが戦いである。こちらに記録がなければ、敵の言う通りが歴史となる。記録で既に負けることになる。反論するために、記録は必要である。正確で詳細な記録は、武器の一種であると考える。自分の保身のために敵にネタを与えることを厭わない姿勢では、職務に残る資格がないと考える。  


もちろん現場の隊員は自分の不利益を覚悟しないといけないので、耐えがたいことだろう。その立場には同情するが、耐えて欲しい。そうしないと、しわ寄せが最終的には特攻作戦のような無茶につながるからだ。  

 

 

 

2018年6月 3日

レジェンド・オブ・フォール(1994)

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- TriStar -

 

モンタナで牧場を経営する家族。子供達3人は第一次大戦や禁酒法の時代に、それぞれが対立したり、協力したりして生きていく・・・。DVDで鑑賞。近代の時代劇、米国開拓民の叙事詩といった作品だった。

 

主人公を演じていたのはブラッド・ピット。野性的な若者という個性だったはずだが、個人的にはミスキャストのようにも思えた。もっと本格的に野性味がある俳優のほうが良かったのではなかろうか。二枚目でなくても良いから、いかにもワイルドな風貌の俳優が欲しかった。

 

フォールというのは、家族の墓が作られた崖の上を意味しているように思う。要するに家族の伝説という意味あいだろう。 作品の背景として出て来る風景が素晴らしい。ロッキー山脈のどこかの山だろうが、その前に広がる草原とのコントラストが鮮やかで美しい。グーグルマップでモンタナ州を適当に見てみたら、やはり美しい山並みを見ることができる。映画の舞台として最高だった。

 

途中でクマが何度か登場する。どうやって撮影したのか分からないが、格闘するシーンもある。あのシーンは技術的に凄いと感じた。最近の「レヴェナント」ではCGを使ってクマを画像化していたが、この作品の当時は本物のクマを使うしかなかったはずだ。スタントマンといえども、怪我は覚悟しないといけないだろう。人に慣れたクマを使っても恐ろしい撮影になっていたのではないか? 

 

兄弟たちが互いに反目しあう流れは良かった。恋敵になる、仕事の関係で敵味方の陣営に分かれる、そんな事態はどこでもいつでもありうることだろう。経緯が自然だった。小説や映画で使われやすい設定で何度もみてきたものではあるが、それでも心を揺さぶられるものを感じた。日本でも、たとえば北海道の開拓民などなら、まったく同じ設定の話ができそうな気がする。

 

家族の物語は他人ごとではないし、絶妙な時代、舞台設定のせいかもしれない。実際にありそうな話だから、自分の御先祖様のことに思いをはせる人も多いのではないか? よくできた作品だった。 

劇場主の場合、自分たちの兄弟仲は良いほうだと思っていた。ところが職場の関係で皆がバラバラに暮らすと、親が病気をするときの世話、諸事の手配や資産管理などに関して、まったく意見が合致しない場合も出てきた。   

ある日、劇場主が母親と貯めていた古銭が、断りもなく兄によって処分されていた。さすがに腹が立った。資産に相当するものを勝手に処分するとは!しかも、その中には劇場主個人の物もあるのだ。さらに、兄の息子が古銭に興味ないか、あればあげるよと以前尋ねたことがあるから、劇場主の物だと認識することだってできたはずだ。    

おそらく、処分可能なものを焦って探すうちに忘れたのだろうと思うが、そんなトラブルはどこの家庭だって起こるものだろう。親の土地もかなり処分されてしまったが、こつこつ貯めた財産を、あまりに簡単に処分するのは、気分的に親への敬意を損なう行為のような気もする。こちらは相続を破棄しているから文句は言えないが、親はどう思うだろうかと、想いをはせてしまう。

 

 

2018年5月31日

日本軍兵士(2017)

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- 中公新書・吉田裕著 -  

 

著者は吉田裕氏、一橋大学の教授だそうだ。太平洋戦争の反省、検証を試みた内容と考える。 

 

記載されているかっての首脳たちには遺族もいる。首脳たちは敗戦の将だが、家族の心情を考えると記述には注意が必要。かといって同情心全開、忖度とイデオロギーに満ちた賛美のし過ぎもいけない。間違いは間違いとして、純粋に訂正と改善を目指す・・・それが難しいことだが、そう目指すべきと考える。 著者の吉田氏がそのようなスタンスに立っているか、少し疑問を感じた。やや感情的な表現もあるようだ。 でも、概ね学術的に述べている印象。内容が著しく左に偏っていると評価するのは無理がある。 

 

本でも取り上げられているインパール作戦は代表的な失敗事例だと思うが、あの作戦では兵站を十分に考えていなかったのは間違いない。 それが悲劇の直接的原因になっているはずだ。 補給の確保は簡単じゃないだろうが軍隊の基本である。どんな思考回路で作戦を決行したのだろうか? 反対意見もあったろうに、強行を防げなかったのは組織に問題があったからだ。そこを検証し、再発を防がなければ、兵士は「俺たち、無茶な作戦に駆り出されないかなあ?」と、常に思っておかなければならなくなる。それではいかな勇者でも、戦意喪失する。失敗例については、検証を妨げてはならない。気分が滅入っても、検証作業は大事だから、止めてはいけない。

 

歴史の検証は難しい。特にイデオロギーが関係する近代以降の歴史を語る場合は、ひとつの事象を同時に見ているはずでも、解釈が全く正反対になることが珍しくないようだ。そして記録する人にも立場があり、忖度によって記載を変えたり、記録を捨てたりされることもあったのだろう、昨今の自衛隊の日報の記録についての報道を見ると、捨てたり編集したりが普通に行われている。なんたる認識不足。昔はさらに酷かったに違いない。事実は隠されるものであり、真相は簡単には分からない。

 

そもそも中国への侵略が、どうして実行されたのだろうか? 石炭以外の地下資源は、そんなにあるようには思えないので、経済圏を作って欧米の帝国主義に対抗しようと考えたのか? 確かに当時の帝国主義は激しく、日本は不利な立場だったろう。それに中国は大きい市場だ。でも、経済的な意味合いがどれくらいあったのか分からない。また実際に侵略が達成可能かどうか、維持できるかも不透明だ。欧米からの妨害や現地の抵抗を排除できると考えた理屈も分からない。 

 

劇場主は間違いを正さないと進歩しないと考えるので、当時の間違った人達がどう考えていたのか、意志決定がどのようにされたのかに興味はあるのだが、一般的にはそういう考え方は主流じゃない。劇場主こそ間違っていると認識する人も多いだろう。過去のことは忘れようと考える人のほうが多いはずだ。いまさら考えても終わったこと、過去のことについては学者達の見解も分かれるし、イデオロギーに支配された極論も多いので、よく分からない。記録も不完全で、全面的には信頼できない。   

 

検証への抵抗、激しい批判も必ず起こる。論争は避けたいだろう。忘れたいし、都合の悪いことの責任を回避したい。忖度して保身や利益を第一に考えるからか、面倒な検証は気分的に滅入るといった理由からか、様々な思惑が絡んで、闇は闇のまま処理される傾向が続いている。多数派がそんな思惑を持っていると、検証するのが悪いことのように言われてしまう。正確に記録し、検証を続けないと戦いには負けるはずなんだが、もはや集団としての勝ち負けは気にならないのか?     

 

帝国主義は消え去ったわけじゃない。欧米諸国が手法を変えただけだ。野望の活動形態は変遷している。覇権を狙っている国がなくなったわけじゃなく、大戦以前より規模が大きいというのに、それを認識できていない人が多いだけと感じる。より強大な覇権国家が、すぐそこにある。こちらに隙があれば、相手は当然ついてくるだろう。失敗を検証して原因を把握し、学んで改善し次に備える。その姿勢が必要と思う。次の心配がないとは思えない。だから、こんな本は必要なのだ。

 

 

 

2018年5月28日

オンリー・ユー(1994)

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- TriStar -

 

マリサ・トメイ主演のラブストーリー。DVDで鑑賞。共演はロバート・ダウニー・Jr。今やマネーメイキングスターの彼だが、この当時は若手コメディアンのひとりに過ぎなかった。

 

ロマンティック・コメディだった。軽い調子の男が、なんとかヒロインと結ばれようと工夫する流れが面白かったし、舞台がイタリアの観光地だったので、美しい背景の中で展開する話には夢を感じられた。共演者はよく見る女優だが、他の作品では普通の母親役を演じていることが多い。この作品ではかなり大きな存在で、魅力のある良き女友達を演じていて好感を持った。

 

この作品の宣伝や批評を見た記憶がないので、たぶん大ヒットではなかったと思う。特徴に欠ける印象もある。爆笑できるタイプの作品でもない。夢がかなうかどうかという点に観客がワクワクできるという魅力にとって大事な点が、あっさり捨てられてもったいない気もした。

 

今でこそ大スターのロバート・ダウニーだが、この当時はスター候補に過ぎなかったはず。30歳前で、その後にどんなキャリアをつむことになるのか、本人も分かっていなかった時期だろう。ただのヤク中のマイナー俳優で終わっていた可能性もある。

 

この作品でも独特のとぼけた雰囲気が感じられるが、今の彼のキャラクターには、おそらくだが、彼がヤク注だったことが好都合に作用している。奇人変人を演じるには、ぶっ飛んだ個性が観客のイメージにも浮かんだほうが良い。本物のヤク注だった彼は、奇人ぶりも本物に写る。それが著効している。ジョニー・デップにも共通するものがある。彼の本当の演技力、魅力は分からない。この作品で特に彼のファンになる人がいたかどうかは疑問に感じた。でも確かな個性は感じる。それが大事なのかも知れない。 

 

日本のコメディアンたちの中にも、一定のキャリアを積んで、何かの魅力が培われて初めてメジャーなタレントになる人がいるが、ハリウッドでもそうなのかもしれない。この当時のロバート・ダウニーは、若すぎてトボケぶりが中途半端に感じられたのかもしれない。 

 

マリサ・トメイ嬢については、この作品で大勢の人がファンになってもおかしくないと思う。女性からどのように見られるのかは分からないけど、男性から見れば華奢な体形に、美しく笑顔が素敵なタレントで、恋愛もののヒロインにはうってつけのように感じる。その後も長いキャリアを維持しているし、助演女優賞をいろいろ取っている。

 

でも、常にヒロインを演じられたわけではなかった。魅力的だが大スターにはなれていない。あくまでまともな個性であるから、キャラクターが重要なハリウッドでは、高額の出演料を要求できるような存在にはなれなかったのかもしれない。個性が大事なんだろう。

 

2018年5月25日

素顔の西郷隆盛(2018)

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- 礒田道史著・新潮新書 -

 

今年の大河ドラマで西郷どんが放送される関係か、様々な西郷本が出ている。人気歴史家である磯田氏も新書を出していたので購読した。 

 

西郷に関する本は非常に多い。過去に何冊か読んだことがある。西郷は間違いなく日本史の中でも稀有な人気を持つ英雄であり、多くの人から尊敬され、悪い印象を持つ人は滅多にいない珍しい存在だと思う。他の有名人では、悪い面も必ずある。徳川家康や織田信長だと陰険な部分、残忍な部分を感じて嫌う人も多いはずだ。西郷は彼らとは違う。

 

西郷の凄いところは、出世欲、金銭欲を感じさせないところだろう。権力を捨てて国家の中枢から離れている点が、広く評価されていると思う。偉人は多いが、金や権力、名誉欲、支配欲の亡者がたまたま成功しただけの人がほとんどだと思う。西郷が何を基準に自分の道を選んだのか、常人ではなかなか分からない。この本を読んでもよく分からなかった。

 

もしかすると、西郷は自分の人生訓として名誉や金銭欲を捨てることを目指し、それを実行することでの満足に欲を持ったのではないかと、少し感じた。それよりも高尚な、何かの義務感、やむにやまれぬ動機があってあのように行動したのかも知れないが、いずれにせよ一般的な常識を外れた判断があったようだ。

 

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る・・・」という彼の言葉があるそうだが、確かにそんな人間は扱いにくい。弱みを見つけて懐柔することができないし、あら捜しして批判することも簡単ではない。そんな人物を目指すと、みずからの行動は制限され、やがては政権を去らねばならなかったし、政権と戦わざるを得ない運命にあったのかもしれない。彼の目指した姿、彼の信条こそが彼の最後をもたらしたのかもしれない。 

 

西郷には様々な問題点があると思う。彼の信条は非合理性をはらんでいるので、彼を崇拝する連中が非合理性を当然のことのように思い、無茶な行動をとりかねない。過激化しやすいはずだ。集団の中で誰かが合理的なら良いが、全体が非合理的では破滅する。

 

もともと薩摩藩士には「理を言うな!」という伝統があって、理論に走ることを嫌悪する傾向があったそうだが、西郷の迫力の一部は、そんな伝統から生まれたものもあるように思う。ただ、西郷だから良かった姿勢が、欲まみれのエセ西郷によって、妙な施策に持ち込まれてしまうと困ったことになる。旧日本軍の上層部にも伝統的に薩摩藩士の子弟がたくさんいたはずで、薩摩藩の伝統を継いでいたとすると、やはり無茶な作戦に走りやすい。それこそが敗戦の主因なのかもしれない。  

 

むしろ欲深き人物に合理的な施策をとってもらったほうが、無茶が少なくなる。玉砕するのは怖いので、消極的な作戦が多くなるかもしれないが、全滅するよりはマシだろう。西郷は何をやらかすか分からないし、始めたら途中で止めたりしてくれないないだろう。そこが怖い。

 

 

 

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